大江山・鬼退治サイクリング 2007.05.20
年月日/2007年5月20日
バイク/MARIN Venezia Road Bike
目的/鬼退治伝説で有名な京都府北部の大江山界隈を走る。
ポイント/①大阪~福知山間は輪行,②山道サイクリングはせず、大江山山頂へは自転車で登らないで、徒歩。
内容/
藤原氏が権力を握る平安時代、旱魃や自然災害による不作により都には餓死者が溢れ、まさに地獄であった。
そのような頃、京都の大江山に酒呑童子という鬼が棲んでいた。その名のごとくいつも酒を飲み、真っ赤な顔で童子頭、身の丈は一丈もあると噂され、人間では容易に近づくことは出来ない大江山の奥から、茨木童子らの手下と共に夜な夜な都に現れては、盗み・放火・暴行の限りを尽くしていた。酒呑童子の悪行をたまりかねた一条天皇は、武士の源頼光(みなもとのよりみつ)に酒呑童子退治の勅命を下した。頼光は四天王と呼ばれる4人の強者の家来、渡辺綱(わたなべのつな)、坂田金時、卜部季武(うらべすえたけ)、碓井貞光(うすいさだみつ)、更に甥である平井保昌(ひらいやすまさ)を加えた6人で酒呑童子の退治に向かった。
一行は修行中の山伏姿を装って大江山に入った。しかし山は非常に険しく、鬼たちが棲むという「鬼の岩屋」も何所にあるのか見当もつかないでいた。
すると一行の前に3人の老人に化けた岩清水八幡,熊野権現,住吉明神が現れ、彼らの案内で道なき道をどうにか踏破出来た。最後に彼らは神便鬼毒酒(しんべんきどくしゅ)と呼ばれる神酒を授け、
「この酒は人間が飲むと神の力が身につくが、鬼が飲むとその力を封じ込める事が出来る。どうか役立てて下され。この先をまっすぐ行くと若い娘がおるから、その娘に鬼の住処をたずねるとよい。」
と言って消えてしまった。一行が進んでゆくと、川のそばで17~18歳くらいの娘が泣きながら帷子(かたびら)を洗っている。娘は花園の中納言の姫とのことで、今朝がた酒呑童子に囚われていた堀河の中納言の姫が鬼達に食われてしまったので、その帷子を洗っているとのこと。頼光一行は娘に鬼の岩屋の場所を聞くと山を降りるように促した。
鬼の岩屋にたどり着き、門番に一晩宿を貸してもらえないかと願うと、暫くして岩屋の中に案内された。やがて酒宴が開かれ奥から大きな足音が聞こえてきた。髪は赤く、眼光鋭い大鬼が、鉄杖を片手に仁王立ちで現れた。
「おう!そち達が修行中の山伏か。都では源頼光とかいう武士にこの酒呑童子退治の勅命が下ったともっぱらの噂ゆえ、警戒しておった。 今宵は酒など飲んでゆっくりくつろがれよ。」
と大声で叫んだ。この鬼こそ酒呑童子であった。
酒呑童子はさらってきた娘達の酌で大いに飲みはじめた。料理は人間の足、酒は血酒であった。酒呑童子は手下に人肉を小分けさせて、頼光らに振舞った。頼光らはさも旨そうに肉を食う演技をした。頼光は酒呑童子の前に進み出て、神便鬼毒酒を手に
「もてなしのお礼にこの酒を献上致す。とても美味ゆえ、ぜひ一献ためされよ」
と言って、まず自分が飲んでから酒呑童子に酌をした。酒呑童子はためらいもなく神便鬼毒酒を飲み干すと、あまりの美味さに驚き、まわりの鬼たちにもこの酒を勧めた。やがて鬼たちは酒呑童子をはじめとしてみんな眠ってしまった。頼光らは鎧兜に着替え、眠っている鬼達を次々と斬り殺していった。最後に残ったのは、気づかずに大いびきをたてて寝ている酒呑童子だけであった。頼光は酒呑童子の体を鎖で縛り、その首を掻き切った。その瞬間、酒呑童子は目を開き、すかさず頼光の兜にくらいつき離れない。しかし四天王達が酒呑童子の首に向けて斬りつけると、さすがの酒呑童子も神便鬼毒酒にやられているのでこれ以上の反撃は出来ず、遂に息絶えた。
