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2008年7月 4日 (金)

京都洛南・東福寺ポタリング 2008.06.28

年月日/2008年6月28日

バイク/GLOBE (SPECIALIZED) Small Bike

目的/気管支炎のリハビリがてらに淀川~桂川~鴨川沿いを走り、ついでに東福寺に参拝する。

ポイント/①ゆっくりと走って足慣らしに徹すること,②GLOBEに導入した、脱着可能なSPDペダルの使用チェック。

内容/
インコ関係の記事「セキセイインコ・アレルギー検査」で書いたように、6/7(土)に風邪で39度近い熱を出してしまい、数日後に熱は下がったものの「急性気管支炎」になってしまった。何日も激しい咳が続いていた。安全かつ集中して自転車に乗れそうにない状態・・・。加えて6月の近畿はまさに梅雨真っ盛り。週末は雨もしくは怪しい天気の日ばかりで、一日中晴れだった日はごく僅か。そういうわけで前回の「吉野~熊野大泊・大峰山脈横断サイクリング 2008.06.01」から4週間近く自転車に乗れず仕舞い。
ようやく6月最後の週末近くになって咳がおさまってきたので、リハビリ気分で自転車に乗ることにした。しかしこの日6/28(土)の京阪神の天気は遅くても夕方から雨という予報。日曜日~月曜日まで雨が続く模様。この週末を逃すとまた一週間先送りになるので、雨が降る前の土曜日の午前中から午後の早めの間に自転車に乗ることにした。

コースについてだが、乗れる時間があまり無いにもかかわらずのんびりとポタリング気分で走りたいので、淀川~桂川沿いのサイクリングロードを中心に走って京都に向かい、途中で鴨川沿いに入り、人が多い市街地に入る前、洛南周辺で折り返すことにした。
これなら往復しても100kmは越えないくらいだし、峠も無いし、車道部分も少ないのでリハビリ・ポタリングに丁度良い。
折り返す地点は折角なので洛南の北端にある有名な古刹「東福寺」にすることにした。「東福寺」に参拝&観光して折り返すという計画。
↓ちなみに「東福寺」は地図の右下の赤い円で囲んだところに有る。
(↓茶色のラインは走行ルートの一部)

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のんびり走りたいことと観光ポタリングなので、自転車は小径車のGLOBE (SPECIALIZED)を選択(ロードバイクだとつい頑張っちゃうので)。
ちなみにこの小径車は、購入時に付いていた折り畳みフラットペダルを、6月頭に、簡単に脱着できるSPDペダルに交換している。今回はその試走ということでも丁度良い(インプレは別の記事「MKS EZY MM-CUBE ペダル」で)。実は当初試走を6/7,8を予定していたのだが、発熱でその機を逃して延期していたのだ。だからようやく満を持して試走出来るというわけ。

6:30頃に自宅を出発。
淀川北岸の河川敷や土手を東進して高槻市内へ。
枚方大橋を渡って今度は、南岸の河川敷(下の写真)を東進。

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↓淀川南岸の枚方市付近の河川敷の最近の様子。

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昨年末辺りから工事をしていて、これで終了?みたいだが、どういう目的でこういうものを作ったのだろう??行政のHPを見れば分かるかな・・・。
大阪府枚方市と京都府八幡市の府境付近で、河川敷の舗装路は終わる。
↓8:00頃、土手に上がり(下の写真は上がった所)、快走路の府道13号で東進。

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↑この道はこれまで散々走っているが、ちゃんと写真に撮ったのはこれが初めてかも知れない。
府道13号は元々、豊臣秀吉が大阪~京都間の陸路を短縮させる目的で、1596年(文禄5年)に淀川左岸(南岸)を改修させて「文禄堤」(上の写真の道沿いの草の部分)を作り、道とした「京街道」に由来する(「枚方宿・京街道ポタリング 2007.04.15」も参照)。府道13号はそれを舗装化したものだ。
この土手と道はそういう歴史的意味の有るものなのだ。そう思うと、単に淀川と桂川・木津川のサイクリングロードを結ぶ道として走っていた状態から一歩踏み出し、ちょっと高尚な気分で走れるだろう。まさに京街道を使って京都に向かっているのだから・・・。安土桃山時代・江戸時代に多くの旅人がここを歩いていたのだ。そこを今自分も走っているというわけ。
御幸橋から八幡~嵐山のサイクリングロードに入り、桂川沿いを上流方面へ。
↓下の写真は桂川沿いのサイクリングロード。

