« 幼稚園のインコ達 | Top Page憎らしい体重計 »

2009年6月13日 (土)

吉備路ポタリング 2009.05.30

年月日/2009年5月30日

バイク/GLOBE (SPECIALIZED) Small Bike

目的/吉備路の寺社仏閣や歴史・文化に関する名所等を巡る。

ポイント/①往復輪行,②吉備路自転車道をメイン・コースとして使う。

内容/
5月の最終週末に加え、月曜日の6月1日も会社は休みで3連休。最終日の月曜日の近畿の天気は良好とのことで、その日は自転車に乗れるだろう。そうなると、中一日位を開けたいので、2日前に当たる土曜日にも自転車に乗り、3連休中に2回乗ることを企む。ただ、土曜日は前夜まで天気予報がちょくちょく変わり、結局土日とも近畿の天気は怪しい空模様の予報である。所により一時雨とか、日中小雨がパラパラとか・・・そんな感じ。
そういうわけで“土曜日に雨が降らない”という予報が出ている地域がないか、前夜に急いで探したところ、近畿の外ではあるが岡山県南部は降水確率20%で、“所により雨”も“一時雨”も無し。
そこで以前から計画していたことなのだが、岡山県の「吉備路」をポタリングすることに・・・。「吉備路自転車道」という全長約20km位のポタリング向きの自転車道が有り、吉備の寺社仏閣、歴史的スポットを繋ぐように走っている。この自転車道をメインに使い、それら歴史的観光スポットを巡るという計画だ。なお、吉備自転車道を全線走破するつもりはなく、起点と終点付近には目立った歴史的観光スポットが無いので走らない。あくまでも寺社仏閣、歴史的スポット巡りが目的だ。だからスタートは起点よりも西のJR吉備線・備前一宮駅。ゴールは同じく吉備線の東総社駅(自転車道からは離れている)。西進する形で進むことに・・・。
↓下の地図の青色の線が走る予定のコースを示したもの。東から西へ進む。
↓吉備路自転車道全線を指すものではない。

Smallmap20090530

実は3~4月頃のサイクリング(ポタリング)記事「奈良西ノ京ポタリング 2009.03.21」「龍野ポタリング 2009.03.29」「片鉄ロマン街道サイクリング 2009.04.12」の冒頭で、“某所に行こうとしたが出発時刻が遅くなったので諦めた・・・”云々と書いたが、その“某所”というのが今回の「吉備路」という次第。
ちなみにこの吉備路界隈については、10年位前にレンタル・サイクルで吉備路自転車道を走って寺社仏閣巡りをしたことがある。その時、まさか後々自分が自転車にハマるとは思ってもいなかったのだが、今回はその時のルートをそのまま辿ろうというもの。ただ当時は自転車で走ること自体に何の興味も無かったので、今では自転車道の記憶は殆ど無いし、当時は寺社に興味は有っても、古墳とか、石碑、里の風景には興味が無くてスルーしていた。今回は寺社以外も回る。新鮮な気持ちで・・・初めて訪れた感じで走れそうだ。

短い距離のポタリング&輪行になるので、自転車は折り畳みの小径車、GLOBEを選択。
“これからロードバイクを復活・・・”と前回までに書いていたが、舌の根も乾かぬうちにまた小径車のポタリング・・・(^^ゞ

自宅を4:40頃に出発。
最寄りの駅まで走り、自転車を折り畳んで輪行袋にパッキング。
幾つか列車を乗り継いで新大阪駅に5:25に到着。

急いで新幹線自由席の切符を買う。まだ新幹線乗り場への改札口は閉まっていたが、すぐに開く。急いで始発(6:00発)の博多行きの車両へ向かう。勿論、岡山駅に最速で着くからだ。
↓輪行袋を置き易い、先頭車両(自由席)の一番後ろの席を難なくゲット。

20090530ride_1

↑余裕のスペース。シートを倒し切っても輪行袋に触れない。
乗り込んだときはガラガラの車両だったが、さすがに始発だけあって、出発するまでには結構座席が埋まる。

6:00に新大阪駅を出発し、6:47に岡山駅に到着。
吉備線(下の写真)に乗り換え、6:58に岡山駅を出発。

20090530ride_2

↓吉備線の車両は輪行袋を置き易い。

20090530ride_3

7:09に備前一宮駅に到着。郊外のちょっと里山っぽい風景も見える無人駅だ。
ちなみに岡山駅からここまで10km位なので、岡山駅をスタート地点にして自転車でここまで走ってもいいだろう。今回は岡山駅での乗り換え時間が短く、吉備線を利用したほうが早く着ける見込みだったので、列車を利用した次第。岡山駅界隈の街の中を抜けるのも初めてなので面倒だったというのもあるが・・・。
自転車を組み立てて、7:20頃に駅を出発。

20090530ride_4

最初に向かう「吉備津彦神社」は、駅とは線路を挟んで駅舎出入口と反対の方角に有る。
↓駅舎から真っ直ぐ離れ(下の写真の左上)、突き当りを右へ(下の写真の右上)。

20090530ride_5

↑上の写真の左下は、逆の左折の方角の風景。
↑上の写真の右下は、向かうべき方角の風景。
↓程なくしてまた突き当り、右折して吉備線の線路を渡る(下の写真の左上)。

20090530ride_6

↑その正面に大きな鳥居。ここが「吉備津彦神社」(上の写真の右上と中段)。
↑左右に走る道(上の写真の左右の下段)を横断。

鳥居をくぐって参道の奥へ。途中に太鼓橋(写真では見難いが)有る。

20090530ride_7

『吉備津彦神社』(HP→ここ

古代より背後の吉備の中山に巨大な天津磐座(神を祭る石)磐境(神域を示す列石)を有し、山全体が神の山として崇敬されてきた。
第10代崇神天皇の御世に四道将軍として遣わされた大吉備津彦命もこの山に祈り、吉備の国を平定し、現人神として崇められた。諸民と国を深く愛し、永住した吉備中山の麓の屋敷跡に社殿が建てられたのが当神社のはじまりとなっている。
後に仏教が入り、正宮、本宮、摂末社合わせて51社を具え神宮寺や法華堂も建ち、古代気比大神宮・大社吉備津宮とも称され朝廷直属の一品一宮、吉備大明神として武将庶民に至るまで厚く崇敬されてきた。
HPより)

↓参道の両サイドに大きな池が有る。

20090530ride_8

↓「随神門(ずいじんもん)」

20090530ride_9

1697年(元禄10年)、池田綱政公が造営したもので二柱の門番の神様が祀られている(うまく撮影できなかったので写真は無し)。

参拝の仕方
向かって右側の神様に拝礼。
次に左側の神様に拝礼。
最後に正面の御殿に向かってお辞儀をしてから門をくぐる。
※御殿に向かうときは、道の真中は正中(せいちゅう)といい神様が通る道とされている。参道のすこし端を歩くようにする。

(↑知りませんでした~~。あとで知りました。)

↓門をくぐり先へ(少し進んだ石段の上から振り返って撮影)。

20090530ride_10

↓石段を登る。

20090530ride_11

↓「拝殿」

20090530ride_12

サイクリングの無事を祈願しよう。

20090530ride_13

参拝方法 (二拝二拍手一拝)
まず深いお辞儀(正式には90度)を二回繰り返す。
次に両手を胸の前で合わせて拍手を二回打つ。
両手をそろえて祈る。
手をおろし、もう一度深いお辞儀をする。

20090530ride_14

古代の熱田神宮の社殿配置にならい、「本殿」「渡殿」「祭文殿」「拝殿」と言った具合に大社殿が一直線に配置されているのが特徴的である。
↓右横から見たところ。
↓左が「拝殿」。右が「祭文殿」(逆光で暗くて失礼(^^ゞ)。

20090530ride_15

↓左側面から見た「渡殿」。

20090530ride_16

↓右側面から「渡殿」の正面を覗き見る。木の組み方が美しい。

20090530ride_17

↓一番奥が「本殿」。やっぱり「本殿」が一番美しい。

20090530ride_18

現存の本殿は1668年(寛文8年)、岡山藩主、池田光政が造営に着手し、その子、綱政公の1697年(元禄10年)に完成した。
流麗な三間社流作りの神殿は飛鳥時代社殿建築の粋がつくされており、荘厳華麗にして吉備国の神社建築が伝統とする゛流れ造り゛の正統な姿を示す社殿としても貴重な建築物とされている。

↓右手の門をくぐると摂社の「子安神社」へ上がる石段。

20090530ride_19

↓「子安神社」

20090530ride_20

摂社「子安神社」
御祭神
 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
 伊邪那美命(いざなみのみこと)
 木花佐久夜姫命(このはなさくやひめのみこと)
 玉依姫命(たまよりひめのみこと)
 
