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2007年11月 4日 (日)

高槻市・歴史ポタリング 2007.11.03

年月日/2007年11月3日

バイク/GLOBE (SPECIALIZED) Small Bike

目的/高槻市南部の歴史的名所を巡る。

内容/
11月3~4日の週末は近畿全般に渡り晴れ。絶好の長距離ツーリング日和だったのだが、あまり自転車に乗る気分にはなれず、また絶好の行楽日和ということもあって自動車の交通量も多いだろう・・・、というわけで長距離のツーリングは中止。この週末はサイクリングをしないつもりで土曜日の午前中は殆ど寝ていたのだが、土曜日の昼近くになって、気楽に近場のポタリングぐらいすることにした。
そういうわけでこの日は、こういう場合に取っておいた計画の一つ、高槻市の歴史的な名所を巡るポタリングを行うことにした。
大阪と京都のちょうど中間地点にある高槻市の南部は、JRや阪急の駅、国道171号沿いを中心になかなかの市街地なのだが、ちょっと外縁の住宅地の中にちょこちょこと歴史的なスポットが点在している。普通の観光客は殆ど訪れることが無いし、自転車でブラブラとポタリングするには絶好の場所というわけ。

自転車は半年振りに小径車のGLOBE (SPECIALIZED)を選択。

12:00過ぎに自宅を出発。時間があまり無いので暗くなるまで見られる所まで、ということにする。
爽やかな秋晴れの空の下、淀川北岸沿いを東進。
この日は全くロードバイクを見かけない。この週末の鈴鹿の8時間エンデューロに出掛けているのだろうか(まあ、皆が皆押し寄せるわけでもないだろうが)。

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河川敷のメインのアスファルト道路以外に、場所によってはちょっと脇に小道が有る。ススキの間を走る。

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高槻市内に入り、13:00も回った頃、鷺打橋の袂から芥川沿いの土手に入る。

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芥川は高槻市を南北に流れる川。
初めに行きたい場所は、市街地を東西に走る阪急やJRの線路よりも北に有る。車や人が多い市街地を突破するのが面倒なので、閑散とした川の土手を伝っていけばだいぶ楽。
川の風景も良いし。ゴミが無い意外ときれいな川。

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水鳥がいますな。
↓これ、一羽の上にもう一羽がのっかっているのだが、喧嘩していたらしい・・・(^_^;)

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13:45頃、「真如寺」に到着。ここから歴史スポット巡りの始まり。

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「真如寺」は正式には「自性山龍門院真如寺」。浄土宗。本尊は阿弥陀如来。創建の年月は、18世紀中頃(元文年間)の芥川の氾濫により記録が流出してしまい、不詳であるが、高槻藩主からの信仰が篤い寺であったらしい。
山門らしくない門をくぐり中へ。
イチョウの古木が初めに目に付く。高さ約20m。

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↓鐘楼堂。

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奥に進んでいく。

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途中に松尾芭蕉の句碑が有る。
「雲雀(ひばり)鳴く 中の拍子や 雉子(きじ)の声」。

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そして一番奥に「本堂」。

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次は、「真如寺」からやや東の「地蔵院」を目指す。
平地からこれから北摂の山になろうかという所に「地蔵院」は有る。手前の短い激坂にやっつけられる。
フラットペダルなので、ビンディング・ペダルに慣れた身としては辛い。ペダルを押し込むだけって厳しい。靴がペダル上で動く感覚って不安だし。

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「地蔵院」に到着。時刻は14:00頃。
「地蔵院」の敷地に入ると、小高い場所に有る寺の駐車場の前に北西の方角の街並みが広がる。

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左右に名神高速道路が走っていて、その先は北摂の山。

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石段を登る。

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「地蔵院」は正式には「峰尾山地蔵院」。真言宗。
創建の年月は不詳だが、寺伝によれば、奈良時代の高僧、行基の開創と伝えられている。その後、火災により消失し、1667年(寛文7年)に教存律師により再建された。
↓「本堂」。昭和62年の改築。