頼光一行は囚われていた娘達を連れて大江山を下り、都で人々の歓待を受けたということである。
めでたし、めでたし。
と、いきなり御伽話(参考:「御伽草子」「大和奇譚探訪」)で始まったが、5月20日(日曜日)は京都府北部の福知山市大江山に自転車で鬼退治に向かうことにした(笑)。
なお、大江山(千丈ヶ嶽)山頂までの山道を自転車で走るつもりは無いので、MTBは使わない。大江山界隈をサイクリングすることがメインなので自転車はロードバイク。大江山山頂へはロードバイクで行ける所まで近づいて、駐輪して歩きで山頂まで往復するか、ロードバイクを担いで登るつもり(その場で判断)。
今回の起点・終点はJR福知山駅と計画し、大阪間は列車で輪行する。よってロードバイクは輪行専用のMARIN Veneziaを使用。
平成の源頼光気取りで、四天王(チャッキー,チック,チャーミー,チェロ)を引き連れ(下の写真の左・・・携帯電話の画像)、平井保昌(ロードバイク)と共に(笑)、自宅を7:00ちょい前に出発。
JR吹田駅で自転車を輪行袋にパッキングして7:30頃の列車に乗り込み、大阪駅からJR福知山線に乗り換え(下の写真の右)、福知山駅に10:15頃に到着。
実は朝から腹の調子が今いちで、その結果自宅からの出発が遅れ、列車も乗り過ごしたりと、予定よりも1時間程遅れてしまった(これが後々影響大)。
自転車を組み立て、酒呑童子を退治すべくいざ出発。時刻は10:30。
まさに出撃!!
しかし空は何となく雨が降りそうな曇り空。福知山線の途中では雨がしっかりと降っていたし・・・。
腹の調子といい、天気といい、酒呑童子の仕業か?危険な予感・・・。
先ずはJR福知山駅北口の市街地をちょっと迷走気味に抜けて、由良川を音無瀬橋で渡る。
大江山は由良川の西側に有るので、橋を渡らずに川の西沿いを北へ走る国道175号を使って旧大江町に向ったほうが、地図上では適切に見える。が、おそらく国道は交通量が多いので、対岸を並行して走る府道55号を使って北上し、旧大江町に入った方が無難と判断。
実際に交通量、大型車とも少なく、快走路だった。
由良川を左手に眺めながら走れるのもいい。
ここの途中で雨が降ってきた。
レインウェアを持ってこなかったのが痛い。止んでくれるかな・・・。
旧大江町に入って暫くし、途中で府道493号に左折して合流。すぐに尾藤橋で由良川を横断。
橋を渡って由良川西岸に渡ったら、北タンゴ鉄道の下をくぐって、さらに国道175号を横断。
国道175号と並行して走る民家の間の道を使う。
少しでも交通量の多い国道を避けようとする作戦。
ただ、うかつにも国道から離れたことで、国道沿いに有る「鬼の伝説ロードパーク」と「鬼瓦公園」の二つの観光スポットを見逃してしまった(>_<)。残念・・・。またいずれ・・・。
路地を抜けると府道9号に行き当たる。大江山に向うメインロードが府道9号。つまりこの日にメインで使うロード。
府道9号は国道175号から西へ分岐した道なのだが、その分岐点付近で府道9号に合流したというわけ。
府道9号を北上。この道は日本海の宮津市に繋がっていて、大江山はその途中に有る。
府道9号に入って1kmほどで、道沿いに有る「元伊勢外宮豊受神社」に到着。時刻は既に11:40。
