チャーミー ありがとう
ぼよよ~んなお腹は 想い出でいっぱいかな
2008年 7月21日(月曜日)
午前9時35分頃
チャーミー が☆になりました。
今までありがとう。
ぼよよ~んなお腹は、
想い出がたくさん詰まっているのかな?
ブログの記事を書く意欲は無いのですが、
この日のことを今のうちに書いておかないと、あとで混乱してチャーミーの最期を曖昧なものにしてしまいそうです。
大事なチャーミーの一生をそのように締めくくるのはかわいそうです。
チャーミーの一生・・・最後を知っているのは僕だけなのですから、このブログの場を使って、今のうちに書き留めておくことにしました。
それに、チャッキー,チック,チェロにはそれぞれ最期と想い出を綴った記事を作ったのに、チャーミーだけ無いのはとてもかわいそうです。
一度には書く気力は有りませんが、徐々に「この記事に」書き足していこうと思います。
2008.07.22 5:30 記
タイトルは変えました。
文章から「ごめんね。」の言葉は消しました。
ペット葬儀屋さんのスタッフさんから教えられたのです。
「決して謝らないでください。自分を責めないでください。そうしないと、この子はそれを受け止めて、とても重くなってしまうんです。重く感じてしまうんです。この子が辛くなってしまうんです。無事に天国にたどりつけるように、感謝の気持ちを持って送り出してあげてください。せめて、この子の前でそれを見せないでください。」
ですので、自分を責める文章も消しました。
最初の投稿直後に読んで頂いて方には、タイトルや文章が変わっていて、いぶかしげに思われるでしょうが、そのような事情なのです。
2008.07.22 5:43 記
今、他の記事に楽しいコメントや、ゲスブのほうにお悔やみの言葉を頂いております。
すいませんがレスは遅れます。
チャーミーのことを書くことを優先させてください。
勝手ながらお願いします。
また、チャーミーの最期と想い出を綴ったこの記事を完成させる前に、
レスをする前に、
他の記事を投稿するかも知れません。
今(2008.07.22現在)、チャーミーが亡くなる二日前に出かけたサイクリングの記事が作りかけになっています。
それを先に投稿するかも知れません。
言い訳がましくなりますが、チャーミーのことから立ち直るためと思ってください。
普段やっていることをすれば、立ち直れる気がしますので・・・。
少し冷たいぐらいの感情を持ちたいくらいなのです。
そうしないと、何かもう、どうしようもないような気がするのです。
2008.07.22 5:30 記
コメントを頂いて・・・、いや、記事を読んでいただけるだけでも、とてもうれしいのです。
救われます。本当にそう思います。
それに、チャーミーのことを僕以外に知っている方がいらっしゃる・・・とてもうれしいことなのです。
ありがとうございます。
2008.07.22 5:30 記
チャーミーの最期の日、2008年7月21日の朝に起こった出来事です。
この日は、土曜日から月曜日までの三連休の最終日でした。
19日の土曜日に既にサイクリングに出掛けたので、翌日曜日は家でインコ達とだらだらし、月曜日は・・・一昨日までは「月曜日は軽く走ろう」と思っていたのですが、前夜になって「やっぱり、家にいようと」と思い直し、起きたのは6:30でした。
今思うと、走りに出かけておけば良かったと思います。
インコ達は7:30頃に起こしました。
いつも通りにインコマンションのカーテンを開けると、4羽全員いつもの位置で、いつもの様子。
起きた直後は全員じっとしているんです。
次いで、いつも通りに部屋の窓を開けて空気の入れ替えをしました。
15分も開けていれば、部屋の空気の85%は入れ替わるそうです。ですから、インコ達のためにも毎朝行っています。
今思うと、怠慢して換気をサボれば良かったです。
窓を開けている15分の間に、いつも通り先ず全員の水を交換しました。
窓を開けっぱなしなので、水入れを取り出す時はインコ達がパニックになって飛び出したりしないように、水入れで扉を持ち上げるようにして静かにそっと出します。
次いでいつも通り、一旦インコ達から離れ、ベッドの布団を直しました。
埃が立つので餌よりも先に・・・。
ここで、いつもですとインコ達のところに戻って餌とボレー粉を交換するのですが、
ふと台所の上の電気ポットのお湯のことが気になりました。
前日の昼前からずっと付けっぱなし。当然保温されていました。
「お湯を捨てて、作り直したほうがいいな。」と思い、お湯を一旦、食器のつけおき洗い用のステンレス・バットに捨てました。捨てた直後は90℃くらいです。
最近はいつもですと、熱いお湯のまま平気で流しの排水溝の捨てるのですが、昔みたいに「少し冷ましてから捨てたほうがいいな。排水パイプが痛むと嫌だし・・・。」と思い、そのままステンレス・バットにお湯を入れたままにしておきました。
とても、とても後悔しています。そのまま流してしまえばよかった。あるいは、そのまま電気ポットに入れておけばよかった。何故、この時、このタイミングで最近しないことをしたのか・・・。もうどうしようもありません。
次いで、餌とボレー粉を全部入れました。
全員に配りました。
ポットのお湯をステンレス・バットに溜めてから5~6分経過していたかもしれません。
いつも通り、インコ達はまだ静かでした。
このあと普段ですと、インコ達に小松菜やチンゲンサイを与えます。
そのために水洗いを充分にします。
その水音を聞くと、インコ達が騒ぎ出して動きは始め、餌を食べだすのです。
水音が何故引き金になるか分かりませんが・・・。
しかし、この日はうっかり小松菜もチンゲンサイも切らしていました。
まだ早朝でスーパーは開いていませんので、「今日は買い物に行ってからだな・・・。」というわけで、朝の野菜は無しでした。
もし、小松菜やチンゲンサイが有ったら、それを洗っている最中に、先ほどのステンレス・バットのお湯を捨てたでしょう。それはよくやっていることです。野菜を洗っている間にバットに水が入るので「冷めたから捨ててもいいな。」と思うからです。また、お湯の熱さを感じて(特に夏ですから)不快に思って捨てるでしょう。しかしながら、この日は野菜を切らしていたので、そうすることもなくステンレス・バットのお湯はそのままでした。そして普段の状況でないことで、ステンレス・バットのお湯のことを忘れ始めていました。
野菜洗いの水音が無いおかげで、インコ達はまだ静かでした。
こういう時はたいていTVをつけると、その音がきっかけで騒ぎ出すのですが、つけませんでした。
もしここで急に何か驚くようなことが起きると、静かにしていたインコ達はパニックになるものです・・・。
今思うと、TVをつけ、騒がしてリラックスさせておけば良かったと思います。
さて、そろそろ窓を開けて15分くらい経ったと思い、インコ達のいる居間の窓ではなく、まずは寝室の窓を閉めにいきました。
今思うと、インコ達のいる居間の窓を先に閉めればよかったです。
閉めた直後に、居間のインコ達が突然驚いたように騒ぎ、ケージ内を飛び回りました。
すかさず行ってみると、チャーミーは糞きり網の上に落ちたところでした。
他の子はケージにしがみついたり、止まり木に止まったり・・・。
チャーミーはハアハア驚いていて(他の子も・・・)、そのあと止まり木によじ登っていきました。
窓の外を気にしているようなので、外を見てみました。
すると、すぐ隣のマンションの、僕のいる階よりも一つ上の階の部屋で、水色の薄い掛け布団(タオルケット?)をベランダに干そうとしているところでした。バタバタを布団を手で振るようにして埃を払っているようでした。
僕の部屋は角部屋ですが、居間の窓から直接、その隣のマンションの部屋(これも角部屋)のベランダは見えません。直接面してはいません。インコ達から見えた光景は布団の一部が・・・まるで、空中に水色の巨大な翼がはためいているように見えました。
僕はすぐに居間の窓も閉めました。
あと、ちょっとタイミングがずれていたら、毛布でパニックになることは無かったでしょう。透明な窓ガラスではないので、インコ達は気がつかなかったかも知れません。
ここで僕は、ステンレス・バットのお湯のことはすっかり忘れていました。
これが二つの大きな不注意のうちの一つです。
気になったのはチャーミーの様子でした。
ちょっとハアハアしていて、餌を食べようとしません。暫くビックリ顔だったので、「まさか糞きり網の上に落ちたときに内臓を打ってないよな。」と思い、ケージの中に手を入れて触ってみたり撫でてみたりしました。
そういうことをするとチャーミーはたいてい怒って噛んでくるのですが、この時も同じでした。
「大丈夫そうだな。」と思いました。
ここで僕はチャーミーの足元に指を差し出しました。
チャーミーは乗ってきました。
これがもう一つのとんでもない不注意でした。
放鳥時にチャーミーをケージから出す時はよくこのようにします。
毎日の放鳥時間は夜なので、朝は滅多に出しません。たまに気が向いたときに、指に乗せ、インコマンションの下の階のチャラとチェスに朝の挨拶をさせ、すぐにそのまま戻す・・・ということは、これまでもしていました。その間、チャーミーは大人しく指に乗ったままです。ケージに戻るときも入り口まで指に乗せたまま誘導して、すんなり戻ります。
この日もそうやって、(たまにやる)朝の挨拶をさせました。
ただ、この日違っていたことは、チャーミーはパニックを起こした直後だったことです。
いつもですと、ケージの入り口のすぐ前に戻すまで大人しく乗っているのですが、パニックを起こした後だったので、ケージの入り口のまだ下辺りで、いつもより早いタイミングで飛び立ってしまいました。
初め、ケージにしがみついたのですが、そこから飛んで入り口に入り損ね、そのままケージから離れて飛んでいってしまいました。
向かった先は、居間の隣に面している(ドアはありません)台所でした。
台所の突き当たりでUターンしたのは見えたのですが、そのあと壁の陰に隠れ、出てきません。
「どこに降りた?洗剤の付近だったら嫌だな・・・。」と、台所に向かって歩きかけた瞬間・・・思い出しました。
ステンレス・バッドにお湯を残したままだったことを!!
