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2009年7月 2日 (木)

京都太秦ポタリング 2009.06.20

年月日/2009年6月20日

バイク/GLOBE (SPECIALIZED) Small Bike

目的/京都市右京区の太秦界隈の観光スポットをポタリングで巡る。

ポイント/①往復自走,②ただし帰りに輪行に変更も可能であるように、輪行袋を持っていく。

内容/
前夜のこの週末の近畿の天気予報では土曜日は持ちこたえそうであったが、日曜日は雨が降りそう。土曜日に走ることに決定。その土曜日も所により雨らしく、雨に遭いやすい山間部を避け、降水確率の低い街でポタリングをすることにした。それに土曜日は前日までの仕事の疲れで、輪行や早起きが辛いというのもある。

場所は京都の太秦界隈に決定。今年の春の花粉症の時期に計画していたのだが、行きそびれていたから。でも、なぜ太秦かと聞かれても特に大きな理由はない。まだ自転車で巡ったことがないから、というくらいが理由。自転車抜きでなら有るけれども・・・。

自転車はポタリングしやすい小径車の GLOBE (SPECIALIZED) を選択。
前回「大阪~若狭高浜・日本海サイクリング 2009.06.07」のサイクリングで「これからロードバイク云々・・・」と書いておきながら、舌の根も乾かぬうちに・・・、ってところであるが。
今回、大阪~京都間は往復自走の予定。ただ、もし帰りに輪行に変更したくなってもいいように、輪行袋を持っていくことにする。

実は、前夜と当日朝にドタバタとしたトラブルがあり、出発が遅れたのだが、それは最後の方で・・・。

自宅を7:50に出発。
淀川右岸の河川敷(下の写真)を東進。

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桂川に名前を変える少し手前でダートに変わるが、構わずに進む。

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途中で土手に上がり(ここもダート)、東進。

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小泉川沿いに出たところで国道171号沿いに移り、国道478号に入って天王山大橋(下の写真)を渡って桂川左岸へ渡る。時刻は9:50頃。

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下の写真は天王山大橋から見た桂川の上流の方角。向かって右の土手、桂川左岸にサイクリングロードが有る。

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天王山大橋から桂川沿いのサイクリングロードに入る。
いつものスローペースで嵐山方面に進む。

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途中の西大橋の東の手前でサイクリングロードから離れ、かなり適当に北上。地図で確認もせずに走る。

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京福電鉄嵐電天神川駅の横(上の写真)を通過した頃にようやく地図で確認し、少し走って、まずは「木嶋神社」に到着。時刻は11:00頃。
 

『木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)

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式内社で、旧社格は郷社。
祈雨の神として信仰を集めている。
通称木嶋神社(このしまじんじゃ)。また、本殿東側に織物の始祖を祀る蚕養(こかい)神社があることから蚕の社(かいこのやしろ)の通称が広く知られている。

鳥居正面右下に「蚕神社」の小さな石柱、その右隣りに本来の神社名が刻まれた大きな石柱が立っている(下の写真)。

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鳥居をくぐると長い参詣路が奥に伸びている。

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「拝殿」(下の写真)。参詣道の正面に有る。明治以降の再建である。

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「本殿」(下の写真)。奥の右隣りに「蚕ノ社」の本殿。これらも明治以降の再建。

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祭神は天御中主命・大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命。

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上の写真は本殿前から拝殿を振り返ったところ。小高い木々に囲まれている。神社全体が林に包み込まれている。適切な表現かどうか分からないが、やや幽玄閑寂な空気の漂う神社だと感じた。

神社の起源は定かではない。
続日本紀の701年(大宝元年)4月3日の条にこの神社の名があることから、それ以前から祭祀されていたとされる。『延喜式』では名神大社に列し、月次・相甞・新甞の官祭を受ける社として記載されている。
この神社がある嵯峨野一帯はかって朝鮮半島から渡来した秦氏が製陶、養蚕、織物などの技術を持ち込んだ。蚕が祀られているのもそれ故である。
社殿の西に年中湧水している「元糺の池」(もとただすのいけ)という池がありその中に三柱鳥居(三ッ鳥居)がある。柱が三本で三正面、上からの形は三角形となっている鳥居は珍しい存在であり京都三鳥居の一つとされている。

今回、その珍しい鳥居の存在を知らずに見損ねてしまった。事前の下調べはしておくものである。
 

「木嶋神社」をあとにし、狭い路地を西進。
程なくして交通量の多い三条通りにぶつかる。これを西進すると、京福電鉄嵐山本線「太秦駅」が左手に見える(下の写真)。この駅の部分で三条通りと路面電車の京福電鉄の線路が重なるため混んでいて、とても慌ただしい。ノンビリと自転車で走るのには向いていない。

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その太秦駅の斜め前に「広隆寺」が有る(下の写真は三条通りと「南大門」側面)。

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時刻は11:20頃。「広隆寺」に到着。
広隆寺に参拝するのは4~5回位か・・・。自転車で来たのは初めてである。
 

『広隆寺』

三条通りに面している荘厳な「南大門(仁王門)」(下の写真)。

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大きな山門であり、三条通りの反対側の歩道に行かないと全容を撮影できない。人通りが多いので自転車から離れたくなく、今回は上の写真くらいにする。
「阿」の仁王像(下の写真)。

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「吽」の仁王像(下の写真)。

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迫力が有る。

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門をくぐると、外の三条通りとは別世界の様な空気感が漂う。何故か安心したような、落ち着いた気持ちになる。
石畳の参詣道が続いている。

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南大門から自転車を押したまま入ってしまったのだが、すぐに事務のおばさんが現れ、境内は自転車の進入は禁止とのことを告げられ、駐車場に置くように言われた。勿論すぐに駐車場(境内の西寄りに有る)に自転車を駐輪し直し、再度境内に入る。
南大門をくぐったところから参拝し直しだ。