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「羽束師橋」を過ぎるとやがて桂川と鴨川がY字に分岐する。
このあとサイクリングロードは鴨川東岸に少しだけ入った後、「京川橋」の下をくぐり、すぐに土手に上がってUターン、「京川橋」で鴨川を渡り、次いで桂川を「久我橋」で渡って桂川の西岸を北上・・・という具合に続く。しかし、僕はこのまま鴨川東岸を上流側へ北上するので、「京川橋」の下をくぐったあとに土手に上がらず、舗装されたサイクリングロードから外れ、未舗装の小道を10m程進み、鴨川沿いの遊歩道に出る(下の写真)。
時刻は8:40頃。

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鴨川沿いのサイクリングロード&遊歩道といえば、七条よりも北のもっと賑やかな街中のほうがメインで、この辺りは閑散としている。
ちなみに、この先はやがて自転車で進めないような河川敷になって行き止まりになることが分かっている。七条より以北の賑やかなサイクリングロードとは繋がっていないのだ。
ただ、いずれにしても僕の行こうとしている「東福寺」は七条よりも若干南に位置するので、そちらのサイクリングロードに再び突入する必要は無いのだが・・・。

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↑上の写真の橋は「小枝橋」。「鳥羽伏見の戦い」が起こった所。「戊辰戦争」の始まりの地。1868年(慶応4年)1月3日、ここから薩摩藩官軍が会津藩・新撰組ら幕府軍に大砲を放ち、戊辰戦争がスタートした。
もはや当時の「小枝橋」は取り壊されていて無く、今の「小枝橋」のすぐ南にかかっていたらしい・・・・と言っても、取り壊されたのは平成14年なのでつい最近まで有ったそうだ。
この付近は、サイクリングロードというよりも遊歩道的な雰囲気に近い道。もちろん自転車で走っても問題無い。

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賑やかな四条辺りの鴨川河川敷ロードと違って、落ち着いていて静か。
ただ、京都らしい建物は見えないけど。
まあ、下の写真の「鳥羽大橋」は、四条~出町柳間に見られる鴨川の橋らしいけど。
この「鳥羽大橋」は国道1号線の橋。

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鴨川を眺めながらノンビリと進む。

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↓「京都南大橋」とその奥に近鉄京都線の鉄橋が見える。

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僕の記憶では、何年か前までこの河川敷ロードはもっと短くして行き止まりになっていたように思うのだが、何となく最近延伸されたか、ぶつ切りだった所が繋がったして長くなったように思える(勘違いかもしれない)。それを意味しているのかもしれないが、幅が狭くて短い未舗装部分が数箇所有った。繋げたばかりで、まだ舗装出来ていないということかな???
そういった意味で「意外と先まで続くな~」と思っていたのだが、とうとう行き止まり(下の写真)。残念。時刻は9:00頃。

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↓行き止まりの上は「勧進橋」。国道24号線の橋。

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「東福寺」はこの「勧進橋」の北東にある。従って、まだ鴨川沿いを走りたいところで、実際に鴨川東岸沿いの土手に小道が伸びているのだが、そのためにはここ勧進橋東端で国道24号を横断しなければいけない。しかしここには信号機が無く、交通量も多く、ハイ・スピードでゲキして走っている車の間をぬって横断するのは危険。かと言って、信号機の有る勧進橋西端に行くために橋を渡るのも面倒だし・・・。
というところで、下の地図のようにちょっと回り道になるが、すんなり通りやすいルートとして、折り返し(下の写真の左上)、国道24号をちょっと南に下って左折、そのあと下の地図のように、碁盤の目の上をカクカクと曲がりながら東福寺に向かう。
暫く走っていくと、東福寺参道の看板が右手に見えた所で右折(下の写真の右上)。

