葛城古道ポタリング 2008.10.25
年月日/2008年10月25日
バイク/VooDoo HooDoo MTB (Hard Tail)
目的/奈良県御所市にある「葛城の道」を巡る。
ポイント/往復輪行。
内容/
この週末の近畿の天気予報は良好だとのことで(実際は日曜日に曇り一時雨)、先週末は自転車に乗っていなかったことだし、土曜日にサイクリングに出かけることにした。
場所・コースは奈良県の、大阪府との県境、金剛山地の麓に位置する『葛城の道』(下の地図参照)。
奈良県当麻町竹内から御所(ごせ)市の風の森までの約20kmが『葛城の道』(葛城古道)と呼ばれている。
この辺りは古代豪族の鴨氏、5世紀に天皇家を支えた葛城一族の里である。
「西の山の辺の道」とも呼ばれている(「山の辺の道」については「山の辺の道ポタリング 2007.02.24」参照)。
十年くらい前にウォーキングで巡ったことがあるが、自転車では初めて。歴史を感じつつ里山をポタリングすることを久しぶりにしてみたくて、実行することにした。
基本的に近鉄御所駅から上の地図の茶色のラインを南下気味に走り、「風の森神社」でメインは終了。葛城の道から外れるが、これに「船宿寺」を最後に付け加える。あとはひたすら近鉄御所駅に帰るという計画。
勿論、大阪の住まい~近鉄御所駅は輪行移動(自走していたら、葛城古道を巡れずに往復するだけで終わるよ~)。
記憶ではルート上に田畑のあぜ道や山道などが有ること、かつ舗装路を速く移動する必要が無いことから、自転車はハードテイルMTBの「VooDoo HooDoo」を選択。
丁度、ハンドルを左右3cmずつカットしたので、その具合を確認したいし、このMTBでの前回のサイクリング「兵庫北摂・山道廃線跡サイクリング 2008.03.08」の落車(左手首のTFCCを損傷した際のサイクリング(「TFCC損傷の疑い」参照))で破損して交換したSela Italiaのサドルの調子も確認したい。
その落車でヘルメットも潰しており、直後にBELLのヘルメットを新調している。まだ被ったことがなかったので、その確認も・・・。↑
例によって、3:30に起床。
4:30頃に出発。
最寄りの駅まで自走し、そこでMTBを輪行袋にパッキング。MTBでの輪行は久しぶりで、ちょっと要領が悪く、20分位かかってしまった。
4:50の列車に乗車。乗り継ぎをしつつ、大阪市営地下鉄谷町線の天王寺駅に到着。そこから徒歩で近鉄大阪線・あべの橋駅に向かい、6:17の準急・河内長野行きに乗車。
途中で乗り換え、近鉄御所線で近鉄御所駅に到着。時刻は7:30頃。
MTBをノンビリと組み立てる。その間、下の写真に写っているハイカーさん達に色々と話かけられたりして・・・・(ハイカーというより山を「走る」人達みたい)。
御所駅を出発。時刻は8:00チョイ前。
駅は東口のみ。僕は西に向かうので、一瞬、駅の東を南北に走る国道24号に出てから、回り込んで県道118号に入る。
金剛山地・葛城山周辺の尾根が向こうに見える。
葛城古道はこの葛城山(標高959.7m)から金剛山(標高1125m)までの金剛山地の東の山麓を走っているわけ。
県道は途中で30号に変わるが、県道30号は枝分かれと支線が多い道で、県道118号との繋ぎ目も支線である。この記事では便宜上、當麻寺~五条市出屋敷町までの交通量の多い直線路を本線として県道30号と記し、それ以外の枝分かれ・支線は県道30号として書かないか、県道30号支線と表記することにする。
↓その県道30号支線の道すがら右手に『祟道天皇宮』が有る。
↓民家の間の路地を進むと鳥居。
『祟道天皇宮(祟道神社)』
創建の年月日は不明。崇道天皇(早良親王)について・・・。
崇道天皇は早良親王に与えられた追写である。早良親王は、父、光仁天皇(49代)と母、高野新笠との間に生まれ、兄は桓武天皇(50代)。
初め出家したが、父、光仁天皇が即位すると親王となり781年(天応元年)、兄、桓武天皇の即位と同時に皇太子となった。桓武天皇には既に皇子があったのであるから、恐らく、父、光仁天皇の意志によるものであろう。
このため桓武天皇と弟、早良親王との間はあまり円満ではなく、天皇の信任厚い、藤原種継とも人事問題が絡んで不和だったようである。
784年(延暦3年)長岡遷都が行われたが、翌年主唱者の藤原種継は暗殺された。
事件の首謀者として、大伴継人,大伴升良や前月病死した大伴家持等がそれぞれ処分されたが、早良親王も関係者として乙訓寺に幽閉され、自ら食を断って淡路へ移送される船中で死んだ。
現在の「続日本紀」には関係記事が削られているために詳細は分からないが、藤原氏政権獲得の犠牲者として世人の同情も集まったようである。
その頃、皇室に種々不幸が起こり、悪病も流行したが、みな早良親王の祟りとして恐れられ、800年に祟道天皇の追写が贈られた。