「広隆寺」は603年(推古天皇11年)に建立された山城最古の寺院であり、聖徳太子建立の日本七大寺の一つである。この寺の名称は、古くは「蜂岡寺」、「秦公寺」、「太秦寺」などと言われたが、今日では一般に「広隆寺」と呼ばれている。
現在の宗派は真言宗御室派。山号を「蜂岡山」と称する。
広隆寺の成立について、日本書紀によると秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子から仏像を賜り、それを御本尊として建立したとある。その御本尊が弥勒菩薩であることが広隆寺資材交替実録帳に書かれている。
秦氏族が日本に渡来したのは日本書紀によると第15代天皇・応神天皇の16年で、主は養蚕機織りの業であり、その他に大陸や朝鮮半島の先進文化を日本に輸入することにも努め、農耕や醸酒等、当時の地方産業文化の発達に貢献していた。
広隆寺は818年(弘仁9年)に火災に遭ったが、秦氏出身で弘法大師の弟子である道昌僧頭(どうしょうそうず)によって再興、更に250年(久安6年)にも炎上し、復興された。
(広隆寺パンフレットより抜粋)

「薬師堂」(下の写真)。南大門をくぐって左手に有る。
阿弥陀三尊立像、薬師如来像、不動明王像等が祀られている。中は拝観できないようだ。

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参詣道の右手には「講堂」(下の写真)。通称として「赤堂」とも呼ばれている。

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「講堂」は265年(永万元年)に再建された京洛最古の建物(重文)。
中央に西方極楽浄土で説法をしている印を結ぶ阿弥陀如来坐像(国宝)、地蔵菩薩坐像(重文)、虚空菩薩坐像(重文)が祀られている(堂内の撮影は禁止)。

周りを木々で少し囲まれていて正面の写真がちゃんと撮れていないが・・・。この木々は秋には紅葉するので、その時の講堂の写真は美しい。
安置されている阿弥陀如来坐像はなかなかの大きさで荘厳である。

「地蔵堂」(下の写真)。参詣道を挟んで講堂と反対側の左手に建っている。

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平安時代に弘法大師が諸人安産、子孫繁栄の誓願に基づき作った腹帯地蔵尊が祀られている。

参詣路を更に少し進む。

「太秦殿」(下の写真)。講堂の裏辺りに有る。

太秦明神、漢織女(あやはとりめ)、呉秦女(くれはとりめ)を祀っている。
秦氏を祀る神社の神殿である。天保12年の再建である。

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さて、参詣道の突き当りの正面に着いた。

「上宮王院太子殿(本堂)」が建っている(下の写真)。

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「上宮王院太子殿(本堂)」は1730年(享保15年)に再建された入母屋造りの堂。
本尊に聖徳太子像を祀る。毎年11月22日の聖徳太子御焚祭に特別開扉される。

従って今は扉が閉まっている。

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本堂の左手に「書院」と「庫裏」が建っている(写真は無い)。
その横に参拝受付が有るので、「新霊宝殿」への入館料を払って奥へ進む。
京都の寺院というと全体的には仏像よりも美しい庭園や建築物が見所である印象が強い。しかしながら仏像が素晴らしい寺院も多々有る。例えば個人的には「東寺」「三十三間堂」がそうであろうと思う。そして、ここ「広隆寺」もまた、素晴らしい仏像を拝める京都でも有数の寺院だと思う。

「新霊宝殿」。内部の撮影は禁止。

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広隆寺の仏像を真っ先に挙げるとすれば「弥勒菩薩半跏思惟像」であろう。国宝に第一号で指定された。その表情とたたずまいは、僕のつたない言葉では表現できない物が有る。慈愛・・・慈悲・・・そういうものを与えてくれるような気がする。
他にも平安期の四天王像、十二神将像、千手観音像等々、数々の国宝・重文クラスの仏像が安置されている。その中に囲まれて座っていると、時を忘れるようだ。
写真では紹介できない。是非とも実際に見てください。そして感じてください。

新霊宝殿の正面に美しい庭が有る。本堂の裏に当たる。

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庭を眺めながら、新霊宝殿をあとにする。

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いい余韻が残る。

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広隆寺にはほかに「桂宮院本堂」(国宝)が有る。広隆寺の奥の院である。4,5,10,11月の日曜祝日のみ公開されている。そういうわけで今回は無し。

駐輪場に戻って自転車に乗り、広隆寺をあとにする。
 

走りにくい三条通りを経由し、そのあと一般道を走って「東映太秦映画村」に到着。時刻は12:00ちょい過ぎ。
広隆寺の雰囲気とは打って変わった観光スポットですな・・・。
 

『東映太秦映画村』  (公式サイト→ここ

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太秦映画村に来たのは中学の修学旅行以来だ。28年ぶり・・・。中の記憶は殆ど無し。お土産物屋に寄ったことと、ロケーションスタジオのような所に入った記憶くらいだな。

↓「大手門」。団体専用の入り口。

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↓個人はこちら「PADIOS」から入る。

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「PADIOS」は3F建て。1Fはレストラン・喫茶・お土産コーナーの他に屋内展示セット。2Fは子供向けのヒーローもの関係のコーナー。3Fは多目的ホール。
2F,3Fはスルーして1Fの屋内展示セットの中を抜けていく。
↓昭和高度経済成長期的な雰囲気の裏通りのセット。

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ぼくの生まれ育った世代よりも昔だな。僕の親の世代だな。

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駄菓子屋か~~。

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↓おっ、これが物入れが有る階段か・・・。

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あ~~、こりゃ、僕の父あたりが好きそうな映画ばかりだな。

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↓暴れん坊将軍の将軍のいる間。

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この「PADIOS」はオープンセット側に出ると、このようになっている。↓

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明治駅という駅舎のセットになっている。

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「PADIOS」を出たところは「明治通り」。
↓チンチン電車が置いてある。

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↓明治期の人力車。

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他にも明治巡査派出所とか・・・。

↓次は左手の「吉原通り」へ・・・。

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門をくぐると・・・おぉ、いかにもな朱色の格子。

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近くに子どもが歩いていたが・・・「こどもの来るところじゃぁ有りませんよ~。」アハハ。