摂社の子安神社は古来、縁結び、子授け、安産、育児の神様として広く世に知られ、全国から熱心なお参りがある。
慶長年間、岡山藩備前監国の池田利隆公が子宝に恵まれなかった際、祈願後たちまち名君と仰がれた光政公の誕生をみたことは有名な話である。
また、子安神社の脇に自生する蕨(ワラビ)を夫婦で食べると懐妊するという伝承があり、今でも御参拝の夫婦より「子宝に恵まれました!」という喜びの声を聞くとのこと。

↓子安神社の石段の下、右手に「天満宮」。

20090530ride_21

摂社「天満宮」
御祭神
 菅原道真公(すがわらみちざねこう)
 
学問の神さま、至誠の神として知られる菅原道真は、901年(延喜元年)に太宰府に赴く道中、当社に立ち寄ったという由縁があり、古くから境内に天満神社が建てられていた。
社殿の老朽に伴い、明治42年以降は別の末社に合祀されていたが、平成17年11月、新たに社殿が再建された。

社殿前に戻る。
↓社殿の斜め前に「平安杉」。

20090530ride_22

「平安杉」
樹齢千年以上とされる御神木。
昭和5年の社殿火災の火にあぶられ、幹の空洞化と老朽化が近年進行して倒木の恐れがあったが、平成16年に大手術治療が行なわれた。
「この大杉に龍の宿る」という伝承があり、吉備津彦神社のシンボルとなっている。

社殿の石段を降りたところ、随神門の両サイドに2基の大きな石の灯籠が有る。↓

20090530ride_23

「大灯籠」
高さ11.5m.、笠石8畳の日本一大きな燈籠。
1830年(文政13年)から1857年(安政4年)の27年にも渡り寄付がよせられ、1859年(安政6年)に天下泰平を祈願して建立されたもの。
6段づくりの石段には1670余名の奉納者名が刻まれている。

最後に参道の両サイドに有る池のほとりを散策しますか・・・。

20090530ride_24

静かな池の緑の水面が鏡のようですな。

20090530ride_25

中の島の様になっていて、奥に摂社も有る。

20090530ride_26

↓その摂社の一つ「亀島神社」。

20090530ride_27

近所だったら、休日の早朝に散策すると良いかもね。

20090530ride_28

↓もう一つの摂社「鶴島神社」。・・・あっ、さっきが“亀”で、こちらが“鶴か”。

20090530ride_29

歌碑・句碑も幾つか建っている。
↓その一つ、「服部忠志(ただし)」の歌碑。

20090530ride_30

龍短歌会の主宰、服部忠志の古希を記念して門下有志により昭和54年に建立されたもの。

『素枯れたる しもとさびしき山窪に はだれは白し すぐるしぐれも』

草木枯れはてた山窪にわずかに残る斑雪の白さと、それを濡してとおりすぎるひとときの雨。
この粛条たる冬の景色を人間そのものの寂寥感にまで昇華させたものである。

20090530ride_31

服部忠志 略歴
明治42年 岡山市沢田(旧幡多村)に生まれる。
昭和3年 岡山第一中学校卒、同年岡野直七郎の”蒼穹”同人となり、国学院大学に入学。
昭和6年 国学院大卒業。
昭和7年 ”短歌詩人”の創刊に参加、主宰し、昭和21年にこれを”龍”と改称して現在にいたる。又社高女、豊岡商業、岡山一中、朝日高等学校、林野高校に教え箭田高校校長、県立盲学校校長も勤める。
昭和52年 岡山商業大学教授となる。

さて、ここから「吉備路自転車道」に入る(自転車道のスタート地点はもっと東だけど)。時刻は8:00ちょい前。
↓吉備津彦神社の境内にも案内板が立っている。

20090530ride_32

神社をあとにし、案内表示板に従って進む。

20090530ride_33

↓こういう小さい案内板や、あるいは大きな案内板が要所要所に立っている。

20090530ride_34

「三丁川」沿いに進む。

20090530ride_35

おっと!カルガモ部隊を発見。

20090530ride_36

毛繕い開始。

20090530ride_37

全員立ち止まって、毛繕い。

20090530ride_38

さらに川沿いに進む。これから田植えをする、まだ水の入っていない田んぼが多い。

20090530ride_39

長閑な風景だ。

20090530ride_40

三丁川から離れ、案内板に従って進む。
↓両サイドに田植え前の田んぼが広がる中を山に向かって進む。

20090530ride_41

↓突き当りを右折(青い矢印)。車も走る一般道になる。

20090530ride_42

↓すぐに「鼻ぐり塚」に到着。時刻は8:20。

20090530ride_43

鼻ぐり塚・・・。何でしょうね?
左手の坂を登る。

20090530ride_44

ここは宗教法人「福田海本部」。

福田海(ふくでんかい)
明治33年、聖徳太子、役ノ行者、行基の法統に立つ中山通幽師によって開創された宗教団体。

拝観料100円を払い、自転車は駐輪して奥へ。

20090530ride_45

↓「中堂」

20090530ride_46

↓案内表示に従って進むと、「鼻ぐり塚」に到着。

20090530ride_47

正面に馬頭観音像。つまり動物に関係が有るということですな。
奥には石室が有るようだ。

20090530ride_48

塚に積まれているものは・・・?

20090530ride_49

これは牛の鼻ぐり(鼻輪)!凄い数だ。

20090530ride_50

『鼻ぐり塚』

かつて農村では、どこも牛を飼い、田畑の耕作の労役等に使っていた。牛は家族の一員のように大切に育てられていた。その際、牛の鼻に穴を穿ち、鼻輪(鼻ぐり・鼻環)をはめ、それを縄に結んで使役していた。やがて牛は飼い主の手を離れて売りに出され、解体されて肉となり皮となり、その最期を迎えた。牛はその一生全てを人間のために尽くしてきたと言える。
こうした牛の供養のために、死後に残された鼻輪を牛の唯一の形見として集めて浄祭することを、福田海開祖中山通幽師が発願し、全国から鼻輪が収集され、それは現在も続いている。
鼻ぐり塚はもともと円墳であり、その墳丘上に鼻輪を積んでいる。正面の馬頭観音像の奥には石室が有り、そこには真鍮製の鼻輪を溶かして作った阿弥陀の宝号を刻印した金属板が安置されている。
昭和初年に塚が建立されて以来、現在までにおさめられた鼻輪の数は690万を超え、現在も畜類供養のために春と秋には畜魂祭を行っており、年間数万個の鼻輪が塚に納められている。

↓そういうわけで、塚の右前に牛の像ですな。

20090530ride_51

↓そして!左前にはブタちゃん(♀でした)!

20090530ride_52

「ブタですが・・・何か?」

20090530ride_53

↓塚の正面左手の堂。

20090530ride_54

↓歌碑が有る。

20090530ride_55

この裏手の山に大納言藤原成親の墓が有る。成親はあの“鹿ケ谷”の謀議で、僧俊寛とともに平家追討の密議にやぶれ、この地に配流の身となって最期を遂げた。
これは江戸末期の万葉歌人平賀元義が成親のことを詠んだ歌である。

20090530ride_56

『あたらこの 成親がごと よき臣を 有木の山の うもれ木にして』
とある。

↓戻りしな、もう一つ歌碑。

20090530ride_57

『つまらぬと いふは 我身乃 不勉強』

・・・・耳が痛いです(^^ゞ

先程境内に入る前に上がった坂の横に、「長床」という舞台の様な建造物が有る。↓

20090530ride_58

天下太平、風雨和順を祈念する祭場とのこと。

20090530ride_59

20090530ride_60

「鼻ぐり塚」をあとにし、先へ。
一般道から民家の脇の小路に入る(下の写真)。こういう分かりにくいところでも案内板を探せば大丈夫でしょう。

20090530ride_61

これから田植えをするみたい。水が張られている。

20090530ride_62

ツツジが道の脇に植えられている。

20090530ride_63

ちょうど開花時期。綺麗ですな~~。

20090530ride_64

なんか、自転車道を使う人に対する地元の方からの心使いのようだ。

20090530ride_65

程なくして、大きな神社が近くに有りそうな光景が・・・。

20090530ride_66

↑参道っぽいでしょう。
↑上の写真の下段の方角と反対側に、前半のメインスポット「吉備津神社」が有る。
自転車道上の僕の進行方向左手に相当する。上の写真の右上の道の向こうがそれ。
上の写真の下段の参詣道は逆の右手を見ているわけ。

↓「吉備津神社」に到着。

20090530ride_67

『吉備津神社』(HP→ここ

吉備津彦命を主祭神とする山陽道屈指の大社。

吉備津彦命は・・・・

紀元前88年(崇神天皇10年)に北陸・東海・山陽・山陰道に4人の将軍が配置されたが、山陽道に配置されたのが吉備津彦命。
吉備中山に本陣を設け、鬼の城(きのじょう)に住む温羅(うら)という大男と対決。温羅は大岩を投げ、吉備津彦命は矢を射て戦った。矢に射抜かれた温羅は鯉に化けて逃げたので、吉備津彦命は鵜になって追い、ついに仕留めた。
岩が落ちた地に「矢喰宮(やぐいのみや)」、仕留めた地に「鯉喰神社(こいくいじんじゃ)」が残っている。
それから吉備地方は平定され、吉備津彦命の子孫が豪族となって吉備は栄えたと伝わっている。
この話が、桃太郎伝説のモデルになっている。