「元伊勢外宮豊受神社」については、三重県の伊勢神宮と同じように天照大神を祭る内宮が有り、そしてここ外宮は、豊受大神を祭る。天岩戸神話を持つ「天岩戸神社」と名付けられた神社も近くに有る(元伊勢三社と総称)。
天照大神は元々天皇のいる宮廷に祭られていたが、大神のパワーがあまりにも強大なため、第10代崇神天皇の代になってより良い鎮座地を求めたというのが元伊勢伝説。近畿地方から東海地方にかけて20数ヶ所も鎮座地を変えた後、伊勢が気に入って最終鎮座地とした。伊勢にとどまるまでに何度も遷座を重ねた20数ヶ所の旧跡を「元伊勢」といい、ここもその一つといわれている。
しかしその一方、地元の古文献などに、麻呂子親王(用明天皇の皇子で聖徳太子の異母弟)が大江山の鬼退治にやって来た時、戦勝祈願のためにこの地に伊勢神宮の神々を祭る内宮・外宮を勧請したという伝説が残っていることから、大江元伊勢の発祥は「天照大神の元伊勢伝説」と違うところから発祥したという説も有る。
この神社の発祥については他にもいろいろ説が有るようだ(「元伊勢三社・日室ヶ嶽―外宮・内宮・天岩戸神社 編(前編)」参照)。
雨も止んだことだし、参拝することにした。
ちょっと長い石段。
自転車を停めて、階段を上がると境内。
↓拝殿。
本殿は拝殿の後ろ向こうに有る(下の写真は拝殿)。
↓本殿の側面だけが見える。
↓神楽殿だろうか(下の写真の右上と下段)。
「外宮」をあとにして、次は4~5kmほど先に有る「元伊勢内宮皇大神社」を目指す。
途中で道沿いに「大江町和紙伝承館(京都府福祉のまちづくり推進協議会HP参照)」が有った。
大江町では、古くから地場産業としての和紙作りが盛んに行われていて、大江町河守上地区に残る記録では、江戸時代から優良な和紙が生産され、半紙を年貢として宮津藩に納めていたとされている。最盛期の明治の終わり頃には、河守上地区だけで180戸が和紙づくりをおこなっていたが、現在では「田中和紙製作所」だけ。
ここは、その伝統文化を紹介する、展示や体験工房の有る文化・観光施設。
しかし今回は鬼退治が目的なのでスルー・・・しようと思ったら、施設の前でついに最初の鬼を発見!!
「紙す鬼(かみすき)」という青鬼だ!!先ず一匹目の鬼を退治。
ちなみに以降登場する鬼の殆どは「○○鬼」と名前が付けられている。その場に「らしい」名前を駄洒落風に付けているのだ。だから、大江町和紙伝承館では「紙すき」→「紙す鬼」というわけ(僕が勝手に付けた名前ではない)。
先を走る。
府道9号は東西を山に挟まれ、宮川(由良川の支流)沿いを走るフラットな快走路だ。
東には北タンゴ鉄道が並行して走っている。
サイクリングロードも走っている(上の写真の右下)。
ただし、よく有る街中の川沿いのサイクリングロードとちょっと目的が違うと思える。路面、道幅、コース、案内板等から判断すると、旧大江町の里山を自転車で巡る観光を目的にしている感が有る。今回はこのサイクリングロードは使わない。
「元伊勢内宮皇大神社」に到着。
時刻は12:00ちょい過ぎ。出発の遅れが効いているな・・・。
自転車を駐輪して、石段を登っていく。
↓すごい木の幹ですな。
これは「癌封じの膿木」と呼ばれている。高さ何mともつかない巨木で、根っこ付近の幹が大きく膿のように膨らんでいる。悪性の癌を治癒する霊力を持つといわれている。
境内に出て、右手に「拝殿」と「本殿」。