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中に入ってみたくなる。

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実際、入れます。

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・・・あ。

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打って変わって「長屋」。

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なんか、通りの向こうに町方が走り、彼らから逃げるような・・・そんなことを想像してしまうような路地ですな。

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逃げろ・・・みたいな。

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↓この辺は長屋ど真ん中。

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かざり職のゆうぞう・・・・必殺仕事人みたいな~~。
チャララ~ チャッチャッチャッチャッチャッ チャララ~~
(↑あのイントロ)(ちなみにあのBGMの作曲者は仕事人・京本政樹)

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まさに井戸端会議をしていそう。長屋の奥さん達が亭主の悪口を言いまくる・・・。

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↓こういう所も何か、シーンが撮れそうですな。ターゲットを尾行する仕事人・・・。

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↓「水車小屋」。

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↓「銭形平次」の家。

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父は時代劇が好きなので、子どもの頃は「水戸黄門」と「銭形平次」を毎週見ていたな~(見させられていたな~)。

男だったら 一つに賭ける。
賭けて もつれた謎を解く。
誰が呼んだか 誰が呼んだか
銭形平次~~♪
花のお江戸は八百八町。
今日も決め手の 今日も決め手の
銭が飛ぶ~~♪

↑何も見ず、頭の中の記憶だけで書いた主題歌。合っているかな?
↓銭形平次の家の中。

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・・・・そうそうこんな感じ。

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↓八五郎だっけか・・・?駆け込んできそう。「親分!てぇへんだー!!」

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↓「大店街」。商人の店が並ぶ。

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↓「呉服屋」。

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↓「酒屋」。

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「フフフ・・・越後屋。おぬしも悪じゃのぅ。」

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↓「骨董屋」

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↓店の中も入れる。

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職人っぽい町並みも有りますな。

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↓殴られて、この桶にぶつかって、桶が路上に散らばり・・・・みたいな。

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この辺りは「三丁目」と呼ばれる通り。

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↓店内。浪人が昼間っから酒を飲んでいたりして・・・。

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↓「宿場町」に来た。

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中もしっかりと作られている。

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「助さん、角さん。今日はどこに泊ろうかのう?」みたいな。

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「御隠居、ここなんかどうです?」

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↓外は普通の家ですが・・・。

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↑これの中は
↓いきなり屋根裏のみ。忍者関係用ですな。

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↓「日本橋」。

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↓橋を渡ると・・・。

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↓反対側は半分までしか作られていない。
↓ここで役者は待機し、向こうに歩いて顔を出す、ということ。

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↓「屋台」

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「親父、一本つけてくれ。」

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↓「銭湯」

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↓「芝居小屋」だ。

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中で実際に興行しています。

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↓あ・・・何かこういう歌舞伎有りましたね。安珍と清姫みたいな・・・違うか?

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↓「屋敷町」。

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↓新撰組隊士が飛び出してきそう。

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↓新撰組と来れば、会津藩でしょ?!

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↓あ~~、こういう場所のシーンも有るよね~。

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↓仲見世も有るよ。

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↓「お化け屋敷」・・・・入りません。遠くから見ていて、受付からして怖そうでした。

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「ロケーション・スタジオ」で「映画のヒ・ミ・ツ」と題し、映画撮影のトリックや仕掛けを解説しながら見せる映画塾をやっていた。
途中からではあったが入ってみた。
↓その時の動画。

↑思わず笑ってしまい、カメラがブレブレ。

↑これを踏まえて、本番は・・・↓

途中からだったが面白かった。

他にもいくつか見落としたオープンセットが有ったようだが、「PADIOS」に戻る。
↓お土産物コーナー。

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↓その隣に「水戸黄門 漫遊の館」。

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↓うっかり八兵衛が団子を喰う・・・みたいな。

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太秦と言えば映画村・・・。
修学旅行の時はまともに見ていなかった。ちゃんと見たのは今回が初めてのようなもの。なかなか良かった。またいつか来よう。
 

さて、時刻は13:00頃。1時間くらい居たわけだ・・・。
映画村をあとにし、次は「法金剛院」を目指す。「法金剛院」のある場所は“太秦”という町名ではなくて、隣の“花園”なのだが折角なので行くことにする。
JR嵯峨野線・花園駅方面に向けてテキトーに進み(思いつくまま適当に進んだので写真は無し)、やがて「法金剛院」を見つける。時刻は10:10。
 

『法金剛院』

「表門」(下の写真)。交通量の多い丸太町通りに面している。

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「法金剛院」に来たのは3回目くらいだろうか。自転車では初めて。
自転車を駐車場に駐輪して中へ。

「法金剛院」は律宗の古刹。律宗別格本山。
山号は五位山。
平安時代の初め、830年(天長の頃)に右大臣・清原夏野が山荘を建て、死後に寺として「双丘寺(ならびおかでら)」と称した。その頃、珍花奇花を植え、嵯峨,淳和,仁明天皇の行幸を仰いだ。
次いで文徳天皇が858年(天安2年)に大伽藍を建て、「天安寺」とした。
平安時代の末、1130年(大治5年)に鳥羽天皇の中宮・待賢門院(たいけんもんいん)が天安寺を復興し、「法金剛院」とした。寺は五位山を背に中央に池を掘り、池の西に「西御堂」(現本尊丈六阿弥陀如来)、南に「南御堂」(九体阿弥陀堂)、東に女院の寝殿が建てられ、庭には滝(「青女の滝」)を造り、極楽浄土を模した庭園とした。その後、三重塔・東御堂・水閣が軒を並べ、桜・菊・紅葉の四季折々の美観は見事なものであった。
鎌倉時代になって円覚十万上人が融通念仏を広め、寺門を復活したが、応仁の乱,天正・慶長の震災で堂宇を失い、1617年(元和3年)に照珍和尚が本堂や経蔵等を建立されたが、平安末期の隆盛の頃にまで復することが出来ず、今日に至っている。

↓山門の傍らに沙羅双樹。

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「中門」の中に入って拝観料を払い、奥へ。

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蓮がたくさん鉢植えされている。
その前に「礼堂」(下の写真)。