↓入り口左手に大きな石。「矢置岩」という。

20090530ride_68

↑「矢置岩」
吉備津彦命が温羅(うら)との戦いのときに射る矢を置いたとされる岩。
吉備津神社には、祭神である吉備津彦命が、鬼ノ城に住む温羅を弓矢で退治したという伝説にちなんだ、矢を放って魔を射る清祓の神事「矢立神事」がある。

駐輪し、急な石段を登る。

20090530ride_69

↓門をくぐると更に急な石段。

20090530ride_70

↓登って、また門をくぐると・・・。

20090530ride_71

↓「拝殿」正面に到着。

20090530ride_72

もちろん、サイクリングの安全を祈願。

20090530ride_73

「拝殿」は「本殿」の正面に接続して突き出した建物で、「本殿」と同時期の再建。柱間は正面1間(26尺6寸4分)、側面3間(32尺2寸8分)、棟高39尺(約 12m)、建坪23坪強(約78.5㎡)の大きさである。柱は本殿と同じ太さの円柱を用い、挿肘木による大仏様の組み物をそなえ、外観は重層内部は屋根裏 まで見とおした構造で正面は切り妻となり屋根を桧皮で葺いている。前面と両側面には一間通の裳階(もこし)をつけ、その屋根は本丸瓦葺になっている。日本全国に例のない独特の形式である。
明治43年の遷宮のとき、この拝殿だけは解体修理が行われ柱の一部が取り替えられた。
HPより)

↓そしてこれが社殿の全貌を横から見たもの。

20090530ride_74

「本殿」の大きさは桁行き48尺3寸(約14.6m)、梁間58尺3寸6分(約17.7m)、棟高(土台下端から箱棟上端まで)39尺6寸(約12m)、建坪 78坪3強(約255㎡)の大建築であり、京都の八坂神社につぐ大きさがあり、また出雲大社の約2倍以上の広さがある。
白漆喰で築いた亀腹の上に北面して立つ一重の神殿で、軸部の柱は径1尺6寸(約48㎝)の円柱で高さ20尺(約6m)のアスナロウと云われる材を内外あ わせて68本使っている。入母屋の千鳥破風を前後に二つ並べ同じ高さの棟で結び桧皮で葺き、ひとつの大きな屋根にまとめた構造で、上から見ると、棟はカタカナの「エ」の字型になっている。建築学上では『比翼入母屋造』と云い、全国で唯一の様式であるので、単に『吉備津造り』とも云う。
東大寺再建に尽力した僧重源が大陸よりもたらした大仏様の『挿肘木』といわれる組物により、この本殿のきわめて深い軒や回縁を支柱もなしに一軒でつくり、実に美しく調和した建築美を生み出している。
本殿・拝殿は過去2回の火事によって焼失したが、現在の本殿・拝殿は今から約600年前の室町時代、将軍足利義満の時代に約25年の歳月をかけて1425年(応永32年)に再建された。それ以来、解体修理もなくその雄大な姿を現代に伝えている。
本殿内部は、外陣、朱の壇、中陣、内陣、内々陣と別れており、中央にいくにしたがって、床も天井も高くなり天井の模様も異なる。外陣と中陣の大部分は天井を張らない化粧屋根裏であり、中陣の前面一間通と朱の壇は格縁天井を張り、内々陣は舟底天井である。
また朱塗り、丹、胡粉(ごふん)などで美しく塗装し、仏教建築の影響もみられる。現在外部は素木になっているが当初は丹塗りが施してあったと思われる。
本殿と拝殿との境に七級の木階を設けて連絡しており、本殿と拝殿はもともと一体のものとして設計された建物で、国宝目録にも『吉備津神社本殿・拝殿』として一体に数えられている。
HPより)

↓やはり、この屋根が美しい。

20090530ride_75

↓境内に巨木。

20090530ride_76

大きなイチョウの木だ。

20090530ride_77

ご神木とされている。

20090530ride_78

↓「祈祷殿」の前の、美しい池の有る庭。

20090530ride_79

境内には新婚さん。式を挙げたというよりも、披露宴用のビデオと写真を撮影しているようなご様子。
お幸せに~~~。

20090530ride_80

拝殿に向かって、境内とは反対のほうに進む。
↓白馬・・・。顔がちょと怖くて面白いですが・・・。

20090530ride_81

そして、ここから吉備津神社の有名な回廊がスタート。

20090530ride_82

↓回廊から町の景色が垣間見える。

20090530ride_83

先に進む。結構長いですよ。
↓途中の「随神門」をくぐる。

20090530ride_84

↓振り返って撮影。

20090530ride_85

回廊の脇にツツジ。

20090530ride_86

長いな~。↓振り返って撮影。

20090530ride_87

↓回廊から見た、下の裏庭。

20090530ride_88

↓こんなに長い。これでもまだ一部。

20090530ride_89

回廊の山側に摂社が幾つか。

↓「吉備津えびす宮」

20090530ride_90

↓「岩山宮」への参道。

20090530ride_91

敷地内に弓道場が有るらしく、近隣の中高生の弓道部が練習をしていた。

吉備津神社の敷地は広い。詳しくは神社の公式HPを見てくださいな。
回廊の途中から出、敷地の外へ。

↓そこに「宇賀神社」。

20090530ride_92

池の有る庭園が綺麗です。

20090530ride_93

松が中心。

20090530ride_94

↓池の上に伸びる松の枝が見事。

20090530ride_95

さて、再び吉備路自転車道に戻る。時刻は9:20頃。
↓先程。吉備津神社へそれた所から正面の田畑の間の道へ。

20090530ride_96

進みます。

20090530ride_97

↓左手の山に吉備津神社の社殿の屋根が見える。

20090530ride_98

↑この山が「吉備中山」(の一部)。
東の麓に「吉備津彦神社」、西の麓にこの「吉備津神社」が有る。
細長い山で、鯉の形に似ているとのこと。標高162mの山頂に吉備津彦命が祀られている。

↓田畑の間に伸びる自転車道を進む。

20090530ride_99

なんという、直線コース!すごい自転車道だ。
田んぼの区画に従って作られているようで、だから真っ直ぐなのかも。

20090530ride_100

ひたすら田んぼ(田植え前です)。

20090530ride_101

↓途中で田植え中の田んぼを通る。水が張ってある。

20090530ride_102

↓田植え中。

20090530ride_103

↓現代の田植えの動画です(BGMが流れますので音量に注意)。

↓程なくして自転車道からの脇道に「惣爪塔跡」。

20090530ride_104

史跡『惣爪塔跡』

奈良時代に建てられた、古来「石の釜」と呼ばれていた塔の中心柱の礎石とされ、直径70cm、深さ17cmの円孔が有る。さらに円孔の底に子孔が有り、仏舎利が納められていたであろうと思われる。
奈良時代の前期、この礎石の上に建っていた塔のほか、金堂・講堂などの建物が並び、一大伽藍が営まれていたことが想定される。しかし、塔以外の建物の礎石や他痕跡は、周囲の水田の地上げのため、今は確認することができない。この寺は「津の臣」の氏寺であったともいわれている。
なお、付近一帯は弥生時代の集落跡でもあり、水田の下から貝層や土器、その他の遺物が発見されている。

↓あまり接近すると、穴の中に捨てられたゴミが写るので(けしからん!)、ここまで。

20090530ride_105

↓足守川沿いの土手の上に自転車道が移る(振り返った吉備中山の方角)。

20090530ride_106

足守川沿いに暫く走る。

20090530ride_107

田んぼの間も良いけど、川沿いも良いね。

20090530ride_108

この辺りの足守川はとても穏やかだ。

20090530ride_109

↓カルガモもノンビリ。

20090530ride_110

↓途中の矢部橋を渡って自転車道を離れる。

20090530ride_111

↓なぜなら、この「鯉喰神社」に寄るため。
↓矢部橋から右折→左折で到着。時刻は10:00頃。

20090530ride_112

道路沿いに社殿が並んでいる。
鳥居をくぐって中へ。

20090530ride_113

「鯉喰神社」については、前述の「吉備津神社」の吉備津彦命の温羅討伐の話で触れたとおり。

20090530ride_114

門をくぐって奥の社殿へ。

20090530ride_115

またまたサイクリングの安全を祈願。

↓矢部橋に戻り、橋を渡って自転車道に復帰。

20090530ride_116

左手に足守川を見ながら進むと・・・。

20090530ride_117

↓次の橋「新矢部橋」を渡って対岸へ(下の写真の上段)。

20090530ride_118

「新矢部橋」上は県道73(270)号なので、交通量がそこそこ多い。県道を横断する必要が有るので要注意。
↓先に進む。

20090530ride_119

暫く走ることが続く。次の観光スポットはまだ先だ。
長閑な田畑を見ながらノンビリ走る。

20090530ride_120

右手に足守川が流れている筈であるが、角度的によく見えない。

20090530ride_121

それにしてもいい自転車道ですな~。

20090530ride_122

↓程なくして山陽自動車道と岡山自動車道との合流地点、岡山JCTが見えてくる。

20090530ride_123

この下を抜け・・・。

20090530ride_124

↓再び足守川沿いの道に・・・。

20090530ride_125

しかしここで、吉備路自転車道を走っている者ならこれを読んで
「バカだな~。やっちまったな。」
と思うだろう。
僕は「吉備路自転車道」から“コースアウト”してしまったのだ。
実はこれは「吉備高原自転車道」。吉備に有るもう一つの自転車道だ。吉備路自転車道ほどメジャーではないかもしれないが、北の吉備高原まで伸びている自転車道で、全長約30km。
「吉備高原自転車道」の存在は知っていたが、今回走るつもりは無く、それゆえ調査不足で吉備路自転車道との合流地点に注意が働いていなかった。
目の前に“歩行者・自転車専用道路”の標識が見えたので、まっすぐ進んでしまった。