↓「拝殿」。
↓拝殿の奥に繋がった「本殿」を横から見た。
↓その隣に立っている巨木の「龍灯の杉」。
↓「神楽殿」。
「元伊勢内宮皇大神社」は前述のように天照大神を祭っている(参考→「元伊勢三社・日室ヶ嶽―外宮・内宮・天岩戸神社 編(前編)」)
次いで「元伊勢内宮皇大神社」の近くに有る「天岩戸神社」へと向う。
「天岩戸神社」へは府道9号から離れて「内宮」の東に有る山間部の細い舗装路を行く。若干上り傾斜だが、たいした勾配ではない。フラットに近い。
緑の中を進む、静かで気持ち良い道だ。
自動車も通り抜けに使うようだが1~2台ぐらいしか出くわさない。このすれ違いの難しい道よりも府道9号を走るほうが楽だし、ショートカットにもならないので、この周辺の地元の方が通り抜けるくらいであろう。
「元伊勢内宮皇大神社」から1kmちょいで、すぐに「天岩戸神社」に到着(「天岩戸神社」については→「元伊勢三社・日室ヶ嶽―外宮・内宮・天岩戸神社 編(前編)」参照)。
神社は道の下の宮川の渓流沿いに有るようだ。駐輪し、濡れて滑り易い石段を歩いて下る。
階段の途中で、遠くから同じ高さで本殿正面を拝める場所が有った。
つまり・・・川原に下りると岩場に本殿。
本殿のすぐ前に立って拝むためには川原から岩場をよじ登らなければならない。その際につかまって登り降り出来るように鎖が垂れている。
無理ならば、先ほどの階段の途中にある拝所で拝むと言うわけ。
岩場登りはパス。MTB用のSPDシューズを履いているが、岩場を登るには滑りやすくて不安だったので・・・。
周りの川の流れはわりと静か。
不気味さは無く、すがすがしさが有る。空気がおいしい。
階段を登って道に戻り、再びこの快適ロードを進む。
橋の上からの眺めもいい。
結果的にこの日で一番気持ちいい走りの出来た道になった。
林の中から広いところに出ると佛性寺の集落と田畑。
集落を抜けていくと再び府道9号に合流。
左折して北進。
宮川沿いの快走ロードだ。
やがて徐々に登り坂。
絵に描いたようなヘアピンカーブ。
そのカーブの脇に鬼発見。
↓「清流鬼」という。近くを流れる宮川の清流のことだな。これも退治!
ヘアピンカーブを過ぎてすぐのところに「鬼ヶ茶屋」という食事処が有るのだが、その道の両脇に鬼がいる。
↓左手の赤鬼は「茶屋左衛門」。
↓右手の青鬼は「茶屋右衛門」。左と右とで名前を一字変えたな~。どりゃー!!・・・と両者を退治。
ここで府道9号を離れ、左手の「茶屋左衛門」の後ろに伸びる小道に入る。
この道は北に有る宮津方面に抜ける「旧宮津街道」。
源頼光もここを通って、鬼退治に向ったらしい。
↓途中に「鬼の足跡」
↓源頼光が腰掛けた岩「頼光の腰掛岩」。
↓吊り橋が有る。「新童子橋」という。
途中まで進んでみる。
下を府道9号と宮川が並行に走っている。吊り橋はその上を横断するために有る。
宮川の渓流がいい眺め。
僕は「鬼の足跡」と「頼光の腰掛岩」を見たかったので旧宮津街道に入ったけれども、ロードバイクでは走りにくい道なので、普通に走りを楽しみたい人は旧宮津街道に入らずにそのまま府道9号で大江山登山道へ向うべきだ。宮川の渓流を見ながら走れるし・・・。
この辺りでボトルの飲料の残りが少ないことに気がつく。実は福知山市街地の自販機でスポーツ飲料1本分を補給して以来、それだけでここまで来た。ちょっと涼しいので喉の渇きはそれほどでもなくて持ちこたえていたのだが、福知山市街地を出てから自販機を見ていない。勿論コンビニなど有る筈も無い。これは誤算だ。この先に有ればいいのだが・・・。