長岡京が廃止された主な理由もこれによる。
京都府上京区の御霊神社に祀られている。
巨木の間にひっそりと社殿が建っている。
県道に戻り、西へ。
稲の棚田が見える。まだ全部は刈り取られていないようだ。
↓やがてY字路にぶつかる。
↑左手は葛城の道。こちらへ。
↑ちなみに右手は葛城山ロープーウェイへ通じている。
↓現在いる所の周辺。「祟道天皇宮」から「鴨山口神社」に向かっている途中だ。
民家が並ぶ小道を登っていく。
↓葛城の道は要所要所に案内板や標柱が有るので良いな(でもあとで迷った・・・)。
↓そして、こういう地蔵も所々に見れるよ。
↓やがて左手に『鴨山口神社』。時刻は8:15。
↓神社でも鳥居のそばに地蔵さん。
石の鳥居をくぐって奥へ。
『鴨山口神社』
葛城山麓の扇状地、櫛羅大湊に位置する本社は、古くから朝廷に皇居の用材を献上する山口祭を司った由緒深い神社である。
祭神は大山祇神(おおやまずみのかみ),大日霊命(おおひとめのみこ),御霊大神(ごりょうおおかみ),天御中尊(あめのみなかぬしのみこと)を祀っている。御所駅近くの鴨都波神社、風の森近くの高鴨神社と同じく鴨氏の氏神である。
「延喜式神名帳」には、山口社は14社有るが、その内、葛上郡の鴨山口神社が本社であるとされており、即ち、式内の大社として格式高い神社である。
本殿は、春日造桧皮葺であり、拝殿は瓦葺であり、本殿に安置されている大日霊貴命坐像,御霊大神坐像は国の重要文化財に指定されている。
↓「拝殿」。
↑この奥に「本殿」が有るのだが、写真は無し。
回り込めば撮影できたかも知れないが、こういう場所ではやめておきましょう。
明るい感じの境内だ。
「鴨山口神社」を出て、ちょっと西へ。
↓県道30号にぶつかる。十字路になっており、向こう側へ渡る(黄色の矢印)。
↑県道30号(上の写真の右上と左下)は両方向とも交通量が多く、大型車も頻繁に行き交う。
しかも結構なハイスピード。途中に信号機が少なく、有っても感知式で済むような交差点なので皆ガンガン流れている。
道幅は大型車だといっぱいいっぱい。
自転車を抜かすにも対向車が多いからドライバーはイラつきそう。この道を自転車で走るのは結構厳しいな~。しかも足の重いMTBだと余計に怖い。
ここは横断しただけで、このあとで県道30号を走ることになるのだが・・・。またその時に県道30号の様子を・・・。
で、県道30号を背に、山に向かってちょっと坂を登っていくと、道の真ん中に大きな石が・・・。
これが『六地蔵』。
『六地蔵』
猿目集落の西の道の真ん中に有る大きな石。
その表面に六体の地蔵が刻まれ、信仰されている。
室町末期の作とされる。
この巨石は室町時代にこの土地を襲った土石流とともに流れてきたそうで、村の人達がお地蔵様を彫ってお祀りしだしたのだとかといわれている。
また、昔この辺りには安位寺(あにてら)という大寺院があり、この安位寺と関係のある石仏だともいわれている。
↑写真では分かりにくいが、肉眼ならもう少しよく見える。
ま~でも、こんな所に有るなんて・・・面白いね。周りをアスファルト舗装をする時も気を使っていたかも。
↓その「六地蔵」から見た、西の金剛山地の山々。いい眺め。
これまで、駅から金剛山地に向かって西に走っていたが、ここからは基本的に東の麓を沿うように走る南下ルートになる。
田畑の間の小道をのんびりと~。
右手(西)に金剛山地の山並み。
左手(東)に御所市の街並み。その遠くに大和三山。
それらを眺めながらのんびりと~。
いいね~。まさにポタリングに最適。
↓刈り取った稲穂を干していたり。
ここ葛城は稲の水耕栽培の発祥の地とも言われているらしい。
↓道標に従って進むと十字路。黄色い矢印のように進む。
今、下の地図の上のほう、「駒形大重神社」に向かうために右折した。
ちなみに、神社から戻ったら、また上の写真の十字路に戻り、上の写真の右上の狭い未舗装の路地に入るんだけど・・・。
そういうわけで、「駒形大重神社」に向かう。
少し登り坂。
↓登っている途中で背後を振り返ると、御所の街がよく見える。
↓ほどなくして『駒形大重神社』に到着。時刻は8:45頃。
『駒形大重神社』
楢京地区石川に有り、祭神は滋野貞主命外一座不詳とされている。
本殿は5尺4寸に6尺1寸。
「延喜式神名帳」にある葛木大重神社を駒形神社に合併して現在のように祀られているそうである。
駒形の名の謂れであるが、地元の古老の話によると、その昔、農耕に使役された馬を祀ったので、その名が今に残っているのではないかとのことである。駒形の名のためか、馬に関わる人々が今もこの神社に参拝されるという。
↓最初の鳥居をくぐると、また鳥居と階段。
石段を登って境内へ。
↓「拝殿」。瓦屋根になっている。
↑この拝殿の奥に「本殿」。・・・・写しにくいので写真は遠慮。
↓拝殿の左手に「無事蛙」。まさにそう願う!