↓そうとは知らずに進む。・・・気がつかないKatzeに暫くお付き合いください。

20090530ride_126

↑上の写真の橋で足守川を渡り・・・。

20090530ride_127

↑岡山自動車道脇の小路から、下をくぐる。↓

20090530ride_128

↓すると、広がる田んぼ。

20090530ride_129

田植え中と田植え前の田んぼが混在。
田んぼの区画の間を進む。

20090530ride_130

途中に案内板が有るので迷うことは無い。
しかし、その案内板に「吉備高原自転車道」と書いてあるのに見落として進んでいる。

20090530ride_131

↓こんな民家の立ち並ぶ中を進んだりもする。

20090530ride_132

↓やがて国道180号と吉備線の上を歩道橋で越える。

20090530ride_133

↑左手に備中高松駅のホームが見えている。
ここで地図を久しぶりに引っ張り出すと・・・・。
あれ?載っていない・・・。備中高松駅は吉備路自転車道沿いに無い・・・。
ここどこ・・・・??

↓歩道橋を渡ったところの案内板を見て、初めて気がつく。

20090530ride_134

間違えた!!「吉備高原自転車道」に入っている!!

戻るべきか・・・。
少々悩んだが、時間的余裕もある程度有りそうだし、折角なので「吉備高原自転車道」も走ってみることにした。時刻は10:40頃。
吉備高原自転車道の地図は持ってきていないので、案内板だけが頼りだ。

とりあえず進む。

20090530ride_135

途中で「高松城跡」を示す自動車用の案内板を見かけ、吉備高原自転車道から離れて、そちらへ。ただし、吉備高原自転車道は「高松城跡」も通っている。それは大回りしたあとのことなので、ここではショートカットして向かった次第。

↓史跡「舟橋」。

20090530ride_136

『舟橋』

高松城は平城で三方を堀に囲まれていたが、その南手口には具足の武士がようやくすれ違うほどの細い道が有った。開戦直前に八反堀を堀り、外濠とした。そこへ船を並べて船橋(長さ約64m)となし、城内より進攻の際はこれを利用し、また退く時は船を撤去出来る仕組みで、城の西北の押し出し式の橋と共に大きく防備の役目を果たした。

↑何を言っているのか?と思うだろうが、この話を読んでくだされ。↓

<高松城水攻め> (1582年・天正10年)
織田信長の命を受けた羽柴秀吉は、3万の大軍をもって、備中国南東部に侵入し毛利方の諸城を次々に攻略するとともに、備中高松城を攻撃。
秀吉は、高松城主の清水宗治に利をもって降伏するように勧めたが、義を重んじる宗治はこれに応じなかった。
高松城は深田や沼沢の中に囲まれた平城で水面との比高がわずかに4mしかなく、人馬の進み難い要害の城であった。秀吉は参謀・黒田官兵衛の献策に戦史にも稀な水攻めを断行し、兵糧攻めにした。秀吉は、備前国主宇喜多氏の家臣・千原九衛門勝則を奉行とし、約3kmにおよぶ堤もわずか12日間で完成させた。時あたかも梅雨の頃で、増水した足守川の水を流し込み、たちまちにして188haの大湖水が出来、城は孤立した。
6月2日の未明、京都本能寺で信長は明智光秀に討たれた。秀吉はこれをかたく秘めて「今日中に和を結べば毛利から領土はとらない。宗治の首級だけで城兵の命は助ける」という条件で宗治を説かした。宗治は「主家(毛利氏)の安泰と部下5千の命が助かるなら明日4日切腹する」と自刃を承諾した。
(参考サイト→「岡山のお城と町並み」)

↑ちょっと歴史好きなら、分かるでしょ?あの水攻めの城なのです。

↓で、「高松城跡」に到着。時刻は10:50頃。

20090530ride_137

城は勿論無い。
↓高松城全景想定図。

20090530ride_138

水攻め時の本丸界隈の布陣の様子が立体地図になっている。

20090530ride_139

↓中心に布陣を表す地図。

20090530ride_140

容赦無い囲み方だね。

20090530ride_141

↓各武将の布陣した方角が円周上に彫られている。

20090530ride_142

今は、ここは公園になっている。
長閑な公園だ。近場の方が訪れているみたい。

20090530ride_143

ここは花菖蒲園らしい。時期がずれているのが残念。

20090530ride_144

↓遠くに見える土蔵のような建物は資料館。

20090530ride_145

暫し自転車を押しながら散策。

20090530ride_146

少ないながら花が咲いている。

20090530ride_147

大原桂南(けいなん)の漢詩碑

20090530ride_148

大原桂南は・・・

書家。岡山県生。名は専次郎、別号に董明・保静堂等。
初め難波香城・加納星南に学び、のち日下部鳴鶴、近藤雪竹に師事。岡山師範等の書道講師をつとめる傍ら、県書道協会会長等を歴任、書道の振興につくし、多くの文化賞を受けた。昭和36年(1961)歿、82才。

20090530ride_149

↓蓮の池が見事です。

20090530ride_150

高松城の沼を復元した際に当時の蓮が芽を吹いたそうで、「宗治蓮」と呼ばれている。

で、この蓮池を見ながら橋を渡っていると、突然空気の抜ける大きな音!!

20090530ride_151

一気に後輪のタイヤが萎んだ。パンクだ!
乗ってもいない時にパンク。しかも抜け方からすると、何かガラス片とか尖った物が刺さったわけではなく、大きく裂けたと思われるような抜け方・・・。
↓ベンチの有るところでチェック。

20090530ride_152

やはり外からの尖った物ではなかった。
犯人はスポーク。・・・いや、劣化したリムテープと言った方が正解かも。
↓リムテープが経年劣化し、スポークとリムを固定しているねじの形が浮き出てきている。

20090530ride_153

スポークが刺さると言うよりも、チューブがリムテープの張力に打ち勝ってチューブがスポークを包み込もうとする感じ・・・相対的にスポークが刺さっている状態になり、遂にはチューブが耐えきれずに裂けてパンク・・・、といった具合。
上の写真のリムテープ上の白い粉はチューブ内部に出荷時から入っている、ゴムが接着するのを防ぐ粉(正式名は知らない)。パンクで噴き出したのだ。
とりあえず、チューブを交換。しかしエア圧を高くすると当然またパンクするので、適正圧範囲の真ん中でやめておく。帰宅したらリムテープは交換しないといけない。
なんにしても、今日のこれからは再パンクを気にしながら走ることになるな・・・。前回「スローパンクに翻弄されて大仏線遺構巡りに終わる 2009.05.23」から連続のパンクだ。こちらはすぐに原因が分かったからいいけど。

チューブを交換し、気を取り直してポタリングを続けます。

20090530ride_154

『浮世をば 今こそ渡れ 武士の名を 高松の 苔に残して』

城主だった清水宗治の辞世の句だ。

20090530ride_155

↓城跡を示す碑。

20090530ride_156

清水宗治の首塚も有ったが、写真は撮影しなかった。・・・なんとなく。

↓もっと晴れやかにいきましょ~~。

20090530ride_157

なかなか良い城跡公園だ。
で、高松城跡から吉備高原自転車道に復帰。

20090530ride_158

す~~~んごく伸びている自転車道。吉備路自転車道にも同じ雰囲気の場所が有ったな~。田んぼの区画を通る道はひたすら長い。

20090530ride_159

↓たまにこういう一般道も通るけど。

20090530ride_160

↓左手に吉備線。

20090530ride_161

再び田んぼの間を抜けていく。
空も晴れてきていて、いい感じ。

20090530ride_162

石像が並んでいる。

20090530ride_163

比較的、神道関係の物が多い中で初めて仏教関係のものが登場。

20090530ride_164

20090530ride_165

20090530ride_166

しかし、その横にまた神社です。
↓「生石(おいし)神社」。

20090530ride_167

『生石神社』

祭神
応神天皇
神宮皇后
玉依媛命(たまよりのひめのみこと)
 