急いで向かうと、緑色のうごめく物体がステンレス・バッドにお湯の上にいました。
チャーミーがお湯の中に!!
そのときのチャーミーの様子を勿論よく見ていません。
反射的に手を突っ込んで取り出そうとしましたが、入れた瞬間、熱で手が痛くて握ることが出来ず、すぐにバッドを横倒しにして、チャーミー諸共お湯を捨て、慌ててチャーミーを取り出しました。
そしてすぐにケージに戻しました。
僕の不注意が原因です。明らかに不注意です。
インコの火傷の典型的な例です。
インコの火傷は飼い主の不注意が原因です。
言い訳けですが、
不幸にも、
普段やらないことや、幾つかの偶然も重なりました。
後悔することばかりです。
僕は正直これまで、不注意でインコを死なす・・・怪我をさせる人を、少し蔑視していたと思います。
「何て不注意なんだろう・・・。そのおかげでインコが命を落とすなんて・・・。」って。
その傲慢が招いた罰です。
でもチャーミーには何の罪もありません。
僕はインコと暮らす資格が無いと思いつつ、
しかし現実、今ここにチョビとチャラとチェスがいます。
しっかりとお世話しなければいけないのです。
また、3羽と離れることは考えられません。
苦しいです。
ケージに戻ったチャーミーは、まだ生きていました。
濡れているのは、お腹と脚と尾羽でした。翼はあまり濡れていませんでした。
顔は濡れていませんでした。でも、お湯は鼻から吸い込んだようでした。
ハアハアと息をして、目を真ん丸くして。
糞きり網の上から止まり木に登ろうとしました。
動いた瞬間から、何本かの指の爪の付け根付近から血が流れ始めました。
爪を伝って赤い滴がボタボタと垂れていきます。
動くので血が止まりません。
いや、ジッとしていても止まらなかったかも知れません。
指と爪の付け根の皮膚がただれて裂けたのだと思います。
止まり木につかまろうにも指が動かないのか、ケージを嘴で噛んで、翼を羽ばたかせ、這い上がろうとしました。
でも這い上がれません。
そんなことをせずに、そこでじっとしていて欲しかったのに・・・。
押さえつけてやめさせたかったのですが、触ると余計に暴れ回りそうで、
静かに落ち着くことを祈って見守ることしか出来ませんでした。
今思うと、無理にでも握って動かないようにしたほうが良かったのかも知れません。処置を間違えたのかも知れません。
しかし一向に登ろうとする動きをやめません。
仕方なく、手に乗せて止まり木に止まらせてみようとしました。
そうすれば、そこで落ち着いてジッとしていてくれると思ったからです。
しかし止まり木につかまる指の力が無いようで、そのまま下にずり落ちそうで、結局、糞切り網の上に戻す始末・・・。そしてまた動き回る。
もうどうしようもありません。
落ち着いてジッとしたら、キャリーに入れて病院に連れて行こうと思っていましたが、這い上がろうとすることをやめず、チャーミーの脚の周りやお腹は血だらけ、ケージも血だらけ。どんどん凄惨なことになっていきました。
チャーミーはもう助からないと思いました。
それほどのおびただしい出血だったんです。
まだ皮膚の炎症だけだったなら、感染症の予防とチャーミーの体力を期待できたのですが・・・。
安住のケージの中で最期を迎えさせたことで満足するのか、病院に向かって、とりあえず手を尽くそうとしたということで納得するのか・・・。その二つしか選択は無いんだろうと思いました。どちらが飼い主のエゴが強いのか分かりません。・・・似たようなものですけど・・・。
僕は、結局病院に向かうことを選択しました。
「とにかく落ち着くのを待っていてもどうしようも無い。」と思い、動き回って血が出ているまま、チャーミー掴んでキャリーに入れ、病院に向かうことにしました。
最近チャラとチェスを診ていただている病院は休み。
チャッキーの病院は遠いし、混んでいる。
そこで、チャーミーも一度診てもらったことがある(チックの手術やチャッキーとチェロの疥癬を治した)病院にすることにしました。午前中は休診になることはありません(電話で一応確認しました)。
比較的近いことと、それほど患者で混んでいないし、急患なら順番を飛ばしてくれると思い、そこに決めました。
ただ、僕は正直心の中で思っていました。
「治ることはおろか、病院に行ったら生きて家に帰ってくることは無いだろう。」と・・・。
ちょっとだけチャーミーをチョビ、チャラ、チェスと対面させ、急いで家を出ました。
この日は三連休。途中の道は朝から渋滞が予想されるので、タクシーだけで行くのは駄目だと思い、最も最速の手段・・・自宅からタクシーで最寄りのJR駅まで行き、JR一本で病院の最寄駅へ・・・そこからタクシーで病院へ。これが最速だと思いました。
タクシーや列車内でもチャーミーはキャリーの中で動き回っていました。
キャリーの網に這い登ろうとし、それが出来ずに落ちて仰向けになっていたことも・・・。
仰向けになったら、自力で元に戻れないんです。
そのときのチャーミーの目が忘れられません。
「何で?」っていうような驚きと悲しみの目でした。
何度か仰向けのチャーミーを掴んでうつぶせに戻しました。
「仰向けのほうが血が止まったり、動き回らなくなって良かったのかも知れない・・・」と今にして思ったりもしています。
掴むと、しがみつく代わりに、強く噛みついてきました。うつぶせに戻すと噛むのをやめました。
チャーミーは指ではしがみつけないので、嘴で噛んできたのかもしれませんが、僕を恨んで噛んでくれたらよかったのにと思いました。「いっそのこと、僕を食いちぎってくれればいいのに。」と思いました。
病院に到着しました。診療は始まっていました。
受付に「初診なんですが・・・。」と言いつつ、キャリーに被せていた布をめくると、もう動かないで、膨らんでじっとしていました。
目を閉じかけていました。
キャリーの中は血だらけです。
「あ~~、もう駄目みたいです。」と言ったら、受付の看護士さんが「お預かりします。」とおっしゃって、キャリーを持って急いで奥の診察室へ・・・。
1~2分後だったでしょうか・・・受付のカウンターの前で祈るように待っていると、また看護士さんが現れ、「こちらへ。」とちょっと急いだ口調・・・。
診察室の更に奥へ向かうと、獣医さんの手の上に乗ったチャーミー・・・。
聴診器を握りながら「もう心臓が止まりかけています。」
チャーミーはちょっとだけお腹が動いているようにも見えました。
「火傷なんです。」
「いつ頃前ですか?」
「もう1時間ちょっと前です。」
チャーミーを受け取り、自分の手の平に乗せました。
まだ生きているような、いないような。
「残念ですが、小鳥の場合、ここまでになるともはや・・・。」
仰向けにしてしっかりと見たのはその時が初めてでした。
チャーミーの胸からお腹にかけて羽根は殆ど無く、赤黒くただれていました。
そして先ほどまでの指からの出血が止まっていました(それは心臓が止まったことを意味するんだったと、後で思いました)。
チャーミーは、僕の手の上に乗った瞬間位に息を引き取ったと思いたいです。
何となく、お腹が動いたように見えたからです。
愚かな飼い主の僕は「ゴメンね。ゴメンね。チャーミー、ゴメン。」と泣きながら何度も話しかけました。
人前でインコに話しかけたのは初めてかもしれません。
しかも泣きながら・・・。
そう長くはそうしていてはいけないと思い、獣医さんに確認してもらいました。
「・・・あ、もう止まっています。」
チャーミーは、自分の安住のケージの中ではなくて、病院で、僕の手の平の上で最期を迎えました。
