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2009年3月26日 (木)

奈良西ノ京ポタリング 2009.03.21

年月日/2009年3月21日

バイク/GLOBE (SPECIALIZED) Small Bike

目的/奈良市街地の西・西ノ京をポタリング。

ポイント/折りたたみ小径車 GLOBE での初輪行と、その問題点抽出。

内容/
三連休の週末ではあるが、天気予報によると一日中晴れの日は中日の土曜日のみ。先週末は乗っていなかったので、その土曜日に某所へ輪行でサイクリングに出かけるつもりでいたが、当日起床予定時刻の4:00に目が覚めていたものの、面倒臭くなって二度寝してしまった。起きたら9:00。もう今更、某所へ輪行で行っても大して走れないし、列車もそこそこ混みそうな予感がしたので、今週末もサイクリングは中止にしようと思って、ダラダラと午前中を過ごし始めていた。花粉症のせいか自転車意欲も薄れていたし・・・。
しかし、外は晴れのいい天気。・・・やっぱりちょっとだけ乗ろうと、11:00近くになってから思い始めた。

20090321ride_1ところで、話はそれるが・・・。
実は、当初予定した某所には折りたたみ小径車のGLOBEで初の輪行をしようと思っていた。ロードバイクやMTBで輪行は何回もやっているが、折りたたみ小径車では初めて。
手軽に輪行をしたいがために折りたたみ自転車を買い、3年くらい前に輪行バッグ「オーストリッチ/ちび輪バッグ PW」も購入していたのだが、この輪行バッグの構造は普通の単純なバッグのそれそのままで、バッグに手提げベルト(肩にも掛けられる)が付いているだけ。で、「ちび輪バッグ PW」を買った時に最初に試して気が付いたのだが、バッグをその手提げベルトで持ち上げると、右の写真の赤い矢印の方向にバッグの側面が引き上げられて、リア・ディレイラーに黄色い矢印の負荷がかかる感じがしていた。当然黄色の矢印の向きに強い力が掛かればディレイラー・ハンガーは内側に曲がってしまう。そういうわけで、別の輪行袋を買い直すとか、それとも肩掛けベルトをバッグではなくて自転車に付けるようにし、バッグはカバーとして役割だけにすることを考えていたのだが、考えているだけでそのままズルズルと何年もそのままにしていた。
しかし最近、もう一度「ちび輪バッグ PW」を試してみたら、確かにリア・ディレイラーには当たっているが、そんなに力が加わっていないように感じた。当時はディレイラーへの負荷にやたら神経質になっていたことも有っただろうし、今はペダルが折り畳めないSPDペダルで、それが一番横にはみ出していることでディレイラーにあまり力が加わらなくなったからかも知れないことも有るだろうし、ギアをインナー側に入れておけばディレイラーがあまり横にはみ出さなくなったからというのも有るだろう。
いずれにしても「『ちび輪バッグ PW』でイケる!」と思い、この日はその最初の輪行に出かけるつもりだったわけ。

話は戻るが、そういう上記の思惑を考慮し、準備しながら思いついた場所は、奈良市街地の西部分、“西ノ京”と呼ばれる地域。西大寺,唐招提寺,薬師寺等が有る観光地だ。
ロードバイクやMTBだったら大阪市内との往復自走の範囲内だし、この小径車でも往復自走は可能な距離&場所だが、時刻からして午後にちょっとポタリングするだけで楽しめそうな範囲の観光地で、何か輪行に問題が生じても自走で大阪市内に戻れる距離であることが選択した理由。
・・・そう、この輪行ポタリングの真の目的は、小径車での輪行を実際にやってみて何か問題が無いかを確認することである。例えば、どのくらいの時間でパッキングと組み立てが出来るか、実際にどのように持つと歩き易いかとか、改札を通過し易いかとか、どのくらいの重さを感じるかとか、列車内での置き場所として車掌室や運転室の後ろを確保出来なかった時に座席の端(出入りドア付近)に置けるかとか、そして何より本当にリア・ディレイラーに負荷がかからず曲がらないかとか・・・を実施確認するつもり。

そんな感じで、11:30を回った頃に自宅を出発。
マスクは普通の不織タイプの花粉用マスク。
最寄りの駅に向かう・・・が、途中で大事なことを忘れていたことに気が付く。うっかりタイヤのエアを入れ直すのを忘れていた。何となくアスファルトへの粘着感を感じて思い出した。初心者的ミス。輪行袋のことで頭がいっぱいで忘れていた。前回の「花博記念公園鶴見緑地ポタリング 2009.03.07」以来2週間経っている。・・・ま~、ロード・バイクと違って元々低圧だから、2週間経っても使用圧の範囲内には一応入っているだろう。携帯ポンプを持っているが、携帯ポンプで入れるのは結構面倒だし、いざとなったら使うとして、そのまま行くことにする。