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礼堂の裏手に宝物殿のような「仏殿」が有るとのこと。
礼堂正面(下の写真)から上がって裏へ回る。

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「仏殿」(下の写真)。

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「仏殿」の内部は写真撮影は不可。
中には本尊の「阿弥陀如来坐像」,四臂の十一面観音像,文殊菩薩像,一木造の地蔵菩薩像,厨子,香炉・・・等々が安置されている。殆どが重要文化財。
ここもなかなかの仏像が数々有るので、見ることを薦める。

さて、庭に戻る。
庭は「苑池」と呼ばれる「池泉廻遊式浄土庭園」である。
庭は昭和45年に復元されたものとのこと。

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蓮が凄い量だ。「蓮の寺」と呼ばれるだけのことはある。
小道が池の周りに走っている。

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確かに“極楽浄土”かも知れない。
7月初め~8月上旬は蓮の花の開花時期であるので、その頃が一番の見頃であろう。

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「青女の滝」(下の写真)。滝と言いつつ・・・残念ながら水が出てない!

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水は枯れている・・・。
本来は滝から水が落ち、下の写真の小川(くぼんだ溝)を流れて池に注ぐはずである。

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小道を散策。

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紫陽花も咲いている。

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アルカリ土壌なのかな?青色です。

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花菖蒲も咲いている。

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綺麗ですね。

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法金剛院は「関西花の寺第十三番霊場」にもなっている。
下の写真は沙羅双樹の木。

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「庭園」の北東側に高さ約1.5mの「待賢門院の歌碑」(下の写真)が建てられている。
碑は平成9年(1997年)に建てられた。
待賢門院の歌、

ながからむ心もしらず黒髪の みだれて今朝は物をこそ思へ

が彫られている。

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末永く変わらない、というあなたの心も(それが本当かどうか)分からず、お逢いして別れた今朝は、私の乱れた長い黒髪の様に私の心も思い乱れて、あれこれと物思いをしています。

という意味とのこと。
 

さて、「法金剛院」をあとにし、丸太町通りを東へ400m程進んで左折。
「妙心寺」に到着(下の写真)。時刻は13:40頃。

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『妙心寺』  (公式サイト→ここ

「南総門」(下の写真)。

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中に入る前に、駐車場に自転車を置く。特に駐輪場所はないのだが、警備員さんが自分の待機小屋の傍に置いたら、と言うのでそこへ・・・。
そして「南総門」をくぐる。
すると、広い境内と参詣路が目の前に広がる(下の写真)。
そこに一台の自転車が目の前を・・・・(下の写真)。「妙心寺」の境内は“自転車通行可”だったのだ。「広隆寺」がNGだったので外に駐輪してきたが、そのまま入っても良かったのだ。今さら取りに戻るのが面倒だった(面倒な場所に駐輪した)ので、そのまま入る(約10万坪の広い敷地であるので自転車移動のほうが楽です)。

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境内は24時間開放されていて、いわば暮らしの道路になっている。自由に散策出来、堂宇に入らない限り拝観料は要らないとのこと。

「妙心寺」は臨済宗妙心寺派の大本山。
山号は「正法山」。
1338年(暦応元年)に花園上皇が関山慧玄(無相大師)を招き、花園離宮を禅刹に改めた。のちに足利義満に寺領を没収されたり、応仁の乱で堂宇を焼失したが、その都度再建されている。豊臣・徳川家など多くの大名から帰依を受けて栄えた。

詳細は公式サイトの歴史・沿革を参照のこと→ここ

南総門から参詣路に入ってすぐ左に「放生池」という大きな池が有る(下の写真)。

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放生池の中央に橋が通っている(上の写真)。この上は通れないが、南総門の隣に「勅使門」があり(3つ上の写真の左手に少し写っているが、閉ざされていて通行不可)、そこからまっすぐ伸びている。
その橋の先、池の向こうに「三門(山門)」が有る(下の写真)。

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「三門」(上の写真)
重要文化財。1599年(慶長4年)の創建。
楼上には、観世音菩薩と十六羅漢が祀られ、極彩色鮮やかに飛天や鳳凰、龍の図が柱や梁に描かれている。
一般公開はされていない。

参詣路を先に進んで右手に「経蔵」が有る(下の写真)。

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「経蔵」(上の写真)
創建は不明。重要文化財。
中に有る「輪蔵」を回転させることによって、納められた経文をすべて読誦した功徳を得る。
梅雨の明けた7月の下旬に、早朝二日がかりで山内の和尚さん方によって800個の箱から出した経典を翻転して風を入れる。箱の中の埃をはけで落とす際、カラカラという音が奏でられ虫干しの風情となっている。
一般公開はされていない。
 

さて、参詣路の左手。三門の奥に位置するのが「仏殿」(下の写真の手前)と「法堂」(下の写真の奥)。回廊で繋がっている。

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「仏殿」(下の写真)。

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「仏殿」は1827年(文政10年)の創建で、比較的新しい。重要文化財。
本尊は釈迦如来。
「仏殿」では、毎朝の勤行の他、釈迦の三仏忌となる降誕会・成道会、涅槃会が勤められている。

中には入ることは出来ないが、外から釈迦如来を拝み見る。金色の大きい像だ。写真撮影は遠慮しておいた。

次いでその奥の「法堂」(下の写真)。重要文化財。

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「法堂」は1656年(明暦2年)の創建。
鏡天井には、8年の年月を費やして描かれた狩野探幽の筆による「雲龍図」が見られる。
内部のケヤキの柱は、原木を四つ割にして丸く削られたもので、高さは8m、周囲は2m弱で、富士山麓より海路によって運ばれてた。

「雲龍図」は「大方丈(おおほうじょう)」に有る受付で拝観料を支払うと、解説付きで見ることが出来る。
そこで、「法堂」の奥に有る「大方丈」へ向かう。

「大方丈」の正面の門は閉ざされている(下の写真)。

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その」隣に受付が有るので、そこで拝観料を払う。
「法堂内部と「浴室」内部の見学が説明付きで出来るそうである。説明はある決まった時間ごとにまとまって行うそうで、時間が来て呼ばれるまで暫し「大方丈」内を拝観することになる。ただし、奥は見学できない。正面の一室だけ。