↓蛙の背中に子蛙が乗っている(*^_^*)
↓拝殿と無事蛙との間にダートが・・・。MTBだとついついそちらへ進んじゃう。
↑Uターンして下る。先ほど境内に登った石段の代わりに今度は神社の脇のダートで下るってわけだな。
ほんとに僅かではあるが、下って楽しむ。
来月後半ぐらいからそろそろ山サイのシーズンだな・・・と思いつつ。
舗装路に戻り、先ほどの十字路へ向かって下っていく。
↓木々の間を抜けて・・・いい感じ。
葛城の道の本線に戻って、次は「九品寺」を目指す。
↓途中で田畑の畦道になる。
↓周りに黄金の稲穂の田んぼ。
↓そして畑・・・。
↑そして金剛山地の山波。
こういう畦道を走るのっていいですな~。
「葛城の道」は田畑の畦道が所々有るので、ミス・コースしたと早合点しないほうがいい。ただ、本当にミス・コースした畦道を走ると、農家の方に怒られるかもよ(怒られないかも)。ちなみに農作業中の農家の方とすれ違っても、葛城の道のコース上なので何も言われず・・・でした。
↓途中に何か目に留まる物が・・・。
『番水の時計』と書いてある。
『番水の時計』
御所の楢原集落(九品寺のあるところ)にある、水利のための時計。
塔の中には実際に時計があって(夏季だけ)、この地区の田の水はこの時計の指す時刻を基準にして分配される。
今でも約40件の農家がこの時計の時間に合わせ取水をされているそうである。
↑時計ってどこに・・・。あとでブログの記事を書くために調べるまで知らなかったので、ここでは中を覗いていない。
↓「番水の時計」から見た、東の御所市の街。
畦道を先に進む。
いいね~。
↓左手にひたすら黄金色の絨毯。
途中で何気に石仏が有ったりしてね~。
小さな石仏もかわいいですな。
・・・ま、このあとた~~くさんの石仏を見ることになるんだけどね~。
↓で、舗装路に変わった所で『九品寺』に到着。時刻は9:10頃。
『九品寺(くほんじ)』
山号は「戒那山」。
聖武天皇の時代(742~749年)に行基が開き、のちに空海が再興し戒那千坊の一院になった古刹。
永禄年間に(1558~1570年)に弘誓が浄土宗に改めたそうである。
↓石段を登っていく(振り返ったところ)。
境内に到着。
↓「本堂」。
本堂には藤原時代の本尊阿弥陀如来坐像(重要文化財)が安置されている(非公開)。
↓境内には「楼鐘」。
↓「地蔵堂」。
↓本堂右手から本堂の裏へ小道が続いている。MTBを停めて奥へ。
脇には石仏。
↓先に進む。
↑途中の垣根に歌が掲げられている。
↓やがて石段を登ると・・・。
↓石垣に小さい石仏がずっと並んでいる。
一体一体様々な石仏。
↓ジグザグに登っていく。
その間ずっと石仏が並ぶ。
色々有るね~。
脇差のいる石仏も有る。↓
少しずつ上がっていくと・・・。
何か見えてきましたな。
↓これが「千体地蔵」。
地蔵の左右にずらりと石仏。
「千体地蔵」について・・・。
この地方の城主楢原氏が北朝軍と戦った時、城兵が身代わりに奉納して敵を悩ませたと伝わっている。200年ほど前に土中から掘り起こしてまつったものである。目鼻立ちがはっきりしない石仏が多く、物悲しさが漂っている。
↑中央の地蔵の坐像。
↓その左右に、彫られた石仏。
凄い数です。
確かに、ちょっと暗い場所なので物悲しい感じが有るな。
一体ずつきちんと赤い前掛けが付いている。
↓ペアです。
↓一番上に地蔵の立像。
↓千体地蔵のそばに句碑。
『夕立に総立ちとなる地蔵かな』と彫られている。
↓もう少し奥にも地蔵。なぜか黒色の前掛け・・・何か意味が・・・。
↑ひょっとして・・・いわゆる・・・。
色々想像すると・・・あまりずっといるのも嫌なのでそそくさと退散(^^ゞ
↓境内に戻って石段を下りると、山門に戻る途中で「十徳園」という庭園がある。
↓西国三十三ヶ所のミニ霊場になっていて、近畿のパノラマ地図風に配置されている。
↓第十八番札所、京都の六角堂の如意輪観音。
↓参拝路を挟んで対面へ。
↓「一願不動」。
「サイクリングが無事に終わりますように・・・。」って願う(この日の願い事は全部それ)。
↓池も有る。
静かな池の周りを一周。
緑色の池面が綺麗。
池面に木々が写っていて、いい感じ。
のんびりと一周。
たくさんの鯉が泳いでいる。
なかなか良かったな~、九品寺。
九品寺を出、また南下。次の目的地は「一言主神社」。
舗装路の小道を進む。
途中で迷いやすい分岐も有るが、とにかく道標を探せば何とかなるだろう。
まだまだ見える、御所の街と大和三山。
やがて畦道に変わる。
この九品寺~一言主神社の間が、葛城の道/畦道コースのメインディッシュなのだ~~。
御所の街を横目に畦道を進む。
ロードでも行けないことはないが、MTBが無難だと思う。余計な神経を使わなくて済むし。
里山を走っている気分がするな~。
↓こういう狭い所も抜ける。
↓ちなみに横に高圧電流の流れているロープが張ってあるので注意。どのくらいショックを受けるのか・・・経験したことがないので知らんが・・・。
↓途中に『高岡宮跡』という場所が有る。
『高岡宮跡』について。
B.C.581~B.C.549に在位した第2代綏靖(すいぜい)天皇の宮址だと伝わっている。
葛城氏の本拠地もこの付近に有ったといわれ、一族の出である仁徳天皇の皇后磐之媛の故郷だと伝わっている。
↓こういう所も下る。なんか、こういうの久しぶり~♪。
山サイをしたくなってきた。
ウハウハな感じ。
お気楽な畦道走行ですな~。ノンビリしていて良い!