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↓本堂の前に「地蔵菩薩」と「不動明王」の像。

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↓う~む・・・・なるほど・・・と思ってしまう教え。
分かりました・・・・来週はもっと外を走ります。・・・違うか・・・例えば、仕事・職場で行き詰まったら外の世界(転職とか?)に出てみるのもいいかも、とか・・・そういうことですかな。

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境内裏に300体の石地蔵が有るそうだが、見逃した・・・(悔(T_T))。

次いでまた少し東に有る「慈願寺」を目指す(基本的にこれから暫く東進しながらスポット巡り)。

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この辺りの道はたくさん有って分かりにくいのだが、高槻市が歴史街道散策用に道標を要所要所に設置しているので、(自転車では見逃すかもしれないが)散策なら見逃さす、迷わず巡れそう。

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小道を進み、石畳を登ると「慈願寺」の「山門」に到着。時刻は14:20頃。

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山門をくぐり、中へ。

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緑が多いですな。それに静かです。

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↑何だろう?食べられるのかな(あっ、別に食べたくないです)。

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↓本堂の裏に続く道。

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↓「本堂」。残念ながら「らしく」無い、コンクリートの建物。

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「慈願寺」は、現在の宗派は曹洞宗だが、聖徳太子が創建したとされている。
寺の西側の山中より国宝「石川年足墓誌」が見つかったことで知られている。石川年足(688年(持統2年)~762年(平宝字6年))は蘇我氏直系の子孫。蘇我臣安麻呂の孫。飛鳥時代の末期から奈良時代中期の官人。

次いで「霊松寺」に到着。時刻は14:30頃。

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石段は「ねがひ坂」といわれているらしい(下の写真の左)。

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また、石段横に「正親町院天皇勅願所」の碑(上の写真の右)。
石段を登ると「山門」。

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「霊松寺」は正式には「黄牛山霊松寺」。曹洞宗の寺。本尊は十一面観音。
寺伝によれば、8世紀中頃に行基が開創し、「牛飼山地蔵院」と称したが、1412年(応永19年)に無月妙応禅師が老松の下から現れた黄金仏を本尊の胎内に納め、堂宇を再興して「霊松寺」と改めた。1558年(永禄元年)に正親町天皇の勅願所になった。
その後、芥川城主として畿内に権勢をふるっていた三好長慶(ながよし)一族からの信仰が篤く隆盛を極めたが、天正年間に高山氏の兵火で消失。江戸時代の寛永年間・貞亨年間に堂宇が再建された。
三好長慶の子で芥川城主の三好義興(よしおき)の墓や、江戸時代の高槻城主の土岐定義の墓が有る。

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本堂に向かう。

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↓「本堂」。

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境内は綺麗。

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さすが曹洞宗の寺は綺麗ですな。

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↓「本堂」の前に新しい十一面観音の石像。

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この石像から水が出ているのだが、どこかに流れていっている。

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なんとなく気になって、辿っていく。

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↓山門の脇で終点。

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水を撒くのに使っていた。

「霊松寺」のすぐ傍、府道67号線に出るすぐ傍で「笠松地蔵堂」を発見。

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中に「笠松地蔵」(座像)と「片袖地蔵」(立像)が有る(上手く写真に撮れなかった)。
堂には「弘化4年初秋」(1847年)再建棟札が有ることから、霊松寺の元の境内の南端に位置し、松の大樹が有ったことから「笠松地蔵」の名がついたという。
「片袖地蔵」というのは、右の袖が刃物で削られたようにそがれているためで、近隣の「茶の木原」の野仏であった地蔵尊が、芥川宿の宿屋に雇われていた女性の身代わりになったという話や、仇討ちの助太刀をしたという話が伝わっている。
子授け、安産、子育てに効験があるとされている。