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東福寺」に到着。時刻は9:15頃。

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↑「南大門」。
実際には敷地の南西角に位置する。
↓門をくぐって中へ。暫く普通の小道のようだが、左手にはいくつか塔頭が有る。

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↓左手の最初の出くわす道に入る。境内に向かう道。

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↑上の写真左手に、境内を囲む白壁が見える。

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↑↓右手にはこういった石碑が立っている(ちょっと調べたけど情報無し)。

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↓やがて右手に「日下門」。桃山時代に再建されたもの。

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「日下門」は西に面している。ということは、日が沈む方角とか、この門から日が沈むのが見えるとか、そういう意味かも知れない。
ちなみに「月下門」がこのちょっと先に有ったのだが、撮影はおろか、観ることを忘れていた・・・・orz
↓門をくぐると仏殿(本堂)の横が見える(下の写真の左)。

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突き当たりを右折して暫く行った所に有る駐車場に自転車を駐輪。↑
(上の写真の右)
↓東福寺の境内・敷地の案内板。

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↑黄色い矢印が自転車に乗ってここまで通った道筋。
↑青色の「P」が駐車場で、自転車を停めた所。
↑赤い囲みが、これから拝観する箇所。
↑オレンジ色の囲みは外から観るだけの場所。

東福寺の創建は鎌倉時代。ときの摂政・九条(藤原)道家が京都最大の寺院の建立を発願し、奈良の東大寺と興福寺から「東」と「福」の字を取って、九条家の菩提寺として造営したのが始まり。
1243年(寛元元年)に聖一国師(円爾弁円:1202~1280・・・天皇から初めて国師号を贈られた禅僧)が開山。当初は天台宗・真言宗・禅宗の三宗兼学の場として壮大な堂塔伽藍を有した。
何度か火災にみまわれたが、その都度復興を重ね、足利義持,豊臣秀吉,徳川家康らに保護され、長く京都最大の寺院となっていた。しかし明治14年(1881年)に仏殿,法堂,方丈,庫裏を焼失。明治23年に方丈、明治43年に庫裏、昭和9年に本堂を再建した。そのために古刹ながら建物が比較的新しく見えるが、その様式は中世の禅宗建築を遺している。
現在は臨済宗東福寺派大本山になっており、塔頭25ヶ院に囲まれた壮大な伽藍の寺である。
境内にある通天橋は紅葉の名所として有名である。また、方丈にある庭園も有名である。

↓まずは「三門」。大きいです。

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南に面している。
↓その説明文。読んでください(手抜き)。

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↓「三門」の前には「思遠池」。

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現在、この「三門」の下をくぐって通ることは出来ない。また「思遠池」の上を石橋で渡ることも出来ない。柵で閉ざされている。「三門」と池の間は通行できる(上の写真のようにジョギングしている方がいる)。
(例年3月に三日間だけ内部が拝観できるとのこと。)
↓「三門」から「仏殿(本堂)」の正面が見える。

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通り抜けられないので、回り込んで三門の前に出て・・・
↓三門の反対側の様子(本堂側から見た「三門」)。

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↓「仏殿(本堂)」を見る。これも大きいです。

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本堂は1881年(明治14年)焼失後、1934年(昭和9年)再建。
起工から竣工まで17年を要し復興させた昭和の木造建築中最大の建物。
入母屋、裳階(もこし)付単層本瓦葺、正面七間・側面五間。三門にならった大仏様の組物と角扇垂木。禅宗唐様の桟唐戸・礎盤・鏡天井。裳階の窓は和様の連子窓、破風の妻飾りは法隆寺南大門風と、多様に様式が組み合わされている。
内部は禅式床瓦敷とし、正面須弥壇上に本尊釈迦立像、脇に摩訶迦葉尊者 阿南尊者、四天王を安置。
天井の画龍は堂本印象氏の作。龍の大きさは体長54m・胴廻り6.2mに及ぶ。
 (「東福寺HP」より)