お迎えして4年と4ヶ月。
まだ、5才くらいでしょう。
この世に生を受けてたった5年・・・。
チャーミーにとっても、僕にとっても不本意な最期でした。
僕は願っていました。
夢見ていました。
50歳を過ぎて、あとはもう定年退職の足音を感じつつ、すっかり落ち着いた或る日、
チャーミーも10歳をとうに回って、老衰で大往生する未来を・・・。
「10年以上、よく付き合ってくれたな。ありがとう、チャーミー。」って笑顔で話しかける日を・・・。
そう言って送り出したかったんです。
全く思ってもいない結末でした。
この日の朝起きた瞬間、こんなことになることを想像出来たでしょうか。
悪夢って、こういうことなんだと思います。
でも、それは避けるチャンスの有った悪夢の出来事でした。
これまでブログで書いていたように、
ちょっと怖がりやなくせに、インコ同士には結構攻撃的なチャーミー。
でも、意外と姉御肌のチャーミー。
ボヨヨ~ンなお腹で面白い仕草のチャーミー。
カキカキさせてくれるチャーミー。
・・・・
とても楽しいチャーミー・・・・。
愉快なチャーミー・・・。
それなのに、そのチャーミーは、
熱くて痛くて、苦しんで、
ボロボロになって血だらけになって、
悲惨な最期を遂げました。
なんて残酷な。
チャーミーの生前の最後の写真が有ります。
でもそれは載せません。
その写真は・・・、
チャーミーが血を垂らしながら、止まり木に登ろうとしている写真なんです。
そのような時によく平気で写真を撮れたなと思われるでしょう。
先ほども書いたように、僕はもう駄目だと思っていて、
最期の日の写真が無いのは後悔すると思い、撮りました。
いつか教訓となる写真になればいいのですが、
今はまだ正視できません。
HDに落として、そのままです。
話は戻ります。
診療代は要らないと言われ、そのまま病院を出ました。
こちらの名前を言ってないし、診てくれた獣医さんは、初対面でしたし、
(3年くらい前に見ていただいたのは院長で、いずれにしても憶えていないでしょう)
突然現れ、すぐに出た・・・という状況でした。
病院を出た瞬間に、チャーミーの最期の時間を確認しようと腕時計を見ました。
その時刻からして、おそらくチャーミーは9:35頃に息を引き取ったのだと思います。
帰りは、バス、電車、タクシーと乗り継いで帰りました。
帰る途中、「考えなければいけないこと」を考えていました。
それは、
チャーミーをいつ送り出すかです。
チャッキー達を送ったペット葬儀屋さんに火葬をお願いすることは、決まりです。
それを、この日のうちにするのか、
明日にするのか・・・。
明日にすれば、一晩お通夜みたいな感じのことができます。
でも、夏です。エアコンが効いているとはいえ、そのままは余りよろしくはないです。
チックの時は、昨年の8月の同じように暑い時期だったので、保冷剤の上で一晩寝かせておきましたが、それはやっぱり可哀想だし・・・。
それに何よりも、こんな最期のあとでチャーミーの亡骸と一晩過ごすのに耐えられるか分からなく、その日のうちに送り出すことにしました。
チャーミーにしてみれば、急過ぎて自分が死んだとも分からないうちに送り出されることになりますが・・・。
家に着いたのが10:30頃。
いつもの(←ここでは嫌な言葉ですね)葬儀屋さんに電話したら、驚かれました。
ここのところ立て続けですから・・・。
僕のことを覚えているくらいに短い間に・・・。
チェロで、もうこれで変な縁も切れただろうと思われていたようです。
予約した到着時刻は15:00。
着くまでの所要時間を逆算すると、13:00に家を出るくらい・・・。
数時間しかありません。
いろいろと持っていく物の準備をし、慌しく時間が過ぎていきました。
三途の川までのお弁当(餌)を準備して、
小松菜を慌てて買ってきて洗い、
亡骸の写真を撮って(悪趣味ですが・・・二度と見ませんが(見られません)、写真に残さなかった後悔しないためにそうしています)、
チョビとチャラとチェスにお別れの対面をさせて・・・。
忙しいおかげで冷静でいられたようです。
13:00に家を出、途中で献花を買って、
30分早く、14:30頃に葬儀屋さんに到着しました。
葬儀屋さんで、書類を書きながら、この日に起こったことを語りました。
なぜ亡くなったかを聞かれる前に、自分から語っていました。
書類を書きながら、話ながら、涙が出てきてしまいました。
悲惨さと、後悔で泣けてきました。
スタッフの方はそれを見て、聞いているうちに思われたのか、僕におっしゃったことが、冒頭のほうに書いた言葉です。
「決して謝らないでください。自分を責めないでください。そうしないと、この子はそれを受け止めて、とても重くなってしまうんです。重く感じてしまうんです。この子が辛くなってしまうんです。無事に天国にたどりつけるように、感謝の気持ちを持って送り出してあげてください。せめて、この子の前でそれを絶対に見せないでください。ゴメンねって言わないでください。」
「事故で亡くなられた子は、家の中の問題点を教えてくれたのだと思ってください。そのことに感謝してあげてください。教えてくれてありがとう、と声を掛けてあげてください。」
楽しかった想い出と共に送り出すことにしました。
以降今まで、「ゴメンね」と声を掛けていません。病院で謝ったのが最後です。
最初にこの記事をブログに投稿したときは、葬儀屋さんに行く前で、「ゴメンね」と書きましたし、自分を責めるようなことを書きましたが、葬儀屋さんから帰ってきて削除しました。
また、後悔している気持ちを起こさないようにしています(ブログでは書きましたが)。
今僕は、チャーミーが三途の川を渡って、審判を受けて、当然天国・・・虹の橋を渡っていく姿を想像しています。
途中にはチャッキーやチェロやチックが現れ、チャーミーを上手く誘導して・・・・って。
チャーミーは、突然過ぎて、自分が☆になったことが分からないかも知れないし、どうしていいのか分からず呆然としているかもしれないので、チャッキー達が導いてくれていることを一生懸命に想像しています。
これが四十九日まで続くでしょう。
それまで、謝ることも、後悔することもしないように努力します。
それは辛いことですが、チャーミーのために頑張ります。
もう、それしかしてあげれることが無いのです。
また話は葬儀屋でのことに戻ります。
位牌に名前を書いて・・・。
棺に名前、住所、メッセージを書いて・・・。
棺の中には真っ白な敷布団、掛け布団と枕が用意されていて、それにもメッセージを書いて・・・。
(チャーミーを布団に寝かせるなんて・・・チャーミーもビックリしているだろうに)。
花をたくさん入れ・・・・。
お弁当の餌と、ボレー粉をちょっと、小松菜を一枚入れて・・・。
お供の折鶴を入れて。
あとは、撫でたり、声を掛けたり・・・。
2時間近くそうしていました。
顔や頭、翼、背中が無傷だったのがせめてもの救いでした。
血はなるべく拭き取ってあげました。
空が明るいうちに送り出したいので、
16:35頃、チャーミーとお別れしました。
30分くらい待合室のソファーに座って待っている間は不思議な感覚でした。
10時間くらい前は、ここに自分が座っている姿など全く想像していませんでしたから。
餌をあげ終わったら、
土曜日のサイクリング記事を書き始め、
その間、時々チャーミー達を覗いて、意味の無い言葉を掛けて、
夜になったら敷き紙を交換したり、容器を洗ったりして、