下の写真は「大方丈」の前の庭。

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「大方丈」の廊下(下の写真)。開いている扉が有るが、その部屋には入れる。

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「大方丈」は1654年(承応3年)の創建。重要文化財。
入母屋造で単層檜皮葺。
方丈はもと住持の居所を意味したが、今は檀信徒の祖先を祀って、その供養を行う所、また説教,講演その他会合の場所ともなり、多数の賓客を応対する所ともなる。
本尊は阿弥陀如三尊。もとは「石清水八幡宮」の「奥の院」に祀ってあったもので、鎌倉時代の作である。
襖絵は狩野探幽と狩野益信の筆によるもの。

「大方丈」内の撮影は遠慮しておいた。
庭だけ撮影。

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「大方丈」で待っていると、寺務の女性の方に皆が呼ばれ、全員「法堂」(下の写真)の中に案内される。中学(?)の修学旅行生も含めて20人くらいいるだろうか・・・。

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「法堂」のなかで、天井に描かれた「雲龍図」について説明を受ける。
8年の年月を費やして描かれた狩野探幽の筆による龍の絵である。内部の写真撮影は不可。龍について色々説明をしてくださった(詳しい説明は・・・実際に行ってお聞きください)。僕は、聞くのは少なくともこれで2回目だ。
龍は見る位置によって見え方が変わるとのことで、最後に法堂内を一周しながら色々な角度から龍を仰ぎ見た。天から降りてくるように見える角度も、天に昇る“昇り龍”に見える角度もある。

次いで「浴室」に案内される。みんなでゾロゾロと移動(笑)。

「浴室」(下の写真)。重要文化財。

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1587年(天正15年)に塔頭「太嶺院」(廃寺)の密宗和尚が明智光秀の菩提を弔うために創建したものである。そののちに1656年(明暦2年)に改建された。
一重切妻造本瓦葺の建物である。
別名「明智風呂」と呼ばれている。

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ここでも説明を受ける。
浴室中央に浴槽(下の写真)と洗い場(浴槽の手前)が有り、その南側に脱衣兼休息室(浴槽の向かって右手の和室)が設けられている。

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浴槽(下の写真は内部)といってもお湯を張って浸かる物では無く、蒸し風呂形式、すなわち現代のサウナである。板敷の間から蒸気を出し、四方の壁は正面に出入り口と調節窓を持ち、他の三方は板壁で閉ざされている。

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蒸気は、先ず外の井戸で水を汲み、外の木の槽に入れる(下の写真)。

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水は竹筒を通って浴室に入る(下の写真)。石の槽に水が蓄えられる。

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浴槽の裏にある「竈室」(下の写真)。石の槽から水をこの竈に入れ、お湯を沸かす。

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湧いたお湯を浴槽背面の注ぎ口(下の写真)から入れる、という仕組み。

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昭和4年位までは使われていたとのこと。

これで案内は終わり。
 

「浴室」から出て境内の西のほうにブラブラと歩いていく。
妙心寺境内には塔頭がたくさん有る。その中で公開されている塔頭「退蔵院」(下の写真)に入ってみる。

『退蔵院』  (公式サイト→ここ

「山門」(下の写真)。

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退蔵院の山門は「薬医門」と呼ばれ、親柱二本、控え柱二本から成り、当時、高貴な薬医にしか与えられなかった御屋敷門の形であった。
妙心寺塔頭でも、バランスの整った美しい形状を残した「薬医門」であると言われており、江戸中期に建設されたものである。

門をくぐり奥へ。

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「退蔵院」は今から600余年前、1404年(応永11年)に波多野出雲守重通が妙心寺第三世無因宗因禅師に帰依して建立された寺である。
無因宗因禅師は妙心寺で高徳のきこえ高く、第3世をつとめていた。その頃の「妙心寺」は足利義満の弾圧で名を「竜雲寺」と変えられ、関山一派の人々も祖塔を去る悲運に見舞われていた。無因宗因禅師は「大徳寺」へとの誘いがあったが、固く辞して西宮の「海清寺」に隠棲し、ついに時の有力者たちに終生近寄ることがなかった。
「退蔵院」は応仁の乱で「妙心寺」とともに炎上したが、亀年禅師によって再建された。

上の写真は「大玄関」。
唐破風造りの変態で非常に珍しいとされている玄関の様式は、袴腰造りと呼ばれるもので、昭和41年に国の重要文化財に指定されている。
破風の曲線が直線になっており、ちょうど袴の腰のように見える。これは、禅の精神を端的に表象するかのようにも見え、茶道石州流の祖片桐石州の発案した様式だとの説もある。また、この玄関は江戸初期の富豪比喜多宗味居士より寄進されたもので、法要儀式その他高貴の人々の出入り以外は使用されなかった。

「方丈」に向かって石畳みの参詣路を歩く。

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小奇麗な参詣路だ。

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「方丈」へ通じる「大玄関」(下の写真)。袴腰の屋根の付いた門で、重要文化財である。

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中に入ると「方丈」(下の写真)。重要文化財。
建物全容を撮影するのは近過ぎて難しい。廊下を撮影。

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枯山水「元信の庭」(下の写真)。方丈の前に広がっている。
苔と赤松のみの平坦でシンプルな庭である。
室町時代の画聖、狩野元信の作と言われている。

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方丈の前から、また別の参詣路を案内標示通りに進んでいく。境内の西南、奥の方に広い庭園が広がっている。

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上と下の写真はその庭園の入り口付近で撮影したもの。

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こちらのほうは“如何にも”な鑑賞用の庭園である。

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庭の中の通路を歩く。

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ここには枝垂れ桜が植えられている。上の写真では中央上部の垂れ下がった枝がみえるので分かるだろう。桜の季節になると、それはそれは見事であろう。

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「羅漢石」(下の写真)。

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「余香苑」の池が見えている(下の写真)。小路を通って池の方に向かう。

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「あずまや」の屋根が見える(下の写真)。

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六角形の造りをしている。中には入れない。

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「水琴窟(すいきんくつ)」(下の写真)。

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「蹲(つくばい)」の下深く底を穿った瓶(かめ)を伏せ込み、手水に使われた水が瓶に反響して琴の音の様に聞こえるようになっている。

紫陽花も綺麗に咲いている。

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あじさいの由来は「あづさい」が変化したものだそうだ。「あづ」は「あつ」(集)、「さい」は「さあい」(真藍)で、青い花が集まって咲く様を表わした。
本来の「紫陽花」とは、唐の詩人の白楽天(はくらくてん)が命名した別の花のことで、平安時代の学者、源順(みなもとのしたごう)が今のあじさいにこの漢字をあてたため、誤用がひろまったそうである。
長崎オランダ商館の医者として日本に滞在していたドイツの博物学者シーボルトは日本のあじさいに特別の興味を抱いた。そしてあじさいの中でとくに花の大きい一品種に愛人の名前「お滝さん」をとって“Otakusato”と命名したそうだ。

「余香苑」(下の写真)。

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この広大な庭園は造園家中根金作氏の設計によるもので、昭和38年に着工し、3年の月日を費やして完成した。
余香苑は伝統的な造園手法を基盤とした厳しさの中にも優雅さを含み、京都はもとより全国でも有数の昭和の名園と言われている。
構造上目立たぬ苦心が随所に払われており、正面から庭園を見渡すと、奥行きが生まれ、庭園が広く見えることなどが例としてあげられる。
深山幽谷を思わせる森木立の遠景と、平安王朝の趣きの有る池面。四季折々の花と木々によって千差万別に変化する美しい庭である。

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上の写真の滝は「竜王の滝」と呼ばれている。

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池の前に藤棚が有り、その下の椅子に座ってゆっくりと眺めることが出来る。

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実際に拝観され、ゆったりと眺めてみては如何でしょう。非日常の安らぎを得られるかもしれません。
 

さて、退蔵院を出て広い境内を散策する。

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石畳の道が網の目の様に広がっている。

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ここでも時代劇の撮影が出来そうだ。

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実際、撮影に使われるようだ。
以前参拝した時に、非公開の塔頭の庭で時代劇の撮影をしていたのを見たことが有る。映画村から近いし、妙心寺はオープンな寺のようなので、いい撮影場所になるのだろう。寺ではあるが、武家屋敷や城内の庭の場面で使われるのではないだろうか。

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「蓮池」(下の写真)。

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「蓮池」の近く、傍らに置かれた「牛岩(うしいわ)」(下の写真)。

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妙心寺のご開山さまが伊深(岐阜県美濃加茂市)におられたとき、村人から請われて、牛を追い、草を刈り、田畑を耕す日々を送っておられました。その後、花園法皇さまの招請をお受けになり、京都へ上られるとき、慣れ親しんだ牛も涙し後を追ったといわれています。
このお話に因んで、元妙心寺管長古川大航老師が、ご開山さまと牛との仏縁にちなんだものを妙心寺にもと思われました。
ときにご開山さまが亡くなられて六百年に当たる昭和三十四年の春、滋賀県安土町の摠見寺でこの「牛石」が見つかり、多くの方々のご尽力で開山堂の前に奉納されました。
  (案内板より)

妙心寺境内には先程の「退蔵院」を初め、下の写真のような門構えの塔頭が46有る。

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「退蔵院」以外の塔頭にも多くの重要文化財や名勝指定の庭園が有る。
公開している塔頭は「退蔵院」を含め、2,3箇所。
下の写真は、とある塔頭の中の様子。綺麗だ。

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さて、もう一つの拝観出来る塔頭、「桂春院」(下の写真)に行く。

『桂春院』

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『桂春院』は、1598年(慶長3年)6月に織田信忠(信長の長男,1557~1582)の次男、津田秀則(?~1625)により「見性院」として創建された。
秀則の没後、美濃の豪族・石河壱岐守源貞政(1575~1657)が、1632年(寛永9年)に亡き父光政(?~1583)の五十回忌の追悼供養のために、桂南守仙和尚を請じて、現在の方丈,庫裏,書院,茶室等の建物を完備し、両親の法名天仙守桂大禅定門の“桂”と裳陰妙春大姉の“春”の2文字を取って「桂春院」とあらためた。
桂南守仙和尚の師、心華霊明禅師(水庵宗菊,1533~1612)を以って勧請開祖としている。

石河貞政は、幼少のおり豊臣秀吉に出仕し、のちに秀吉股肱の重臣となって江州長浜城主に封じられた。秀吉の死後、徳川家康に従い関ヶ原の役に戦功をあげ、直参旗本五千石を賜って江戸に在勤した。老後、京都に移り北野今小路に閑居し、余生を茶道に親しんだ。墓は境内東の墓地に一族共々有る。

「清浄(しょうじょう)の庭」(下の写真)。

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壺庭に紀州の巨岩や奇岩を直立させて枯滝の石組をとり、白砂を渓流に見立てている。
滝と渓流で常に心身の塵垢を洗い清め清浄無垢にしたいという思いが表現されている。

廊下の窓から「清浄の庭」を覗く(下の写真)。こういうのっていいね。

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下の写真は「書院」。
その奥は茶室「既白庵」。肝心の茶室の全貌を取り損ねたorz

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実際に見てください。いい味わいです。

書院の前の庭、「侘び(わび)の庭」(下の写真)。

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下の写真も「侘びの庭」。

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廊下を通って「方丈」に出る(下の写真)。

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「方丈」は1631年(寛永8年)に建立された、単層・入母屋造・棧瓦葺からなる。内部中央に仏間と室中の間を設け、正面に本尊薬師如来像を安置している。楣上に掲げられた『桂春院』の額(上の写真に横から写っている)は天間独立の筆

方丈内部に有る襖絵「金碧松三日月」(下の写真)。
狩野山雪(1590~1651,狩野山楽の弟子)の作。

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内部の襖絵全てが狩野山雪の作。下の写真の襖絵もそうだ。
上のきらびやかな物も良いが、下の様な絵のほうを僕は魅入ってしまう。
襖には至る所にいろいろな絵が描かれている。どれも味わい深い。

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「思惟(しい)の庭」(下の写真)。
十六羅漢石や座禅石を並べ、仙境に遊ぶ趣を出している。

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「真如(しんにょ)の庭」(下の写真)。
写真からは分からないが、小さな庭石を七・五・三風に配置して十五夜満月を表現している。

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方丈の横から、庭に降りることが出来る。
下の写真は「真如の庭」の裏に当たる。散策を出来る。

20090620ride_192
 

桂春院を出る。これで妙心寺参拝も終わり、時刻は15:30頃。
妙心寺の近くに拝観できる有名寺院はまだ幾つか有る。拝観終了時刻までにはまだ余裕が有るが、帰路につくことにした。
輪行袋を持ってきてはいるが走って帰りたかったことと、それでも明るいうちに帰宅したかったので、もうそろそろ帰路につかないとそれが叶わないから。

一応ここで、この日回った場所(赤色の丸)の位置関係を下の地図で示しておく。
前半の「映画村」までは太秦地区。後半の「法金剛院」と「妙心寺」は花園地区である。

Small_map_20090620_2

もう少し詳しい大きい地図は、記事の下の方にリンクが有るので、そちらへ。

さて、話は戻って・・・。
駐車場に置いた自転車を回収。
妙心寺から適当に南下して天神川沿いを走る。
とにかく適当に南下し続け、やがて国道9号に出る。ちょっと西に走って西大橋の東端から桂川沿いのサイクリングロードに入る。
ここまでたらたら走っていたので、帰りのサイクリングロードではそれなりにちゃんと走るように意識。

20090620ride_194

16:30に天王山大橋に到着。
往きと同じルートで桂川~淀川右岸沿いで一路大阪市内へ。

しかし、高槻市内の淀川河川敷上で前輪のタイヤが突然潰れる。パンクだorz。一気でもなく、スローでもなく、その間位だ。
確認するとチューブに小さい穴を発見。スローパンクになるほど小さな穴でもなく、一気に抜けるような穴でもない位の大きさだ。タイヤ側に犯人は見当たらず、どうやらタイヤには残らなかったようだ。
チューブを交換。ここのところ、この自転車でパンク続きだ。

こういうこと。↓

1 5月末の「吉備路ポタリング 2009.05.30」でスポークが刺さることによりパンクし、後日両輪のリムテープを交換。
2 前日6月19日夜に、前輪がスローパンクしていたことが発覚。チューブに微小の穴を発見。タイヤ側に犯人を見つけられず、不安なのでタイヤを両輪とも交換(そろそろ替える予定だった)。
3 当日朝に、再び後輪がスポークに刺さることによりパンク。リムテープを交換したものの、前夜に交換したタイヤの適正圧の範囲が高圧側にシフトしたことで、これまでよりも高圧気味に入れてしまったのだが、これにより再びスポークが刺さった模様。抜本的な解決は・・・、現在使用中の安価なリムを諦め、スポークが孔に引っ込んでいる構造のリムに変更することであろう。

・・・といった経緯(↑凄く分かり難いか・・・・(^^ゞ)。
そしてとどめにこの帰路のパンクだ。ここ1ヶ月でチューブを何本ダメにしたことか・・・。チューブを交換している最中に雨が降り始めるし、踏んだり蹴ったり。

パンクを直して再び帰路へ。幸い、大阪市内に入る前に雨はやんだ。
18:40に帰宅。パンクのおかげで少し遅くなったが、さすが6月・・・まだ日没前。

そういう感じで、太秦を軽く観光ポタリングした次第。過去に観たことがある所ばかりではあったが、自転車で来たのは初めてだったし、修学旅行の時にまともに観ていなかった映画村もしっかり観れたし・・・。久しぶりに訪れた広隆寺や法金剛院、妙心寺の仏像や庭園等々も良かったしな~。
妙心寺より北の、今回やめた等持院や金閣寺界隈はまたいずれ行くとしよう。

パンクでケチが付いたが、まぁ、良いお気楽ポタリングだった。
 

コース概略/自宅→淀川右岸河川敷・土手→桂川右岸河川敷・土手→小泉川土手→国道171→国道478→天王山大橋→八幡嵐山サイクリングロード→西大橋東手前→京都市右京区南衣手町一般道→葛野西通→四条通→国道162→三条通→右京区森ヶ前町一般道→木島神社(蚕の社)→三条通→広隆寺→妙心寺通→映画村→右京区一ノ井町一般道→丸太町通→法金剛院→丸太町通→右京区寺ノ内町一般道→妙心寺→妙心寺通→右京区太秦安井→国道162→国道9→西大橋東手前→八幡嵐山サイクリングロード→天王山大橋→国道478→国道171→小泉川土手→桂川右岸河川敷・土手→淀川右岸河川敷・土手→自宅
(地図→クリックしてください (拡大可。青色のラインが走った所。大阪市内の自宅~桂川沿いのサイクリングロード区間は省略))

走行距離/99.89km
走行時間/6hr06min
平均速度/16.39km/hr
最高速度/36.34km/hr
Small Bike積算距離/719km
全Bike積算距離/16126km

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Comments

Katzeさん、カメラがブレるほど笑ったのに声は出さなかったんですか? しかし面白い動画ですね~、げらげら笑ってしまいました(^v^) 映画村はずいぶん前に行った事ありますが、こんなに綺麗でおもしろかった、という記憶がないです(ホントーにずいぶん前なので) Katzeさんのコメントが面白くて(;´▽`) 特に「。。。あ」の後どんな感想を持たれたのか気になります( ̄w ̄)  蓮の花が咲いてる頃は最高でしょうね。紫陽花も負けず劣らず綺麗ですが。  パンクってどのくらいの確立でおこるんでしょう?「運」なんでしょうか? 