棚田を見ながら。
↓子供の頃はこういう所も多かったんだけどね~。
楽しかった畦道も終わり、やがて舗装路に変わったところで『一言主神社』に到着。
時刻は10:10頃。
『葛城一言主神社』
祭神は、一言主大神,幼武尊。
雄略天皇が葛城山で狩りをした時(雄略天皇4年の春)に現れ、天皇と一緒に鹿狩りを楽しんだと伝わる一言主大神を祀る古社。
近世では「いちごんさん」と呼ばれ、一言の願いであれば何事も聴いてくれる神様として崇め親しまれ広く信仰されている。
全国各地の一言主大神を祭神とする神社の総本社である。
↓石段を登って境内に上がると「拝殿」。
境内には参拝者が何人か・・・。
↓拝殿の左手にひときわ大きな木。
「乳イチョウ」
樹齢約1200年の老大木。
幹の途中から乳房のような物がたくさん出ており、「乳イチョウ」「宿り木」と呼ばれている。この木に祈願すると子供を授かりお乳がよく出ると伝えられており、古くから親しまれてきた。
白い蛇が住みついているいるといわれ、人々の信仰を集めている。
↑・・・なるほど。
↓その近くに句碑。
句歌
『葛木の其津彦真弓
荒木にも
憑めや
君がわが名造りけむ』
万葉集 巻第十一一言主のいる葛城山の東麓は、葛城氏の本拠地であった。襲津彦は4世紀末前後に活躍した武将で、葛城氏の祖と仰がれている。「葛城の襲津彦の強弓の荒木にも頼むではないが、信頼してあなたは私の名を人に明かしたのでしょうか・・・・」という。
善悪を一言で言い放つという一言主の信仰と襲津彦の頼もしい伝承とが生きている葛城の地の乙女の歌である。
・・・とのこと。・・・分かるような、分からんような・・・。やっぱりよく分かりません。
↓拝殿の右手には「至福の像」
老夫婦の像だが、後ろに何か書いてあるな。
「ボケ除け数えうた」
一つ、一言の恵みに救われて
二つ、夫婦相和し、朋友相信し
三つ、見るは法楽聞くも法楽
四つ、正直親切に
五つ、つとめてカボチャを食べて
六つ、無理せずほがらかに
七つ、何事無いように
八つ、屋敷で先祖をまつり
九つ、ここでも手を合わせ
十で、一生ボケ知らず
「頭を撫でてみませんか」って書いてある。
↑撫でるって・・・撫でるって、そんな笑っちゃうよね~。
↓境内を石段で降り、神社に向かって左手に「亀石」。
↑なるほどね~。亀に見える。
↓「一言主神社」をあとにし、ちょっとだけ東へ。
↓県道30号の下をくぐる(黄色い矢印)。相変わらず県道30号は自動車が激している。
↓県道30号に上がるバイパス(下の写真の右上)が有るが県道は走りません。
↑そのまま東へ進む。
↓一言主神社の鳥居の横を抜ける。
↑T字路にぶつかって、右折。民家の間の道へ。ここからまた南下。
↓こういうこと・・・。
↑次は「長柄神社」と「中村邸」を目指して真っすぐ進む。
↓「長柄神社」が左手に・・・左折(黄色い矢印)。
↓『長柄神社』に到着。
↓「拝殿」。
『長柄神社』について
長柄の地名は長江(ながえ)が長柄(ながえ)になり音読して長柄(ながら)になった。長江は緩やかく長い葛城山の尾根(丘陵)を意味し、ナガラは急斜面の扇状地に残った古語とも言われている。
この神社の祭神は下照姫命であり、俗称「姫の宮」といわれている。
↓「本殿」は横から少し見える。
「本殿」は昭和33年3月20日、奈良県の重要文化財に指定された。一間社春日造り、桧皮葺、丹塗の建物である。細部に禅宗様(唐様と称した手法)が見られる。
ここに棟札が保存されていて、最古のものは1312年(正和元年)鎌倉時代、花園天皇の代に当たり、以下17枚に及んでいる。
建築様式上から正和まで古く見ることは困難であるが、室町中期の頃と推定される。
↓再び南下すると、古民家風の通りになる。
その中でも一番立派に見えるのが、ここ『中村邸』。
『中村邸』
江戸時代の慶長年間(1596~1615年)に建てられた豪壮な家。
重要文化財に指定されている。
古い家が残る名柄の町でもひときわ目をひく。
さらに先へ。
古民家風の町並みが終わって、葛上中の前を通り、道標に従って進む。
右折して暫くすると上り坂。
少し目線の高い所に出た。
↓御所の町をちょっと上から見下ろす感じ。
口直しに舗装路の快走路ですな。
緩い坂を登っていく。
結構、眺めがいいな~、ここ。
↓あの近くも、あとで行くと思う。
↓御所の町を上から目線。
やがて柿畑の中の道へ入る。
富有柿の畑が左右に広がっている。
あまりカメラを接写していると、柿泥棒に間違われるので要注意かも。
↓登っていくと(下の写真の左上)、
↓県道30号に再び合流(下の写真の右上)。
このあとすぐ近くの「極楽寺」に向かうのだが、この付近は県道30号の中でも特にヤバい。
前に書いた通り県道30号の交通量とスピード、大型車の車線幅いっぱいの状況は同じだが、加えて、極楽寺へは登り坂で、トロトロ走っているとクラクションを鳴らされることはまず間違いないだろう。何せ、対向車が多くて抜かせないのだ。そのくせ、後ろからどんどん車がハイスピードの数珠繋ぎ。横断するのもやっとな道。
しかも上り坂。坂の上のほうから先は見通しが無いので、自動車のドライバーは抜かすのは怖いだろう。
しかも、しかもカーブも連続・・・。
しかもしかもしかも、横断歩道や信号が極めて少ないから、勢いに乗ってハイ・スピード。
こちらはMTBで、登りは遅い。しかもフラットバーだと、ロードバイクに比べて何となく幅を取っているように見えるので、余計に邪魔に見えるだろう。