その後放鳥して、大騒ぎして、
ケージに戻して、インコマンションのカーテンを閉めて寝かせる・・・。
そして次の日、朝のお世話して、
「行ってくるね~。お留守番よろしくね~。」って声を掛けて出社・・・。
夜に帰ってきて「ただいま~、いい子にしてた~?いい子にしていたよな~、お前たちは~。」って、声を掛けて・・・・。
敷き紙を交換し、容器を洗ったり、
その後放鳥して、また大騒ぎ・・・。
その繰り返しの筈だったんですけど・・・。
骨を拾い上げて壺に入れました。
そしてチャーミーと一緒に家に帰りました。
2008.07.22 18:09 記
家に着くと、チョビ,チャラ,チェスにチャーミーの骨壷をご対面。
「チャーミー、いなくなっちゃたね~。」って・・・。
どうしていなくなったか言えないですけど。
チョビは隣のケージで、血だらけになってもがくチャーミーを見ていたわけで・・・。
この日の残りは、
チャーミーの骨壷をインコ仏壇に迎える準備で、時間が過ぎていきました。
インコ仏壇がもう狭いので、とりあえず2段に分けました。
チャーミーにはチェロを隣にしました。
それから、こんなことがあっても、チョビ,チャラ,チェスのケージを掃除し、放鳥させなければいけません。
チョビは自分だけ外に出、チャーミーを呼んでいたのか、いつも以上によくさえずったり、呼ぶような鳴き声をしていました。
そのあとチャラとチェスも出しましたが、3羽だけでどうしていいのか・・・みたいな。
チョビとチャラはド突き合いを始めるし、チェスは調子が悪そうに見えたり(翌日は普通にしていました)。
3羽をケージに戻し、
こうしてこの日は終わりました。
翌日7/22(この文を書いている今日)と7/23は会社を休むことにしました。
夏休みを取ることにしました。
急にスイマセンが・・・ということで、理由は私用・・・。
年次有給休暇ではなくて、5日間貰える夏休みのうち、2日間を使うことにしました。
いろいろやりたいことがありましたし、
仕事をしてても落ち着かないでしょうし・・・。
チャーミーの血だらけのケージをよく洗って、天日干しにし、片付けました。
インコ仏壇が狭くなったので、新しく設置しました。
新しいインコ仏壇です。
上段がチャッキーとチック。
下段にチャーミーとチェロです。
後ろのカーテンの開け閉めの時に、倒さないように気をつけないと・・・。
場所は、インコマンションのすぐ傍。
上から見下ろされているみたいで、チャッキー達はご不満かな?
TVのスピーカーもうるさいし。
チャッキー達が慣れ親しんでいた居間で、
インコマンションが見える場所はここだけなので・・・。
我慢しておくれ。
これまでインコ仏壇はきちんとお見せしたことがありませんでしたが、
今回は載せました。
新しいインコ仏壇が整い、今こうして記事を追記しています。
明日も追記したり、想い出の写真を整理したりするでしょう。
書きかけたサイクリング記事を書いてみようと思います。この記事を書いていて、少しだけ落ち着いてきた気がするからです。初めのころの文体は今とちょっと違うし、気持ちも変わってきているような気がします。
2008.07.22 19:07 記
チャーミーの直接の死因は、失血死だったのではないかと思います。
数日前に量った体重が65g。
亡骸は60g。
5g分の血が一度に流れたんでしょう。
失血死には充分過ぎる量ではないでしょうか。
もし、血が出なかったら、
何とかなる可能性も有ったかも知れません。
・・・仮定の話しをしても仕方が有りませんね。
2008.07.22 19:30 記
葬儀屋さんのスタッフの方がおっしゃていたように、
チャーミーには教えられました。
自分の不注意。
・・・お湯が有ることを忘れて外に出しました。
インコのために遊ぶのではなく、
自分勝手に仕掛けていく・・・いじり回して遊んでいるようなもの。
・・・チャラやチェスに朝の挨拶だなんて、チャーミーは望んでいなかったでしょう。
・・・別に、外に出たくなかったでしょう。
・・・インコのことを思っている振りをして、思っていないということです。
2008.07.22 19:43 記
でも、
チャーミーはお湯に落ちてから息絶えるまで、
何を思っていたのでしょうね。
葬儀屋さんは「決して恨んだりなんかしていませんよ。」とおっしゃっていましたが。
恨まれるほうが楽かもしれません。
前のほうでも書きましたが、
仰向けになって起き上がれなくなったチャーミーの目は、
「何で私こうなっちゃったのって?」と訴えているように見えました。
今まで見たことの無い、チャーミーの目でした。
それは、チャッキーの最期の時の目と全く同じでした。
とても悲しそうな目だったんですよ。
あの目は忘れられないでしょう。
2008.07.22 20:07 記
今のところ、チョビとチャラ、チェスは普通にしています。
一番心配なのはチョビなのですが、いつも通りにしているようです。
毎日同じ繰り返しが、インコにとって安心なんでしょう。
あの日はいつも通りではないことを幾つかしてしまいました。
インコにとって同じことの繰り返しは必ずしも苦痛ではなくて、
基本的にそれのほうが安心なのかな~と思います。
ただ、ちょっとだけ刺激的なことをたまに与えてあげればいいのかな、と思います。
新しいおもちゃを与えてみたりとか・・・。
2008.07.22 20:15 記
チャッキーやチェロのように、闘病で頑張った末に☆になった子は、その一生に何かまとまったものを感じます。・・・上手く書けませんが・・・。
ですが、チャーミーのような最期ですと、負の思いが強くて、
この記事をどう締めくくっていいのかわかりません。
自分の気持ちも上手く書けません・・・。
ですから、なおさらチャーミーがかわいそうです。
でもいつまでも追記していてもキリが無いので、
中途半端な感じですが、
チャーミーの最期はこれで終わりです。
またあとで何か思うことが有っても、自分の胸のうちにしまっておきたいと思います。
あとは、他の☆になった子達と同じように、
この記事に「想い出チャーミー」として、
チャーミーをお迎えしてから今までのことを、写真を中心にアルバムのようなかたちでまとめて追加したいと思います。
すぐには出来ないかも知れませんが、
何とか、チャーミーらしいものにしたいと思っています。
何日かしたら・・・、一週間後か、二週間後か・・・、
またこの記事を開いてくださるとうれしいです。
「想い出チャーミー」が完成しているかも知れません。
まとまりの無い長文を読んでいただき、ありがとうございました。
2008.07.22 20:32 記
想い出チャーミー 2008.07.27
2004年3月
「お迎え」
チャーミーと初めて出会ったのは、2004年3月6日(土曜日)。
その頃度々行くようになった或るペットショップでした。
オパーリン・グリーンの女の子をお迎えしたいな~、と思っていた時に、じっと寝ている大人しいオパーリン・グリーンの女の子に目が行きました。
ただその日にお迎えしませんでした。
1月にチャッキー、2月にチックをお迎えしてばかり。
3羽目をお世話できるか、もう少し考えようと思い、その日は帰りました。
一週間考えた末、「お迎えしよう・・・ただ、もういなかったら諦めるしかない。いたらお迎えしよう・・・。」というつもりで、3月13日にショップへ。
その子はまだいました。そして家に連れて帰りました。
運命の子は待っていてくれたんですかね?