« 投稿: あさたろう  2009年7月 2日 (木) 21時29分

あさたろうさん>
僕もず~~~いんぶん久しぶりだったので、こんなアミューズメントな感じになっていてビックリでした。

動画にある撮影のデモンストレーションは“お笑い有り”と思っていないで見はじめたので、意表をつかれて思わずブレブレになりましたが、笑い声はこらえました。肩は震わしていましたが~~。
「。。。あ」のあとは、人形なのに横顔にハッとしたということで・・・。

パンクは昨年までは年に1~2回くらいしか起きなかったのです。今年になって連発です。運も有るかもしれませんが、この小径車の自転車はパンクし易いことが分かってきました。

« 投稿: Katze  2009年7月 2日 (木) 21時48分

もうすごく懐かしい♡太秦映画村は高校の時に行ったっきりです。
昔と違って綺麗でより楽しめる施設になってますね。
友人が映画村に行って新選組のコスプレで写真を撮ったと聞いたので是非行きたいです。
銭形平次、歌わかりますよ(*´∀`*)時代劇大好きです。
仕事人が潜んでそうな路地はドキドキします。
京都は大好きで3回ぐらい行きましたが、お寺ばかり見て歩いても全然飽きないんですよね。
記事を読んで旅心がつきました。
ふらりと行けたらいいな。

« 投稿: アネモネ  2009年7月 3日 (金) 21時22分

アネモネさん>
昔はもっとごちゃごちゃしていた記憶がうっすらと有り、そのほうが撮影現場っぽい気がしますが、今では観光がメインって感じです。

コスプレできるコーナー、有りましたよ。

自転車でフラッと行ける、それでいてそこそこの距離を走るので、丁度いい場所です。
アネモネさんのほうで言うところの、尾道や倉敷といったところでしょうか。
新幹線なら数時間で来れるのではないでしょうか。時間を見つけていらしてみてください。

« 投稿: Katze  2009年7月 4日 (土) 00時41分

時代劇好き~、時代劇チャンネルで見てるので
銭形平次の歌2番?(3番なのかも?)も歌えます。
合ってますよ~。
芝居小屋は2009の仕事人ではヒガシ演じる渡辺さんが芝居好き設定なので今回良く出てきた場所では?
安珍清姫で合ってますね。細かいですね。
太秦行ってみたいです。
枯山水も周りの緑が綺麗なので映えますね。
花菖蒲や紫陽花も見ごろですよね、とってもいい時期でしたね。

« 投稿: しましま  2009年7月 4日 (土) 11時57分

しましまさん>
どれも合ってましたか。良かったです(ホッ)。

そう言えば、仕事人2009の最終回のエンディングで渡辺さんは芝居小屋の前でみえを切る真似をしていましたね(全放送回数のうち半分くらいは見ていました)。

6月は花菖蒲や紫陽花。今月7月は蓮の花でしょうね。きっと見頃ですよ。
フラッと日帰りで京都へ、っていうのはいかがでしょう。

« 投稿: Katze  2009年7月 4日 (土) 17時06分

今日のは贅沢でした^^
画像も鮮明で、本当にきれいでした
セットのホコリまで写ってそうな・・
映画のセット、前から見学したいと思っていました
これを見たら益々、行きたくなりました
動画も面白かったな~♪
矢が刺さるシーン、そんなんだろうとは思って見てましたが。。投げる人、刺さる人の「あ・うん」のタイミングが大事ですね^^
こんなにいっぺんに見せて頂いて!勿体無いみたい(笑

「お化け屋敷」見たい見たい\(~o~)/
江戸時代?のお化けって恐そう~~~
 あ、お風呂のセットも見たい

ディズニーランドよりずーっと好きです

« 投稿: はな  2009年7月 5日 (日) 22時52分

はなさん>
ぜひとも機会を見つけて京都に遊びに行って、映画村を生でみてください。
お化け屋敷も体験してください。
僕がサクッと見ても1時間かかっていますから、すべてをちゃんと見たら2~3時間くらいかかるかも~。

« 投稿: Katze  2009年7月 6日 (月) 01時34分

動画の部分が何故かマッシロでみれませんでしたcrying
katzeさんは、大阪の奈良寄りの南の方へ行かないんですね〜。私はプレ仲間の某Pさんの所へ行くと、Pさんの運転でブドウ畑や河内長野方面、葛城山とかワールド牧場?の辺りを走る事があるのですが、のどかです〜♪開発が進んで残念な山も増えてますけどね。

« 投稿: てるちゃん  2009年7月 7日 (火) 11時17分

てるちゃん>
たしかMACをお使いでしたっけ?そのせいでしょうか?
それともFlash Player関係の問題かな???
動画本体は↓
http://video.nifty.com/cs/user/video_profile/detail/uid_0000002825/1.htm
に置いてありますので、お時間が有れば覗いてみてください。

河内方面を走ったことが無いわけではないのですが、紀見峠界隈の山道くらいですね。河内長野の“市街地”は一度通過しただけで・・・。
淀川より北に住んでいますと、大阪の街中を自転車で突っ切って大和川に行くまでが色々面倒臭いんです。大和川に着けばそこから南は行きやすいんですけどね。

でも、そう言われちゃうと~~~、プランは前からちゃんと持っていますし、行きますとも==3

« 投稿: Katze  2009年7月 8日 (水) 20時52分

動画観れました〜happy01
あの流れに手がブレる程ウケてしまったKatzeさん←にウケてしまいました。状況が浮かんで来て、、面白過ぎですsign03happy02
南大阪プランお持ちなんですか♪楽しみにしてまーす!また面白い動画仕入れて下さいnote
昨年は石川の河川敷でオーツ麦を収穫したり、先日は170号線から少し入った場所で笹を摘んだり・・・国華園辺りまで行った事あります♪

« 投稿: てるちゃん  2009年7月 9日 (木) 16時21分

てるちゃん>
動画を見れて良かったです。
予期せぬボケに思わず笑ってしまいました。

南大阪は先ず、○○○○(←秘密)を回りたいと思います。石川沿いは南大阪のサイクリングに欠かせません。
ちなみに次回のサイクリング記事は南大阪ではないです(^^ゞ
来月ということで・・・。

« 投稿: Katze  2009年7月10日 (金) 21時40分

 






 

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