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2009年4月 6日 (月)

龍野ポタリング 2009.03.29

年月日/2009年3月29日

バイク/GLOBE (SPECIALIZED) Small Bike

目的/兵庫県播磨の小京都「龍野」の城下町をポタリングする。

ポイント/往復輪行。

Submap20090329 内容/
この日は前回二度寝で行き損ねた某所に輪行&ポタリングをしようと思い、4:00起床のつもりでいたのだが、3月下旬のこの頃の近畿は寒の戻りのために朝が結構寒く、またまたやる気を失って二度寝。起きたのは9:00。
そしてその時刻に起きながらも「やっぱりサイクリングに行こう」と思いなおしたのも先週と一緒。
・・・・で、この時刻からでも行ける輪行&ポタリング場所を考えると・・・。
幾つかストックしておいた計画の中から、「兵庫県播州の小京都『龍野』の城下町をポタリング」するプランを選択。

「龍野」は兵庫県南西部の姫路市の北西に隣接する「たつの市(行政上の市の名称では平仮名)」にある(右上の地図の青色の点)。
「歴史たなびく播磨の小京都童謡の里」として知られている(たつの市公式HP観光案内→ここ)。
JR姫新線の本竜野駅から1km強、揖保川を挟んだ西岸に位置する「龍野城」の城下町で、折り畳み小径車の GLOBE で輪行してそのあとポタリングするということに丁度いい。
ただ、この時刻からでは新幹線で姫路駅まで行かないと、観光の時間が無くなるだろう。
どのみち昼過ぎ~夕方の間しかポタリングできないであろう。逆に、午後だけでも“自転車を移動手段にすれば殆どメインの観光スポットは見て回れるくらいの町”と言える。だからこそ選んだとも言える。

支度をし(元々はサイクリングに行くつもりだったので着替えるだけだったが)、10:50頃に自宅を出発。
最寄りの駅で自転車を折り畳んで輪行袋にパッキング。
10:58の列車に乗車(←いかにパッキングが早いか分かるでしょ)。
電車を乗り継いで、11:22に新大阪駅に到着。

新幹線乗り場のコンコースに着いたら11:25ぐらいになっている。
勿論新幹線の切符は買っていないので、自由席の切符を自販機で購入。
輪行袋を自分の傍に置きたいという都合上、車両の一番後ろの座席を確保するためには、指定席の購入は不利。自販機では指定出来ないし、みどりの窓口に行けば並んで待つし、当日の指定席購入で各車両の最後尾座席を確保できる可能性は低い。確保出来てもとんでも無く時刻の遅い、現実的にポタリング不可能の列車しか無い可能性大。だから自由席にしておいて、ダイヤの電光表示板、ホームに並んでいる人の状況、出発待ちの列車の座席の空き具合、その他諸々その場の状況に合わせて乗る列車と車両を臨機応変に決める作戦。

・・・それにしてもこの日の僕は運が良い。
切符を買って改札を通過し、電光掲示板を見ると、“下り”方面の列車の中に“11:38発 こだま751号 岡山行き”が有る。その一つ前に“11:29発の広島行きののぞみが有るが、これでは車両の最後尾座席を確保することは無理と判断。その次のこの“11:38発 こだま751号 岡山行き”に決める。新大阪が発車駅で、岡山駅まで各停のこだまに乗る人なんてごくごく僅かの筈。新大阪~姫路間ぐらいなら新快速にするだろうし、途中で後続の“のぞみ”に抜かれるから岡山以西に行く人は“のぞみ”に乗るだろう・・・等々、新大阪駅からこれに乗る人なんて、ごく限られた事情の有る人(←僕がそう)と単なる本人の好み位だろう。
ホームに上がると、出発を待っているその“こだま”の座席は予想通りにガラガラ。
↓余裕で最後尾を確保(先頭車両の最後尾座席)。

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↑シートを倒しても輪行袋には当たらない。余裕ですな。
↓ガラガラだ~~~。

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11:38に新大阪駅を出発。新大阪駅からこの車両に乗り込んできたのは5人位。
各停なので新神戸駅くらいからは乗ってくる人もいたが、ガラガラの状態のまま12:18に姫路駅に到着。
次いでJR姫新線のホームへ(ロードバイクだったら姫路から龍野まで走っても全然OKな距離だろう・・・もっとも交通量の多い姫路市街地を脱出するのが鬱だが・・・)。
↓“12:42発の本竜野行き”に乗車(下の写真は姫路駅ではなくて本竜野駅で撮影)。

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1列と2列の座席のワンマン列車。
昔10年以上前に乗った姫新線はもっと古かったが、今は綺麗。
↓トイレの前に車いす用のスペースが有り、そこに輪行袋を置く。

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1時間に2本位の本数しか無く、午前中に姫路市内に出て来た人が帰るために乗り込むので、そこそこ混む。
姫路から4つ先の駅が本竜野駅。なお、JR姫新線は姫路~新見間を結んでいるが全線を通して走る列車は無い。

13:04に本竜野駅に到着。
自転車を組み立て終わると、一人のおじさんが声を僕にかけてきた。

おじさん「あの~、自転車の写真を撮らしてもらって構わんかね~?自分も自転車に乗るもんで興味が有ってね~。」
Katze「あ、どうぞ。」

(シャッターを押す・・・)

おじさん「どちらへ行かれるん?」
Katze「あ~、この辺の龍野の城下町をブラブラと。」
おじさん「あ~~、そんじゃ気を付けて。」
Katze「あ、どうも。」

みたいな~。

そんな感じで本竜野駅を出発。時刻は13:12。

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↓駅の西口(西口しかない)に“童謡の里龍野”と・・・。

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この龍野が何故“童謡の里”なのかは後述を読むとお分かりになるでしょう。
↓ところで、下は龍野の簡単な地図(詳しい地図はこちら→クリックしてください

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↑本竜野駅の西、揖保川を渡った、直径1~2kmの円内に入る狭い地域。北西の鶏籠山と南東の揖保川に挟まれた脇坂氏5万3000石の城下町。
午後からでも自転車ならば色々回れる。徒歩でも5~6時間有れば十分だろう。

駅から県道14号で西進。揖保川の手前で国道179号(出雲街道)に合流。
流石に国道は自動車の往来が多い(激混みではないけど)。
↓国道に合流してすぐに「龍野橋」で「揖保川」を渡る。

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ロードバイクなら車道でサッサと走ってもいいだろう。遅めの小径車なら一段上がった歩道が無難。なお、橋の上の歩道は下流側のみで、この場合は丁度進行方向左側。歩道で渡る。
↓「揖保川」の下流の眺め。