名前は「チャーミー」と名付けました。
(チャーミーとの出会いは「インコの紹介③ チャーミー」に詳しく。)
初日と翌日、全く餌を食べずに随分心配しました。
当時同居していたチャッキー,チックと一緒にすると、緊張のせいか嘔吐。
そういうわけでチャーミーだけ一羽のケージ。一人住まいにしました。
それでも餌を食べず・・・。
そこで、餌入れ付きの鏡のおもちゃを与えると、それが気に入ったのか、その前に止まるようになって足元の餌を食べ始めました。
とてもホッとしたのを憶えています。
とても怖がり屋さんだったんです。
その後、徐々に下の餌入れまで降りてきて食べるようになりました。
お迎えして何週間後かの宿泊出張では、帰ってきたらチャーミーの具合が悪くなっていて、あわてて病院へ。
数日で回復してホッ・・・。
その後も、普段動かないで寝ていることが多く、体が元々弱い子だったのかもしれないな~、とずっと思っていました。
お迎えしたばかりの頃の写真が有りません。
それが残念です。
2004年4月
「大好きな鏡のおもちゃ」
4月頃に買った、「そろばんビーズ付きの鏡のおもちゃ」がたいそう気に入った様子でした。
チャーミーを初めて撮った写真です。
お迎えして1ヶ月近くになろうとしていた頃にようやく撮影。古いデジカメでピンボケです。
食事や水を飲む以外は、普段はここでジッとしていてました。
この頃はホントにず~~~っとここにこうしていることが多かったです。
放鳥しても、この鏡のおもちゃを出しておくと、そこに行って同じポーズでジッとしている始末。ケージの外でも中でも居場所は変わりませんでした。
↓そういう意味では珍しい写真。
デジカメが嫌で、逃げたくて、鏡から離れたんですけど。
この「そろばんビーズ付きの鏡」は生涯「お気に入りグッズ」でした。
その後、ず~っと乗っていることは無くなりましたが、一日一回はこのおもちゃの前に行っていました。
2004年5月
「最初のインコマンション」
先月4月にチェロをお迎えし、全員個室のインコ・マンションが完成。→
チャーミーは2階。
チャッキーの隣でした。
以降、チャッキーが☆になるまで、チャーミーの隣はずっとチャッキー。
チャーミーが生涯一番多く見ていたのは、チャッキーなんです。
2004年6月
「放鳥で冒険気分?」
4羽いても、暫く一羽ずつ放鳥していました。
複数の放鳥でどういうことが起こるか、ちょっと分からなかったのと、同時に複数をしっかり監視できるか心配だったので。
放鳥すると、怖いのか、陰に隠れようとすることが多かったです。
↓かくれんぼ~、みたいな。見つけた!
飛び回らないので、ケージに戻す時は、近くに扉を開けたケージを近づけて戻していました。
逆に、放鳥する時は、ケージから追い出すようにして出していました~。
2004年7月
「ケージの外の止まり木~一羽放鳥時代」
まだこの頃は一羽ずつ放鳥していました。
まるで台所にインコがいるみたいですが、違います
この頃住んでいたマンションは古いタイプで、台所とリビングが一緒だったんです。
この頃から他の3羽をちゃんと意識するようになり、
放鳥すると、すぐ傍に行くようになりました。
ケージの外に止まり木を渡して、そこに居させるやり方が、この頃の放鳥のパターンでした。
2004年7月
「新デジカメでの初撮影」
ようやく新しいデジカメを購入し、初撮影。
ケージ内でぼってりとしています。
この頃から既にポッチャリ体形になってました~。
2004年8月
「本格的に写真撮影開始」
新しいデジカメで、調子にのってバンバン撮り始めたのもこの頃から。
首の傾げ方が、決めのポーズかな?
オパーリンらしい、羽のシェル模様が綺麗でした。
「ブランコ大好き」
以前は「ビーズ付きの鏡」の前にばかりいましたが、もう一つ好きなおもちゃが出来ました。
ブランコです。
このブランコも生涯ずっと同じものでした。
普段あまり動かないので、止まり木からブランコに乗る時、ブランコから降りる時の、体を伸ばしたストレッチみたいな動作が、見ていて楽しかったです。
動けるじゃん。体、伸びるじゃん。・・・みたいな。
「インコ会議」
4羽の結束が固いことを示す、インコ会議の模様。
ケージを下の写真のように並べると必ずこうなりました。
2004年9月
「ペアで放鳥開始」
先月くらいまで、放鳥は一羽ずつだったのですが、
この頃からペアで放鳥するようにしました。
問題無さそうでしたので。
初めにチャッキーとチックのペア。
次いでチャーミーとチェロのペアの順。
チェロはチャーミーを放ったらかしにしてチャッキーのところに行ってますが・・・
落ち込むチャーミー・・・
振り返って、「ん?」って感じのチェロ。
がっくりですか・・・(ホントはイライラして止まり木を齧っています)。
もう一度やり直し~~~。
足を踏んで逃げられないようにしている。
何で攻撃するの~?
チェロのアプローチが悪かったのか???
「一斉放鳥開始」
9月の後半くらいからは一斉放鳥もするようになりました。
初めは何が起きるのかハラハラしていましたが、
意外と4羽が大人しいです。もっと飛び回って大騒ぎになるかと思っていました。
この日、4羽で撮影が出来て、午後ずっと放鳥していました。
チャッキーが狙っているぞ。
隙あり!
チャッキーがチャーミーにカキカキを迫る。
ビックリしているチャーミー。
お疲れ気味でネムネムですな。
4羽でも、本来の本命ペアに分かれますな。
もう、ケージに帰って寝たいんですけど~、みたいなチャーミー。
チャーミーの大あくびです。
何にしてもこの頃から、
この4羽でずっと暮らすんだと分かったように思えます。
2004年10月
「引越し」
インコマンションではなくて、僕がマンションそのものを引越し。
実は、当時のマンションは契約書上「鳥獣の飼育は禁止」。
僕はその「鳥獣」をよく読んでいなくて、「犬猫」は駄目だろうけど「小鳥」ぐらいはいいだろうと思っていました。
雇われ管理人さんも、僕がインコを飼っていることは気がついていましたが、
同じように、「小鳥」ぐらい問題無いし、一人暮らしだし、友達としてもいいのではと思っていたそうです(この管理人さんも管理人になる前の昔に、とてもなついていたセキセイインコと暮らしていたことがあったそうです)。
でも、別の部屋で「ウサギ」をこっそり飼っていた方が、そのウサギを隣の部屋のベランダに脱走させてしまって大騒ぎ。
この事件により、マンションのオーナー会社からあらためて「いっさいの鳥獣の飼育は禁止・契約違反は即刻退去」と通達。
僕は退去することにしました。
そして今のマンションに引っ越してきました。
こちらは予めきちんとオーナーに相談して「小鳥は認める」ということで快諾してもらっています(勿論犬猫は駄目)。契約書にも記載してあります。安住の地を見つけました~。
引越しでバタバタしていて、この頃暫く写真も無し。
2004年12月
「久しぶりの写真」
引越しのバタバタも落ち着き、
ようやくノンビリとインコ生活ができるようになりました。
手乗りチャ~ミ~♪
そう言えば、いつ頃から手に乗るようになったんだろうか???