それに、ちょっと立って観察しているだけで・・・、携帯電話で思いっきり談笑しながら大型トラックを運転している姉ちゃん、歩道の中に立っている僕を車道に立っていると勘違いしてクラクションを鳴らしかけるような、既に動体視力と反射神経が鈍っているうえに、車道は自動車専用道路と大勘違いをしている、道交法を知らない、「Share the Road」という考えなんて知る由もない60歳前後のおっさんドライバー(経験上、この年代の男が一番、クラクションを鳴らす。何か人影が見えると「パブロフの犬」的に先ずクラクションっていう世代だ。)・・・等々、およそ自動車を運転してはいけない類のドライバーが散見される。
それに、このところ関西・・・大阪界隈ではとんでもない交通事故(犯罪)が続いている。豊中の無免許女子中学生による自転車の引きずり、ひき逃げ事件。そして、あの、大阪キタの、ひいた上に3kmも引きずって逃げた痛ましい事件等々・・・。こういうのって何か連鎖が有るので、ここは奈良県だが大阪に近いので、大阪ナンバーが多く(先ほどのクラクションじじいも大阪ナンバーだったし)、嫌な予感。
・・・で、この県道30号の車道を走るのはやめた。
自動車に屈するのは極めて不愉快だが、一段高い歩道を走る。ここの歩道が自転車走行可であるかは未確認だが・・・(可でなければ原則、道交法違反なんだけど)。あまりにも危険な臭いがするのでいたしかたない。
何故、この県道30号をこんなにハイスピードでたくさんの自動車が走っているかという、奈良市街地・大和方面と、南大阪方面、奈良吉野方面、和歌山県紀ノ川沿い方面、熊野方面を行き交う車がこの狭い御所市に集中しちゃっているからだろう。もっと視野を広げれば、御所市~五条市付近が近畿地方中南部の交通の中心点になっている。ここから四方へ繋がっている感じだ。南阪奈道路、竹内街道、大阪から水越峠を経た国道309号・・・。そのほかにも色々な主要国道に繋がっている。並行して国道24号が走っているが、それの裏道になっているわけ。
・・・むむむ、ここはMTBは走れないや。ロードバイクでも嫌だな・・・。
せめて路側を広げておいてくれればいいのだが、上の写真を見ると分かるように、ガードレールにぶつかるよ。
も~っと交通量が多い道は勿論色々走ってきたけど、それは道幅や路側が広かったりしたから。県道30号のこの道幅でこの交通量とスピードの組み合わせは駄目だ~。
↓歩道を走るといっても、100m程度だけなんだけどね~~。
↓「極楽寺」へは県道30号に入り、ちょっと登って脇に入るだけ。
↓経験上、一枚の写真に自動車が3台写りこむのって、実際の現場では多いほうなんだよ。
↑で、黄色い矢印のように脇道に入って「極楽寺」へ。
↓坂を登ると・・・。
↓『極楽寺』に到着。時刻は11:15頃。
『極楽寺』
山号は「佛頭山」。
951年(天暦5年)に一和僧都が仏頭を掘り当て、そこに草庵を結んでまつったのが創建と伝わる古刹。
↑石段を登って、楼鐘の門をくぐる。↓
↓「本堂」。
境内は綺麗に掃除されている(丁度掃除していた)。
境内の外で、補給食を食べて昼食(またパワー・バー・バナナ味)。
↓それから「橋本院」へ向かおうとしたのだが、山道に入るためのダートを探そうとして迷走。
↑「極楽寺」の裏から入るのかと思っていたら、基本的にそうではなくて(行けるのかもしれないが)、一旦、県道30号に出て、また脇道にすぐ入る・・・ということだった。↓
実際には、迷走して疲れたからドリンクの自販機を探して県道30号に出た途端に、橋本院への道を見つけた・・・という次第。無駄に横断して、横断し直す・・・ってことになる。
↓で、県道30号を背に西の山の中へ。
コンクリート舗装の小道を登っていく。
山道に突入。
シングルトラックの下りか?!(^O^)/
↓いや・・・、すぐ終わって、砂防ダムの上を渡ると・・・。
(↓ここから落ちると怪我します。)
↓丸太階段の登り。
担いだり、押したりして登る。
山サイを思い出してきた。
登り終わると・・・今度こそシングルトラックか!?
すぐに終わっちゃいました。・・・ま、いいか。
↓林の中から出た先が橋本院の敷地内。
ま、こういう道もいいな~、と、「それ!」と飛び出していくと、激しい空気音・・・。
・・・・な~に~・・・、やっちまったな!!(クールポコ風)
後輪パンク○|_| ̄ =3 ズコー
笑っちゃうくらいの「ぷしゅ~~」という気の抜けるような音に、僕の気持もふにゃ~~~・・・、て感じ。
タイヤに何か刺さったみたいだ。タイヤとチューブを外して確認。穴の開いた箇所は簡単に判明。タイヤにはその原因の物は残っていない。チューブを交換。
しっかし、携帯ポンプで空気を入れるのって疲れるな~。精神的に疲れるんだよ~。なかなか入らないから。
チューブ交換終了。
↓先のほうに見える「橋本院」へ長閑な道をのんびりと・・・。
コースを外れないようにしましょう。
脇の草にはアゲハの幼虫がいるからね。踏んだらかわいそう。
いい感じの風景だね。
『橋本院』に到着。時刻は12:45頃。
↓「本堂」。
『橋本院』
正式には「宝宥山高天寺橋本院」。
高野山真言宗。
もとは、養老年間(717~724年)元正天皇の勅命により、行基が開いた高天(たかま)寺の一子院。
のちに河内の楠正成を背後から支援したため、畠山基国の大軍に攻められて全堂宇が焼失。1333年(元弘3年)正月、高天千坊の僧兵も皆殺しにされたという。それから荒れるままだったが、1677年(延宝5年)に橋本院だけが再興された。