すぐに最寄りの大阪市営地下鉄の駅に到着し、いよいよ初パッキング(前日に部屋で練習済み)。それが何と早いこと、早いこと。ロードバイクのパッキングでかかる時間の半分も無かったかも。
ホームまで歩いてみる。バッグのベルトを長めにして肩にかけると歩き易い。ちょっと持ち上げて短い距離を動かすのなら、バッグのファスナーを少し開けて、サドルを手提げの取っ手代わりに持ってもいい。改札も、幅広い改札口なら、肩にかけたまま通過出来る。
今のところ問題無し。

12:00過ぎの列車に乗り込む。
↓車掌室の後ろという定番の位置に置いてみる。

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途中で何回か乗り換えて、近鉄奈良線で大和西大寺駅へ。その列車は車掌室の後ろに座席が有るタイプなので、座席の端、出入り口のドア付近に置いたのだが、特に邪魔になっていない感。↓

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ちょっと大きな電化製品を買って家まで運ぶことを考えれば、それと同程度のスペース。ロードバイクやMTBの輪行袋よりも省スペース。折り畳み小径車での輪行の有利な点だ。

大和西大寺駅に13:20頃に到着。
南口で自転車を組み立てる。組み立てのほうも早い、早い。

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13:30頃に駅を出発。
僅か100m程で「西大寺」に到着。短過ぎて途中の道の写真は無し。
↓「東門」。

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東門のちょっと南に有る駐車場に入って、自転車を駐輪。
ちなみに西大寺に来たのはこれで3回目ぐらい。自転車では初めて。
↓境内へ。

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広々とした境内だ。
↓左のお堂が「本堂」。

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「西大寺」は・・・(参考サイト→ここ

真言律宗の総本山。
山号は勝宝山。
764年(天平宝字8年)に称徳天皇が鎮護国家と平和祈願のため、7尺の金剛四天王像を造立を発願し、15年後の780年(宝亀11年)頃には110余りの堂宇が立ち並んでいたと伝わっている。
東の東大寺に対して西の大寺として栄えたが、平安時代の災害が度重なり、衰退してしまった。鎌倉時代の1238年(暦元元年)に叡尊(1201~1290)が真言律宗の根本道場として再興をはかったが、またしても1502年(文亀2年)に全山焼失。今の堂宇は江戸時代の再建である。

境内の真ん中に石垣の基礎だけが残っているが、これは「東塔跡」。↓

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創建初期のものは平安時代に焼失。藤原期に再建されたが、これも1502年(文亀2年)の火災で焼失。
先年の調査によれば、八角七重塔の基壇の規模とのこと。
基壇の上を覗くことは出来ない。

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↓その基壇の前に有るのが「本堂」。

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重要文化財で、江戸時代1752年(宝暦2年)の建立。
しかし近年の調査では、1798年(寛政10年)頃造営に着手、1808年(文化5年)頃完成したもののようである。

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土壁を一切用いず、装飾性の少ない伝統的な様式である。

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外部には数少ない装飾品として、龍の彫刻が見れる。↑↓

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↓象の彫刻。

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「本堂」の中には、1249年(建長元年)に造立された清涼寺式釈迦像の本尊「釈迦如来像」(重要文化財)、「文殊菩薩騎獅象と四従者像」(重要文化財)、「弥勒菩薩像」等々が安置され、拝観できる。
残念ながら写真撮影は禁止であるので写真は無いが、どれも見事です。

↓その東隣に「護摩堂」。

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もともとは本堂の南西に有ったのだが、昭和54年に今の場所に移築された。
1624年(寛永元年)の建立。
中には「不動明王像」が安置されている。
↓「護摩堂」の門の外に句碑。

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↑「大茶盛 一口めして 皆なごむ」 充伯
↓その隣にも歌碑。こちらは何と書いてあるのかな??

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そうそう、西大寺と言えば、春と秋に行われる「大茶盛」が有名。
直径30cm、重さ7kgの大茶碗でたてたお茶を、周りの人に茶碗を支えてもらいながらいただくというもの。「光明殿」で催される。
1239年(延応元年)に叡尊が鎮守八幡に献茶。その余服を参詣者にふるまったのが始まりとされている。
その時期が来ると関西方面のテレビのニュースでよく見る。

↓「愛染堂」。

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塔跡の西側に建つ寝殿造の仏堂。
1762年(宝暦12年)に京都の近衛政所御殿を移築したもの。
本尊の「愛染明王坐像」(重要文化財)は1247年(宝治元年)作の叡尊の念持仏。
1280年(弘安3年)に80歳の叡尊を写した興正菩薩叡尊坐像(重要文化財)が有る。
拝観出来るが勿論写真撮影は不可。
愛染明王坐像は厨子の中に有り、なかなか見事だった。

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↓「愛染堂」の外には鎌倉時代からの菩提樹が生えている。

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↓隣に「大黒堂」。

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西大寺には歌碑が多い。
↓「ふるさとの 霞に 佛 こころかな」

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↓「この里は続きて霜や置く夏の野にわが見し草はもみひたりけり」
↓孝謙天皇の歌らしい。

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↓「鐘楼」。

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幕末または明治時代の初めに摂津の国の「多田院」から移築されたもの。
建立年代は明らかではないが、「多田院」は1661~1673年(寛文年間)に復興されたことが知られており、おそらくその頃に建てられたものと思われる。