更に時刻は13:00。朝は腹痛気味だったために朝食は控え気味で、補給食を食べないでここまで来て腹ペコ。しかし補給食は「SOYJOY」2本だけ。とりあえず少しでも食べて休憩したほうがいいのだが、まだ大江山(千丈ヶ嶽)山頂に登ることと、酒呑童子の棲む「鬼の岩屋」に行かなければならないので休んでいる時間が無い。
そのまま進んで山頂近くで食べることとし、飲料はこの先の一般道に出てから自販機が有ることに期待しよう(後にこれが大誤算)。
石畳の旧道を進む。
濡れて苔も生えている厳しい石畳なので、危険を冒さず自転車を降りて押し歩き。
1kmほど歩き、旧道から府道9号と大江山登山道との分岐点に出る。
下の写真の右から来て向こうに右折しているのが府道9号。左折して手前に来ているのが登山道。
↑分岐点なので「分鬼」がいる。登山道のほうを指している。罠か(笑)??とりあえず退治。
↓登山道に入って直ぐに「源頼光」一行を発見。平成の鬼退治は任せてくれ。
道を挟んでその向いに「青少年グリーンロッジ」という宿泊施設が有る(下の写真の右)。
その隣に「日本の鬼の交流博物館」が有る(上の写真の左と、下の写真)。
↓博物館の横に、凄い巨大な鬼瓦のモニュメント(・。・;
「日本の鬼の交流博物館」に入ってみることにした(HPはないが、参考サイト→福知山オフィシャルHP,大江町教育委員会HP)。
敵のことはよく知っておかないと。
↓入り口にインドネシア・バリ島の鬼「バジ」(下の写真の右)。
バリ島では道ばたにこのような子供の鬼が祀られているらしい。子供たちが病気にならないように、事故に合わないように見守っているとのこと。子供たちに危険が迫ると声を出して教えてくれるらしい。
このように日本の鬼だけでなく、世界の鬼も紹介されている。でもやはり中心は日本の鬼と大江山の酒呑童子関係の展示品が中心。館内では撮影しなかったので写真は無い(多分不可だろう)。立ち寄るにはいいスポットだ。
博物館を出ると時刻は13:30。登山道を進むことを再開(下の写真の左)。
↑博物館を出てすぐの登山道の道端に「呑鬼」がいる(上の写真の右)。退治。
ところで、この博物館周辺で飲料の自販機が見当たらなかった。ここに無いとは・・・。補給出来ず、ヤバイ・・・。
でも登り始めてしまった。
博物館以降はそれなりの登り勾配(博物館まではたいしたことは無い)。
↓登り始めてすぐに分岐が有り、右手にゲート(下の写真の右上)。ゲートの脇に2匹の鬼が招き入れようと立っている。
しかしこのゲートの先は登山道ではなくて林道隣山線の入り口。左の登坂が登山道(上の写真の左上)。2匹の鬼に騙されずに左の道を登る(帰りに退治してやる!)。
腹ペコには辛い登坂が続く。
登山道の舗装部分は博物館から約4~5kmぐらい、標高610mの場所に位置する「鬼岳稲荷神社」まで伸びている。
神社まで自動車で行く人も散見されるが、勿論交通量云々を言うほど走っていない。
腹減った~。ボトルも空になりそうなのでセーブ・・・。やばいな~、こういうパターン。
何とか登っていく。基本的にずっと見晴らしは良くないのだが、ごくたまに山の景色が見られる。上まで来たな~って感じ。
↓途中で「平家鬼」。退治!
この先あと1kmほどで「鬼岳稲荷神社」なのだが、行く方角を指し示している赤鬼を発見。
罠か?退治!!