↓本堂の中に十一面観音像(暗くて写りが悪いな)。
本尊十一面観音菩薩の立像は木彫りで547cmの巨像。
江戸時代に大修復された金箔の威容を誇る長谷式観音。
脇壇には象にまたがった普賢菩薩と牛王にまたがった大威徳明王。
↓「大師像」と「護摩堂」。
↓不動明王像が安置されている。
↓「本堂」「宝物館」と「護摩堂」の間の道へ入る。
↓道の曲がり角に歌碑。
万葉歌碑だ。
「葛城の高間の草野早知りて 標刺さましを今そ悔しき
(かづらきの たかまのかやの はやしりて しめささましを いまぞくやしき)」
万葉集 巻七-1337
(高天の里にこんな美しい娘さんがいたことをもっと早く知っておれば、命の限り抱きしめておくのであったなあ。残念、残念。今になってみるとすでに人妻になってしまっていたよ。)
↓その横に史跡『高天原』。
「高天原(たかあまはら、たかのあまはら、たかまのはら、たかまがはら)」は『古事記』の日本神話と祝詞に於ける天津神の住まう場所である。
地上の人間が住む世界である葦原中国や、地中にあるとされる根の国・黄泉に対し、天上界にあったとされるが、古くから神話を現実的に解釈しようという要求から、大和、九州、北陸、富士山等実在の場所であったとの説もとなえられた。
ここ葛城にも有るというわけ。
「高天原」の名前はあとでまた出てくるので憶えておいてくださいな。
駐車場の先が広っぱのようになっている。
ぼ~~っとするのにいいかも(すぐ背後に公衆トイレが有るのが無粋だが)。
↓「橋本院」の裏が見える。
↓金剛山地の山がだいぶ近くに見える。
↓「高天原」を出て南へ。
次は「高天彦神社」を目指す。
田畑の脇の長閑な道を進んでいく。
民家の裏路地を抜けていくと・・・。
↓『高天彦神社』に到着。時刻は13:10頃。
『高天彦神社』
御祭神は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)。
天照大神の子の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)に、この社の御祭神の娘、栲幡千々姫(たくはたちじひめ)が嫁ぎ、子の瓊々杵尊(ににぎのみこと)が高天原から降臨した。その神話に言う高天原がこの大地。
清和天皇の859年(貞観元年)に神位従二位に叙せられ、延喜の制では最高の名神大社となった。
↓「拝殿」。
正直言って、この神社は他の神社と違い、何かこう、神秘気的な・・・ちょっと怖いくらい感じの空気が漂う神社に感じる。ここだけ本当に神霊が居そうな・・・違う空気感が有る。
しかもデジカメの画像が変になっているのが有ったし・・・。
この神社の左手から金剛山への登山道が伸びている。
金剛山は、古くは「高天原山」と呼ばれていたそうだ。
↓神社の前の巨木の並木の間を抜ける。
↓抜けて背後を撮影。
↓正面に梅の木が有る。

↓その向かいにコスモス畑。
綺麗ですな。
↓梅の木の下に「執念の道」の石柱。
『執念の道』と『鶯宿梅』
昔、若死にした小僧の悲運をその師が嘆いていると、梅の木に鶯が来て。
「初春のあした毎には来れども、あわでぞかえるもとのすみか」
と鳴いたという。
↑畑の畦道に入る。↓
振り返ると背後に「高天彦神社」の御神体山「白雲峰」(標高644m)が聳えている(下の写真)。
社殿が出来る以前は、この御神体山の聖林に御祭神を鎮め祀っていた。
↓その南の金剛山方面。
↓畦道から林の中へ。
↓一瞬ダートだが。
↓コンクリート石畳の舗装路に変わる。
↓次は階段。
見通しが悪いカーブの長い階段で先に何が有るかわからないので降りて押し歩く。
↓やがて激坂下りを経て・・・。
↑↓林から出る。アスファルト舗装路に出る。
↓下の写真の右上は、林から出た左手の舗装路。
↑右の下りに入って、ギュ~~~ンと下る。
↓下り終えると、県道30号の支線。支線なので、交通量激減。ここは問題無し。
↓下の写真の左の道へUターンして入る。
ここから葛城古道の終盤だ~。
この県道30号の支線はいいな~。
快走路だな~。
所々にコスモスが咲いていたりしてね。
↓下って行くと・・・。
↓「高鴨神社」の横の『葛城の道歴史文化館』に到着。時刻は13:45頃。
『葛城の道歴史文化館』
葛城の道の見どころの写真パネルや近くの遺跡からの出土品を展示してある。
入館無料。9:00~16:00。
ちょっと一休みにいいんじゃない。無料だし。
古い農耕具が展示されている。
↓「葛木窯」。
↓古墳からの出土品も展示されている。
小奇麗で品が有るな。
↓そのすぐ隣が『高鴨神社』。
『高鴨神社』
御祭神は味耜高彦根命,下照姫命,天稚彦命。
葛城氏よりも以前に勢力を誇った、古代豪族の鴨一族が発祥の地に奉斎した神社。
鴨一族は全国各地に開拓移住して、郡名、郷名に加茂の名を伝え、多数の加茂社を祀ったが、ここはそれらの総社に当たる。
鴨氏は神武天皇を熊野から大和へと案内した八咫烏(やたがらす)を祖先とし、主長の娘を神武・綏靖・安寧3帝に皇后をおくり、葛城王朝の基礎を築いた。しかし祟神天皇に始まる大和朝廷に追われ。僅か9代で滅亡している。
神社の前にMTBを停めて参詣路を歩く。
石段を登って境内へ。
↓「拝殿」。
「拝殿」は瓦葺ですな。
↓その奥に「本殿」。例によってよく見えない。
「本殿」は室町時代1543年に再建とのこと。
↓拝殿前の境内から下を覗く。参詣路。
↓「放生池」。
↓「句碑」・・・なんて書いてあるのだろう?