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本堂の内部へは通常入れない。外からの参拝。
(内部の写真撮影は自粛した。)

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↑本堂の扁額。
↓本堂の斜め前から撮影。

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↑写真の左手奥へと回廊のようなものが延びているのが分かるだろう。
本堂の裏から境内の奥に有る「開山堂」まで回廊が延びているのだ。
↓これが、紅葉の季節にその眺めが素晴らしい「通天橋」の有る回廊。

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有料です。先に行ってみます。

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回廊からの景色。

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紅葉だったらとても綺麗だろう。新緑でも綺麗ですな。

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やがて回廊は「通天橋」に繋がる。
↓ここが「通天橋」。

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「通天橋」は、「仏殿」から「開山堂(常楽庵)」に至る渓谷(洗玉澗;せんぎょくかん)に架けられた橋廊。
1380年(天授6年)、春屋妙葩(しゅんおくみょうは;普明国師)が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたと伝えられ、歩廊入口には同国師の筆になる「通天橋」の扁額を掲げている。
南宋径山(きんざん)の橋を模し、聖一国師が通天と名付けた。
その後、第四十三世住持、性海霊見が修造し、長廊を架したともいわれるが、その後も幾度か架け替えられ、現在のものは1959年(昭和34年)、台風によって倒壊したものを1961年(昭和36年)に再建したもの。
 (「東福寺HP」より)

↓今は新緑だが、これが全部紅葉だと想像すれば、楓が燃えているような壮大な紅葉が目に浮かぶだろう。

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実は何年か前に紅葉の季節に訪れたことがある。とても美しかった。
お薦めです。その季節になったら行ってみてください(かなり混むけど)。
↓「洗玉澗」の眺め。

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↑この方角の紅葉が一番美しいらしい。向こうに見える橋が「臥雲橋」。
繰り返すようだが、新緑でも充分綺麗だと思う。
↓眼下には「三の橋川」。

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↑境内の中を東西に流れている川で、「通天橋」はこの上を渡っているというわけ。

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↑「通天橋」の東の方角。
↓「方丈」の裏が見える。

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回廊を先に進む。

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↓斜面の回廊を少し登る。

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↓回廊の先に門。その奥に「開山堂」が見える。

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↓「開山堂」

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参道を進む。

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↑↓堂への参道の右手の池。

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「開山堂」は、通天橋を渡って至る、別名「常楽庵」。
もとの建物は1819(文政2)年に焼失し、1823年(同6年)、一条忠良によって再建された。
屋上に閣を持つ類例を見ない開山堂で、正面柱間八間、内部は禅式瓦敷(四半敷)、祀堂は床高で開山国師像を安置している。
上層伝衣閣は正面三間、内部左右いっぱいに壇を設け、中央に阿弥陀、右に薬師、左に布袋像を祀っている。
 (「東福寺HP」より)

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↓屋上の閣を仰ぎ見る。

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↓「常楽庵」の扁額。

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↓開山堂の向かって左手に「普門院」。

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「普門院」は、開山堂の西に位置する寝殿造風の建物で、開山国師常住の方丈と伝わっている。
内部は三室に仕切られ、その襖絵は花鳥草花・唐人物を主題とし七十四面(重要文化財、桃山-江戸)からなる、画流各派の競作が残されている(現在は収蔵庫に収納)。
「開山堂」「普門院」をはじめ、書院、庫裏、楼門、裏門そして鐘楼を合わせて全7棟が、国の重要文化財に指定されている。
 (「東福寺HP」より)

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↓「普門院」前の庭園。

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普門院の前庭も兼ねた池泉鑑賞式庭園。枯山水は約百坪(330平方メートル)の平庭式で市松の砂紋をつけ、鶴島、亀島を象った石組を配して蓬莢山水をあらわし、対面の池庭は築山風、池中に亀島をつくり、枯滝を設けている。
禅院式と武家書院式とを調和させた江戸中期の代表的な名園とされている。
 (「東福寺HP」より)