ところで、酒呑童子の棲みかの「鬼の岩屋」は今目指している千丈ヶ嶽(大江山)山頂に有るわけではない。「鬼の岩屋」の場所は、山頂から尾根伝いに5kmのダート登山道を北進したところに有る。ハイカーならばその道を歩けばいいが、僕はロードバイクなので未舗装路の山道を走れない。山頂まで到達したら、登山道を引き返して一旦府道9号に戻り、別の舗装林道から「鬼の岩屋」に行かなければいけないのだ。
そういった意味で、山頂への誘いは「鬼の岩屋」に到達させないための「罠」なのだ。行ったところで、そこに「鬼の岩屋」は無い。
ようやく「鬼岳稲荷神社」に到着。ここで舗装路は終わり。時刻は14:20。
昔、社殿は山頂近くに有ったらしいが、19世紀中頃に今の場所に移されたらしい。
この神社から東の方角の大江町の山々の景色が眺められる。
右手が綾部方面。左手が若狭湾方面。
↓正面手前が「空山」(標高717m)。
↓その右隣の鋭角な山は「岩戸山」(標高427m)。
いい眺め~。
ここで補給食「SOYJOY」を食べる。・・・・が、腹の足しにならず。博物館で何か食べ物のお土産を買えば良かったかな・・・(後悔)。そして遂にドリンクも無くなった。登頂が済んで戻ったら府道9号のどこかで飲料自販機を見つけないと・・・。少なくとも博物館までは無い。コンビニがどこかに有れば食べ物も補給できるのだが・・・。
当初、ロードバイクを担いでダート登山道を歩いて登り、山頂までロードバイクを運ぼうと思っていたのだが、その気力と体力が無い。それもこれも空腹と喉の渇きのせいだ。
自転車は神社に停めておくことにした。
登山道に入る。ここから約1kmの距離を歩けば山頂だ。
残された体力からして自転車を置いてきたことが正解・・・と思える登山道。
小雨が降ってきた。滑りやすい路面。
600mくらいの距離を登ると尾根に出た。
そして・・・
千丈ヶ嶽(大江山)山頂に到着。時刻は14:50。
標高832.5m。大江山連峰の最高峰だ。
何にしても登頂成功はうれしいですな。
兜(ヘルメット)を置いて記念撮影。
山頂は静か。辺りは靄に包まれ真っ白。
いいタイミングであれば雲海に浮かぶ山々の景色が眺められるはずだが、残念ながら遠くは真っ白で何も見えない。
逆に、真っ白な中に浮かぶ狭い島にいるような気分だ。
時間が無いので10分ほど山頂にいただけで下山。靄で視界が悪くなっていた。
15:20頃、「鬼岳稲荷神社」に帰還。
行きには無視した「鬼の洞窟」に行ってみようと思う。尚、酒呑童子の棲みかの「鬼の岩屋」のことではない。
しかし、暫くしてトレイルがはっきりしなくなってきた。
そのまま進んで遭難したら大変。「鬼の洞窟」に行くことはあきらめて引き返す。
ちなみに途中で洞穴と祠が有ったのだが(上の写真の右)、距離的に考えて、これが「鬼の洞窟」ではないのでは??
小雨は降り続いている。自転車に乗り、急いで舗装登山道を下って引き返す。
雨は途中で止んだ。下りとして快適な道だが、空腹のせいで気分は今いち。しかも下りは寒い。
下る時に、結構勾配のきつい所を登ってきたのだな~、と実感。
下りも間もなく終わる頃、行きにスルーした林道隣山線に行ってみる(下の写真)。
登り勾配が結構きつい。しかも路面が悪い。
登りきったところに「鬼のモニュメント」が有るみたいだが、林道から階段を登らなければいけないことと・・・
林道の先は「車輌通行止め」(自転車も車輌・・・ならば進入禁止か・・・)で、この林道にいること自体が意味の無いことのように思え、「鬼のモニュメント」を見に行く気力も無く、結局引き返して博物館の横をスルー(やはり自販機は見当たらなかった)し、登山道から府道9号に入った。
府道9号沿いに飲料自販機が有ることに賭けよう。
宮津市に突入。時刻は16:00。「鬼の岩屋」に到達することが危うくなってきた。
宮津市に入った直後は集落を抜ける快走フラット。
でも自販機が無い(-_-;)
集落を抜けると、「普甲峠」への登り。
駄目だ・・・。喉の渇きと空腹で・・倒れそう。
でも何とか「普甲峠」まで登れた。
峠の付近だけ眺めがいい。
すると程なくして「鬼の岩屋」への舗装林道の入り口を発見。
時刻は16:20。「鬼の岩屋」まで3.9km。時間的にきびしいが・・・・いや体力的にきびしいが、ここまで来たのだから行く。酒呑童子を倒さないと!