憶えていません。
気が付いたら、手を出せばすんなり乗るようになっていました。
勿論、お迎えして暫くは手から逃げていましたけどね~。
信頼関係が出来たみたいでうれしいです。
放鳥したらアスレチックランド・・・という図式はこの頃から出来ました。
アスレチックランド以外は、自ら好き好んで別の場所に飛んで行くことは殆ど無かったです。自分のケージ以外は・・・。
「チック姉ちゃん、ネムネムなの~?」
久しぶりの全員ショット。大晦日の夜です。
↓ネムネムのチックの顔を覗きこむチャーミー。
チック姉ちゃん、寝ちゃったの~、みたいな。
この覗き込むチャーミーの顔が大好きです。
好きな写真です。
2005年2月
「もてる女の子達」
チックとチャーミーが男の子達に代わる代わるちょっかいを出されています。
女の子はモテモテ♡
どちらかと言うと、
チャーミーにチャッキーが近づくと、チェロが気が気で無い、みたいな感じでした。
2005年3月
「ブランコでまったり」
ブランコにいるほうが、放鳥よりもリラックスしていました。
頬毛がふっくらしているでしょ~。
くつろぎ顔です。
「チャーミーの誕生日/お迎え一周年」
3月13日はチャーミーの誕生日です
本当の誕生日が分からないので、お迎え日が誕生日でした。
一歳、一周年です。
本当の歳は2歳近かったかも。
↑F家のケーキに、羽根をあげて喜ぶ(?)チャーミー。
ケーキでお祝い。
ケーキは食べさせられませんので、僕が1ホール全部平らげて、
チャーミー達はオーツ麦がごちそうでした。
全員でお祝いでした。
他のインコ達のときにも、
こうして誕生日(お迎え記念日)をお祝いしていました。
「並び方の安定形完成」
4羽一斉放鳥の際の並び方がこの頃、ほぼ確定しました。
チャッキーとチック、チャーミーとチェロの本命ペア同士が隣で、
男の子組が女の子組の間に入る、みたいな。
上の写真のパターンか、その左右対称、の二つのパターンが殆どでした。
「ぽつ~~ん」
配列が決まりましたが、当然動く時もあります。
ただ、動くのは男の子組。
女の子は両端に別れたまま。
ポツンとしているチャーミーに、チェロが気が付いて・・・。
ねえねえねえ・・・と言っているのか?
「インコマンションの屋上」
インコマンションの屋上も遊び場です。
チェロと一緒。
後ろでチャッキーとチックが・・・。
2005年5月
「新インコ会議」
4羽一斉の放鳥のときの新しいインコ会議の模様。
結構、大人しく会議していました。
2005年6月
「ペアで手乗り」
チャーミーとチェロのペアで手乗り~~
片手に一緒に乗せられるようになりました。
口が半開きは、緊張しているってこと?
同じ方向の何かを見てますな。
何でしょう。
2005年8月
「一緒に飛行」
チャーミーとチェロで一緒によく飛んで(僕が飛ばして)いました。
飛翔、着地の写真。
2005年11月
「Y!ブログ開設」
Y!でブログを開設しました。
4羽のインコの日々を見てもらいたかったのがきっかけです。
始めてホントに良かったと思っています。
「日光浴」
ベランダで日光浴。
本当は怖かったんでしょうかね。
外に背を向けていることが多かったです。
「ブランコでネムネム~」
そういう意味で、家の中の、ケージの中の、ブランコが一番安心かな?
2005年12月
「水浴び大好き」
チャーミーは度々水浴びしていました。
冬でも関係無し。
水入れで水浴びです。
朝起きた時にしかしませんでした。
しかも、何故か小松菜を菜刺しに指した直後しか入浴しませんでした。
理由は未だに謎です。
気持ちいいみたいでした。
入浴後は、必ず水を交換していました。
水浴びをするのは、殆どチャーミーだけでした。
「破壊王」
止まり木を齧る癖がこの頃から・・・。
↓12/25撮影・・・。
↓その三日後の12/28撮影。
初めて見た時はびっくりしました。
会社から帰ってきたら、こう↑なっていましたので。
「カキカキの要求にシカト」
チャッキーとチックのカキカキをガン見。
チェロは、チャーミーに同じようにして欲しいみたいな目線。
断固拒否、みたいな。
チェロって、チャーミーと一度もカキカキ出来ませんでした
2006年1月
「アスレチックランド」
放鳥しても遊ぶ場所はアスレチックランドとその周りだけでしたね~。
ケージも、アスレチックランドもインコマンション内・・・。
そこしか殆どいませんでした。
ぶら下がるチャーミー。
珍しく運動しています。
「ダイエット飛行」
体重が・・・。
ついに63g。
インコ2羽分。
この頃以降、だいたい60g前後キープになってしまいました。
でも一応、ダイエットの強制飛行をさせていましたけどね。
チェロと一緒にダイエット飛行。
チェロは特別肥満ではないのですが、お付き合いさせられていました。
しかし、効果無し・・・・。
「チックのジェラシー」
チックというパートナーがいながら、たまにチャーミーのところに言い寄るチャッキー。
チックが怒って、ハシゴを外して2羽の上に落とそうとしています。
恐ろしいジェラシー。
片方が完全に外れたところでやめさせました。
2006年3月
「喧嘩友達?」
同じ女の子同士のチックとはよくド突き合っていました。
でも、お互い本当は仲良くしたかったのだと思います。
ほら、チャーミーの頭がリラックスのふっくら頭になっているでしょ~。
「カキカキして~」
チャーミーは僕にカキカキさせてくれました。
同じインコにはさせないのに、僕にはさせる・・・うれしいな~。
チャーミーも僕も幸せなひとときです。
「水浴びで犬掻き?」
水入れを透明の容器にしたら、水浴びをしている時の中の様子がよく分かりました。
時々、犬掻きのように水中では足で水をかいていました~。
「2回目の誕生日」
3月13日、チャーミーの誕生日
お迎え2周年です。
2歳ということです。
ケーキでお祝い。
ケーキをガン見。
でも食べちゃ駄目~。
代わりにオーツ麦。
2006年4月
「羽をおしゃぶり」
抜けた羽根をしゃぶるのが好きでした。
特に軸の部分が・・・。
↓チェロの羽根ですけどね。
取り返しにきたチェロを追い返すチャーミー。
2006年7月
「背後を狙われるチャーミー」
後ろからチャーミーの尾羽を狙うチック。
気をつけろ~。
2006年8月
「不調」
チャーミーの具合が急に悪くなりましたが、数日後、なんとか復活。
ようやく放鳥できるようになりました。
放鳥中はチェロが静かに傍に寄り添っていました。
一緒にネムネムだね。
2006年12月
「年末のご挨拶」
インコマンションの屋上に並んでいます。
みんなが並んで、こちらを向いて・・・。
大好きな全員写真です。
2007年3月
「何か問題でも?」
相変わらずの体重だな・・・。
過去最高体重です・・・。
「チャーミーの誕生日/3歳」
3月13日、チャーミーの誕生日(お迎え記念日)です
ケーキもずっしり大きいですが、
チャーミーもずっしり、ハシゴに食い込んでいますな・・・。お腹が・・・。
2007年4月
「ステンレスケージに引越し」
念願のステンレスケージに引越ししました。
これで理想のインコマンションの完成。
チャーミーの部屋のレイアウト↑
2007年5月