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↓奥のほうに進むと・・・。

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↓「大師堂」。真言宗ですからね。

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更に奥へ。

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池が有りますな。

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しだれ桜がいい感じで池の上に降り注いでいる。

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↓天武天皇が大峰山の桜本坊から献木したようで「夢見桜」という名まえ。

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綺麗ですな。

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池の上には祠が有る。

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↓池には鯉が何匹か泳いでいる。

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西大寺には他に「四王堂」「聚宝館」等が有り、色々見事な仏像を観ることが出来る。

さて、「西大寺」でノンビリとした後は、自転車にまたがり、南へ。
次は「菅原天満宮」と「喜光寺」を目指す。
↓住宅地から・・・。

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↓徐々に田畑が混じり始める。

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駅から西大寺までは住宅地と商店が立ち並んでいるが、徐々に田園風景と変わるのが西ノ京の特徴。それでも10年前よりも住宅地の割合が大きくなったような気がする。
「西大寺」から観光用の道標がそこかしこに立てられている。地図が無くても迷わずに或る程度見て回れるだろう。

↓道の脇、住宅の間に池が・・・。

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この池でその昔、菅原道真が産湯をつかったと伝えられている。
今では汚い池になっているが・・・。つかったら病気になりそう・・・(^_^;)

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その近くに「菅原天満宮」。↓

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そう、ここは菅原道真の生誕の地なのである。

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この周辺は「菅原の里」と呼ばれている。
↓「拝殿」

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祭神は、天穂日命(あめのほひのかみ),野見宿禰(のみのすくね),菅原道真。
すなわち菅原天満宮は、菅家一系の三神を祀る神社となっている。
天穂日命は天照大神(あまてらすおおみかみ)の第二子で、その末裔が菅原氏の祖先と伝わっている。
野見宿禰は埴輪をはじめて考案したことにより土師(はじ)氏という姓を賜っている。ちなみに埴輪を初めて使ったのは、垂仁天皇皇后の日葉酢姫の御陵である。その後、土師氏は、天皇・皇后の古墳造りにも関与していたようである。その後火葬が始まると土師という名前を改名され、桓武天皇から「菅原」という姓を賜っている。この時、菅原氏と秋篠氏に別れたと言われている。秋篠氏は秋篠寺周辺に、菅原氏はこの菅原天満宮付近に居住していたようである。

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↓拝殿の前に「牛」君。

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↓これも牛~~。

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↓・・・ん?牛??

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↓牛か??

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その場に居合わせた観光グループが、「牛だけでなく、カバもいるね。」と言っていたが・・・。

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確かに・・・。
牛には見えないな~。
↓でも鼻息荒げて怒っていそう。「カバちゃう!牛や!」って言ってたりして。

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↓「島原小梅」。

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この梅は島原藩主邸に有った古木で、江戸時代の初期の元和元年に移植されたもの。

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もう、梅の花も殆ど散っていますが・・・。

菅原天満宮のすぐ近くに「喜光寺」が有る。
↓「喜光寺」の山門に到着。

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自転車を駐輪して中へ。

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喜光寺は・・・(寺の公式HP→ここ

法相宗別格本山。
山号は「清涼山」。
721年(養老5年)に行基によって創建された寺。行基は東大寺大仏殿を建立する時、喜光寺の本堂を参考にしたと伝承され、現在も本堂は「試みの大仏殿」と呼ばれている。
古くは「菅原寺」とも呼ばれていたが、聖武天皇がここに参詣した折、本尊より不思議な光明が放たれ、そのことを喜んだ天皇が寺名を「喜光寺」に改名した。
中世には興福寺の末寺となり、直接には興福寺の塔頭の一つであった一乗院に属した。
戦国時代に伽藍のほとんどが兵火により焼失したが、間もなく再建された。
明治時代には薬師寺の末寺となり、現在は同寺唯一の別格本山になっている。

↓「本堂」。

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初めに境内に入った門は東門で、そこから入ると本堂の裏が先に見える。
本堂正面に行くためには回り込む形になる。
では、本堂の正面には何が有るかというと、工事中の建物・・・実は、復興中の「南大門」が有るのだ。

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「本堂」(重要文化財)は室町時代1544年(天文13年)に建立。
喜光寺の本堂は、721年に行基により建立された阿弥陀堂であったが、1499年(明応8年)に焼失した。
現在の本堂は室町時代の再建によるものである。昭和の発掘調査により、創建時の基壇のほぼ真上に再建されていることが分かった。
重層の大屋根は薬師寺の塔東や金堂と同様に裳階を付けた美しい復古建築で、上層支輪のあたりに天窓を造り、西方の光が入り、阿弥陀如来の来迎を彷彿とさせ、浄土信仰にふさわしい阿弥陀堂となっている。

↓前述した創建時の寺名「菅原寺」の扁額が残っている。

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↓中央に本尊「阿弥陀如来座像」(重要文化財)。平安時代の作で、木彫寄木造。像高2.33m。創建当初の本尊が何であったかは不明だが、現在は平安時代に像造された丈六の阿弥陀如来が本尊になっている。
↓脇差右が「観音菩薩坐像」南北朝時代の作で、像高1.64m。
↓脇差左が「勢至菩薩坐像」。同じく南北朝時代の作。像高1.61m。