登りが続く。
1kmぐらい登ったところで、気力が切れる。自転車から降りる。
もはや、登りに疲れたとか、息苦しいとか、空腹とか、喉の渇きとか・・・そういう感じではなくて、とにかく足が動かない。
まだ走行距離50kmを越えた程度。こんな距離でこういうことになるのは初めてだ。
しかも寒い。汗をかいていることや気温のせいだけではない感じ。
少しめまいもする
もしかしてこれが世に言う「ハンガー・ノック」??
自転車を降りて押し歩くこともままならない。許されるなら、ここでこのまま倒れこんで寝てしまいたいくらい。
でも、そうは行かない。こんな山の中で夜を迎えたら大変だ。
しかも翌日は月曜日で出勤。今日中に帰らないといけない。
あと2km。ハンドルに顔をうずめるような感じで押し歩きで登る。
自転車が杖代わり。
誰にも出くわさないが、他人が見たら体調に異変をきたしていることが分かりそうな様子。
恐るべし。酒呑童子に返り討ちに合ったみたいだ。
眺めが良くなってくる(それは記事を書いている今だから書けること)。
やがて「航空管制塔」(下の写真の左上)に出くわし、舗装路は行き止まり。
案内板に従ってダートに入る。少しだけ乗って走る。
すぐに景色のいい所に出た。
↓お~~、宮津湾だ。
↓加悦町だ。
ここから先は自転車を担いでいくような道のようだ。担ぐ力は残っていないので、自転車は置いていく・・・もとい、退路を断たれないように平井保昌(ロードバイク)に退路の確保を命ずる(←この期に及んでまだ鬼退治気分)。
ロードバイク・・・平井保昌を置いてきて正解のようなハイキング道だ。
やがて展望台らしきものが見えた。
そこに行く手前で遂に!!
「鬼の岩屋」を見つけた。時刻は17:30頃。
狭いな・・・(苦笑)。
中には勿論入らない(入れない)。・・・が、写真を撮ったということで、酒呑童子を倒したものとする。
↓勝利の記念に兜(ヘルメット)を置いて撮影。
↓勝鬨を上げる四天王。
展望台に行ってみる。
鬼を退治したことで、曇っていた空に陽の光が差し始めた。
宮津市と大江町の西隣、加悦町が眼下に広がっている。
また里に平和が戻ったということですな~。
「鬼の岩屋」に来られて満足だ。
自転車を置いてある所に戻ると、宮津湾にも陽の光が当たり始めていた。
鬼退治の効果だな。
このあと、自転車に乗ることを再開。
林道を下り、次いで府道9号を下って北進。歩いている間に少しだけ体力は回復したが、下りなので寒気が余計にひどくなり、本当に手足がガタガタ。そんな状態で急カーブ連続の長い下りを走り抜ける。
写真が無いのは、停まって撮る気力が無いため。
酷い体調ではあったが、もし普通の体調だったら、この林道と「普甲峠」以北の府道9号の下りは急カーブ連続の下りの練習にもってこいの坂として、楽しめる筈。距離も長い。交通量も少ない(っていうか下りきるまで自動車に合わなかった)。
府道9号の下りが終わって民家が見え始めると飲料の自販機を発見!!ようやく水分補給が出来た。
更に少し町に近づくとコンビニも発見。おにぎり3個を買って食べるが、喉を通らない。1個食べてやめてしまった。しかもまだ寒気がおさまらない(ハンガーノックの後遺症か??)。
手足を震わしながら(←マジで)宮津市街地に入り、18:40に北近畿タンゴ鉄道宮福線・宮津駅に到着。日没前に着いた。
自転車を輪行袋にパッキング。その間に寒さの震えもおさまる。
17:00頃の福知山駅行きに乗り込む。
実は、この列車を乗り過ごすと、大阪に帰れないところだった。あぶない、あぶない・・・(^_^;)
福知山駅で20:20頃、JR福知山線篠山口行き普通列車に乗り換える。