渋滞の府道67号に出る。

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その道沿いに「広智寺」。時刻は14:50頃。

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広智寺は黄檗宗万福寺派に属する禅寺で、正式には「優雲波羅華山観音廣智勝幢禅寺」(長い!)。
創建の年月は不明であるが、寺伝では聖徳太子の開創とされ、太子自ら観世音菩薩像を造り、堂宇を建て安置したとされている。当時は観世音寺と称し、中世以降は隆盛を極めたが、1578年(天正6年)高槻城主・高山右近よりキリスト教への改宗を迫られ、これに応じなかったため、諸堂宇は焼き払われた。この時、本尊の観音像のみが難を逃れ、里人達が草庵に安置して守ったと伝わる。
1661年(寛文元年)時の城主・永井直清が夢の中で、聖徳太子より現在の地に観音像を祭るように告げられた。直清の発心により、中国の高僧隠元の招聘で知られる後水尾天皇の勅師龍渓が自ら開山となって再興した。後、弟子の独量や櫟隠禅師が後を継ぎ、1673年(延宝元年)本堂や方丈を造立した。以後、黄檗宗となる。

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石段の途中に有る「山門」がなんとなく中国っぽい。これは黄檗宗の寺の特徴。

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石段をあがると綺麗な境内。周りをビルに囲まれている。

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↓「本堂」。

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ご住職かな。

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「広智寺」から出て、また府道67号を東進すると、「上宮天満宮」に到着。時刻は15:00頃。

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写真では逆だが、本殿に向かって右が階段、左が車用。下の写真は登った所で振り返って撮影。

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ちなみにこの車道の脇辺りで、「山崎の合戦」で秀吉が本陣を張った。
登ると境内が広がる。七五三の時期なので、数組のそれらしいご家族が・・・。

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門らしきものをくぐる。

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↓「本殿」。

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真新しい。屋根が竹で作られている。
平成8年11月、放火により本殿を焼失した。本殿は平成14年、日本初の竹製の本殿として再建された。

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「上宮天満宮」は「天満宮」という名から分かるように、菅原道真を祀った宮社。「北山の天神さん」と呼ばれている。大宰府天満宮に次いで「日本で2番目に古い天満宮」を称している。
社伝によれば、993年(正暦4年)5月、勅使・菅原幹正が太宰府に下向して道真の墓に参拝し、贈左大臣正一位の詔を伝え、菅公の御霊代と菅公自筆の自画像を奉じての帰途、この地に達した時に急に牛車が動かなくなった。幹正は、「この地の山上には菅公の祖先である野見宿禰の祖廟がある。牛車が動かないのも理由があることだ。山上に自画像を奉安して祀るのが良い」として道真を祀ったのが始まりとのこと。

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だから牛が祀られているってわけだな。
1578年(天正6年)、高槻城主となったキリシタン大名の高山右近が当社に火を放った。
1582年(天正10年)の山崎の戦いの際、豊臣秀吉は当社の参道である「天神馬場」に本陣を置いた。秀吉は戦勝に感謝し、1590年(天正18年)、社地を寄進。社殿を修造した。
明治12年5月、「野身神社」に改称して郷社に列格。第二次大戦後、元の「上宮天満宮」の名に復した。

「上宮天満宮」を出て、府道67号沿いの歩道を登る。車道は真っ直ぐだが・・・。

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府道の真上に出ると・・・。

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古墳が有る。古墳の下を府道67号はトンネルを掘って抜けているというわけ~(・。・

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これは「昼神車塚古墳」。

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埴輪だ(レプリカです)。

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「昼神車塚古墳」は6世紀の中頃に作られたとされる、全長60mの前方後円墳。

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この界隈の山は「天神山」と呼ばれているのだが、「ひるがみ山」とも呼ばれている。「車塚」は「古墳」の俗称。
野見宿禰の墓?とも言われている。
実はこれ、道路を通すために、一旦崩して再現した物らしい。・・・マジか!バチ当たるぞ~。