「ココログにブログを引越し」
Y!から今のココログにブログを引越ししました。
チャーミーと言えば、「体重ネタ」。
それから、チェロの陰に隠れていますが実は「セキセイわんコ1号」です。
お手(お足)をしてくれたのはチャーミーが最初です。
チャーミーの記事をリストアップすると、
チャーミー ありがとう そろばんチャ~ミ~・家計は赤字? チャーミー お誕生日おめでとう 2008.03.13 小松菜の使い方・ハウトゥービデオ ピヨちゃんと勝負 照れる人間・拒否るインコ 雪見(?)インコ まだまだよろしく~ 復活 ブランコ・チャーミー じれったい・・・ がんばれチャーミー チャーミーの悪あがき 飛べ!! チャーミー チャーミーの水浴び あ~、しあわせ~ 止まり木のストック ぼよよ~んターン セキセイわんコ ぼよよ~ん インコの紹介③ チャーミー
チャーミー&チェロの記事も・・・
二機着艦!! 2008年 撮り初め&鳥初め 仲良くしなさ~い 踏み踏み~ チェロの疑問 チェロ+チェロ=? おまえじゃない! 狙われるチャーミー これからもよろしくお願いします わびしいチェロ こっちに来ないで~ 床は怖~~~ チャーミーとチェロの放鳥 来るぞ!!逃げろ!! ボクの羽を返して~
インコ第1世代(チャッキー,チック,チャーミー,チェロ)4羽全員の記事も・・・
一触即発 インコ・大運動会 節分インコ もう帰りま~す 昔の写真で失礼します リーダーに相談 インコどっきりマル秘報告~寝起き 体重測定 インコ会議 わが家のインコの鳥関係
ほかにも・・・
どさくさ作戦成功 チャッキーの新ルームメイト? チック vs チャーミー
チャーミーとチェロのインコ・ドラマも有りました。
チェロの「ぼくかの」
2007年7月
「最後の一斉写真・・・運命の足音」
これが4羽全員揃った最後の写真になりました。
そんなことになるとは思っていませんでしたが。
ただ、この前月の6月にチャッキーの重篤な病気が発覚しており、
いつかはその日が来るとは思っていましたが、
チャッキーではなく、まさか先に・・・。
みんな眠そうな写真です。
「チックは怖い?」
喧嘩友達チックとの最後の動画です。
2007年8月
「チックとのお別れ」
8月16日、チックが☆になりました。
突然のことでした。原因は全く分かりません。
(チックの最期は「チック ありがとう」に・・・。)
上のほうに見えるタオルの上にチックが永遠の眠りについて横たわっています。
お通夜でした。
お別れの夜でした。
「三羽で頑張るぞ~」
チャッキーとチャーミー、チェロの3羽でインコ生活が再スタート。
3羽になって、並び方も色々。
微妙な3羽の関係になっていました。
三角関係になるかな~、と思っていましたが、それほど激しくはありませんでした。
♂♀関係無く、といった感じでした。
リーダー・チャッキーの話を聞くチャーミー達。
↓と思ったら、女帝風を吹かすチャーミー。
↓目線の高い所に上がるほうがエライ。
付き従うような男共。
貫禄充分。
お腹がね・・・。
2007年11月
「チャッキーとの別れ」
闘病中のチャッキーでしたが、
10月の終わり頃から腹水が溜まり始め、
11月には重症の状態が続きました。
この頃のことは「チャッキーの病気 2007.11.18」をご覧ください。
寄り添うチャーミー。
放鳥しても3羽一緒に寝ていることが殆どでした。
動いてチャッキーに負担を掛けないように、チャーミーとチェロはとても大人しかったです。
↓カキカキしてあげているのかな。
上の写真撮影の翌日、チャッキーは☆になりました。
(その時のことは「チャッキー よくがんばったね ありがとう」に)
チャーミーとチャッキーはインコマンションの2階で、お迎え以来の殆ど、3年半ずっと隣同士でした。
実際にはチェロよりも、チャッキーを見ている時間のほうが圧倒的に多かったんです。
逆にチャッキーにしてみれば、一生の殆どをチャーミーの傍で過ごしたわけです。
きっと悲しかったと思います。
「チェロと一緒にやっていくぞ~」
チェロと二人(二羽)っきりになってしまいました。
この時、チェロはすでに病気に体を蝕まれていました。
気がつきませんでした。
チャッキーと一緒に放鳥していると、チャッキーと一緒に大人しく寝ている、
チャッキー想いかと思っていましたが、
そうではなかったのかもしれません。
気が付かなかったです・・・。
チェロをインコマンションの2階に上げ、チャーミーと隣同士に。
2007年12月
「チェロの不調」
この月の半ばくらいから、
チェロの様子がちょっとおかしいことに初めて気が付きました。
寝ていることが多かったです。
チャッキーのことも有り、
動物病院に連れて行くことに懐疑的になっていました。
心配そうに見つめるチャーミー。
チャーミーは、前からチェロの様子がおかしいことに気がついていたかもしれません。
2008年1月
「年明け」
2008年の正月の朝に撮影。
チェロはともかく、
チャーミーまでも、これが最後の年になるとは思ってもいませんでした。
「めり込んでますけど・・・」
ブランコが・・・体の一部と化している・・・。
ボール体形ですな。
2008年2月
「チェロとのお別れ」
チェロは左脚の麻痺だけでなく、膨らんで寝ていることが殆ど。
すっかり元気がなくなってしまいました。
チャーミーも激しい換羽期で顔がボロボロ。
なんとなく重苦しい写真になっていますね。
↑これがチェロの最後の放鳥。
↑放鳥でのチャーミーとの最後のツーショットになってしまいました。
そして、2月7日。
チェロの最期の日がおとずれてしまいました。
この日のことは、「チェロ ありがとう セキセイわんコは永遠だよ」に書いたとおりです。
チェロの最後を僕は看取れませんでした。
チャーミーが見ていてくれたと思います。
チェロの最期はチャーミーだけが知っていました。
チェロのお通夜。
ハシゴでベッドを作ってチャーミーに見えやすい高さにし、チェロの亡骸を置きました。
チャーミーはじっと見ていました。
チャーミーにとっても大好きなチェロとの別れでした。
「残されし者達」
チャーミーと僕の2人っきりになってしまいました。
何か寂しいですね。
一緒に暮らした3羽を見つめるチャーミー。
「チョビをお迎え」
チャーミーと僕だけの2人っきりの生活は一週間だけでした。
以前から決めていたことで、2/17に新しい子をお迎えしました。
チョビです。
チャーミーの隣。
↓ガン見のチャーミー。緊張するチョビ。
密着しすぎて、両者フリーズ。
チョビは最初、餌をなかなか食べなくて大変心配しました。
でも、チャーミーが隣で食べているのを見て、少しずつ食べるようになりました。
リラックスしているチャーミーを見て安心したのでしょう。
チャーミーが食べ始めると、チョビも食べ始める・・・みたいな。
この頃からいいお姉さん・・・姉御振りが見れるようになりました。
インコ第1世代の時は4羽の中で比較的大人しいだけのように見えたのですが、しっかりしたお姉さんタイプに変わったみたいです。
意外でした。
年齢から言うと、母親でもおかしくないんですけど。
母性本能も有ったんでしょうかね?