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「揖保川(いぼがわ)」は、兵庫県南西部を流れる一級水系の本流。流域面積は「播磨五川」のうち加古川に次ぐ。距離70km。兵庫県宍粟市の藤無山(標高1,139m)に源を発し南流。たつの市を貫流し、姫路市余部区付近で中川を西に分け、三角州を形成。姫路市網干区で播磨灘に注ぐ。中川は姫路市とたつの市御津町の境を成す。たつの市内の堤防には、増水時に住居の畳を使って護岸を嵩上げする畳堤を行う地域があるとのこと。
揖保川が次第に流れを緩める辺りがここ龍野であり、風土記の昔に“日下部の里”と呼ばれたここ一帯は古くから文化の開けた所なのである。その昔、播磨平野の豊かな小麦、山間部に産した高質の大豆、更に近くの“赤穂の塩”により、 揖保川の清らかな水と穏やかな気候から有名な淡口醤油“龍野醤油”が生み出された。旧藩主脇坂氏の保護も有って江戸時代から醤油の銘醸地として知られている。
また、あの“揖保乃糸”として有名な素麺の産地でもある。
そういうわけで今回のポタリングのキーワードを上げるとすれば、“城下町”、“武家屋敷”、“童謡”、“醤油”ということになるだろう(“素麺”関係は~~ちょっと離れていたのでパスしてしまった)。あと、まだここまで全然登場していないが“ひな人形”もキーワード(どういうことだかは後述)。

龍野橋を渡ってそのまま直進すると国道179号から分かれ、いよいよ龍野の城下町中心部へ。
↓昔ながらの建物が並ぶ。

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↓趣の有る銀行だな。勿論現役の銀行「姫路信用金庫」川西出張所。

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いい感じでしょ?

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↓“うすくち醤油饅頭”を販売している「晴風(せいふう)」。天保8年創業。

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饅頭を買えばよかった。ポタリングの後で買おうと思って忘れていた(ノ_-。)
ちなみにネットでお取り寄せ可能→ここ
↓で、暫くノンビリと醤油蔵の横の小路を進むと・・・。

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↓「うすくち龍野醤油資料館」(本館)に到着。

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世界初の“醤油の博物館”として1979年に開館した。
本館は江戸時代から昭和初期までの醤油作りに使われた道具類を展示して当時の醤油造りの作業工程を紹介する施設。
なお、あとで行く別館は安土桃山時代に醤油造りがはじまり江戸時代初期に創案されたうすくち醤油によって栄えた龍野醤油の歴史を紹介する施設。
「菊一醤油」本社社屋として建てられた後、改名して「ヒガシマル醤油」の先代本社として使用された後に龍野醤油協同組合本館として使用されていたという歴史を持つ近代建築。
建物としては昭和初期に竣工されたもの。

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ヒガシマル醤油の主な沿革であるが、

天正年間 (1573~1592年) 創業。播磨国守護大名赤松一族の家臣片岡治兵衛が、龍野で幾久屋(きくや)の屋号で醸造を始める。
文禄年間 (1592~1596年) 宮中から菊屋の屋号と、菊花の紋を賜る。
寛文6年 (1666年) 龍野で“うすくち醤油”が誕生。
延享3年 (1745年) 龍野醤油の京都・大阪進出。
明治2年 (1869年) 藩物産蔵で淺井醤油創業。
明治13年 (1880年) 龍野醤油醸造組合を結成。
明治26年 (1893年) 菊屋11代片岡治助が「菊屋」を改め、「菊一醤油造合資会社」を設立。
明治35年 (1902年) 組合証票マーク 龍野醤油醸造組合証票を制定。
大正元年 (1912年) 淺井・菊一両社が宮内省御用達に指定される。
昭和17年(1942年) 3月5日 菊一・淺井合併により、龍野醤油株式会社設立。
昭和24年 (1949年) 商標を現在の「ヒガシマル」に決定。
昭和39年 (1964年) ヒガシマル醤油株式会社に社名変更。
昭和53年 (1978年) うすくち龍野醤油資料館 本社新社屋完成。旧本社社屋を全国初の醤油資料館「うすくち龍野醤油資料館」に。(昭和57年に兵庫県重要有形民俗文化財に指定される)
平成11年 (1999年)ISO9001認証取得。醤油業界としては国内初。

日本の醤油会社の大手なんですな。

それから醤油の作り方ですが・・・・それを書いていると記事が大変なボリュームになるので・・・(^_^;)・・・例えば参考サイト→ここ
“淡口(うすくち)”と“濃口(こいくち)”の違いは、参考サイト→ここまたはここ

1640年代頃(寛永年間)、醤油の一大消費地となっていた江戸近辺において、1年で製造できる“こいくち醤油”が考案された。そののち1666年に、ここ龍野で円尾孫右衛門長徳が“うすくち醤油”を考案したと言われている。
濃口に比べると色や香りは薄いが、塩分濃度が高い。濃口よりも原料の麦を浅く炒り、酒を加えるのが特徴。元々は龍野でのみ消費されていたが、上述のように18世紀半ばに京都への出荷が本格化。以降、関西地方で多用されるようになった。
食材の色や風味を生かしやすいため、汁物、煮物、うどんつゆなどに好んで使われる。仕込み時に、麹の量を少なく、仕込み塩水の比率を高くする。圧搾前に甘酒を加えることもある。淡口は色が最重要視されることから、酸化して黒みが出たものは価値が低い。そのため、こいくちよりも賞味期限が短くなる。
淡口醤油の需要は西日本で特に高く、メーカーの競争も激しい。しかし関東の料理屋でも「淡口醤油はヒガシマル以外は使わない」などのこだわりを持つ者も多いとのこと。

そういう予備知識を踏まえて・・・裏の駐車場に自転車を駐輪し、中へ。
入館料はなんと“10円”(゚0゚)・・・別館と合わせて10円。
↓「ロビー」。

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この博物館は“昔”の醤油造りの博物館。
“昔の製造法”に沿ったものが展示されている。
↓ロビーの横にいきなり・・・「ボイラー」だそうです。

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↓醤油の原料と途中の工程で出来る中間物等が並んでいる。

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これらは龍野を含む播州で良質のものが集まる。
醤油造りに適した地だったんですな。
↓濃口は大豆と小麦が等量ずつ使われるが、淡口は更に“米”も使うことみたい。

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↓麹(こうじ)。麹菌の酵素で発酵させる。

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↓あっ・・・酒粕ならぬ“醤油粕”も出るんですな。初めて知った。

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奥に進む。
先ずは「原料処理場」へ。
↓昭和中期の「米洗い機」。どう使うのかな?

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↓「原料処理場」の様子。左手に原料の水をくみ上げる井戸が有る。

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淡口醤油の原料は大豆、小麦、米、塩。
麹菌が繁殖しやすいように、大豆をたき、小麦を炒り、米は蒸して甘酒にする。
先にも書いたように淡口醤油の大きな特色は米を使うこと。
また、塩は良質の水で溶かします。そうその良質の水こそ”揖保川”の水だったわけ。揖保川の水は、全国まれにみる鉄分の少ない軟水。この良質の水が、色の淡い、味の良い、しかも香りの高い淡口醤油を造る上で欠かせない。龍野地方が淡口醤油の銘醸地となった理由の一つなのである。
↓釜と樽が並ぶ「地釜」。
↓大豆と米を蒸し、麹菌が育ちやすいようにたんぱく質を変性させる。

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↓「樽洗い場」。
↓洗い方は文章で説明できない・・・左上の白黒写真を撮れば良かったな。

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↓「麦炒(いり)機」。

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麦炒りの目的は、ひき割りやすくすると同時に、でんぷんを麹菌が消化しやすいように変化させること。
淡口醤油では、炒る程度をいく分弱くして色が淡くなるようにする。

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↓これ(左)でも麦をいる。巨大なフライパンみたい。
↓右は麦を挽く道具。

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「原料処理場」から先へ。
↓展示物が色々並ぶ廊下を抜ける。小道具が色々並んでいる。

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↓「麹室(こうじむろ)」と「仕込蔵」に入る。

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↑レンガの倉庫の様なものが「麹室」。
混ぜあわせた大豆・小麦に種麹をうえつけ“麹蓋”と呼ぶ浅い木箱に盛り、この煉瓦室の中で麹カビを生育させ、醤油麹を作る。
麹作りの目的は原料のたんぱく質やでんぷん質を分解する酵素を作ることにある。
↓「麹室」の中。“麹蓋”が積まれている。麹蓋の積み方は4パターン有るらしい。

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そしてすぐそばに「仕込蔵」。
↓「仕込桶」。

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麹と塩水を混合し桶に入れる作業を仕込みといい、現代のようにエアコンディションを調整する装置の無かった昔は、1年以上もかけて発酵熟成を待つ必要があった。
この期間のものを“諸味(もろみ)”という。
↓「生汁桶」。

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↓「製樽場」も有る。
↓これは「樽締機」。樽を竹輪で締める機械。昭和初期の物。

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さて、その先に「圧搾場」。
いよいよここで、熟成した諸味をしぼる。
淡口醤油では、その特色の一つである甘酒を加えた後にしぼる。
↓こういう機械的な圧搾機も有るが・・・。

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↓更に昔はこの巨大な「棒締式圧搾機」を使用。

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↓この圧搾機(棒締式)は、てこの原理を応用している。

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↓圧搾機の本体の側面。醤油を受けるところ。

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↓そしてれいのてこを応用した“はね棒”。デカイです。

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↓小型の圧搾機「小型圧搾槽」。

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↑一般家庭で諸味をしぼる時に使用したもの。昭和20年代まで使われていたものだそうだ。
↓「麹室」「仕込蔵」「圧搾場」の中央に有る太鼓。
↓何かを知らせる合図のためのものだそうだが・・・何の合図か忘れました(^^ゞ

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↓先に進むと「資料室」。

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色々展示されていました・・・。

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↓先に進むと「帳場」

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主に番頭さんが帳面をつけたり、お金の支払いなどをしていた所。
ここは明治時代の醤油蔵の帳場を再現しており、当時の帳面、机、本箱、そろばんなどが並んでいる。
何故か“ひな人形”が・・・?この時点でちょっと「?」だったが、この先まわる所でも何回かひな人形に出くわすことになる。↓

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↓昔のラベルですな。

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時代が感じられる。

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そういうわけで醤油資料館の“本館”は終了。
20~30分近くいたな。
醤油についての知識は皆無だっただけに、勉強になった。

少し離れた所に“別館”が有るが、その途中に有る「如来寺」に立ち寄る。
途中・・・というか、“本館”を道を挟んで斜め前に有るのだが・・・。
↓「如来寺」。

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「如来寺」とは・・・(寺のHP→ここ

西山浄土宗の寺。
山号は「松龍山」。
1533年(天文2年)に当案賢正上人に依って開基された。
境内には本堂(寛文6年 1666年再建)・地蔵堂・開山堂(羅漢堂)・鐘楼堂・十王堂・山門・庫裡・客殿などの建物が有る。
龍野脇坂藩の菩提所として藩主・家中の位牌を安置しており、三木露風の歌碑と筆塚や大谷幽香の遺愛碑などが有る。
鶏籠山を借景に疎水に沿って建つ寺観は城下町龍野を代表する風景となってる。

↓山門をくぐる。自転車はここに駐輪。

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↓「本堂」。江戸時代中期に再建されたもの。本尊は阿弥陀如来。

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↓「鐘楼堂」。

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↓鐘です。

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↓これは・・・忘れました(^^ゞ

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↓「地蔵堂」。

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↓本堂正面右寄りに「鼎の松(かなえのまつ)」。

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↑松の左に有るのが、童謡「赤とんぼ」で有名な“三木露風”の歌碑。
露風が三木家先祖の墓参りの時に、山号「松龍山」に因んで如来寺を詠んだ和歌 。

「松風の 清きみ山にひびきけり 心澄むらん 月明らけく 露風」

三木露風は明治から昭和にかけて活躍した詩人。
生まれ育った故郷の、ここ龍野の秋を懐かしんでつくった詩が「赤とんぼ」。
ここには 露風の遺徳を偲び菩提を弔うため遺愛の筆10本が納められている。丁度上の写真の松の後ろに石柱が見えるが、そこが「筆塚」。写真を撮り忘れた(寺のHP(→ここ)で確認してください(^^ゞ)。
それから、客殿「鳳翔閣」は拝観可能だが、事前予約が必要らしく、この日はパス(代わりに寺のHP(→ここ)で観てください)。また今度・・・。
それよりもなによりも、御朱印帳を持ってくればよかった。龍野に来たのはこの日が初めてで「如来寺」の朱印は貰っていない。残念だ(後悔)。それもまた今度だな。

↓如来時の東門から外に出、疎水「十字川(どじがわ)」に沿って進む。

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この疎水は城下町の中を流れていて、左右に白壁の醤油蔵、昔は造り酒屋だった古い商家、かつての旧家だという古民家の白い土塀などが続き、とても風情が有る。
ちなみここは、映画『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』の舞台にもなった。