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美しいですな。
開山堂をあとにして、回廊を少し下って・・・。

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回廊の途中から外に出、「洗玉澗」に降りていくことが出来る。

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紅葉は無いけど、代わりにアジサイ。

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↓下まで降りると「三の橋川」。

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↓下から見上げる「通天橋」。

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所々に咲いているアジサイが綺麗ですな~。

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散策路のようになっている。
ゆったりと歩く。
自転車がノンビリとポタリングなら、歩いてもノンビリ散歩ですわ~。

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青紫色のアジサイが殆ど。土壌が弱アルカリ性だということですな。

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垣根にアジサイ。

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ちょっと蒸し暑い季節に涼しげな色ですな~。

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↓徐々に登っていく(振り返って撮影)。

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↓「回廊」に戻った。

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回廊を出たら、今度は「方丈」の庭園を覗きに・・・。
↓「庫裏」から入る。

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「庫裏」は1881(明治14)年の火災で焼けたため1906(同39)年起工、1909(同42)年竣工されたもの。
切妻を正面とする禅宗式寺院の典型的な形で、白壁に配された縦横の構架材が印象的。
内部では一切の寺務が執り行われ、行事のときの食事の用意もここで行われている。
方丈唐門とともに、昭憲皇太后の恩賜建築である。
 (「東福寺HP」より)

庫裏に入って廊下を渡ると「方丈」へ。
↓真っ先に庭園が目に飛び込んでくる。

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↓「方丈」の正面の廊下。

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「方丈」は1890(明治23)年再建。
南正面の前庭には昭憲皇太后の寄進とつたえる向唐破風の方丈表門が有る。「恩賜門」ともいい、小型ながら明治期唐門の代表作。
 (「東福寺HP」より)

↓方丈正面の庭園。

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「方丈南庭」という。

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方丈正面の南庭は210坪(693平方メートル)。
東西に細長い地割に、蓬莢・方丈・瀛洲(えいじゅう)、壺梁(こうりょう)の四島に見立てた巨石と、砂紋による荒海の表現に加え、西方に五山を築山として大和絵風にあらわし、神仙境を表現している。
鎌倉時代の質実剛健な風格を基調に、近代芸術の抽象的構成をとり込んだ枯山水式庭園。
 (「東福寺HP」より)

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↑中央の門が「恩賜門」。
↓西の方角には・・・。

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↑↓「五山」築山。

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禅宗の方丈には古くから多くの名園が残されてきているが、四周に庭園をめぐらせたものは東福寺が唯一の試み。
1938(昭和13)年、重森三玲氏が作庭した。
釈迦成道を表現し、八相の庭と命名され、近代禅宗庭園の代表として広く世界各国に紹介されている。
 (「東福寺HP」より)

つまり、方丈を一周すると、その間中、庭園が見ることができる。
そういう「方丈」って確かにここしか記憶に無いな~。たいていの「方丈」には、どこかしらどうでもいい風景の場所が有るものだ。
↓「方丈西庭」。

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西庭は「井田市松」の庭。
さつきの刈込みと砂地が大きく市松模様に入り、くず石を方形に組んで井田を意図して表現している。色彩の変化も楽しい庭。
 (「東福寺HP」より)

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↓西庭の横には「洗玉澗」を眺めれる展望台のような場所が有る。

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↓「方丈」側から見た「通天橋」。さっきは向こうからこちらを見ていたけど。

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↓廊下に戻って歩くと、「方丈北庭(裏庭)」。

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市松の庭は、作庭以前に南の御下賜門内に敷かれていた石を市松模様に配したもので、通天紅葉の錦織りなす景観を借り、サツキの丸刈り、苔地の妙が調和するという、南庭とは逆に色彩感あふれる空間となっている。
 (「東福寺HP」より)

↓これも「方丈北庭(裏庭)」。

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さらに歩くと、
最後に(実は最初に庫裏から出たところで観れる)「方丈東庭」。↓

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↑東庭は北斗の庭とも呼ばれている。

北斗の庭は、もと東司の柱石の余材を利用して北斗七星を構成し、雲文様地割に配している小宇宙空間。
 (「東福寺HP」より)

全体的にはやはり現代的な感じのする庭園ですな。
「庫裏」を抜けて外に出、これで内部の拝観は終わり。
自転車を駐輪してある駐車場に戻る。
↓その駐車場のそばに有るのが「東司」。

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とても長い建物なので画面に入りきらない~。

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で、「東司」とはトイレのことなんですわ~。
↓その説明文。

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100人便所とは上手い表現だ。それだけ長~い建物だ。
しかし・・・現在の京野菜には関係無いが、なんとなく食べにくくなるな~。
禅僧は用便も修行であり、東司へ行くにも厳しい作法が定められていたそうだ(間に合わなくなったらたいへんだぞ~)。

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↑↓東司の隣に「禅堂」。

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↓「禅堂」の説明文。

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↓「経蔵」。

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「経蔵」は三門、禅堂、東司などとともに旧観を残す宝形造りの瀟洒な建造物。
開山の聖一国師(円爾弁円)は宋からの帰朝の際一千余りの典籍を持ち帰り、我が国文教の興隆に多大な貢献した。東福寺には今なお、宋代の書跡や貴重な書物が多数所蔵されている。
 (「東福寺HP」より)

ここで「日下門」から境内を出る。
↓下の全景写真はGIFアニメーションで、5秒ごとに切り替わる。
(いつまでも変化が無い場合は再読み込みしてください。)

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↑黄色いラインが自転車で走ってきた軌跡。同時に出る文字が、記事に掲載した建物。
↑紫色のラインが今から自転車で走る所で、文字がこれから記事で紹介する場所。

↓「日下門」を出て右折。北の方角に走ると「臥雲橋」。

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自転車は押し歩きで通行とのこと。

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↓向うに見えるのが「通天橋」。さっきは向うからこちらを眺めていたわけ。

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↑ここからの眺めもいいです。
↓先に進む。

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↓東福寺にはこのような塔頭が25ヶ寺ある。

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↓その一つ、ここは「同聚院」。

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↓不動明王を祀っている。

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↓その説明(内部の撮影は無し)。

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拝観できる別の塔頭「霊雲院」に行ってみる。
↓ちょっと奥まった所に有る。

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↓「霊雲院」に到着。

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「霊雲院」は岐陽方秀によって1390年(明徳元年)年に開かれた。初めは「不二庵」と称していた。
この霊雲院は幕末に勤王僧・月照忍向と西郷隆盛が密議を交わした維新の一齣を持ち、日露戦争中はロシア人捕虜収容所にもなった歴史を持つ。
 (「霊雲院」パンフレットより抜粋)

ここは庭園が有名。「九山八海の庭(霊の庭)」と言う。
「遺愛石」のある書院前庭は江戸中期より名を馳せている庭であるが、荒廃した庭を近年になって重森三玲氏が「九山八海の庭(霊の庭)」として修復。須弥山としての遺愛石を取り囲んで白砂が八海を、ウマスギゴケを配した九山を表現している。
↓横からの眺め。

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↓書院から庭を眺められる。

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↓白砂の中に有る、これが「遺愛石」。

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↓もう一つの庭が「臥雲の庭」。

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書院の西から茶室の観月亭(太閤秀吉の北野大茶会当時のものを移築したもので,珍しい二階建ての茶室・・・写真は忘れた)にかかる庭。
寺号の霊雲を主題にして作庭されたもので、雲と水の美しさを鞍馬砂や白砂などで表現している。
ここも現代的な雰囲気が有る。

さて、「霊雲院」を出ると、時刻は10:30ちょい過ぎ。
東福寺にはまだ「芬陀院」「光明院」「明暗寺」という、庭園を観れる塔頭が有るし、また東福寺の傍には真言宗の古刹「泉涌寺」、壮絶な数の鳥居が並ぶ「伏見稲荷大社」、黄檗宗の古刹「石峰寺」等々、見所がたくさん有るが、この日の近畿の天気予報では遅くても夕方から雨。早い所では昼過ぎから雨。色々回っていると帰り途上で雨に出くわしそうだし、目的の気管支炎のリハビリ・ポタリングも、新しいビィンディング・ペダルの具合も確認出来たので、帰路につくことにする。今から帰れば13:00ちょい過ぎには家に着くだろう。
心配なのは枚方市辺りを通過するとき・・・。京阪神付近の降り始めの時刻よりも、(その京阪神の中に有りながら)なぜか枚方市付近だけ、早く雨が降ることがある。
そんな心配をしながら、来た道をほぼ逆に辿って帰る。

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↑鴨川沿いの河川敷ロードに出て、南下。
次いで嵐山~八幡のサイクリングロードを走り、御幸橋から府道13号へ。
府道13号を西進して大阪府枚方市に突入。そこで淀川河川敷に降りて・・・。
そして枚方市で雨にうたれる。やっぱりだ・・・。
北岸に渡って西進。摂津市辺りで雨は止み、どんどん西進して大阪市内の自宅に13:15頃に到着。大阪市内はまだ雨が降っていなかった。

一ヶ月ぶりに自転車に乗ったが、気管支炎の喘息も殆ど起こらず、90km弱ほどをノンビリとだが普通に走ることが出来た。このサイクリングのあと、記事を書いている今日まで徐々に咳の頻度が減ってきて順調に治りつつある。とにかく自転車に乗ってから悪化はしていないので良かった。上手く行けばそろそろロードバイクで少し負荷をかけて走っても大丈夫かも。いずれにしても徐々に慣らしていきたい。
新しいビィンディング・ペダルについてはまた別の記事「MKS EZY MM-CUBE ペダル」で・・・。良い点と悪い点の両方有る。

まあ、そんな感じで東福寺参拝を兼ねてノンビリとサイクリングロードを往復しただけだが、リハビリ・ポタリングとして満足出来たし、楽しかった。
 

コース概略/自宅→淀川北岸土手・河川敷→枚方大橋→淀川南岸土手・河川敷→京都府八幡市→府道13→御幸橋→八幡・嵐山サイクリングロード→伏見区中島→鴨川東岸遊歩道→勧進橋手前→国道24→伏見区深草→東福寺→伏見区深草→国道24→勧進橋手前→鴨川東岸遊歩道→伏見区中島→八幡・嵐山サイクリングロード→御幸橋→府道13→大阪府枚方市→淀川南岸土手・河川敷→枚方大橋→淀川北岸土手・河川敷→自宅

走行距離/87.02km
走行時間/5hr12min
平均速度/16.71km/hr
最高速度/36.90km/hr
Small Bike積算距離/428km
全Bike積算距離/13403km

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Comments

90㎞でリハビリなんですね~ Katzeさんのサイクリング記事を読み始めてからこんなにお寺の中の写真が沢山あるのは初めてのような気がします。ノンビリ散策できたんですね(~o~) それにしても百人便所・・・百人一緒に用を足せる?・・・色々想像してしまいました 見事な庭園ですね、行けない距離ではないので一度行ってみたいです。(もちろんチャリンコではないですが~(;´▽`lllA``)体調も良くなって来てるようで良かったですね

« 投稿: あさたろう  2008年7月 5日 (土) 17時26分

あさたろうさん>
だいぶ咳は良くなりました。

お寺の中の写真って撮影が禁止だったりして、結局外で終わりなことが多いですね。それから一度にたくさんの寺を回れるので、一つの寺を集中して記事にしたことはあまり無いですね~。
それに、そういえば寺社仏閣巡りサイクリングは最近少ないですね。去年の秋の明日香村以来かな?昔は多かったですけどね。

百人便所での用の足し方の解説の看板が掲げられているそうです(未確認)。

東福寺とその界隈洛南は、地下鉄・京阪で乗り継げば気軽に行けると思います。機会が有りましたら是非行ってみてください。

« 投稿: Katze  2008年7月 5日 (土) 18時28分