さらに東進。府道67号から離れ、住宅地の中を行く間に道標を見失い、道に迷いながら「伊勢寺」に到着。時刻は15:40頃。

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「伊勢寺」は正式には「金剛山象王窟伊勢寺」。曹洞宗大本山総持寺直末の禅寺。
石段を登って「山門」に到着。

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山門をくぐって左へ。

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途中に歌碑。

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平安時代の三十六歌仙の一人で、宇多天皇に愛され御息女になった伊勢姫(877?~939?年)が、天皇の没後、草庵を造り隠棲したのがこの地であり、伊勢姫の死後、「伊勢寺」の名で寺が創始されたとのこと。
歌碑には
『難波潟みじかき葦のふしまにも逢はでこの世を過ごしてよとや』(新古今和歌集)
と彫られている。
ちなみにこの「伊勢寺」も戦国時代に高山右近により焼き払われたと伝えられている。・・・・高山右近って・・・。
ちょっと分かりにくい入り口から「本堂」へ。

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↓「本堂」。

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現在の堂宇は江戸時代初期、元和から寛永年間(1615~1643年)の頃、宗永和尚により再興されたものであるといわれており、この時、伊勢寺の宗派は元の天台宗から曹洞宗になったらしい。平安時代の慈覚大師の作と伝えられている本尊「聖観世音菩薩」が祀られている。

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↓「本堂」に「伊勢寺」の扁額がかかっている。
変わった字体だ。江戸時代初期の心越禅師の筆跡とのこと。

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やっぱり曹洞宗の寺は境内がきれいですな。

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本堂から離れて墓地のほうに向かう。
途中に鯉がいっぱいいる池。近づくと集まってきた。

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↓墓地の中に「伊勢廟堂」。

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伊勢姫を祀っている。現在の物は1998年に再建された。それ以前の「伊勢廟堂」は平成7年(1995年)1月の阪神大震災により、大きく損傷したらしい。

次いで「日吉神社」へ到着。時刻は16:00頃。

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鳥居をくぐって、石段を登り、境内へ。

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登ると本殿。

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近江の日吉神社から分霊して祀られた社。古くから古曽部の神として守られてきた。

「日吉神社」をあとにして東進すると、畑の脇にポツリと立っている「文塚」。

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後述する「能因法師」が、死の前に自分の吟稿(和歌の原稿)をここに埋めたらしい。

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石仏が2体。

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その北、小道を道標に従って進むと・・・。

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071103ride_80 「不老水」という場所がある。
道標が無かったら、まず見逃してしまいそうな道の脇に有る。
能因法師がお茶に使ったといわれる名水。
今でも湧いている。
ただし、現在は飲み水には適さないとのことで、注意書きが書かれている。

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さっきから登場している能因法師についてだが、まずはその墓へ。

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上の写真の道の道標に従って・・・。

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さらに細い路地に入ると、田んぼの中に突然小さな森のようなものが・・・これ、「墳墓」。

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能因法師の墓である。

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能因法師(988年(永延2年)~1058年(康平元年)頃?)は、平安時代中期の僧・歌人。俗名は橘永愷(たちばなのながやす)。没年も1050年や1058年の説があり不詳。中古三十六歌仙の一人。
女流歌人伊勢姫の作風を慕い、伊勢が晩年を過ごしたこの地、古曽部に移り住み、この地で没したといわれている。
「後拾遺和歌集」以下の勅撰和歌集に65首が入集している。歌集に「能因集」があり、ほかに私撰集「玄々集」、歌学書「能因歌枕」がある。

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墓は東西16m、南北25m、高さ1.8mの塚。
墓の傍に「やまざとの はるの夕ぐれ きてみれば いりあひの鐘に 花ぞちりける」の歌碑が有る。

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次いで更に東へ。
道標に従って細い路地を進んでいくと・・・・。