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↓如来寺と道を挟んですぐ北隣が「うすくち龍野醤油資料館別館」。

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↑門の所でスケッチをしている方がいらっしゃる。
良い町並みだしね。
↓門をくぐって中へ。こちらも洋風だな。

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何となく、植えてある木が南国風(上の写真の右寄り)。

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別館はうすくち醤油によって栄えた龍野醤油の歴史を紹介する施設。
先々代ヒガシマル醤油本社として使用された後に龍野醤油協同組合本館として使用されていたという歴史を持つ。

本館でもらう入場券を見せて中へ。
↓看板やラベル、その他小物がたくさん。

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↓昭和の代に使われていた看板。

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↓ラベルですな。

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↓実験室。時代を感じさせますな。

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でも基本的に同じような実験器具は化学の実験で使っていますが・・・。
あっ・・・僕の正体の一つを明かすと、実は“化学”の分野に関係する仕事をしているんですけどね(それ以上は秘密)。だからこういうのを見るとちょっと目が行っちゃう・・・。

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↓右手の銀色の釜みたいなものは遠心分離機。個体と液体を遠心力で分離する。

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↓蒸留装置やコンデンサー、分液ロート等々が並んでいる。

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↓ナス型フラスコ(俗称ナスコル)とか有るし・・・。

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↓左は???。真ん中は「コンプレッサー」。右は「培養機」。

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↓元々会議室だった部屋が文書関係の展示室になっている。

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2階はギャラリーになっており、日本画家「山下摩起」の作品を常設展示している。

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山下摩起(やました・まき)は日本画家。
明治23年(1890)~昭和48年(1973)。
兵庫県有馬に生れ、西宮で歿。
本名は正直。
明治43年京都市立美術工芸学校を卒業。大正2年京都市立絵画専門学校を卒業。
竹内栖鳳に師事し、仏画を能くした。
同5年文展、同10年帝展、同13年国画創作協会展に入選。
昭和3年渡欧。帰国後同5年帝展、同8年院展に入選。同11年頃から展覧会出品をやめ、個展を中心に作品を発表した。
晩年は水墨画に独自な画境を展開した。朝日文化賞受賞。
昭和48年(1973)歿、83才。

余談だが、孫娘に昭和50年前後に宝塚の花組・月組のトップスターとして活躍した「榛名由梨」がいる(ベルばらのアンドレ役が有名)。

たくさん作品が有ったので写真は載せないが、こういうのに興味が有る人には楽しめるだろう。
僕にはその眼がないので・・・(^_^;)・・・ホウホウ、という感じで流してしまった。

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そんなこんな別館を出る。
門から出た時に、道の対面に醤油の自販機が有るのことに気が付く(下の写真)。

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“電気式しょうゆ・もろみ販売機”・・・諸味まで売っているのか~~。
どちらかと言うと物珍しくて観光客が買っていきそう。

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さて、次はいよいよ「龍野城」へ攻め込みますか~~。
↓城下らしい白壁の並ぶ通りを自転車でノンビリ進む。

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↑「隅櫓」(これは龍野城見学をした後で撮影)。
↓東寄りに南面した「埋門(うずめもん)」。

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当然ここから入れます。しかし自転車で侵入するのは如何なものかということで・・・。

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↓その右隣の坂を登った所に有る「龍野歴史文化資料館」の前に駐輪。

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折角なので先に「龍野歴史文化資料館」に入館して中を見学することに。
「龍野歴史文化資料館」の公式HP→ここ
城郭のような建築物ですな。
入場料200円を払って中へ。

ロビーにひな人形がたくさん。

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確かに一応まだ桃の節句と同じ3月ですが・・・。

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女の兄弟がいないので、ひな人形になじみが有りませんが・・・・。
特に龍野がひな人形の工芸で有名というわけではなくて、3月には普通の桃の節句以上に町をあげてひな人形に関するイベントが多いみたい。昔から各家に伝わる古いひな人形とか展示したり・・・「龍野ひな祭り」「ミニひいな展」「龍野ひな流し」とか行われるようだ。
ここ「龍野歴史文化資料館」で「ミニひいな展」が行われていたようだ。

↓下の写真は“源氏枠飾り”という。

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↑江戸時代後半に京都では、内裏雛を御殿や源氏枠に飾ることが流行する。
“源氏枠”とは、御殿の天井・屋根がなく、源氏物語絵巻のように屋内を上からのぞき見るような構造から名付けられた 。

↓これは“御殿飾り”

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江戸時代には京都を中心に紫宸殿を模した御殿に雛を飾ったが、江戸ではあまり流行しなかったようである。
御殿の形式は様々で、横幅3m余りのものまである。
昭和35年前後まで売られていたが、それ以降は飾られなくなった。
↓こういう小物も一つ一つ綺麗で精巧ですな~。

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↓現代のタイプに近いみたい。

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奥の展示室にもずら~~り。こちらのほうが古い物が多い。

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↓“立ち雛”(ボケてますが・・・(^_^;))

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↑雛が座姿になる江戸時代前期までは、男雛が烏帽子に小袖、女雛が小袖姿の立姿で、紙で作られることが多いため、“紙雛”とも呼ばれていた。
江戸中期になって座雛が中心となっても立雛は、やや脇役的にはなるが作り続けられた。

↓“古今雛”がズラリ。

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現代の物と顔立ちが違いますね。

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江戸中期から後期の作。

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↓隣の展示室は常設展。

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 「龍野の歴史」をテーマに、たつの市域及び揖保川流域の町々の原始古代から近世までの歴史の流れを、5つのコーナーに分け、時代順に紹介している。
この日は “ひいな展の開催中ということでスペースの都合上、“龍野城主と城下町”と“近世の街道と揖保川”の一部のみ。
いずれにしてもたくさん有るので全部を紹介すると大変。
詳しくは資料館のHPで→ここ

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↑昔の鎧兜とか、
↓この地方の古くからの祭礼“梛(なぎ)八幡神社獅子舞

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数百年来続いている龍野の祭。
毎年10月20日の例祭には、氏子16自治会が交代で当番となって、伝統の神事獅子舞を自治会全員で賑やかに奉納する。この獅子舞は二人の獅子使いが獅子頭にユタンという胴衣をつけたものを被って、花笠、綾などを持った子役とともに、笛、太鼓、拍子木などの囃しに合わせて、種々の所作表現をしながら舞踊する。
可憐優雅なものや軽快勇壮なもの、ユーモラスで曲芸的なものなど多彩である。
中でも継獅子は獅子も童子もともに人の肩の上に乗り、立ち上がってアクロバット的な演技をするもので(上の写真)、『梛の継獅子』として特に有名。
梛八幡神社獅子舞の舞技は、兵庫県無形民俗文化財の指定を受けている。