↓「拝殿」の右手に幾つか摂社が有る。
天照大神,天児屋根命,住吉大神が祀られている。
この神社は静かだが明るい感じだったな。
↓「高鴨神社」を出て、次は「風の森神社」を目指す。
↓この先の左の林の途切れた所くらいで左折。
↓こんな感じ。
しかしながら途中で道に迷って右往左往。
風の森神社・・・どこ~~??
それらしきものは見当たらず・・・。
いい風景ですけどね~。
迷走・・・。しかし畦道走行でちょっと楽しい。
↓「風の森」の石柱を発見。
ちなみにこの付近一帯を「風の森」というそうだ。
ここが葛城古道の南端にあたる。
石柱の示す方向に進んで、ようやく発見。
↓民家の庭に入るような石段を登る。
↓墓地の間の石段を登ると『風の森神社』に到着(発見)。時刻は14:45頃。
『風の森神社』
旧高野街道の風の森峠の頂上に位置している。
御祭神は那都比古神。風の神であり、古事記や日本書紀には風の神に因んだ事柄が記載されている。
ここは金剛山麓を南西から吹き抜ける強風の通り道に当たるので、その平穏を祈るためにまつられたといわれている。
また、葛城地方は日本の水稲栽培の発祥の地ともいわれており、風の神は五穀の実りを風水害から守る農業神としてまつられたともいわれている。
日本では古くから風の神に対する信仰があり、毎年旧暦六月には各地で薙鎌を立てて、豊作を祈る風祭が行われている。
これで葛城古道は終了だが、最後のデザートとして「船宿寺」にも行ってみる。
↓「風の森神社」から出、すぐ東の国道24号(左右に走っているのが国道24号)へ。
国道を横断して、並行して走る裏道へ入る。そのまま北上。
↓こういうことね。

↓自転車に向いている裏道ですな。
ノンビリ~~。
↓やがて「船宿寺」への参道に到着。Uターンして登る。
↓『船宿寺』に到着。時刻は15:10頃。
『船宿寺(せんしゅくじ)』
旧高野街道に有り、奈良時代の神亀年間に行基が開いたと伝わる。山中の船形岩の上に薬師瑠璃光如来を祀る庵を建て、船宿寺と名付けたのが始まり。
山号は医王山。高野山真言宗。
関西花の寺第二十二番札所。四季折々の花が咲くが、最も美しく人気が高いのが、4月下旬~5月中旬のツツジと5月下旬~6月中旬のサツキ。
池泉回遊庭園も有る(写真を取り損ねた・・・orz)。
↑石段を登っていくと境内へ。↓
↓「本堂」。
本尊は薬師如来ですな。非公開かな?
その代わりに境内に並ぶ石仏の中に・・・。
↓真ん中に薬師如来。
本堂右手に伸びる小道をちょっとポタリング。
↓小道の脇に小さな石仏。
↑↓かわいらしいですな。
これで終わり。
「船宿寺」をあとにして近鉄御所駅まで帰るのみ。時刻は15:20頃。
国道24号を北上すれば一気だが、交通量が多いので、国道は避ける。
一先ず、国道と平行している裏道を北上。
ポタリング・スピードから30km/hrへアップ。
↓左手に葛城川。民家が多くなってくると・・・。
↓「小殿」で国道24号と合流。横断し、往きの葛城古道の途中に戻る。
↓小殿から西へ進む。
やがて「中村邸」と「極楽寺」の間の葛城の道に合流。
そのまま往きのコースを逆にトレース。スピードは行きよりも全然速い。
↓「九品寺」付近に戻った所で撮影。
ありがとう、御所市。もうすぐお別れだな。
もうすぐ・・・の所で、道を間違えて迷走気味(^^ゞ↓
ここどこ?
まぁ、でも適当に進み、途中で人に道を尋ね、無事に近鉄御所駅に帰還。
時刻は16:10頃。
MTBを輪行袋にパッキング。
16:38の近鉄御所線・尺土行きに乗りこむ。
↓尺土駅で準急・あべの橋行きに乗り換え、あべの橋に17:37に到着。
天王寺駅から地下鉄を乗り継ぎ、最寄りの駅に18:40頃に到着。
MTBを組み立てて、家までの僅かの距離を走って帰宅。19:00頃に無事帰還。
こうして、この日は歴史に触れて勉強にもなったし、里山の風景を見つつ楽しいノンビリとしたサイクリングが出来た。
それに、途中には畦道が有ったり、山道が有ったりと、危険を感じない程度でMTB走行を楽しめた。そろそろ山サイをしたくなってきたし・・・。
一方、県道30号の交通状況には閉口した。今後、ロードバイクでこの付近を通過することが有っても、県道30号は避けたいところだ。
パンクはしたが、特にたいしたトラブルは無く、良かった。
ただ、MTBの担ぎの時に(担ぐ瞬間や降ろす時に)、ペダルを脛や膝にぶつけたりと、痛い思いをしたりして・・・。久しぶりにMTBを担ぐと、よく乗っていた頃には無意識のうちにやっていたちょっとした回避動作が、久しぶりで忘れていた感じ。
それから、ハンドルの長さはいい感じになった。もう1~2cmカットしても・・・微妙だな。ブレーキレバーの角度はちょっとだけ違和感有る。もうほんの少し起こしてもいいかも。
新しいサドルは良好。尻痛は皆無。
ヘルメットの被り心地も良し。
そういうわけで、葛城古道ポタリング・・・・穏やかな気持で楽しめるコースだった。
コース概略/自宅→○○線・△△駅~(輪行)~□□線・××駅・谷町線~(輪行)~天王寺駅・近鉄南大阪線・あべの橋駅~(輪行)~尺土駅~(輪行)~近鉄御所駅→県道118→県道30→葛城の道(崇道天皇宮→鴨山口神社→六地蔵→駒形大重神社→畦道→九品寺→畦道→一言主神社→長柄神社→中村邸)→県道30→極楽寺→県道30→葛城の道(山道→橋本院→史跡高天原→高天彦神社→葛城の道歴史文化館→高鴨神社→風の森→風の森神社)→船宿寺→東持田→小殿北→佐田→葛城の道(中村邸→長柄神社→一言主神社→畦道→九品寺→畦道→楢原→国道24→近鉄南大阪線・御所駅~(輪行)~尺土駅~(輪行)~あべの橋駅・谷町線・天王寺駅~(輪行)~◇◇駅・▽▽線~(輪行)~◎◎駅→自宅
(地図→クリックしてください (拡大可。茶色と青色のラインが走った所。茶色のラインは葛城古道。青色のラインは帰路。迷走部分は記載していない。波線は田畑の畦道や山道等の自動車走行不可の道。))
走行距離/33.10km(担ぎは含まず、迷走・押し歩きはカウント。以下同様。)
走行時間/3hr22min
平均速度/9.82km/hr(←まさにポタリング速度!)
最高速度/37.63km/hr
VooDoo MTB(Hard Tail)積算距離/822km
全Bike積算距離/14284km
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この記事へのトラックバック一覧です: 葛城古道ポタリング 2008.10.25:















パンクはトラブルのうちに入らないんですか~
カッコいいヘルメットですね、憧れます
確かに山に登る格好でなくて「走る」格好の方々ですね、これは~(;´▽`lllA`` 思わず手を合わせたくなるようなお地蔵さん、千体。。。夜はちょっと怖いかも~Σ(゚д゚;) お地蔵さんってなんで前掛けしてるんですかね(^^?)(アホな質問ですみませんm(._.)m) 黄金の田んぼ、コスモス、柿。。。秋満喫の一日でしたね
一願不動。。。何を願うかな~今。。。 柿食べながらこれ書いてますが。。。
ひき逃げ事件。。。何か捕まったらものすごく困る事情があるのか、と推測してます、飲酒、盗難車、他の事件に関係してる、等々。。。 人として最低ですね。こんな人が車運転してるなんて!
« 投稿: あさたろ 2008年10月29日 (水) 22時49分
緑いっぱいのところを自転車で走ったら気持ちいいでしょうね。マイナスイオンがいっぱいだったのでは?
コスモスきれいですね。花の中では一番好きです。
前に電車に乗ってるときに自転車を担いでる人がいて、Katzeさんもこんな風にしていろんなところに行っているんだろうなって想像したりしました。
« 投稿: みんく 2008年10月30日 (木) 00時09分
随所に古都の良さが見られて興味深かったです!
石仏やお地蔵様もいっぱい!
東京に「九品仏」って地名があって、読めずにネット検索をしたことがあるのですが、九品寺と何か関係があるんですかね??
それにしても・・・他の地名も難しい~~。一度見ただけでは覚えられません(;´▽`A``
« 投稿: nanao 2008年10月30日 (木) 01時13分
あさたろうさん>
柿!食べたいです~~。
地蔵の前掛けの意味はネットで検索すると色々有るみたいです。涎かけと言ったほうがいいかも。「赤ん坊」「水子供養」「子どもを守る」・・・等々の言葉に繋がるようです。
ここ最近は、人間の普通の良識を持っていない人が多くて、それが車に乗った時に出ている・・・ってのが現状でしょう。クラクションを鳴らしまくるドライバーは、今度は自分が自転車に乗ると、歩道で歩行者にベルを鳴らしまくりながら走りますから。すいません。愚痴って・・(^_^;)
« 投稿: Katze 2008年10月30日 (木) 20時53分
みんくさん>
空気が違いましたよ。やっぱり田畑に入ると。
コスモスいいですね~。もうそろそろ今度は紅葉かな。
Katzeさんもこんな風にしていろんなところに行っているんだろうなって想像したりしました。>まさにそんな風にしていろんな所を走っています(^_^;)キャハハ!
« 投稿: Katze 2008年10月30日 (木) 20時56分
nanaoさん>
九品寺と何か関係があるんですかね??>「くほん」自体に仏教的な意味が有るようで、ネットで調べると、
『浄土へ往生する者が、生前の性質やおこないによって受ける九つの段階。上品(じようぼん)・中品(ちゆうぼん)・下品(げぼん)の三品をさらに上中下で三分し上上品(上品上生)から下下品(下品下生)にいたる九つに分ける。三三之品。ここのしな。』
だそうです。
実はですね~~、今、「これ、読めますか?」っていう記事を書こうかと画策しているところだったんです。関東の人に関西のこの地名が読めるかな~~??みたいな~~。
« 投稿: Katze 2008年10月30日 (木) 21時01分
今回は仏像石像てんこ盛りですね~
無事蛙 が一番好みですが♪
実は1つ1つ歴史がいっぱい刻まれている場所なんでしょうね。
コスモス、綺麗ですね。
もう本当に秋らしい風情ですね。
« 投稿: しましま 2008年10月31日 (金) 22時58分
しましまさん>
無事蛙の背中の子蛙が可愛いです。
見つけた時、ムフフでした。
ここは古代~戦国時代まで歴史的に重要な場所だったようです。
« 投稿: Katze 2008年11月 1日 (土) 00時18分
はじめまして!!
御所の葛城の道、殆ど知ってる
場所なので楽しく拝見させて頂きました。
« 投稿: horus 2008年11月 2日 (日) 00時38分
horusさん>
初めまして。コメントありがとうございます。
奈良を中心に色々散策されているのですね。
奈良の里山って、歴史とも絡んで、見所が多いですね。
« 投稿: Katze 2008年11月 2日 (日) 06時28分