今から1200~1300年前の氏神様であった。
社殿は元々は南北朝時代のものであったが江戸初期に改修された。
この地の豪族、生石氏は生石八幡宮を氏神として祀り、氏寺報恩寺を建てた。
明治40年の「一村一社のおふれ」により、生石地区の神社は矢喰天神社を除いて、ここに統合された。
なお、1582年(天正10年)の水攻めの時、この山に加藤清正が布陣していた。

↓自転車を駐輪して急な石段を登る。

20090530ride_168

↓「随神門」。江戸初期の改修。

20090530ride_169

↓「鐘衝堂」。これも江戸初期の改修。神社に鐘ですか・・・。

20090530ride_170

↓「拝殿」。

20090530ride_171

で、また自転車道に戻る。

20090530ride_172

天気の良い昼の自転車道。

20090530ride_173

本当は寝そべってダラダラしたいところですな。↓

20090530ride_174

いい道だ。

20090530ride_175

遠くの山々も綺麗。

20090530ride_176

この辺りの田んぼも田植え前ですな。

20090530ride_177

吉備高原自転車道・・・迷い込んで正解だったかも。

20090530ride_178

続くね~~~。

20090530ride_179

ひたすら走る。

20090530ride_180

↓足守川を渡る。

20090530ride_181

足守地区に入っている。

20090530ride_182

川には・・・鷺かな?

20090530ride_183

町の中へ。
いい感じの昔風の家々が立ち並ぶ。

20090530ride_184_2

「足守」は岡山市中心部から北西に約10km、笹ヶ瀬川支流の足守川沿いに開けた山あいの町である。江戸時代は木下氏足守藩の陣屋町、蘭学者緒方洪庵の出身地で、現在も当時の町並みが残っている。
夏にはホタルが飛び交う事で有名である。
また、産業として農業があり、米や野菜の他、果物の生産が盛んで、岡山県の名産である白桃やマスカット・ピオーネの他にアールスメロンが有名である。特にアールスメロンは、「足守メロン」の名称でブランド化されている。

↓「足守歴史資料館」が有る。今回はスルー。

20090530ride_185

なぜなら、吉備高原自転車道のここから先がいまいち分からなくなってきて、観光気分になれなくなってきたから・・・。
↓足守川の対岸(左岸)沿いなのか??

20090530ride_186

↓右岸沿いのこの小路か??

20090530ride_187

↑丁度、たくさんの子ども達をひきつれたサイクリング・イベント中のローディーさんが走って来られた。道を尋ねようと思ったが、大集団に圧倒されて声をかけられず・・・。
とりあえず、彼らがやってきた方へ行ってみることに・・・。

20090530ride_188

↑いい感じの小道でしたが・・・。
↓この先で国道429号と合流し、そこに自転車道らしき道や案内板は無し・・・。

20090530ride_189

↓結局、この橋に戻ってくる。ここまでは自転車道みたいなんだけど・・・。

20090530ride_190

丁度その時、KHS(だったと思う)に乗った方が通りがかって挨拶。
その方に尋ねてみると。

Katze「すいません・・・。ちょっとお尋ねしたいんですけど、吉備高原自転車道はどこですか?」
KHSの人(以下KHS)「北のほうへ行かれるんですか?」
Katze「ハイ(分かっていそうだな・・・)。」
KHS「そうしたら、この国道の旧道(橋の向こうの左岸沿い)を上流に向かって行くんですけど・・・。一応自転車の標識は有りますが、ここから先はずっと登りだけですよ。」
Katze「(高原だからな・・・この自転車では無理か)あ~、そうですか・・・。ロードで来ればよかったかもしれませんね・・・。今日はここで退散して戻ります。ありがとうございました。」
KHS「そうですか。では、お気をつけて。」

さすがに吉備高原・・・高原という名前だけに、おそらく20×1.50のタイヤの小径車で登るのはキツイかも。それに行ってしまうと、残りの吉備路ポタリングのほうが無理になりそうだ。
もしかしたら、KHSの方も「君の足と自転車では無理なのでは?」みたいなニュアンスで言ったつもりだったのかも知れないし~~・・・アハハ(自虐)。
やめておこう。
ロードバイクで来ていれば行ったのに・・・残念だ。
ウソです。ホントはロードバイクで来なくて良かった。来ていたら、これを読んでいる人に「何でロードで来ていて、高原まで行かないんだよ~。」ってことになるし、いい言訳出来る・・というのが本心(^^ゞ
ま、ホントに次回吉備高原まで走る時にはロードバイクにしますけどね。

↓ちなみに、あとで調べたところ、吉備高原自転車道の走った部分が青色のライン、茶色の点線のラインが諦めた部分。

Smallmap_32009053

終点までまだ倍近く有るみたいですな。

そういうわけでリタ~ン。時刻は12:30をちょっとまわっている。

ひたすら戻り続ける。
しかし、高松城跡に戻ってきたところで、先程、城跡の手前で吉備高原自転車道を思いっきりショートカットしたので、今度は自転車道を忠実にトレースして吉備路自転車道まで戻ることにする。
↓あとで調べたが、このショートカットと正規ルート(遠回り部分)の差がよく分かる。

Smallmap_22009053

↓未走の吉備高原自転車道部分。

20090530ride_191

↓家の裏の道みたいな・・・。

20090530ride_192

↓??なんか、山の中に入るのか??

20090530ride_193

町から離れていくぞ・・・。

20090530ride_194

おお!いい感じの道。でも凄く遠回りして戻ることになりそうな予感。

20090530ride_195

まっ、いいか。景色を楽しみましょう。

20090530ride_196

町の外れの山裾を走っているようだ。

20090530ride_197_2

雰囲気はいいね。
ローディーさんともすれ違ったりして・・・。

20090530ride_198

連続カーブの下りも有ったりして・・・。自転車道にしては珍しいアップダウン・コースだな。

20090530ride_199

町が見える所に戻ってきた。

20090530ride_200

案内板を頼りに進んでいく。
↓「最上稲荷」の鳥居をくぐる。

20090530ride_201

案内板が無かったら絶対に迷う(吉備高原自転車道に入っていること自体が既に迷っていることなんだけどね)。

20090530ride_202

ひたすら真っ直ぐな道。

20090530ride_203

どこまで真っ直ぐ???走っていて気持ちいいけどね~。

20090530ride_204

↓程なくして、先程の国道180号の上の歩道橋から見えた、大鳥居の下に出る。

20090530ride_205

↓でかいな~~~。

20090530ride_206

そしてついにその歩道橋が見える所に戻ってきた。
↓向こうに見える橋がその歩道橋。
↓ちなみにこの辺りの小川は高松城の水攻めの跡。

20090530ride_207

戻ってきた余裕で、道端の花にも目が行く。

20090530ride_208

歩道橋を渡り、もう一息。ひたすら岡山JCT下を目指して走る。

↓そしてようやく例の間違いポイントに戻ってきた。時刻は13:40。

20090530ride_209

↓結局こういうことだったわけ。

20090530ride_210

↑左に行かなければいけなかったんですな。

さて、ここからまた吉備路自転車道。幸い、観光できる時間が残っている。
↓川沿いの綺麗な道が続く♪

20090530ride_211

今度は田んぼの間の直線道路。

20090530ride_212

ここでまたちょっと自転車道から離れる。
↓「造山古墳」に寄るためだ。案内板に従って左折する。

20090530ride_213

↑真っ直ぐな道の先で・・・。
↓造山古墳前の駐車場に到着。時刻は14:00頃。

20090530ride_214

↓造山古墳群の模型。前方後円墳である。

20090530ride_215

↑造山古墳群と称されているように、近くに幾つかの陪塚が有ることが分かる(左手の小さな円墳様のもの)。

『造山古墳』

築造時期が5世紀前半と推定されている、巨大な前方後円墳。
全長約350m、高さ約24m、後円部の径約200m。前方部の幅約215m。平面積約7.8ha。
1921年(大正10年)に国指定史跡に定められた。埋設部分は未調査。
古墳時代(3世紀末~7世紀初め)に造られた全国の前方後円墳5,200基の中で、第4位の規模を占めている。第1位の仁徳天皇陵(全長486m)と第2位の応神天皇陵(全長425m)は、造山古墳より後の時期であり、第3位の履中天皇陵(全長365m)が同時期でほぼ同規模ということで、築造時には最大規模であったと考えられる。それまでの最大規模の景行天皇陵(全長300m)で、それを大きく更新したものだったと推測されている。
多くの前方後円墳に見られるような、水を湛(たた)える濠は無く、当時も無かったと思われる。
樹木に覆われた古墳は3段に築かれ、各段の境目には円筒埴輪が埋められていたという。
造山古墳に葬られている人物は不明。通説では大和中央政権に拮抗したした吉備地方の豪族とされている。一方、当時前方後円墳は古墳時代の日本列島において、大和を中核にした政治体制の中の高い社会的身分の者に築造されるもので、築造時には全国最大規模だったと判断されることとから、天皇にも匹敵した中央政権内部の中心人物ではないかとも推察されている。