資料館を出、そのまま龍野城の敷地内へ。自転車はそのまま資料館に駐輪。

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龍野は播磨の桜の名所としても有名。
毎年4月上旬には近くの「龍野公園」で「龍野さくら祭」が開催される。
しかし、この3月29日はまだ“一分咲き~二分咲き”といったところ。

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まだまだ殆どが蕾。

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↓本丸御殿に向かう途中で、先程資料館に入る前に紹介した「埋門」。

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↓本来、「埋門」からこの階段を登って「本丸御殿」に向かうことになる。

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↑こうやって曲がらないと本丸に行けないのは、攻めてくる敵に対する防御のため。
直接本丸を攻撃できないし、待ち伏せ攻撃をし易い。

「龍野城」は・・・・、

室町時代の1499年(明応8年)に豪族の赤松村秀が鶏籠山に築いた。
以後政秀、広貞、広秀と4代続いたが、1577年(天正5年)に織田信長の命により豊臣秀吉の播州征伐にて開城。秀吉はあらたに蜂須賀正勝を置いた。
江戸時代の1658年(万治元年)に京極高和の丸亀移転の際に破却され、その後14年間は天領となっていたが、1672年(寛文12年)に信州飯田から入部した脇坂安政によって龍野城が再建された。この際山頂の郭は放棄され、山麓居館部のみの陣屋形式の城郭に、本丸は御殿形式になった。これは、まだ外様大名であった脇坂氏が幕府からの嫌忌を恐れたことによるものである。そのため“城郭”と言うよりも、“武装化した邸宅”といった様相になっている。
1871年(明治4年)に廃城。跡地は女学校になった。
その後、龍野高北校舎になっていたが1950年(昭和25年)に廃校。
現在の「本丸御殿」は1979年(昭和54年)に再建されたものである。

したがって多くが復元されたものである。

で・・・、“脇坂家”とは・・・、

脇坂家は、祖先の脇坂安治が賤ヶ岳七本槍のひとりとして豊臣秀吉の功臣であり、元来は外様大名であった。
龍野に入封した安政は、老中掘田正盛の次男であったので、1683年(天和3年)から譜代大名とされた。
さらに江戸時代末期には、寺社奉行、京都所司代や老中を輩出する名門となった。忠臣蔵事件で浅野家の赤穂城請取をつとめた脇坂安照や、桜田門外の変のときの老中であった脇坂安宅(やすおり) など、全国的に名の知られた城主を輩出している。

↓石段を上がった所に開花した桜の木が一本。

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ここは「県立龍野高等女学校」の跡地。そこに植えられた桜の木。
↓その横に俳人“加藤三七子”の句碑。

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「朧銀の 水のめぐりて 初ざくら」   三七子

加藤三七子は、大正14年に兵庫県に生まれた現代の俳人。句集に「万華鏡」 「螢籠」「戀歌」「朧銀集」他が有る。
2005年4月に亡くなり、2007年にこの句碑が建てられた。
加藤三七子はこの女学校の出身者であり、そこで短歌を学んだという。ゆかりの地に句碑が建てられたというわけ。
↓その跡地と句碑に枝垂れ桜が降り注ぐ。

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周りの桜の木が一分咲き~二分咲きなのに、この木は九分咲き。

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きれいですな~。
↓そして「本丸御殿」。

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松の木の庭園に囲まれている。

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入館は無料。入ってみましょう。

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↓中の様子。

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元々、上段の間と控の間の障壁については狩野派の円山派等により人物画や花鳥風月画が描かれていたそうだ。

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復元では「金泥打・金砂利引」になっている。

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他の部屋に行ってみましょう。

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↓中庭。

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↓他の部屋。

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襖絵とかいい感じに再現されている。

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↓奥の部屋は茶室かな?

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↓ここに「赤とんぼ」の詩。

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「本丸御殿」から出て外を歩きます。

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周りにたくさんの桜の木が植えてあるのだが、ここも一分咲き~2分咲きくらい。

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この記事を書いている4月4日頃はネット情報によれば七分咲きになっているらしい。
4月6~12日の週には満開になるのではなかろうか。

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ここが満開になったら見事だろうな。

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桜の花粉は風で飛ばすタイプのものではないらしいので、花粉症でもある程度大丈夫。桜の花粉は虫によって受粉させるタイプのものらしい。虫をおびき寄せるためにこういう綺麗な花を咲かせるそうだ。杉は風で花粉を飛ばすタイプなのでこういう花を咲かせないのだそうだ。

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↓城の北、背後の「鶏籠山」。中腹に桜が咲いている。

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↑鶏籠山へのウォーキング・コースも有る。この日は時間が無さそうなのでパス。
↓「隅櫓」。前述で外からの様子を紹介した櫓。

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↓この穴から弓や鉄砲を打ったりするのかな。

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↓西寄りの出口の「高麗門」。門の外に桜。

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綺麗ですね。

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さて、「龍野市歴史文化資料館」に戻って自転車を回収し、城の外に出て次のスポットへ。
城の南の道を進むと「霞城館」があるのだが、それは後回しにして、そのちょっと南にある「武家屋敷資料館」へ。

↓ここ、「武家屋敷資料館」。

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道の脇の小路に入り口が有るので見落とし易いかも。

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自転車は門の中に駐輪。
入場料は無料。
↓玄関を入ったところ。

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その左に「控えの間」とその奥に「座敷」。

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↓「座敷」。ここにも雛飾りが有る。

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↓「座敷」からみた中庭。

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↓「座敷」の庭と反対の奥に「仏間」と離れが続いている。

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この建物の敷地は、1798年(寛政10年)の龍野城下町絵図にによれば「芝辻平左衛門 自分建」とあり、元々鉄砲師や鍛冶職として仕えていた家系の、芝辻平左衛門の屋敷であることが明らかになっている。
敷地内の建物のうち、母屋は江戸時代から継承されてきたもので、棟の鬼瓦銘より天保8年(1837年)前後に建てられたと推定されている。
明治から昭和の初めにかけて、離れの改築と2階居室や水回り等の改造が行われ、ごく最近まで住宅としてしようされていたとのことである。

↓「台所」。

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↓「台所」と「離れ」との間に井戸。

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↓「離れ」。ここは落ち着きそう。

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↓2階へ上がってみましょう。

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↓天井が低い。身長167cmの僕の目線。

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殆ど屋根裏って感じ。

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↓謎の穴。脱出するためか?