↑四天王(携帯画像のインコ達)もお疲れだ~。
途中の篠山口駅、大阪駅で乗り換え、11:00頃にJR吹田駅に到着。
自転車を組み立てて、自宅まで自走。
11:30過ぎくらいに自宅に無事到着。
この日の鬼退治サイクリング・・・、結局「鬼の岩屋」を見つけて酒呑童子を倒したものの、完全勝利からは程遠いものになってしまった。退治したのか、返り討ちに遭ったのか・・・微妙。
まあ、一応退治したということにしておこう。
今回ハンガー・ノック(?)らしき状況に陥ったことは、複数の原因が重なったことによるだろう。
- 朝、腹痛で朝食摂取が不十分かつ腹が空っぽ。
- 補給食不足。
- ドリンクの補給が出来なかった(府道9号沿いにコンビニ・自販機が見当たらない)。
- 出発が遅れたことを取り戻すために焦って、休憩不十分。
・・・等々。
ロードバイクの50~60km走行で、こんなにやっつけられたのは初めてだ。
前夜からよく寝て、しっかり食べて、補給食、飲料の確保もしっかりしないと。
加えて、福知山方面のサイクリングで輪行する際には、大阪駅6:00頃発の始発列車に乗らないと、向こうに着いてから時間的にきびしくなるな。
反省・・・。
それから、「鬼の岩屋」は見つけたものの「鬼瓦公園」「鬼の洞窟」「鬼のモニュメント」等々、いくつか見逃している。そこにまだ鬼が残っているかもしれない。
だからまたいずれ乗り込まないといけないな。
まあ、辛さも含めて記憶に残るサイクリングだった。
しかし・・・恐るべしハンガーノック。
コース概略/自宅→JR吹田駅~(輪行)~JR大阪駅~(輪行)~JR篠山口駅~(輪行)~JR福知山駅→福知山市鋳物師町→下柳町→音無瀬橋→府道55→府道493→尾藤橋→福知山市河守→府道9→元伊勢外宮豊受神社→府道9→元伊勢内宮皇大神社→天の岩戸神社→府道9→旧宮津街道→日本の鬼の交流博物館→千丈ヶ嶽(大江山)登山道→鬼岳稲荷神社~(徒歩)~千丈ヶ嶽登山道~(徒歩)~千丈ヶ嶽山頂~(徒歩)~千丈ヶ嶽登山道~(徒歩)~鬼岳稲荷神社→千丈ヶ嶽登山道→日本の鬼の交流博物館→府道9→普甲峠→府道9→鬼の岩屋→府道9→府道606→北近畿タンゴ鉄道宮福線宮津駅~(輪行)~JR福知山駅~(輪行)~JR篠山口駅~(輪行)~JR大阪駅~(輪行)~JR吹田駅→自宅
(地図→クリックしてください (拡大可。茶色のラインが走った所。点線は登山道(実際には直線ではりありません)。)
走行距離/64.43km
走行時間/3hr49min
平均速度/16.88km/hr
最高速度/記録エラー
MARIN Road Bike積算距離/5906km
全Bike積算距離/10352km
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Comments
ブログの引越しお疲れ様です。大変そうですね。
私のブログも色々制限が多くて引越しをしようか検討しましたが大変そうなので渋々そのままで使用しています。
前回よりアクセスしやすくなりましたよ。前回はたまーにすごーく重いときがありましたので。
今後ともヨロシクお願いします(●^o^●)
« 投稿: よしぞう 2007年6月16日 (土) 21時46分
よしぞうさん>
またよろしくお願いします。
ブログの引越しはたいへんです。
自転車に1ヶ月近く乗っていません。
とりあえずサイクリング記事は全部upし直しましたので、
来週末から乗り始めます。
Y!はシステム自体が、ユーザー間をリンクさせ過ぎていることと、色々なサービスとリンクさせ過ぎて重いみたいです。
Y!以外はどこも軽いですね。
« 投稿: Katze 2007年6月17日 (日) 00時25分