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「花の井」に到着。時刻は16:30頃。

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「花の井」は、昔は名水の井戸として寒暑に涸れることなくことなく清水が湧き続いたという。別名「山下水」とも言われ、能因法師の歌に
「あし引の山下水に影見れば眉しろたへに我老いにけり」
が有る。
今では涸れてしまって、石組みだけが残っている。

時刻は16:30をまわり、だいぶ陽が落ちてきた。
今度はJRの上を渡り、南へ。

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JR高槻駅と阪急高槻市駅との東、両路線の間、府道79号線沿いに「八丁松原」という通りが有る(下の写真は振り返った北の方角)。

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松並木が並び、隣を走る府道とは白壁で遮られている。

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この「八丁松原」は、1649年(慶安2年)に高槻城主永井直清が京口から西国街道までの八丁(約900m)の道を整備し、数百本の松を植えたもの。高槻の名所になっていた。

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しかし、虫害と排ガスのために次々と枯れ、今では阪急路線を挟んだこの松原公園にかろうじて面影をとどめるのみになってしまった。

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ここの交通量、なかなか凄いんだよ~。

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まあ、この景観もいつまでもつか・・・。

阪急の線路よりも南、ちょうど阪急高槻市駅の南辺りの「高槻カトリック教会」に到着。時刻は16:50頃。

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その敷地内に高山右近の像。

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なんか、この日のポタリング記事では、焼き払ってばかりの悪者っぽい感じになっているな。キリシタンなのに・・・。
高山右近は1571年(元亀2年)に信長の家臣和田氏を破って高槻城主になった。キリスト教の布教に努め、領民2万5千人のうち、1万8千人がキリスト教に改宗したとのこと。しかし、その後の右近の転封と禁教令のため、一気にキリシタンは衰退した。

そのすぐ南の「野見神社」に到着。時刻は17:00頃。

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鳥居をくぐると摂社の「永井神社」。

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その奥隣に真新しい「本殿」。

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「野見神社」は宇多天皇の時代(887~897年)に創建された古社で、高槻城内に祀られて歴代城主の信仰が篤かった所。ただ、高山右近だけは違い、キリスト教布教のために社殿を破壊(またか!)。そのために一時京都の石清水神社に移されていた。1649年(慶安2年)に入場した永井直清が再興した。

最後に「野見神社」の南にある高槻城跡へ。

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今は「城跡公園」になっている。
ただ、ほんとうの城址の石垣や土塁はもう無く、城が有った所に石垣を作り、堀のような池を造ったもの。

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写真では明るいがもう夕暮れ。夕方の犬の散歩とかしていました。

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概ね小ぎれいな公園ですな。

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遊具の設置された場所も有る。ほかにも野球場やテニスコートなどのスポーツ施設や高槻市歴史民族史料館が有る(時刻が遅いのでもう閉まっていた)。

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「高槻城」は南北朝時代に足利尊氏の命で駿河の入江晴則が築いた城が始まり。
1569年(永禄12年)に織田信長の家臣和田惟政が入城したが、その2年後に高山右近に敗れて、右近に城主が変わった。右近がいなくなった後、徳川幕府により1617年(元和3年)に大改修された。1649年(慶安2年)に永井直清が入場して以来、永井氏13代が城主となり、明治を迎えている。城は明治7年に取り壊されて、石垣は鉄道の敷石に利用されてしまった。

17:30近くなってもう殆ど日が沈みかかっている。帰路につく。
適当に路地をクネクネと勘で進み、芥川の土手に出る。
あとは往きと同じようなルートで淀川土手に出る。

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もう、完全に真っ暗。
ランニング中の方や無灯火自転車がいるので慎重に西進して自宅に18:30に無事到着。