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そして、外は屋根を伝わって外へ逃げれそう。

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もっとも、江戸時代よりあとに2階は造られたそうだから、そんな物騒な時代でも無かったろうに・・・。

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↓2階の壁の下一面にこのような書き込みが・・・。

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一体なんでしょう??

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「武家屋敷資料館」を出、少し「龍野城」のほうに戻り、先程後回しということでスルーした「霞城館」へ。

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↓城壁のような塀にぽっかり空いた穴が「霞城館(かじょうかん)」の出入り口。

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中に入り、建物の前に駐輪。

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「霞城館(かじょうかん)」(公式HP→ここ)には、龍野が生んだ現代の文化人、“三木操(露風)”、“内海信之(泡末)(青潮)”、“矢野勘治(興安嶺)”、“三木清”ら4氏に関する文献や資料を収集・展示している。
館名は、「龍野城」の先の鶏籠山上の別名「朝霧城」に対する後の山麓の城の別名である「霞城」から名付けられた。

三木操(露風) みきみさお(ろふう)
1889~1964年 詩人
詩集「廃園」は北原白秋の「邪宗門」と並んで、詩壇に新風を吹き込み、「白露時代」を現出した。
有名な「赤とんぼ」の歌は、昭和2年に山田耕筰によって作曲され、全国を風靡した。

内海信之(泡沫)(青潮)うつみのぶゆき(ほうまつ)(せいちょう)
1884~1968年 詩人
「明星」に石川啄木、北原白秋と並んで三選作が発表され、注目された。
本質は田園の詩人で、自然のなかに人間と社会を見つづけた。

矢野勘治(興安嶺)やのかんじ(こうあんれい)
1880~1961年 歌人
一高時代、正岡子規の門に入り、短歌や俳句を作り、根岸短歌会の歌会形式を龍野に持ち込む。
一高の寮歌「春爛漫」は一高2年、「嗚呼玉杯に」は一高3年のときに作った矢野勘治記念館は晩年を送った自宅である(霞城館に隣接)。

三木清 みききよし
1897~1945年 哲学者
京大に学び、西田哲学門下の鬼才とうたわれた。
処女作「パスカルに於ける人間の研究」をはじめ、「人生論ノート」「哲学ノート」など数多くの著書を世に送り、世界的哲学者への道を切り拓いていった。

恥ずかしながら、“三木露風”しか知りませんでした~(^^ゞ

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たくさんの展示品が有るので、全部紹介するのは無理ということで~。
それに、何せ全部の展示品を憶えていられなくて・・・。

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こんな感じというのが伝われば・・・と(^^ゞ

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一応、ちょっとだけ紹介・・・
↓「三木露風の愛用品」

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↓「三木露風の十字架」。クリスチャンだったようです。

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1922年(大正12年)に北海道“トラピスト修道院”で、夫人の“なか”と共に洗礼を受けたとのこと。
霊名は“パウロ”。なか夫人は“モニカ”。

↓赤とんぼの詩ですね。露風の直筆。

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↓当時の歌集・童謡の本。

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↓芥川龍之介が三木露風に宛てた手紙。

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↑読める人は読めるのでしょう。

↓内海信之の原稿。

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↓犬飼毅の書が掲げられている。内海信之は犬養毅に師事したらしい。

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↓「霞城館」の西隣に「矢野勘治記念館」が有る。そちらへ。

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その途中、霞城館側の敷地内に句碑。↓

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「近づいて 風の見を来し 糸桜」 山本紅園

山本紅園は龍野市揖保町に生まれ、霞城館初代館長を務た俳人。
俳句歴は長く、高浜虚子、高浜年尾、稲畑汀子の三代にわたって師事している。

↓・・・で、これが「矢野勘治記念館」。

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中に入ってみます。人に家に上がる感じ。

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こちらもたくさんの展示品が有りますので、全部をここで紹介するのはとても無理。

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↓矢野勘治の愛用品。ラジオですな。

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↓旧制第一高等学校の生徒が使用していた机。

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↑机に何か落書きのようなものが・・・「五才で神童、十五で才子、二十歳すぎればただの人」。・・・・・???

↓「矢野勘治」です。

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↓矢野勘治の書。

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↓吉田茂が書いたものだ・・・。吉田茂とは級友だったそうだ。

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↓矢野勘治の机の上の様子を再現。

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さて、「霞城館」を出、次は最後のスポット「龍野公園」へ。
↓「龍野城」の西に位置する坂を登る。

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↑坂の途中に「龍野神社」への石段が有るのだが、石段を自転車を担いで登る気分では無かったので、あとで別の方角から「龍野神社」に行くことにして、その先へ。
↓左カーブの手前突き当りに、「紅葉谷」の散策路の入り口。ここに駐輪。

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↑↓「紅葉谷」から「龍野公園」へと散策路をノンビリとウォーキング。

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↑この辺は「龍野公園」の敷地内と言っていいだろう。
↓で、正面の石段ではなくて、横から回り込むようにして「龍野神社」に到着。

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↓「本殿」。

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龍野藩脇坂家の祖脇坂甚内安治を祀る神社。
だから、龍野神社の祭神は「建安治主神」といわれているが、これは神の名前ではなくて脇坂甚内安治を神格化して呼んだ名。

↓境内から龍野の町が眺めることが出来る。

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↓神社の隣に「聚遠亭」という屋敷が有る。そちらへ。

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「聚遠亭」は旧藩主脇坂氏の上屋敷だった所で、安政年間(1854~1860年)に孝明天皇から拝領したと伝わる茶室と藩主の側室、その家族の居住だった別館が残っている。昭和58年完成の茶室「楽庵」も有る。

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ここの桜は結構開花していますな。

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↓これが、前述の孝明天皇から拝領した「茶室」。

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池の上にせり出ている「浮堂」というところがいいですな。
中は桃山時代の書院造を模しているとのこと。

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↓入り口はこちら。でも中には入れません。

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↓こちらは前述した昭和に作られた茶室「楽庵」。

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お茶とお菓子が頂けるそうですが、スルーしました。
(正直言って、お茶の席ではどうしたらいいのか分からんので。)

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↓別館の前の桜。

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こちらもだいぶ開花している。

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↓前述した「別館」。側室と家族の住まい。「御涼所」というのだそうだ。

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建物内部の見学は可。でもパスしました。
当時は接客にも使われたようだ。

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庭がいいですな。

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少し歩いてみます。

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↓裏庭も良いな。

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苔むした感じがいいな。

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ところで、この「聚遠亭」敷地内に幾つか歌碑・句碑が有る。