古墳は下から見難い。実際に古墳の上に登れるようなので、行ってみる。
↓民家の間のいい感じの狭い路地を抜けて近づく。

20090530ride_216

↓前方側に階段が有って登ることが出来る。自転車を駐輪して登る。

20090530ride_217

階段を登って左手に神社。↓

20090530ride_218

↓鳥居をくぐる。神社なのに、ここでも寺と同じように鐘が有る。

20090530ride_219

↓正面の本殿。

20090530ride_220

↓神社の境内から出て、左手の小路を歩いてみる。

20090530ride_221

後ろの円墳側に行ける。
↓広場のようになっているだけでしたが・・・。

20090530ride_222

どこかに石棺が置かれているらしいが、見落とした・・・(-_-;)
↓古墳から眺める東側の風景。

20090530ride_223

20090530ride_224

20090530ride_225

いい景色を眺めたら戻って、自転車に乗って先へ。

20090530ride_226

↓突き当り、古墳の西で自転車道に再び合流。

20090530ride_227

↓左の道が吉備路自転車道。そちらへ。

20090530ride_228

再び田畑の間を抜ける道。

20090530ride_229

暫くいい感じの道を進むと・・・。

20090530ride_230

途中で国道429号や国道180号の近くを通ったり横断したり、ちょっと賑やかな場所に・・・。

20090530ride_231

この辺りは案内板が無いと分かりにくいかも。

20090530ride_232

↑国道から遠ざかるように短い坂を登ると、分岐。↓

20090530ride_233

↑右の「国分尼寺跡」方面へ。自転車道からまた離れる。
↓木々の中の小路を進む。虫がたくさん飛んでいるのがちょっと嫌だが、景色は良い。

20090530ride_234

国分尼寺跡に到着。時刻は15:00ちょい前。

20090530ride_235

『国分尼寺跡』

奈良時代に聖武天皇の発願により造営された備中国の尼寺の跡。
寺域は東西108m、南北216m。
築地土塀で囲まれた境内には南から北へ難問・中門・金堂・講堂などの建物が一直線上に置かれた伽藍配置を持っていた。
それらの建物は南北朝時代の戦火で焼失したと伝えられている。
この尼寺跡には創建時の金堂の礎石を初め、難問・中門・講堂・築地土塀の遺構が保存されている。

↓当時の伽藍の様子。

20090530ride_236

↓「金堂跡」

20090530ride_237

↓金堂の礎石が並ぶ。

20090530ride_238

分かり易いね。

20090530ride_239

↓建物跡・・・とだけ。塔跡か・・・鐘楼か経堂だったかもしれないとのこと。

20090530ride_240

↓「講堂跡」。遠目の写真では、それで?・・・って感じで終わりそう。

20090530ride_241

色々遺構を探さないとね・・・。でも虫が多いのでそそくさと退散しちゃいました。

↓引き続き小道を進むと・・・。

20090530ride_242

↓「岡山県立吉備路郷土館」(HP→ここ)に到着。

20090530ride_243

入館する。ただし写真撮影は禁止。
古墳からの出土品の実物、レプリカ、写真が展示されている。
その他縄文・弥生時代関連展示等々。

資料館に付随して、江戸末期の民家2棟が移築されて保存されている。
↓「旧松井家住宅」。

20090530ride_244

『旧松井家住宅』

この民家は、もとは岡山市沼に所在し、旧山陽道に沿う茶屋であった。
昭和47年に移築。
建築の様式・手法から見て、江戸末期に建てられたと思われる。
屋根は茅葺・入母屋造の建物で、基本的に当時の一般的な民家の構造を成している。簡素で必要最低限な間取りである。

綺麗ですな。

20090530ride_245

↓間取り図。

20090530ride_246

人の家を覗いているようで、なんかコソコソした感じで見学(^^ゞ

20090530ride_247

寝っ転がって休みたいが、ダメですよ。

20090530ride_248

綺麗に保存されていますな。

20090530ride_249

↓天井は竹ですか。

20090530ride_250

20090530ride_251

↓土間。

20090530ride_252

20090530ride_253

もう一軒展示されている。
↓「旧山手村役場」。

20090530ride_254

『旧山手村役場』

この建物は風早雲嶂(うんしゅう)(1846~1896、医師・初代山手村長)という人が自宅として建てたもの。以前は今の山手村役場附近の都窪(つくぼ)郡山手村大字地頭片山にあった。
建築様式・手法からみて幕末から明治初期のもののようである。
雲嶂の死後は山手村が購入し、1902年(明治35年)から1968年(昭和43年)までの66年間山手村役場として使用されていた。

構造・形式:
身舎(もや) 正面14.89m 奥行10.127m 
一重(ひとえ)寄棟造・瓦棟(いらかむね)付茅葺
附属屋 正面5.202m 奥行3.202m  切妻造・本瓦葺
中門(ちゅうもん) 門扉両開・切妻造本瓦葺(袖塀付き)
移設時期 昭和47(1972)年

20090530ride_255

↓間取り。

20090530ride_256

また中を見学します。

20090530ride_257

こっちも寝そべりたい気分。

20090530ride_258

20090530ride_259

綺麗にされていますな。

20090530ride_260

玄関から土間へ。

20090530ride_261

幾つか展示物が置かれている。
↓「唐箕(とうみ)」。脱穀した稲の種実ともみ殻とを分ける物。

20090530ride_262

↓「土磨臼」。米の精白に使う石臼。

20090530ride_263

↓「五右衛門風呂」

20090530ride_264

↓住宅時代の跡の竈だろうか。役場には必要無いだろう。

20090530ride_265

↓土間の天井。茅葺の裏側ですな。

20090530ride_266

次いで、道なりに進んでいくと・・・。

20090530ride_267

綺麗な池ですな。

20090530ride_268

半周してみる。

20090530ride_269

先程の「旧山手村役場」の茅葺屋根が見える。
いい感じの景観だ。

20090530ride_270_2

↓池のほとりに「松井の井戸」というものが有る。

20090530ride_271

今は、使われなくなた古井戸であるが、後白河天皇が即位されたときの大嘗会の時に藤原茂明が詠んだ和歌が伝えられている。

『むすびあぐる 松井の水は 底清み うつるは君が 千代のかげかも』

この歌から、名水であったことがうかがえる。

20090530ride_272

池のそばにもう一つの観光スポット「こうもり塚古墳」が有る。そちらへ。
↓古墳の外周。

20090530ride_273

石段を登り石室へ。

20090530ride_274

『こうもり塚古墳』

全長約100mの前方後円墳で、松に覆われた丘に巨大な横穴式石室が口を開けている。
川原石を敷き、巨岩で造った石室の中央には、凝灰岩の一枚岩をくりぬいた家型の石棺が安置されている。その規模は飛鳥の石舞台級と言われている。

↓古墳の図解。

20090530ride_275

奥に石棺が有るようだ。

20090530ride_276

↓石棺。ホント、家型だ。

20090530ride_277

吉備路自転車道が古墳の近くから続いている。再び自転車道へ。

20090530ride_278

すぐ近くの「備中国分寺」に寄ってみる。後半のメイン・スポットだ。

20090530ride_279

国分寺と言えば、この五重塔。遠くからでもひときわ目立つ。

20090530ride_280

↓坂を上がると山門に到着。時刻は15:40頃。

20090530ride_281

『備中国分寺』

山号は日照山。
宗派は真言宗御室派。
本尊は薬師如来。
741年(天平13年)の創建で、聖武天皇の発願によって全国に建てられた国分寺の一つ。
南北朝時代に全焼し、今の堂宇は江戸中期以降の再建。

↓伽藍の図。

20090530ride_282

五重塔の近くの駐車場に駐輪し、先ずは境内へ。

20090530ride_283

↓「本堂」。

20090530ride_284

↓内部の様子。

20090530ride_285

本尊の薬師如来像。

20090530ride_286

↓「大師堂」。

20090530ride_287

↓境内にある松の巨木。

20090530ride_288

↓「鐘楼」。

20090530ride_289

↓中に入り、下から鐘を仰ぎ見る。

20090530ride_290

↓そして「五重塔」。

20090530ride_291

これも江戸中期、1821年(文政4年)の再建。
高さ約38m。
江戸時代後期の様式を濃く残す岡山県内唯一の五重塔である。

20090530ride_292

逆光でいまいち写りが・・・・。逆光時の上手い撮影を学ばないとな・・・。
でも、美しい塔ですな。

20090530ride_293

国分寺をあとにして、ここから総社の町を目指す。

20090530ride_294

振り返ると五重塔がまだしっかりと見える。

20090530ride_295

↓県道271号の下をくぐる。

20090530ride_296

まだまだ続くぞ。どこまでも真っ直ぐな道みたいな~。

20090530ride_297

田んぼの中を進む。

20090530ride_298

↑途中に「作山古墳」。↓

20090530ride_299

『作山古墳』

松林に覆われた前方後円墳で、全長約285m、高さ約24mは全国で9番目の大きさ。
墳丘は三段に積み上げられ、その境目に円筒埴輪が埋められているという。

それにしても、広大な田んぼですな~。

20090530ride_300

秋になったら黄金色の絨毯になりそう。

20090530ride_301

ようやく県道272号と合流。
↓下の写真上段は県道を渡って自転車道の方角を振り返ったところ。

20090530ride_302

↑県道272号は更に西の総社駅方面に続いていて、もうすぐ終わる(上の写真の左下)。
しかし今回はここで自転車道から離れて県道272号を北上する。これから「総社宮」に向かうためだ。
↑右折して県道272号を北上(上の写真の右下)。