この週末は絶好のサイクリング日和ながら地味なポタリングを選択してしまった。
まあでも、土曜日が祭日ということもあって行楽地付近は激混みするだろうし、逆に何でもない週末の日に遠くに出掛けたほうが激しい交通量にもまれる心配が少ないので、この週末はこれでいいか・・・、と自分を納得させて・・・・と。
これから紅葉まっさかりの季節になると紅葉スポットは激混みするだろうから、12月まではそれを如何にかわして、サイクリングの計画を立てるかが大事だな。

話はそれたが、そんな中、このタイミングで高槻市ポタリングも無駄ではなかっただろう。歴史散策をしている雰囲気を味わえたし。
 

コース概略/自宅→淀川北岸土手・河川敷→芥川東岸土手→真如寺→地蔵院→慈願寺→霊松寺→笠松地蔵堂→広智寺→上宮天満宮→昼神車塚古墳→伊勢寺→日吉神社→文塚→不老水→能因法師墳→花の井→八丁松原→高槻カトリック教会→藤井竹外邸跡→野見神社→高槻城跡(城跡公園)→芥川東岸土手→淀川北岸土手・河川敷→自宅
(高槻市内部分の今回巡った場所の地図→クリックしてください (拡大可。茶色のラインが走った所。赤丸印がスポット。淀川沿いは省略。))

走行距離/48.38km(殆ど淀川・芥川沿いの往復分)
走行時間/3hr56min
平均速度/12.28km/hr
最高速度/36.17km/hr
Small Bike積算距離/228km
全Bike積算距離/11597km

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Comments

えーーー!?道路を通すために古墳を一度崩して復元ですか!?
貴重な文化財なのに、なんてことを。。
「自分がどうにもならなくなったら外へ出よう!」
シンプルだけれど、意味深いですねーー!
私も行き詰ったらそうしようっと♪

« 投稿: nanao  2007年11月 4日 (日) 23時10分

芥川って素朴で綺麗な川ですね~水鳥さんの求愛かと思ってたら喧嘩だったんですね(^^;)
古墳、私もびっくりしました~道路を通すために一旦崩したなんて。埴輪は初めて見ました、歴史を感じます♪
自宅の近くにこんなにたくさんの歴史的な名所があるんですね~凄いなぁ~

« 投稿: けめチチ  2007年11月 5日 (月) 01時04分

久し振りの小径車ですね。

何年か高槻市に住んでいましたが初めて見た場所ばかりでした(恥

てんじんさんのすぐ近くに住んでいて天神さんには何度か行きました。登りが大変ですが。2月には毎年祭りがありますよ。露店も出てにぎやかな祭りです。

八丁畷交番、昔は阪急が高架では無い時はいつも大渋滞だった記憶はあります。

高槻も見れば色々あるんですね。

« 投稿: よしぞう  2007年11月 5日 (月) 15時13分

>自転車に乗る気分にはなれず・・・長距離のツーリングは中止。

あるあるこんな時。
気分転換に自転車を代えて、距離は近くても
遠くに来たのだと思えば、そこから知らない世界が
広がってゆく・・・
自分の知らない高槻の紹介を楽しく拝見しました。

« 投稿: SIN  2007年11月 5日 (月) 19時28分

外に出ようって・・・(;´Д`)
外で暴れないよう注意ですよね・・・

水鳥、綺麗ですね~
そして鯉の顔が必死!!

紅葉の季節で混んでそうなのにこういう場所選んだのですか?
気持ちよく走れそうですね(*´∀`*)

« 投稿: しましま  2007年11月 5日 (月) 20時21分

nanaoさん>
古墳を掘り下げて作り直したそうです。天皇の古墳じゃあないからうるさくなかったのかも知れません。でもびっくりですよね。
「外に出よう」のお言葉、救われそうな言葉ですね。

« 投稿: Katze  2007年11月 6日 (火) 00時30分

けめチチさん>
この写真一枚だと求愛中みたいですが、その前後を見ていると喧嘩にしか見えませんでした。でも実は求愛中だったりして・・・。
古墳を崩すなんてビックリですよね~。よく反対されなかったな~・・・と。
自宅から自転車的には近いのですが、20kmほど離れています(^_^;

« 投稿: Katze  2007年11月 6日 (火) 00時35分

よしぞうさん>
そうでしたね~。僕は住んだことは無いのですがちょっと縁が有りまして高槻はそこそこ馴染み深い場所です。
てんじんさんの前の坂、押し歩きしました(^_^;小径車&フラペではあっさりと諦めます(ロードなら意地を出したかも)。2月なら梅の季節なのでまさに「てんじんさん」にふさわしいですね。来年はちょっと注視しておきます。
八丁畷の高架って比較的新しいんですね。線路&踏切なら大変だったでしょうね。
今回のスポットは住宅地の中の裏路地が多いので、大抵の人は知らないでしょうね。

« 投稿: Katze  2007年11月 6日 (火) 00時43分

SINさん>
長距離も近場も、それぞれ気分に合わせて楽しむことで、メリハリが出ます。「偏食」は長続きさせるにはあまり良くないように思えます。SINさんもそんな感じで走られているみたいですね。
今回の高槻のスポットの多くは、住宅地の中に有るので、普通の方は近所に住んでいないと知らないでしょうね。ウロウロしていると不審者に思われそうですし。
こうして、観光地ではないところの歴史的意味のある場所を探すのも面白いです。

« 投稿: Katze  2007年11月 6日 (火) 00時49分

しましまさん>
アハハ!
それもまた良いかも。どうにもならなくなったら、外で暴れる!!ウォリャー!!
芥川には水鳥が見られるので、結構綺麗な川なんだろうな~と思います。
まだ近畿の紅葉は始まりかけで、しかもここら辺は特に紅葉の名所ではないので閑散としています~~。

« 投稿: Katze  2007年11月 6日 (火) 00時54分

だんだん空気も澄んで見えましたよ。
夏の茂りと違って黄色に変化しつつあって。
ひなびたところもいいけど、寺の庭など
完全に人の手で創られた庭も、時を経てとても
歴史をかんじますね。古いものをずっと見てるうちに
ぽっと、現代風な道路が現れると、なんだか
引き戻されたみたいで、ほっとしました。
いつもおもうことですが、自転車がちょこっと
写っているのが、凄くいい!!

« 投稿: まる  2007年11月 6日 (火) 10時21分

まるさん>
例年よりも遅めですが、ちゃんと秋らしく木々が変わりつつありますね。
ここは繁華街と、古い寺が有る静かな住宅地が共存する町で、その感じが伝わるとうれしいです。
自転車は僕の変わりに風景に写るようにしています。どの写真にもなるべくそうしています。サイクリングしているらしい感じを出したくて・・・。

« 投稿: Katze  2007年11月 6日 (火) 23時53分

うふふ、なんだか実家近くをKatzeさんに案内してもらってる気分です(~o~) てんじんさんのすぐ側に実家があります。てんじんさんは私の「庭」みたいなもんですし~。カトリック教会、昔はこの横に幼稚園があってそこへ通っていたんです。もうないんだろうな~。八丁畷当たりは昔は踏み切りがあって交通料はすごいしで大変でした。阪急電車が上に上がって(変な表現ですが~)ずい分と通りやすくなったようです。案外地元ってこうやってゆっくり眺める事がないのでとても嬉しかったです。

« 投稿: あさたろう  2007年11月 8日 (木) 08時44分

あさたろうさん>
え~、そんなに近くに来ちゃっていたんですか~。
カトリック教会の傍に幼稚園はまだ有るみたいです(地図上では)。
八丁畷が踏み切りだったら・・と思うと渋滞の様子が目に浮かびます。
高槻って街もあり、里も有るいい所ですね。

« 投稿: Katze  2007年11月 9日 (金) 00時16分

 






 

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