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↑左 「春水の 上の障子の あきにけり」 泊月

作者野村泊月は高浜虚子の高弟で、丹波の国竹田の生まれ。俳誌「山茶花」「桐の葉」を主宰し、昭和36年80歳で没。この句は昭和5年3月の作。

↑右「花ぞ雲 動き出たる 龍野衆」 西鶴

茶室の前に有る句碑。井原西鶴の句。西鶴が元禄4年(1691年)の春に龍野の俳友法雲寺住職御風山春色法師を訪れ、一席の句莚を開いた時の作。

↓下「冬になほ 龍野の紅葉 心惹く」 汀子

稲畑汀子は高浜虚子を祖父に、高浜年尾を父にもつ女流俳人であり、伝統ある俳誌『ホトトギス』を主宰している。「汀子句集」を始めとする句集、随筆、評論等多数の著書がある。この句は、昭和51年に第3回龍野市民俳句大会において詠まれたもの。

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ほかにも聚遠亭敷地内に幾つか歌碑が有ったらしいが後で知った。
このあと「聚遠亭」から出て、龍野公園の「文学の小径」を歩く。

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この「文学の小径」の途中にも幾つか歌碑・句碑が有る。
そのうちの幾つかをこれから掲載。

↓全て漢字だが・・・。漢詩だな。

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藍を揉みたる山色望み迢遙
爽気衣に生じ払えども消えず
一寺一樓都(す)べて画に入り
煙(もや)に埋もれ雨に沒(かく)れて南朝に似たり

永冨撫松(ぶしょう) 本名敏夫
前鹿島建設会長鹿島守之助の実父で、揖保川町の豪農。漢詩を好み藩の儒学者中心の“淡水吟社”の中心メンバーだった。

この「文学の小径」もたくさんの桜の木が有るのだが、この日は一分咲き。

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おそらく、この文章を書いている4月4日はネット情報によると七分咲きになっているようだから、4月6~12日の間には満開になるだろう。
そうしたら凄く見事だろうな~~。
ここ「龍野公園」は兵庫県の中でも一、二を争う桜の名所。
前にも書いたが、毎年4月上旬に「龍野さくら祭」が開かれる。武者行列などを行われる。
今年は4月1日(水)~12日(日)(案内サイト→ここ)だそうだ。

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その頃に来るのが一番だっただろうが、自転車でポタリングしにくい位混むだろうし、この日でまあ、良しとするか・・・。
祭の期間中は交通規制が行われるようだしね。
↓小道の途中に有る句碑。

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↑「春惜む 人ら夕の 水亭に」 
この句碑の作者をネットで調べてみたが、見つからず・・・分かりません(読めません)。

↓歩いて行くとまた句碑。「文学の小径」だからね。

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↑「巣立せし 鶏籠山の しげりかな」 玉潤

平井文之助 俳号は玉潤。
1861年龍野生まれ。
大阪毎日新聞社に入社、文芸部、経済部。後に(株)大五商店を創設し成功をおさめた。
ふるさとの龍野を愛し、龍野公園、紅葉谷の道路改修、桜千本、楓五百本の植樹を行い、観光龍野の実現に努めた。
1936年沒。

↓グランドに出た。

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このグランド周辺は自転車も進入禁止らしい。駐輪してきて良かったかも(まだ紅葉谷の入り口に置きっぱなしだ・・・)。

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グランドの周りに桜の木がたくさん。
当然まだ一部咲き~二分咲き。
ここも4月上旬には満開になって凄く綺麗だろうな~~。

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蕾のほうが多いですな。

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↓なぜか一本だけ狂い咲くように満開。

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綺麗だ。

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グランドの下の車道部分の道の脇に、記念碑が有る。
↓「赤とんぼ」の碑だ。

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碑の前に立ったら、突然「赤とんぼ」のBGMが流れ始めた。センサーが付いていて、碑の前に立っている間は反応して「赤とんぼ」を流すようになっているんだな。

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↓作詞した「三木露風」です。

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↓楽譜も碑になっている。作曲は山田耕作だけどね。

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↓そのちょっと離れた右隣りに三木露風の記念像。

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↓「私が三木露風です。」みたいな。

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↓足元に歌碑。

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↑「鶏籠の松の 緑の色うへぬ それをば常に 心ともせめ」

自転車を駐輪してある紅葉谷まで少し離れたので、戻って回収しに行くことに。
↓「文学の小径」を引き返す。

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駐輪している場所に戻ったら16:40頃。
先程の龍野公園の先には「童謡の小径」「哲学の小径」が続いているし、「粒坐(いいぼにます)天照神社」「片しぼ竹」「三木露風旧邸跡」等々、見所が残っているのだが、また戻って散策している時間が無くなってきたので、帰路につくことにした。また今度ということで・・・。
(ちなみに後日ネット検索していみると、「童謡の小径」はなかなか面白い場所みたい(後悔)。)

来た道をそのままそっくり引き返し、16:50頃に本竜野駅に到着。

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輪行袋に自転車をパッキング。
とりあえず新大阪までの切符を窓口で購入。

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17:13発の折り返しの姫路行きに乗り込み、姫路駅へ。
そこそこ混んでいた。

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17:35に姫路駅に到着。
帰りは新幹線に乗らずに山陽・東海道線を利用。西から来る夕方~夜の日曜の新幹線は混んでいるし、後ろの座席を確保することは勿論、座れるかどうかも怪しい。それに、姫路駅からならば、行きの時の様によほど急がない限り新幹線を使うほどでもないだろう。
↓新快速だととても混むので普通車で新大阪駅へ。

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混むことを恐れて普通列車だけで新大阪まで帰ったので、新大阪に着いたら19:50近くになっていた。
その後、何回か乗り換えて最寄りの駅に到着。
自転車を組み立てて、乗って帰宅。20:25に無事帰宅。

そんな感じで、またまた午後からの輪行&ポタリングになったが、有意義な龍野ポタリングだった。
特に醤油のこととか、これまで何にも知らなかったが勉強になった。それが直接活きるということは今後も無いだろうし、忘れてしまうかもしれないが、折角その“本場”に来たのだから、ちゃんと見ておかないとね。逆に・・・・、龍野に来なかったら一生知りえる機会に出会わなかっただろう。
龍野の童謡・文学・歴史も同様だな。大人の旅だからね。ちゃんと見ないとね。
あと、桜がまだ開花し始めたばかりだったのはちょっと残念だった。この記事を投稿する頃には満開に近くになっているかも。
それから「童謡の小径」を初め、幾つかのスポットをパスしていしまったが、またいつか行った時の楽しみにしておこう。

そういうわけで、トータルで見れば、初めての龍野を色々楽しめた。

花粉症の時期だけ、このような体に負担のない観光ポタリング・スタイルを楽しもうと思っっていたのだが、何かこれからも暫く続くかも。・・・気が変わって、ロードバイクに戻るかもしれないが・・・どうかな??自分でも分からんな~。
 

コース概略/自宅→○○線・△△駅~(輪行)~□□駅・◇◇駅~(輪行)~新大阪駅・JR山陽新幹線~(輪行)~姫路駅・JR姫新線~(輪行)~本竜野駅→県道14→国道179→龍野橋→下川原商店街→うすくち龍野醤油資料館(本館)→如来寺→うすくち龍野醤油資料館(別館)→龍野市歴史文化資料館→龍野城→武家屋敷資料館→霞城館・矢野勘治記念館→龍野公園(紅葉谷→龍野神社→聚遠亭→文学の小径→三木露風・赤とんぼの碑)→龍野橋→国道179→県道14→JR姫新線・本竜野駅~(輪行)~姫路駅・JR東海道・山陽本線~(輪行)~新大阪駅~(輪行)~◇◇駅・○○・□□駅~(輪行)~△△駅→自宅
(地図→クリックしてください (拡大可。青色のラインが走った所。橙色のラインは徒歩。))

走行距離/8.43km
走行時間/0hr45min
平均速度/11.22km/hr
最高速度/29.61km/hr
Small Bike積算距離/495km
全Bike積算距離/15271km

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Comments

な、長い旅(記事)でしたがcoldsweats02、行き方や各名所の案内が詳しくて、自分が本当に行ったようで楽しかったですconfident
「龍野に来なかったら一生知りえる機会に出会わなかっただろう。」とありましたが、人生で、知りえない機会はどれだけあるのだろうと考えたら、行った先々での出会いや情報を大切にしていきたいなと思いました。このように、小さくても、旅をすると、とても良い気分転換になるし、なんというか、エネルギーをもらえる気がします。最近、ちょっと閉じこもり気味で・・・。今日はめずらしく散歩をしてきたら、気分が上向きになりましたものね。外に出る、知らないことを知る、自然に触れるということって、やっぱり必要なことなのかも。
次のボタリングを楽しみにしていますbicycle

chick←これ、きはるちゃんみたい・・・

« 投稿: mame  2009年4月 7日 (火) 22時07分

龍野の言う土地を恥ずかしながら知らなかったのですが、由緒正しい、風情のある街なのですね。
耳にした事のある武士の名前がたくさん出てきて、すごいな~~って思いました!

あ、ヒガシマル醤油、時々使ってます♪

« 投稿: nanao  2009年4月 7日 (火) 23時22分

まめさん>
3時間くらいしか龍野にいなかったのに、欲張り貧乏性のせいで長大な記事になってしまいましたが、見ていただいてありがとうございます(^^ゞ
ちょっと違う空気に触れるといいものですよ。
chicknotes
先週末ずっと部屋にいたら、逆になんか体調悪くなっちゃいました。

« 投稿: Katze  2009年4月 8日 (水) 00時25分

nanaoさん>
ぼくも関西に来るまで、・・・いやっ、関西に来て旅行好きになるまで全く知りませんでした。関西人の間でもそれほど観光地として馴染みの有る場所ではないと思います。
それだけに穴場です。
落ち着いていて綺麗で風情が有る城下町でした。

ヒガシマル醤油って相当有名なんですね。醤油メーカーのベスト5に入る大きな会社みたいですね。
料理しない人間なので、龍野に来るまで醤油メーカーは某K社くらいしか知りませんでした(^^ゞ

« 投稿: Katze  2009年4月 8日 (水) 00時31分

値打ちのある「10円」でしたね(^v^) 風情のある銀行にびっくり! なんと右から銀行名が書いてある徹底ぶり! 淡口醤油はヒガシマル、愛用しています。濃い口はK社ですが。今頃は桜、きれいでしょうね、やっとこちらも満開になったところです。春眠暁を覚えず。。。春先は眠いです(-_-)zzz 

« 投稿: あさたろう  2009年4月 8日 (水) 17時58分

今回は修学旅行ならぬ社会科見学のような・・・
こちらも行ったような気になる丁寧な記事で
行くことになったら2度目のような気分になりそうです。

Katzeさんは写真の整理も大変そう。
尊敬です。

« 投稿: しましま  2009年4月 8日 (水) 23時42分

あさたろうさん>
町の歴史的景観を損なわないように、銀行と町で気を使っているんでしょうね。

関西は淡口がメインでやっぱりヒガシマルなんでしょうね。

今年は桜の開花が例年よりも一週間近く遅いような。ついでに花粉症も後ろにずれてるみたいな。

春の朝は眠いです。以前の3:00起き4:00起きで輪行していたことが信じられません。

« 投稿: Katze  2009年4月 9日 (木) 00時21分

しましまさん>
ハハ、ホントに社会科見学ですね。
姫路近辺の旅行の機会が有りましたら、龍野までちょっと足を延ばしてみるのもいいかもしれません。

写真はPhotoshopでアルバム整理しています。あとでブログに使うものを選ぶ時に便利なソフトです。

« 投稿: Katze  2009年4月 9日 (木) 00時24分

始めまして。
私姫路市出身で現在高砂市に居住しております。
たつの市には若い頃仕事で度々行っておりました。
そして現在はバンドの練習場がある関係で
毎週たつのに行っております。
しかしこちらで紹介されているところは
ほぼ地元民の私が今まで行った事の無いところばかりです。
素晴らしいレポートありがとうございました。
今度私も行ってみます。

« 投稿:   2009年4月10日 (金) 07時45分

?さん>
初めまして。コメントありがとうございます。

地元の観光スポットに行ったことが無い、ってよく有りますね。結構知らなかったりもしますしね。
バンド練習で行かれたついでにちょっと寄ってみるのもいいかもしれません。

« 投稿: Katze  2009年4月10日 (金) 20時44分

龍野で淡口醤油が誕生したんですね、初めて知りました。
ヒガシマル醤油は私も愛用しているので興味深く醤油の資料館を
見させてもらいました。まるで自分も見学したような感じでした(^^)

街並みも風情があっていいですね~

« 投稿: けめチチ  2009年4月14日 (火) 00時20分

けめチチさん>
やっぱり女性・・・主婦のみなさんはヒガシマル醤油をご存じなんですね(^^)b
僕が知らないだけだったのか~~(^^ゞ

この町の風情が良いのは、地元がしっかり守っているからだと思います。城下の道にはゴミ一つ落ちていなかったです。

« 投稿: Katze  2009年4月14日 (火) 21時05分

 






 

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