暫くすると徐々に町の様相に変わり、やがて左手に「総社宮」が見えてくる。下の写真は「総社宮」到着直後に振り返って撮影した県道272号。

20090530ride_303

↓「総社宮」に到着。時刻は16:30頃。ここは県道272号沿いの東の出入り口。

20090530ride_304

鳥居をくぐって中に入りかけたが、境内への自転車の乗り入れは禁止されていたので、駐輪し易い南の入り口に回り込む。

総社宮

祭神 大名持命 須世理姫命

大化年間(645~650年)の創立。
備中国の総社である(ここ総社の地名の由来となったといわれている)。
総社というのは、国中の神社を巡拝する慣わしの不便をはぶくため、平安末期に国府の近くに造られるようになったものである。
ゆえに社殿には備中国内大小の神々、すなわち官社18社(延喜式所載の神社)、田社286社(国司の神名帳記載の神社)、合わせて304社の神々を祀ったことが古文書に記されている。
毎年秋の大祭にはこの304社に神饌をお供えするのを古例として存続している。

↓南の入り口。ここに駐輪(境内は自転車の乗り入れ禁止・・・おばさんが入っているけど)。

20090530ride_305

駐輪をするためにロックを掛けていると、背後からとても聞き覚えのある・・・いや、毎日聞いているお馴染みの声が・・・。
隣に総社幼稚園が有り、その敷地に大きな厩舎が有って、中にはニワトリ・・・。↓

20090530ride_306

しかし、聞き覚えの有るのはニワトリではなく、これ(゚▽゚*)。↓
(↓動画をご覧ください。中盤からBGMが流れますので音量にご注意を。↓)

先日の記事「幼稚園のインコ達」で紹介した動画です。↑
総社宮よりもこちらのほうがいい!・・・アハハ。

↓長い回廊を通って拝殿へ。ミニ吉備津神社の回廊みたいな・・・。

20090530ride_307

↓「拝殿」正面。

20090530ride_308

拝殿には多くの絵馬が奉納されており、円山応挙や大原呑舟といった有名作家の絵馬も奉納されているそうである。

↓拝殿の奥にある「本殿」。

20090530ride_309

↓庭には、緑の水面が美しい池が有る。

20090530ride_310

古代の三島式庭園からなる前庭。

20090530ride_311

鏡のように木々が映っている。

20090530ride_312

見事です。

20090530ride_313

「総社宮」から出て、すぐ南隣りに「総社市まちかど郷土館」(参考→ここ)が有る(下の写真)。

20090530ride_314

明治43年(1910年)の建築物で、総社警察として使われた木造の洋館を利用した資料館。八角形の楼閣風の入口が明治風。

「旧総社警察署」について・・・
徳川幕府の倒壊により成立した明治新政府は、鎖国政策を改め積極的に西洋文化の 導入に努めた。
建築の面においては、旧来の和風様式に西洋建築を加味したものが、明治年間に おいて官公署や学校を中心に盛んに建築された。
これが明治洋風建築といわれるものである。 この建物の建築年代は、総社警察署資料によれば明治42年6月7日起工。 明治43年3月20日落成とあり、明治末年頃になって洋風建築が総社でも 採り入れられたことがうかがえる。
現建築面積192.63平方メートル。花崗岩製の布基礎の上にレンガ積みとした 木造二階建の寄棟造、棧瓦葺きで六角形の楼閣風入り口が特徴である。
市内に現存する唯一の明治洋風建築である。
                       (総社市教育委員会)

わりと古代の物を見続けてきて、最後にこういうのもいいですな。何気に赤いポストも昔風で良いね。
入館無料。9:00~18:00まで。月曜日は休館とのこと。

↓1階に入る。ここは歴史と物産の展示コーナー。

20090530ride_315

資料館のスタッフは穏やかそうであったが、1階の写真撮影は遠慮しておいた。

次いで2階へ。2階は備中売薬や阿蘇の鋳物、い草関係の展示がされている。
こちらはスタッフがいなかったので、コソッと撮影(いやガンガン撮影しまくり)(^^ゞ
↓い草の織り機が展示されている。

20090530ride_316

↑手前右手が「中継表機(なかつぎおもてはた)」という織り機で、「引通表機(ひきどおりおもてはた)」という織り機。
説明書きがなされていたが、きちんと理解できませんでした(^^ゞ

↓売薬関係。

20090530ride_317

売薬には、昔からいろいろな販売方法があり、薬舗にて売る方法、僧侶や定斉屋、 香具師(歩き医者とも呼ばれ「居合抜、独楽廻し」などを演じて人を集め、薬を売る) などによって行商される方法、置薬(家庭配置薬)の3つの方法が用いられた。
総社市を中心とする備中売薬の起源は、元禄年間(1695年)と言われ、初めは、 その土地の庄屋又は有力者の家に配置する「大庄屋廻し」の方法で販売していた。
その後しだいに直接各家庭に置くようになっていった。
配置人(張主・売子)は、主として農閑期に懸場(かけば・得意先、販売先)を回り、 預けていた売薬のうち消費した分を集金し、再び一定量を預けて回る。
(まちかど郷土館のパンフレットより)

↓売子である「配置人」。・・・・ん?

20090530ride_318

出た!!どこの国の方ですか~~?
・・・生野銀山のときと同じパターンだ(「篠山~生野銀山サイクリング 2007.04.07」参照)。

20090530ride_319

↓行李が重そうです。昭和初期の頃の衣装とのこと。

20090530ride_320

その頃の移動手段は徒歩、それがやがて自転車→バイクになっていたそうだ。

20090530ride_321

子どものいる家庭を訪ねた時はこの紙風船を子どもにプレゼントしていたそうだ。
↓入館時に1階でスタッフの方から頂いた紙風船。まだ膨らませていない。

20090530ride_322

↓色々な行李。

20090530ride_323

薬の紙箱。

20090530ride_324

↓薬の袋。

20090530ride_325

時代を感じさせますな。

20090530ride_326

↓この凸板を袋に押印していたそうだ。

20090530ride_327

薬の行商は、単に薬を売るということだけではなく、情報伝達の陰のネットワークのような存在でもあったようだし、上の様なパッケージや印刷産業・文化にも貢献していたと言える。

↓調合用の器具・機器。乳鉢や天秤等がある。

20090530ride_328

石臼とかも・・・。↓

20090530ride_329

↓膏薬を作る機械。

20090530ride_332

↑生薬を動植物の油に混ぜて練った薬剤を、上部の金属の容器に流し込み、垂れてきた物を下の和紙に付けていく仕組み。そして5mずつに切って乾かし、更に裁断したそうだ。

いろいろな小道具が有るんですな~。
↓合匙。丸薬を粒の大きさや数に応じて使い分け、袋や瓶に入れていた。

20090530ride_333

↓昔の薬事法令集。1912年(大正元年)発行。

20090530ride_334

↓阿曽の鋳物関係の展示。

20090530ride_330

何となく見たことの有るような無いような看板が・・・。↓

20090530ride_335

さて、これで吉備路ポタリングは終了。
町の商店街らしき道を通り、国道180号線を横断すると、そこはJR吉備線・東総社駅(下の写真)。時刻は17:15頃。

20090530ride_336

一つ西隣の吉備線の終点・総社駅まで乗り、そこから伯備線で岡山駅に戻るか、あるいは吉備線だけで岡山駅に戻るか、二つの選択肢。次の列車の出発到着時刻はたまたま上下線とも同時刻。僕は後者を選択。単に、そちらのほうが岡山駅の到着時刻がすぐに分かり、目的の時刻の新幹線に乗るために丁度良いことが分かったから。本当はどちらが早いかは、知らん。

自転車をそそくさと折り畳み、輪行袋に入れる。
切符を買ってホームに出ると(東総社駅は無人駅)、すぐに岡山行きの列車が到着。
乗りこんで17:26に出発。

20090530ride_337

18:06に岡山駅に到着。
新幹線自由席の切符を購入し、岡山駅始発の18:26の東京行きのひかり号に乗りこむ。次の18:30の列車のほうが新大阪駅に早く着くが、博多発なので既に車両最後尾の座席がどれも埋まっている可能性が有る。岡山駅始発の列車ならば車両最後尾を確保し易いので、そちらを選択した次第。
三列席の真ん中の壁面設置のテーブルのみが持ち上げられるタイプで、三列席の真ん中辺りに輪行袋を置かないと、背もたれを倒し切った際に輪行袋にぶつかる(下の写真)。僕はシートをフルには倒さないけど、あとから乗りこんできて座った人がフルに倒す可能性も有るから。