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↓本尊は、木彫の上に下地漆を塗り、その上を金箔仕上げにして造られていたが、今は顔にその一部を残すのみ。

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↓「本堂」の隣に、「釈迦初転法輪像」。インド風ですな。

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↓その前に「仏足石」。

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↑平成8年にご住職がインド仏教巡拝の際、ブッダガヤの聖地に有る仏足石を前正覚山の石に移し、請来したもの。
↓他にも境内に石仏群が有る。これらは江戸時代に作られたもの。

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もう一度本堂裏手に戻ると、桜が開花したばかりの様だ。

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綺麗ですな。

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↓傍に万葉歌碑が有る。

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「大き海の 水底深く 思いつつ 裳引き平しし 菅原の里」
(万葉集 巻二十 四四九一)
平成10年、「奈良市に万葉歌碑を建てる会」の協力により建立されたもの。
市内第14基目。
藤原宿奈麻呂(すくなまろ)の妻、石川女郎(いしかわのいらつめ)が夫から離別されて、悲しみに沈んでいる時に詠った歌。
「大海の水底のように深くあなたのことを思いながら裳裾を引いて、道が平らになる位通い続けた菅原の里」ということ。

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↑松と桜がいい感じ。

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↓「弁天堂」。

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ご神体は宇賀神主。秘仏。

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秘仏は厨子の中。
ただ、毎年花蓮の盛期(7月頃)に公開しているとのこと。

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厨子の前に弁天。

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↓その脇左に愛染明王。右に大日如来。

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さて、「喜光寺」をあとにし、次へ。一旦「菅原天満宮」に戻って、その前をスルー。突き当りを右折して、南の方角へ。
↓この辺り、古い家と新しい家が混在している狭い路地。

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↓どんどん進んで、阪奈道路の下をくぐる。

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↑上の写真はくぐった所。
このあと、国道308号にぶつかり、左折。
そしてすぐに右折して狭い路地を進むと、突き当りにこんもりとした森が・・・。↓

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↑↓これは「垂仁天皇稜」。

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周りに濠がめぐらされている。

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↓自転車の向いている方角とは逆。左折して濠に沿って進む。

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畑の間の畦道に出くわす。

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↓畑の中に「唐招提寺」を案内する石柱が~。

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濠に沿って進む。

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な~んか長閑なダートの小路だ。
MTBではないが、太めのスリックタイヤなので乗って進める。敷石を踏まずに脇の土の上を走る。

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↑↓離れ小島のようだ。しかしここには「田道間守(たじまも)の墓」が有る。

田道間守は、新羅から渡ってきたアメノヒボコの曾孫。
11代垂仁天皇の命により、非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を求めて常世の国(祖先の国である新羅のこととも)に渡った。
10年かかって葉附きの枝と果実附きの枝を日本に持ち帰ってきたが、垂仁天皇はすでに亡くなっていた。
田道間守は半分を垂仁天皇の皇后に献上し、残りを垂仁天皇の御陵に捧げ、悲しみのあまり泣き叫びながら亡くなったという。
持ち帰った「非時の香菓」は、記紀では現在の橘のこととしている。「タチバナ」という名前自体、タヂマバナ(田道間花)が転じたものとする説もある。当時「菓」といえば果物のことであったが、この説話から田道間守は菓子の神「菓祖」として信仰されている。

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↓舗装路に出、そのまま濠に沿って進むと天皇稜への参詣道に出くわす。

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大体、濠の東半分を半周したぐらいの所だ。

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参詣道は自転車進入禁止であるため、駐輪して中へ。

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↓右手に古墳を見ながら、綺麗な参詣道を歩いて奥へ。

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↓松並木が綺麗です。

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途中で歩いてきた東のほうを振り返る。近鉄橿原線の列車が見えていますな。

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↓参拝所。

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垂仁天皇(すいにんてんのう)は『古事記』・『日本書紀』に伝えられる第11代の天皇。
紀元前69年1月26日(崇神天皇29年1月1日)~ 紀元後70年8月8日(垂仁天皇99年7月14日)。
天皇稜は長さ227mの前方後円墳。南側が方墳で、北側が円墳。
(参考サイト→ここ

↓後ろを振り返ると、西ノ京の田園が広がる。

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「垂仁天皇稜」をあとにし、南へ。
↓のどかな集落の小道を進む。

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この後突き当りを左折して近鉄線の踏切を横断すると、次の目的地「唐招提寺」なのだが、「唐招提寺」付近の道になるといきなり自動車がたくさん。観光客もたくさん。細い道に人と自動車が密集状態。
寺からちょっと離れた所に「駐車場・駐輪場」が有り、そこに自転車を駐輪。
10年以上前に一度参拝したことが有るが、その時はそんなにたくさん人はいなかったけど、・・・元々超メジャーな寺である上に、平成10年に世界遺産にも認定されたこともあって、大盛況なわけだな。天気も良いし三連休だし・・・。

↓「南大門」。ここから入山する。

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「唐招提寺」は・・・(寺の公式HP→ここ

律宗の総本山。
山号は無い。
759年(天平宝字3年)に唐の名僧鑑真和上が開いた。聖武天皇の招きで来朝することになった鑑真は5度の船出に失敗。初回から12年後、6度目の航海で遂に来朝したが、余りの苦難のために両目とも失明していたといわれている。
和上は新田部親王の旧邸を賜って唐招提寺を建立。後の朝廷の寄進で、現在の寺観を整えていった。

↓「南大門」を抜けると玉砂利の参道を通って、正面に「金堂」。

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「金堂」(国宝)は、8世紀後半の創建時の姿を残す代表的な建築物。
外観は、正面間口七間(中央間は約4.7m、両端へは次第に狭くなり、3.3m)、奥行き四間の寄棟造で、前面一間通りが吹き放ち、軒を支える組み物は三手先(みてさき)と呼ばれる形式で、その建立年代を示している。
井上靖氏の小説「天平の甍」の呼び名で親しまれている。平安・鎌倉・江戸・明治時代と過去4回の大修理が行われてきた。そして平成12年より、「金堂平成大修理事業」が始まっている。僕は前回、その直前ぐらいに参拝した。
屋根西側の鴟尾(しび)は、創建当初のものだが、今回の修理を機に平成の鴟尾に代えられることが決まっているとのこと。

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堂内には本尊「盧舎那仏坐像」「薬師如来像」「千手観音立像」「梵天立像」「帝釈天立像」「四天王立像」等、天平文化の仏像が安置されている。いずれも国宝。現在は搬出されて、これら仏像も解体修理中である。

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↓「金堂」の左手の小路を歩く。

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「金堂」の裏手、「講堂」へ回り込む。
↓「鐘楼」。奥に見えるのが「講堂」。

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↓「講堂」の横に桜の木。

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まだ開花したばかりかな?

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寺の堂宇と桜って合いますね。

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↓で、「講堂」の側面。

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内部は写真撮影が禁止されている。
国宝で、奈良時代(8世紀後半)に建立された。入母屋造・本瓦葺。
↓これは「講堂」の外から写した(^_^;)、「弥勒如来座像」。鎌倉時代の作。

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↑後で「講堂」内で拝観したが、結構大きかった。高さ2.84m。
他にもたくさんの仏像が並んでいた。「持国天・増長天立像」や「金堂」の「梵天・帝釈天立像」「四天王立像」もここで見れる。どれも見事。奈良時代の仏像であるが、結構ふっくらとした顔立ちのものが多かった感。写真で紹介できないので、前述の公式サイトで見てください。

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↑↓「講堂の正面」

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↓「講堂」の傍らに有る「鼓楼」(国宝)。

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鎌倉時代、1240年(仁治元年)の建築物で、楼造・入母屋造・本瓦葺
金堂・講堂の中間の東側に建つ、2階建ての建築物。名称は「鼓楼」だが、現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれている。
外観は上下階とも扉と連子窓(れんじまど)で構成され、縁と高欄が取り付けられている。堂内の厨子には、仏舎利を収めた国宝の金亀舎利塔(きんきしゃりとう)が安置されている。

「講堂」の裏、東室の北側の旧開山堂(現在は聖武天皇坐像を奉安している)の手前に「芭蕉句碑」が立っている。↓

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↑1688年(元禄元年)、ここで鑑真和上坐像を拝した際に芭蕉が詠んだ。

「若葉して御目の雫拭はばや」

意味は

「折りしも初夏、このみずみずしい若葉で、和上の見えない目の涙を、そっと拭いてあげたい。」

ということだそうだ。

↓「東室」と「礼堂」の間を抜ける。

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↑重要文化財で、鎌倉時代に建立。木造,入母屋造・本瓦葺。
「鼓楼」の東に位置する南北19間の細長い建物の南側8間が礼堂、北側10間が東室、その間の1間は、馬道(めどう)と呼ばれる通路になっている。
講堂を挟んだ西側にも同様の建物があり、「僧房」として使われてた。
「礼堂」は隣の鼓楼に安置された仏舎利を礼拝するための堂で、内部に釈迦如来立像(重文)・日供舎利塔を安置しているとのこと。

↓「宝蔵」。

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国宝で、奈良時代(8世紀)に建立。校倉・寄棟造・本瓦葺。
経蔵とともに並んで建つ校倉で、北側の蔵。
唐招提寺創建にあわせて建立されたといわれ、経蔵より一回り大きいその堂々たる姿は、校倉の典型といえる。

↓「新宝蔵」への小路。ここで多くの仏像・寺宝が公開されている。

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↓「新宝蔵」への小路の傍らの池。

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↓その池の対面に、小路と石段が続いてる。そちらへ行ってみる。

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↓「御影堂」。

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↑重要文化財で、江戸時代に建立。
境内の北側に位置する土塀に囲まれ、ひっそりとした瀟洒な建物。元は、興福寺の別当坊だった一乗院宸殿の遺構で明治以降は県庁や奈良地方裁判所の庁舎として使われたものを昭和38年(1964)移築復元したもの。
現在は、鑑真和上坐像(国宝)が奉安されており、昭和46年から57年にかけて東山魁夷画伯が描かれた、鑑真和上坐像厨子扉絵、ふすま絵、障壁画が収められている。
中に入ることは出来ない。

↓その隣に「開山御廟」が有るらしい。行ってみる。

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↓門をくぐる。

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↓静かな小路を進む。

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↓小路の脇には木々が立ち並ぶ。

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↓見えてきました。

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↓「開山御廟」。鑑真和上の墓所。

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さて、「唐招提寺」の参拝も終わり、次は「薬師寺」へ。
駐輪場で自転車に乗り、スタート。

「唐招提寺」から「薬師寺」まではほんの500~600mなのだが、一方通行で幅の狭い道な上に自動車の往来が激しい。
特に「薬師寺」山門前のT字路は大混雑。
僕の移動中には偶然自動車の往来は殆どなかったのだが、「薬師寺」についた直後(下の写真)に、山門前のT字路はすれ違えない自動車がバックしたり、でも後ろがつっかえていてなかなか下がれなかったり、加えて徒歩の観光客が間をぬって横断したり・・・で、渋滞。
この付近、自転車の走行も大変だ。

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で、薬師寺内に駐輪所は無く、100m程西に有る近鉄線・西ノ京駅の駐輪場に停めろとのこと。一旦、西ノ京駅に行き一時駐輪所に駐輪(¥150)。
徒歩で再び「薬師寺」へ向かう。

あらためて「興楽門」(上の写真)を通って中へ。
拝観受付場所では、すでに16:30近いので「お急ぎください。」とのこと(^_^;)

「薬師寺」とは・・・・(寺の公式HP→ここ

法相宗大本山。
山号は無い。

680年(天武天皇9年)に、鵜野讃良(うののさらら)皇后(後の持統天皇)の病気平癒のために天武天皇が発願。藤原京に伽藍が完成したのは698年(天武天皇2年)と伝わっている。
平城遷都に伴い、718年(養老2年)に現在の地に移転。
「竜宮造り」と称された美しい伽藍であったが、数度の災害と1528年(享禄元年)の兵火で焼失。創建当初の建物は今では「東塔」のみになった。
現在は平成10年よりユネスコ世界遺産に登録されている。

↓先ずは「東僧坊」(下の写真の木の陰に写っている)へ。

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↑梅の木の様だ。もう全部散っている。
↓「東僧坊」。お土産物とか売っている。

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「東僧坊」は通り抜けるだけ。
抜けると、広い境内「白鳳伽藍」に出る。
↓「金堂」。

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「金堂」は1528年(享禄元年)、この地域の豪族の戦火に巻きこまれ、西塔などと共に焼け落ちてしまいました。その後、豊臣家が金堂の仮堂を建て、その後本格的な金堂の再建に取りかかる筈であったが、豊臣家滅亡などの事情で400年近く仮堂のままの状態であった。
1967年(昭和42年)に高田好胤師が晋山し、百万巻写経勧進による金堂再建を提唱、全国に写経勧進に歩き、その結果1971年(昭和46年)に金堂の起工式を行い、1976年(昭和51年)4月に白鳳時代様式の本格的な金堂として復興した。
奈良時代仏教彫刻の最高傑作の1つとされる本尊薬師三尊像(国宝)を安置する。
左右の日光・月光菩薩の立ち姿もよく見てくださいな・・・って写真は無いですが・・・。
内部は写真撮影禁止。HPで見てください。

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↑実はこちらは出口。
↓入り口はこちら。

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「金堂」の拝観出口から出ると、
↓次は「講堂」。

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こちらはもっとも新しい平成10年の再建。
こちらの白鳳~天平時代の弥勒三尊像も見事です。
勿論、内部は写真撮影禁止。HPで見てください。

↓最近の再建ばかりのようだが、唯一の創建当初の建物「東塔」。

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730年(天平2年)に建立。各層に裳階(もこし)を付けているため、六重の塔の様に見えるが、三重の塔である。
その裳階と屋根の美しさを、アメリカの美術家フェノロサは「凍れる音楽」と絶賛した。

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↓「東塔」の塔頂相輪の水煙に浮かし彫りされた24体の飛天も名高い。
↓もっと望遠をしっかり合わせて写せばよかった・・・。これでは分からんな。

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↓一方、「金堂」を挟んで「東塔」と反対側に位置する「西塔」。

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↑「西塔」は1981年(昭和56年)に復興された。

↓「鐘楼」。

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「白鳳伽藍」にはほかに「東院堂」や「不動堂」(下の写真)も有る。

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で、「薬師寺」は、道を挟んで北側にもう一つ伽藍が有る。
↓その伽藍「玄奘三蔵院伽藍」に入ってみる。

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道路を横断し、門をくぐって中へ。
↓ここはまだ伽藍ではない。

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↑写真の奥に見える「中門」「回廊」から先が「玄奘三蔵院伽藍」なのである。
↓途中の本坊寺務所前に桜の木。

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岐阜県根尾谷から移された「淡墨桜(薄佳桜)」。

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開花したばかりみたい。

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↓歩いていくと「中門」。

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残念ながら内部撮影禁止。中の伽藍の様子はまたしてもHPで見てください。
『西遊記』で有名な中国唐時代の歴史上のあの僧侶、玄奘三蔵[げんじょうさんぞう](600または602~664)の名前が付いているように、勿論関係がある。玄奘三蔵は17年間にわたりインドでの勉学を終え、帰国後は持ち帰られた経典の翻訳に専念、その数は1335巻に及ぶ。玄奘三蔵の最も究めたかった事は、「瑜伽唯識[ゆがゆいしき]」の教えで、その教えの流れを継承している宗派が「薬師寺」の宗派になっている法相宗[ほっそうしゅう]。
現在、薬師寺と興福寺が法相宗の大本山で、玄奘三蔵は法相宗の始祖に当たる。
1942年(昭和17年)に南京に駐屯していた日本軍が土中から玄奘三蔵のご頂骨を発見した。その一部が1944年(昭和19年)に全日本仏教会にも分骨されたが、戦時中でもあり、埼玉県岩槻市の「慈恩寺」(行ったことが有る!!)に奉安され、その後ご頂骨を祀る石塔が建てられた。
「薬師寺」も遺徳を顕彰するため全日本仏教会より1981年(昭和56年)に分骨され、1991年(平成3年)に玄奘三蔵院伽藍を建立した。
だから新しい建物。
2000年(平成12年)12月31日に平山郁夫画伯が入魂した、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」が、玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿に展示されている。勿論観てきた(写真は無しですが)。

さて、「薬師寺」を観終わると16:40頃。
西ノ京には、もう少し南まで足を延ばせば「郡山城跡」とかも有るのだが、この「薬師寺」界隈の道が狭くて自動車が渋滞気味。それに17:00近くになると、観光名所は大体閉門されるので、これで終わりにする。

近鉄橿原線・西ノ京駅の駐輪場に自転車を取りに戻る。
↓駐輪場から引き揚げてきたところ。

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上の写真の右手のフェンスの陰で、自転車を折りたたんで輪行袋にパッキング。
その最中に、地元のおじさんが話しかけてきた。自転車に興味が有るんだな~、と思っていたら、最近自転車にハマったらしく、BD-1(羨!)を持っていて、よくサイクリングに出かけているとのこと。ここから嵐山まで往復したり、琵琶湖一周もしたらしい。
話をしながらでも簡単に早くパッキング出来た。ほ~~んと簡単だな~、折りたたみ自転車って。

おじさんと別れてホームへ。
間もなく到着した列車に乗って、一旦「大和西大寺駅」で「近鉄難波」行きに乗り換え。
でも難波には行かずに、途中の「生駒駅」で、近鉄けいはんな線・地下鉄中央線直通に乗り換え。
往きのルートを逆に辿って最寄駅まで輪行。

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↑小さいから、出入り口付近に置いてもそれほど邪魔にならないからいいな。
僕の持っているMTB用の輪行袋をこういう風に置くと、通路に大きくはみ出し、通る人にはちょっと邪魔になる・・・。
折り畳み小径車の輪行は気楽でいいや。

最寄駅には18:05ちょい過ぎに到着。
ノンビリと自転車を組み立て、僅かな距離を走り、18:20頃に無事に帰宅。

そういうわけで、折り畳み小径車での初輪行は特に問題無く終了。
パッキングと組み立ての手軽さと早さは、ロードバイクやMTBの輪行の半分位の手間と時間で済む。
持ち方・運び方のコツが分かったし、それ程重くない。ホームでの乗り換えや階段を上り下りも問題無し。
冒頭で書いた、リア・ディレイラーへの圧力とハンガーが曲がる心配も一応無さそう。見た目や実際のシフトチェンジも異常無しみたい。

それから久しぶりの奈良西ノ京観光も良かった。午後だけのポタリングだったが、好きな寺社巡りとサイクリングの両方を楽しめた。

とにかくも今回、“折り畳み小径車での輪行”という、新たなサイクリング手段が加わったことで、また一つサイクリングのパターンが増えた。
輪行で降りた駅から割と近い周辺の地域で、大体2~3駅位におさまる狭い範囲をポタリングする時には最適だ。
もし、その目的の地域が“輪行で降りた駅からかなり離れている”ならば、そこまでの移動に楽な“ロードバイクで輪行”することになるだろうし(例えば過去の「出石サイクリング 2007.07.28」・・・・出石の町中に駅は無い)、勿論その道すがらも楽しみたいのなら、やっぱり“ロードバイクで輪行”ということになる。
今回の「大和西大寺駅」~「西ノ京駅」の間の“西ノ京”の様に、“駅にすぐ近い地域”をポタリングするだけならば“折りたたみ自転車で輪行”ということになる。
今まで後者の場合はMTBでの輪行にしていたのだが(ロード・バイクで町中のポタリングってやりにくい・・・意外と段差が多いから)、これからは折り畳み自転車だ。何と言っても手軽・身軽な感じがいい。

なんか、このポタリング・パターン・・・ハマりそう(ワクワク)。
今年は昨年よりも更に年間走行距離が短くなるかな・・・(^_^;)?
 

コース概略/自宅→地下鉄○○線・▽▽駅~(輪行)~◇◇駅・地下鉄中央線~(輪行)~近鉄けいはんな線・生駒駅・近鉄奈良線~(輪行)~大和西大寺駅→西大寺→菅原天満宮→喜光寺→垂仁天皇稜→唐招提寺→薬師寺→近鉄橿原線・西の京駅~(輪行)~大和西大寺駅・近鉄奈良線~(輪行)~生駒駅・近鉄けいはんな線~(輪行)~市営地下鉄中央線・◇◇駅・地下鉄○○線~(輪行)~▽▽駅→自宅

走行距離/6.57km
走行時間/0hr38min
平均速度/10.23km/hr
最高速度/28.76km/hr
Small Bike積算距離/487km
全Bike積算距離/15263km

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Comments

二度寝は妙に気持いいんですよね~(llll ̄~ ̄;lll) 平日だと確実にあわてますが(;´▽`) 折りたたみ自転車ってそんなに簡単に折りたためるんですか? あーしてこーして。。。コツを得てないと結構時間がかかるのかと思ってましたが。桜の下をのんびりポタリング、もいいでしょうねbicycle 是非ハマって下さいなo(*^▽^*)o 

« 投稿: あさたろう  2009年3月27日 (金) 18時36分

あさたろうさん>
慣れが必要ですね。
ちょっとした微妙なことで、きちんと畳めなくなったりします。コツがありますね。
暫く畳んでいないと忘れてしまいます。僕は前日に復習しました。

暫くこんなサイクリング・スタイルが続くかもしれません。
そして飽きたら、またロードバイクに戻ったりとか。

« 投稿: Katze  2009年3月27日 (金) 19時29分

修学旅行に行ったみたいな感じ。
桜もいい感じに綺麗で、いいですね。

折りたたみ自転車っていいですね~。
って思ったんだけど重そう?
電車の乗り降りが大変かな?

« 投稿: しましま  2009年3月27日 (金) 23時28分

しましまさん>
そうですね。ここは修学旅行の定番。この日も修学旅行の団体さんがいました(この3月に・・・珍しい)。

折り畳み自転車は、12kg以下の物ならたぶん大人なら持ち運び出来ると思います。大体12~9kg位が良く出回っています。
安物は、折り畳めても重かったり、壊れやすくて危険なので避けた方がいいでしょう。
↑なんか、こちらの世界に引きずり込もうとしている勧誘文になっていますが。

« 投稿: Katze  2009年3月28日 (土) 13時13分

こんいちは!
多分、修学旅行で行ったと思います
でも詳細は、全然憶えていないものですね
スピーディーに進むので、食べ物のことや
そんな変なことは、はっきり記憶してたり(笑
人がまばらで静かな広い空間・・
花が咲いてて・・時が止まってるような

もともと寺は将軍を祭ってありますよね
こちらも島津斉彬公を祭ったでっかい寺がありますが

当時の勢力と栄華を感じます~

« 投稿: はな  2009年3月29日 (日) 12時55分

うわ~!めっちゃ羨ましい~。
奈良はこの間いって来ましたが
自転車ではなく電車だったのでそんなに
あちこち回れなかったんですよね。
今度は輪行でいきたいです。

突然ですが舎羅林山ってご存知ですか?
最近はそこの林道をMTBで(借り物ですが)
走るのにハマッっています。いい山ですよ!

« 投稿: soara  2009年3月29日 (日) 22時49分

はなさん>
だいたい修学旅行ってそんな感じですよね~。
寺とか仏像とかそっちのけみたいな~~(笑)

寺は武家、宮社は公家・皇族ですね。
島津斉彬公の菩提寺ですか~。どこでしょう?

« 投稿: Katze  2009年3月30日 (月) 20時29分

soaraさん>
奈良の輪行&ポタなら、市街地よりも山の辺の道や明日香村がお薦めです。

舎羅林山は名まえと場所は知っています。
行ったことは有りませんが、実は或るMTBerのHPの記事で以前に知って、いつか行こうと思っていました。soaraさんに先越されちゃいましたね。
楽しめそうですね。

« 投稿: Katze  2009年3月30日 (月) 20時35分

そうか、折り畳み自転車だったら気軽に列車に飛び乗って、
京都・奈良あたりのお寺を見て回れるんだ‥すごいと思いました。
いつか行こうと思っている四国のお遍路さんも自転車が有れば心強いかもしれない。
‥まず乗る練習をしなくてはいけないのが悲しい(;Д;)

« 投稿: アネモネ  2009年4月 2日 (木) 18時07分

アネモネさん>
折り畳み自転車はさほどスペースを取らないので、電車に乗り易いです。
京都市街地や奈良市街地は殆ど平地なので、自転車での移動は楽ですよ。

四国遍路の寺は山の上に有る寺が多いので、自転車のみでは結構きついですよ~。でも、そこはバスを使えばOKです。

« 投稿: Katze  2009年4月 2日 (木) 19時39分

 






 

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