2008年3月
「チャーミーの誕生日/4歳」
3月13日、チャーミーの誕生日(お迎え記念日)です
4歳(4周年)です。
ずっと悲しいお別れが続いていたので、とてもうれしかったです。
寝てるし・・・。
あんたの誕生日なんだからね~。
起きなさ~い。
2008年4月
「チョビのお姉さん役」
チョビがだんだんわが家の生活パターンに慣れてきました。
チャーミーの真似をしている・・・。
チャーミーが怖がっていなければ大丈夫・・・みたいな。
放鳥してもチョビはチャーミーの傍にいて、
チャーミーがケージに帰ると、チョビも一目散にケージに戻りました。
頼られている姉御チャーミーでしたね~。
チャーミーが「チャッキー、チャッキー」と喋るので、チョビが憶えてしまいました。
チョビはチャッキーを知らないんですけどね。
チャッキー伝説を語り継ぐチャーミーというところ。
あ・・・でもちゃんと「チャッキー」と言えなくて「チャッピ」になっちゃうんですけど・・・。
「チャラとチェスをお迎え」
4月28日にチャラ、4月29日にチェスと、立て続けに新入りさんをお迎えしました。
インコ第2世代のスタートです。
久しぶりに4羽の生活。
2008年5月
「インコ第2世代」
新しい4羽も、ちゃんと大人しく一斉ショット。
これが安定した並びだったです。
一番落ち着かないお子ちゃまチャラにチャーミーが教育的指導をするように隣に。
ちょろちょろと他のインコにちょっかいを出そうとするチャラをチャーミーがド突く・・・みたいな。それでチャラも大人しくなる・・・みたいな。
その両脇に男の子。
↑ド突かれてもチャーミーに寄っていくチャラ。
「みんなのお手本」
体重計に喜んで乗るチャーミー。
それを見ているうちに、他の子も一応乗るようになりました。
いいお手本だね、チャーミー。助かるよ。
「チャラとチャーミー」
チャラとチャーミーのツーショット。
チャーミーがインコマンションの屋上にいたら、チャラが飛んでやってきたんです。
↓チャーミーに物怖じせずに突然威嚇するチャラ。チャーミーもビックリ!
お子ちゃまチャラの自由奔放ぶりに、落ち着いた感じの大人のチャーミーは振り回されていました。
「インコ会議の議長」
インコ第2世代のインコ会議も、チャーミーが号令。
最初は他の子はよく意味が分からなかったみたいですが、チャーミーが率先して真ん中に来ると、チャラ、チェス、チョビ・・・と順に集まりました。
姉御チャーミーの威厳か。
「チェスとチャーミー」
仲良く体重計に乗っています。
あまりの重量に驚いて、表示をガン見するチェス。
「頼れる姉御のまわりに」
姉御らしいシーン。
体重計に乗っていたチャーミーの周りに、他の3羽が自然と集まってきたんです。
慕われてるね~。
2008年6月
「突然の不調と回復」
ブログには書かなかったのですが、6月に一日だけ、体調不良になった日が有りました。
その日の写真です。
もしかしたら、最後の写真になるかも知れないと思い、慌てて撮りました。
朝は特になんとも無かったのですが、
夜、会社から帰ってくると、ケージの底の糞きり網の上で、羽根を少しワキワキさせて、目を閉じてうずくまっていました。
やがて止まり木に登りましたが、同じような状態。
その夜中は覚悟していましたが、翌朝、回復していました。
原因は分かりませんでした。
2007年8月にチック、11月にチャッキー、2008年2月にチェロ・・・と3ヶ月毎に亡くしていたので、2008年5月のチャーミーを警戒していて、それを過ぎてホッとしていたところの6月のこれでした。
チャーミーはこれまで4回、体調不良になってもう駄目かと思ったことが有ります。
1回目は、お迎えしてすぐあと、僕が宿泊出張して帰った直後。2004年3月。
2回目は、今のマンションに引っ越したすぐあと。2004年10月。
3回目は、2006年8月。
4回目は、この2008年6月。
お迎えした際も寝ていることが多かったので、先天的にあまり体の強い子ではないな~と思っていたのですが、結局インコ第1世代の中で最後まで残り、意外と丈夫かもと思っていた途端・・・。
油断は出来ないな~と思いました。
でも、別の形で油断してしまいました。
まだこの時は、全く想像できなかった油断ですが。
「チャーミーの匂いとボヨヨ~ン・ボディ~」
チャーミーのボヨヨ~ン・ボディーの感触を味わい、匂いを嗅ぐ・・・。
放鳥時にはよくやっていました(変態?)
そのときのチャーミーの表情を初めて写真に撮りました。
神妙な表情・・・?迷惑は迷惑でしょうね。
聴診器で診察されている患者を連想してしまいました。
2008年7月
「飛んでくれる」
ダイエットのための強制飛行としてよく飛んでくれました。
効果は全く無しでしたが・・・。
放鳥時、指を足元に差し出すと、すんなりと乗ってくれて、
そのままインコマンションから離れた所まで連れて行くと、飛ぶ・・・。
殆ど毎日繰り返していました。
チャーミーはあんまり飛びたくは無かったみたいですがね。
僕にお付き合いしてくれていました。
「土俵でチョビとまったり」
土俵ならぬ体重計の上でチョビとツーショット。
これがチャーミーとチョビの最後のツーショット写真になってしまいました。
チャーミーの表情が好きです。
「ぶらさがる よもぎ大福インコ・チャ~ミ~」
この頃から、チャーミーとチョビ、チャラとチェスの組み合わせで二組に分かれて放鳥させていました。
放鳥されているチェスを下から追いかけるチャーミーの動画です。
まるで、よもぎ大福がケージにブラブラしているみたい。
これがチャーミーの最後の動画です。
「別れ」
7月21日、この日起こったことは、この記事の初めに書いたとおりです。
・・・・
チャーミーが☆になりました。
チャーミーと暮らした4年と4ヶ月はとても楽しかったです。
初めは大人しくて病弱な子かな~と思っていました。
何度か体調不良になって心配しました。
怖がり屋でもありました。
その反面、同じインコ同士には意外と強かったりして。
だんだん僕のちょっかいにも付き合ってくれるようになって。
ユサユサとぼよよ~んなお腹を揺すりながら、
いろいろ遊んでくれました。
カキカキもさせてくれました。
面白かったです。
楽しかったです。
チャッキー、チック、チェロがいなくなってからは、
新しく来たチョビ、チャラ、チェスのいいお手本になってくれました。
いいお姉さんでした。
助かりました。
そんなチャーミーを僕は・・・。
・・・いや、それは言わないことにします。
チャーミーが教えてくれたのですから。
慎重にしていても、ふと気を抜くとたいへんな目に遭う。
色々気をつけなさいよ、って。
・・・・・
チャーミー
今までありがとう。
チャーミーに出会えて本当に良かったよ。
忘れるはずはないよ。
チャーミーの一生を一番よく知っているのは僕なんだから。
素敵な想い出として大事にするよ。
チョビとチャラ、チェスは僕がしっかりとお世話するよ。
チャーミーがお姉さんとしてしっかりやってくれたおかげで、これからも大丈夫だよ。
心配しないで。
天国からそっと見守っていておくれ。
チャーミーは、そのボヨヨ~ンお腹に楽しい想い出を詰めて、
チャッキー,チック,チェロの元に旅立っておくれ。
天国で楽しくまた4羽で暮らしておくれ。
ありがとうね、チャーミー
さようなら、大好きなチャーミー
最後に・・・・
チャーミーの遺影です。
遺影の見つめる先には、
インコマンション・・・チョビとチャラとチェスがいます。
今ケージの中で、3羽それぞれ遊んでいます。
優しいような、ちょっと厳しいような、いいお姉さんの目をしています。
チャーミー・・・
ありがとう
ありがとうございました。
2009年7月21日
チャーミーの一周忌です。
チャーミーに「ごめんね。」と言わないように我慢してきました。
でも、もう天国での暮らしも落ち着いたでしょう。
チャッキー,チック,チェロと一緒に楽しく遊んでいるでしょう。
ですから、もう言ってもいいでしょうね。
言っても、悲しい顔はしないでしょう。
チャーミー ごめんね。
そして 楽しい思い出をありがとうね。
| 固定リンク
Recent Comments