20090530ride_338

もっとも、新大阪駅まで各駅停車のひかり号なので、乗りこんだ車両はガラガラだけど。

新大阪駅に19:38に到着。
いくつか路線を乗り換え、最寄りの駅に20:05に到着。
自転車を組み立て、僅かな距離を走り、20:22に無事に帰宅。

そういうわけで、ようやく“吉備路ポタリング”を実現。
寺社,古墳,田畑の広がる風景・・・とても良かった。吉備路自転車道自体も、気楽に走れる良い自転車道だった。
吉備高原自転車道への思わぬ迷走も、“走ること”を増やせたし、予定していたスポットに行き損ねはしなかったので、それはそれで良し。むしろ吉備高原自転車道の終点まで行かなかったことがちょっと心残り。そちらへは今度はロードバイクで行ってみよう。その際にはまた吉備路自転車道も使い、そちらも起点~終点の全線走破をしてみよう。

スポークによる(リムテープ劣化による)後輪のパンクは有ったが、チューブ交換後は最後まで持ちこたえたので助かった。実は、このポタリングの日の翌朝、気がつくといつの間にか前輪も同じようなパンクをしていた。帰宅後の夜中にパンクしたのだろう。そういうわけで、後日リムテープを前後輪共交換。この小径車については今後エア圧を最高許容圧まで入れずに、適正範囲の中間辺りにしておこう。

吉備路ポタリング・・・吉備路自転車道、とても楽しかった。
ノンビリ観光ポタリングもやめられませんな~。
 

コース概略/自宅→○○線・△△駅~(輪行)~□□駅・▽▽線・◎◎駅~(輪行)~新大阪駅・JR山陽新幹線~(輪行)~岡山駅・JR吉備線~(輪行)~備前一宮駅→県道243→山上橋→吉備津彦神社→吉備路自転車道→鼻ぐり塚→吉備路自転車道→吉備津神社→吉備路自転車道→総爪塔跡→吉備路自転車道→矢部橋→足守川右岸→鯉喰神社→足守川右岸→矢部橋→吉備路自転車道→岡山市津寺(山陽自動車道岡山JCT高架下)→吉備高原自転車道→岡山市高松町道→高松城跡→吉備高原自転車道→生石神社→吉備高原自転車道→岡山市足守→吉備高原自転車道→岡山市津寺(山陽自動車道岡山JCT高架下)→吉備路自転車道→造山古墳→吉備路自転車道→備中国分尼寺跡→吉備路郷土館→旧松井家住宅→旧山手村役場→吉備路自転車道→松井の井戸→吉備路自転車道→こうもり塚古墳→吉備路自転車道→備中国分寺→吉備路自転車道→作山古墳→吉備路自転車道→県道272→総社宮→総社市まちかど郷土館→JR吉備線・東総社駅~(輪行)~岡山駅・JR山陽新幹線~(輪行)~新大阪駅・▽▽線~(輪行)~◎◎駅・○○線・□□駅~(輪行)~△△駅→自宅
(地図→クリックしてください(拡大可。青色のラインが走ったところ。))

走行距離/53.01km
走行時間/4hr08min
平均速度/12.81km/hr
最高速度/29.33km/hr
Small Bike積算距離/619km
全Bike積算距離/15757km

  にほんブログ村へ  人気ブログランキングへ 

|

 

« 幼稚園のインコ達 | Top Page憎らしい体重計 »

 

 

Comments

お、ひさしぶりの?早朝出発~! 新緑、花。。。いい季節になりましたね(^v^)  牛さん、ありがとう、あなたのお肉は私のお腹の一部になって生きています(;´▽`)  鼻ぐりとは鼻輪の事だったんですね。 豚さんにも大変お世話になっております(・∩・) 歴史にうとい私でも水攻めは知っています、昔の人は本当に大変な事を人の力でやってたんですね。。。。あの、あの。。。吉備と言う文字を目にした時から「吉備団子」が頭に浮かび、いつ出て来るのだろう、と。。。ヽ(´o`;lll   情けない発想です(__) パンク。。。2度ある事は3度。。。でなくてこの次は大丈夫でありますように。

« 投稿: あさたろう  2009年6月14日 (日) 18時46分

あさたろうさん>
ようやく早起きできるようになりました。やっぱ寒い時と花粉症の時期の早起きは難しいですからね。

僕は牛も豚も鶏もお世話になっています。
頻度は鶏>豚>牛ですけどね~。

吉備団子は吉備津神社前に売っていましたが、スルーしてしまいました。帰りの岡山駅も急いでいてスルー。折角出掛けたのに勿体無かったです。
食べ物やお土産物を楽しむようになりたいです。そこのところの楽しみ方が下手なんです。

« 投稿: Katze  2009年6月14日 (日) 19時30分

道に迷われても、その状態を楽しんでおられますね♪
読んでいても楽しい記事でした(*´∀`*)
参拝の仕方ってよく判らないです。
いつも見よう見まねで(^^ゞ
イザナギ・イザナミや此花咲耶姫の名前には、
古事記好きなので興味津々です。
岡山の高松城の話はひとごろしが嫌いな秀吉らしい話ですよね。
なので天下が獲れたんだと言う人もいます。
写真に写ってる自転車クンが寝ころんでると、
あ、休憩なのねって思ってしまいます。
katzeさんの大事な相棒ですね。

« 投稿: アネモネ  2009年6月15日 (月) 12時18分

アネモネさん>
神社によって参拝の仕方が少し違いますね。
参拝方法が掲示されている所も多いです。

吉備は古代関係が多いです。神々の世界に近い感じでした。
そういう世界に連れて行ってくれる自転車はまさに相棒です。

« 投稿: Katze  2009年6月16日 (火) 00時00分

この季節小さいコガモちゃんがいそうですが
大人チームだけだったみたいですね。

朝5時前出発、いつもKatzeさんすごいな~
って思います。
牛の鼻輪にはびっくり。
こんなのあるんですね。
今回も見所満載でした、雨降らなくてよかったですね♪

« 投稿: しましま  2009年6月16日 (火) 18時41分

まあ膨大なレポートありがとうございます。
以前のたつの市散策レポートも凄かったですが
今回はそれ以上でしょうか。

私昨年吉備路自転車道を仲間と走って参りましたが
するっと往復しましたのでこんなに深い道とは認識
しておりませんでした。
おかげさまで見識を深める事が出来ました。

« 投稿: M  2009年6月16日 (火) 20時31分

しましまさん>
コガモチームいなかったです。
カルガモは田んぼの駆虫に大事な鳥なんですってね。これから忙しそうです。

牛の鼻輪は凄い量でした。ビックリです。怖い位。

吉備路は古代史てんこ盛りの観光の道でした~~。

« 投稿: Katze  2009年6月17日 (水) 01時23分

Mさん>
なかなか絞れなくて、何でも載せたくなっちゃいます。
過去最高の画像数です。

吉備路はじっくり見ると見所たくさんです。
でも、次回走る時は走ることに徹しようとおもいます。

(Mさんのブログって非登録者はコメ出来ないんですね。読んでいるだけでスイマセン。)

« 投稿: Katze  2009年6月17日 (水) 01時27分

すみません。
自分としては承認制にはしてましたが
会員でないとコメできないとは思ってませんでした。
今日中に制約解除しておきます。

« 投稿: M  2009年6月17日 (水) 11時26分

Mさん>
ありがとうございます。僕が会員になっても良かったのですが・・・(^^ゞ

先程お邪魔してコメントしました。
蒜山高原、いいですね~~。

« 投稿: Katze  2009年6月18日 (木) 20時22分

こんにちは。前回は片鉄ロマン街道ではコンメント失礼いたしました。昨日、初めて吉備路を走りました。吉備津彦神社から総社駅まで往復しました。詳しいレポートでしたので、問題の分岐点も難なく行くことが出来ました。ありがとうございます。さすが日本の道100選ですね、国分寺ではいい絵が撮れました。夏場は蒜山通いでしたので気温30度は少々きつかったです。今回、時間の関係で最上稲荷へ行けませんでしたので次回行く予定です。今後も素晴らしいレポートを期待しています。

« 投稿: くらのすけ  2009年9月12日 (土) 18時13分

くらのすけさん>
ありがとうございます。

往復とは、なかなか走り応えが有ったんではないでしょうか。
国分寺は五重塔の遠くから眺めが、周りの景色と相まって美しいと思います。

最上稲荷と吉備高原自転車道も、今度走ってみてください。

« 投稿: Katze  2009年9月13日 (日) 23時51分

 






 

Trackback

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/213815/45310959

この記事へのトラックバック一覧です: 吉備路ポタリング 2009.05.30: