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2009年7月12日 (日)

加悦の町・丹後ちりめんサイクリング 2009.07.05

年月日/2009年7月5日

バイク/MARIN Venezia Road Bike

目的/福知山市内の山間部を、丹後ちりめんで知られる京都府与謝野町まで走り、旧加悦町を中心に巡る。

ポイント/往復輪行。

内容/
この週末7月4日,5日の近畿の天気予報は、金曜日の夜の時点では、7月4日(土)の天気があやしくて午後に雨に出くわす確率が高かった。翌5日(日)は全般的に曇り時々晴れとのことだった。そういうわけで、仕事疲れも有って土曜日のサイクリングは止め、日曜日に走るつもりでいた。しかし実際に土曜日になったら、概ね全般的に曇り時々晴れ。雨にやられずに済んだようだ。
それはそれでいいとして、その土曜日の夜の時点の天気予報で状況が一変!!翌日曜日の近畿の天気は全般に悪く、南部は午後から雨。中部は夕方には雨。辛うじて北部は夕方まで曇り時々晴れとの予報に変わった。Σ(`0´*)
土曜日に乗っておけばよかった激しく後悔。直前でコロコロと予報が変わり、思いっきり翻弄される・・・(-゛-メ)
このまま日曜日も走らずに週明けを迎えると、先週末も走っていないこともあり、金曜日まで欲求不満のイライラ状態になりそう。そういうわけで、天気がどうであれ、この日曜日に走ることにした。

ただ、一応少しでも降水確率の低い所をコースに選ぶことにし、ストックしておいた近畿の北部のプランの中から探す。
結果、京都府北部にある「与謝野町」界隈を選択。特に“丹後ちりめんの町”として知られている「旧・加悦(かや)町(←周りの町と合併して与謝野町になる2006年以前に存在していた)」をサイクリングのテーマの中心地とし、輪行で福知山市内に入り、前半(午前)は福知山市~与謝野町(加悦町)までの行程を楽しみ(苦しみ?)、後半(午後)は加悦町界隈を“丹後ちりめん”をメイン・テーマにポタリングをし、最後は輪行で帰るという計画。
コースは概ね下の地図のような感じ。
最後にちょっとだけ北隣の京丹後市に入る予定。丹後ちりめんに関係の有る寺が京丹後市に有るからだ。

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実はこの計画、昨年の「ホームまで行きながら引き返して中止にした輪行 2008.11.02」で、行くつもりであったが中止にした計画なのだ。8ヶ月後にようやく実行することになった次第。

4:50に出発。
JR吹田駅まで走り、5:00頃に到着。ロードバイクを輪行袋にパッキング。5:29の列車に乗り込み、大阪駅へ。
大阪駅で5:55発の福知山線始発列車に乗り替え、福知山駅へ。

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8:18に福知山駅に到着し、向かいのホームの山陰本線・豊岡行きに乗り込み、2分の待ち合わせで出発。すぐ隣の上川口駅へ。
ちなみに、大阪駅で福知山線始発に乗り遅れたとしたら、以降の6:00~7:00頃の列車では山陰本線・豊岡行きとの連結が悪いので、そういう場合は福知山駅からスタートするか、少しは連結がマシな北近畿タンゴ鉄道を使って福知山市街地中心部から脱出するべきだろう。幸い予定通り、福知山線の始発に乗れたので、上川口駅まで乗った次第。たった2分+6分位で、交通量の多い福知山市街地あるいは国道9号を避けれるからね。
・・・で、上川口駅に8:26に到着。
無人駅。誰もいない待合室で自転車を組み立てる。

↓8:43、上川口駅を出発。

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↓駅舎の目の前の真っ直ぐな道を北上。一応これ、県道528号。

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↓牧川を橋で渡る。渡った先の左右に走る国道9号に合流するためだ。

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↓穏やかな牧川の流れ。対岸に国道9号が走っている。

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↓左を振り返って・・・「六十内」の集落と田。山と田が綺麗ですな~~。

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橋を渡って国道9号に右折して入る。ほんの400~500mだけ、福知山市街地方面に走る。
国道9号の京都市~亀岡~綾部~福知山市街地間は道幅に余裕が有り、自転車でも結構走り易い。しかし福知山市街地から西、福知山~和田山間の道幅は、大型トラックの車幅(ミラーを含めて)いっぱいくらい。当然、京都~鳥取間のメインルートとして交通量が多く、大型車も大変多い道なので、自転車で走るのには結構疲れる区間。加えて、僕の進もうとしている側には一段上がった歩道が有り、僕は当然車道走行しているので余計に走り難い(・・・あっ、ここの歩道は自転車走行可だけどね)。反対の和田山の方角のほうがまだ走り易い。いずれにしても、福知山市街地以西の和田山、更には和田山~鳥取の兵庫但馬区間の国道9号の自転車走行は厳しい。福知山市街地以東~京都市内区間は悪くないけど・・・。
↓そんな国道9号をちょっとだけ東進して、2番目に出くわす脇道に入る。

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ちなみに最初に出くわす脇道に入っても、すぐに国道9号に再合流するだけ(僕はうっかり入り込んだ)。
↓この側道に入ったのは・・・。

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↓国道を避けてショートカットをし、府道528号に再合流するため。

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つまり、先程の上川口駅前からの府道528号は国道9号に一旦含まれ、再度分岐している。国道9号をそのまま走って府道528号に移ってもいいのだが、国道9号を少しでも避けたかっただけ。
国道9号は福知山市街地に向かうが、府道528号はこのあと北に延びて国道176号と合流し、その先の与謝野町に繋がる。国道176号の裏道として今回選択した道なのだ。
実はこの道、春先から先月くらいまで土砂災害で通行止めになっていた。道路情報サイトで確認したところ、通行止めが解除されていたので、今回使えるようになった次第。
↓で、府道528号・・・緩い登りの快走路です。

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↓すんごい木々。

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「下大内」「上大内」の集落を抜けていく。

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まだ、勾配はそれほどきつくない。

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↓どう?これ。いいでしょ~~。

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この時点で、「この道、大正解」と確信。

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民家が無くなってくると徐々に勾配も急に・・・。でもそれ程きつくない。
疲れるが楽しい登り・・・ってとこだろう。

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↓程なくして峠に到着・・・。と言っても峠名は知らん。
↓眺望無し・・・残念。山の切り通しの峠ですな。

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↑ここから下り~~~♪。
ちなみに向こうから高校生ぐらいと思われる男二人組がママチャリで登ってきたぞ・・・。
↓ギュィ~~ンと下る爽快な道。随分先まで続くな。

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ま、あんまり下ると、次にまた登りに出くわすことになるんだろうけどね~。

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↓橋を渡る所でT字路に突き当るが、左折が府道528号の続き。当然左折。

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「大呂」の集落を抜けていく。

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左折したところからすぐに、右手に「天寧寺」。

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西国薬師霊場で、紅葉でも有名。十年位前に参拝したことが有る。勿論、その時は自転車に乗っておらず、北近畿タンゴ鉄道・宮福線の「下天津駅」から徒歩で来た。その時にまさかのちに自転車で来るとは夢にも思わなかった。自転車に全く興味が無かったからね~(むしろちょっと嫌いな乗り物だった)。不思議なもんだ・・・何が人を変えるか分からないな。
で、今回は「天寧寺」をスルー。“丹後ちりめん”と関係無さ過ぎるので・・・。

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↓「天寧寺」から先もウハウハ快走路・・・。

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↓と思ったら、すぐ先の「上谷」の集落の手前で急に道幅の狭い箇所が出現。

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↑抜けると、
↓「上谷」の集落。

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いいね~~。山、田畑・・・農村の集落。

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集落の中も微妙に登り勾配気味。でもフラットに近い。ここも快走路。

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いいわ~~、この道。

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↓そう思うでしょ?こんなんだし。

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↓「上谷」の集落から離れると、勾配が少し急になる。でもまだ余裕。

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山間を抜けていく。

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気持ちいい道ですな。

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府道528号に入ってからここまで、自動車には数台くらいしか出くわしていない。殆ど地元のかただと思う。

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集落が見えてきた。

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「喜多」の集落に入ったようだ。

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↓おっ、また切り通しの細い道。

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そのあと、また道幅が広くなる。
この辺り、間違えそうな分岐が幾つかある。
↓その一つ、「熊野神社」前の分岐。

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↑「みたけ山荘」の案内の通りに進むと府道528号から外れます(上の写真の左下)。豊岡方面に繋がる国道426号に出てしまうからダメダメ。黄色の矢印のように右カーブへ進むのが府道528号。
↓で、「喜多」の集落を離れると、登りらしくなる。

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峠越えらしい勾配になってくる。汗がタラタラ。
山の中だけど上の空が見えていて、陽ざしを浴びるから余計に暑い。

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ここからが府道528号の本格的な登り部分。

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↓少しだけ木陰。

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でもまた陽ざしが~~。
↓「上野条」の集落に入る。

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ウネウネとカーブしながら登りは続く。結構しんどい。
↓こういう場所の田んぼは段々畑になっている。疲れるが景色は良い。

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↓晴れているが、山の上はガスっている。「三岳山」だ(標高839.2m)。

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「上野条」は「三岳山」の東の裾野に位置する農村の集落。

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いい景色ですな。美しい棚田だ。

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登りは続くけどね。・・・暑い~。

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そういう時は右を見て、棚田の景色に癒されてみましょう。

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いい所だね~~。

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↓「上野条」の集落の最上部に紛らわしい分岐。

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↑赤い矢印のほうに山の斜面を這うように進む綺麗な道が有るが、そちらはダメ。三岳山の西に出てしまうようだ(たぶん)。
↑黄色い矢印、やや淋しげでジメッとした、切り通しで幅の狭い道へ。↓

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↑ここが峠(峠名は知らん)。切り通しを抜けると・・・。
↓おぉ!!いい眺め。

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旧大江町方面の山々が右手に見える。その下に棚田。なんか凄く良い景色。

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ここからグングン下る。いい景色と爽快な下りでウハウハ状態。

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路面も結構良好。

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↓向こうに見えるのは「天ヶ峰」(標高632.4m)かな?(違っていたらごめんなさい)

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いやはや・・・。ここ、良い!!

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いつの間にやら「下野条」の集落に入っている。

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まだまだ下る。大江山方面の山々が見える。

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↓先程の、下っている途中の道のガードレールが見えるかな?2つ上の写真を撮影していた時に見ていた風景の中に今、いる。

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↓やがて分岐。ここ、大事な所。

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↑このまま府道528号は国道176号と合流。その北に「坂浦トンネル」が有る。
旧道好き、国道苦手、トンネル嫌いの僕は、合流する直前の左手の分岐に入る(黄色の矢印)。
↓こちらは国道176号の旧道。おにぎりマークがまだ残っている。

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旧道で「坂浦トンネル」の上を通るつもり。
棚田の横を登っていく。

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↓右手に「坂浦トンネル」の南口が見える。

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↓田んぼが無くなり、林の中へ。

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まだそんなに路面は悪くない。よくある舗装林道程度かな。

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↓暫く登ると、陽のあまり当たらないジメッとした道になる。

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↓舗装状態は悪くは無いが、落ち枝散乱、湧水がチラホラ。

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しかしここがかつて国道だったとは・・・。現在の交通量や大型車の往来では通行不可だ。普通の乗用車でもすれ違い困難だな。どちらかがバックし続けないと・・・。
↓出ましたね・・・。苔のライン。でも好きなんだな~~、こういう道。

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↑上の写真の先が峠のピーク。切り通しで、眺望ゼロ。
↓で、下り。土砂が流出していて、ちょっと危ない。

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↓でも、日差しが当たる所に出ると、路面が乾いて良好に。

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↓下っていくと・・・おぉ!いい眺め。

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↓「坂浦トンネル」の北から先、国道176号と下野条~雲原・天座方面の山間部の眺めが一望。

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「坂浦」の集落へ降りていく。

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左手に景色を感じながらね~~。

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↓程なくして国道176号に合流。ここを右折。

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ここから次の「与謝峠」まで国道176号を走る。
暫く爽快に下ると「雲原」の集落に入る。
そこからフラットになり・・・・やがて登りになる。↓

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国道176号は、行楽のクルマやツーリングの単車が多い。天橋立に繋がっているからだ。観光バスも多い(運送業関係のトラックは少ない)。そういうわけで国道9号ほどではないが、それなりに交通量の多い国道だ。
ただ下の写真のように、逃げ場になる路側や歩道の幅がしっかりと有り、なおかつ綺麗なので走り易い。特に「与謝峠」方面に向かっている僕は、隣に一段上がった歩道が無いので走り易い。
逆側の車道走行はちょっとストレスかも。もっともその場合は下りになるから脚は楽だろう。その分、ライン・キープに注意が必要になりそうだ。なお、小径車やMTB等で車道走行が怖かったら、自転車走行可の歩道なのでそちらへエスケープしてもいいだろう。

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登り勾配は・・・まぁ普通かな。主要国道の登り勾配って大抵そんなにきつくないからね。
ぶれないようにラインキープでしっかりと登るだけ。自動車側のマナーも悪くない。その点ではストレス無しで登れる。もっとも観光バスが後ろから登ってくる気配がしたら、しっかりと脇に避けるか(でも側溝に落ちるないように)、止まってスルーした方が無難かもしれないが・・・。

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↓程なくして左手に分岐。そちらへ。

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このすぐ先に有る「与謝トンネル」(長さ905m)の通過を避け、旧道で「与謝峠」を越えて与謝野町に入るつもり。
↓国道を右手の下に見ながら旧道を進む。

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↓こんな感じ~~。ちなみに国道を挟んで反対側にも側道がある。

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先程の分岐をうっかりスルーしても、急坂だが自転車ならば旧道に上がれる坂が、トンネルの手前にもう一つあるので安心。
↓このように「与謝トンネル」の南口の上を越え、一旦反対側へ。

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↓で、反対側の側道と合流。

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ここから登りが続く。・・・が、意外と緩い。すでに現行の国道176号で、結構登ってきているからだろう。
峠も近いのでは?

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↓細い旧道を進む。湧水でビショビショな路面。落ち枝がラインを作っている。

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↓また一層細くなる。
↓絶対にクルマの離合は無理。草むらに突っこんで傷を付けてもいいのなら別だが・・・草むらの中に何が有るか知らんよ。

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これでも国道だったんだからな~~。今だったら酷道だよ~。
僕は酷道好きなので、いいんですが・・・。自転車的には問題無いしね。
↓で、眺望も何も無い、ここが与謝峠のようだ。この先は下りだし・・・。

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↓右手にフクロウの彫刻・・・。何故、何のためにここに?

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ここから「与謝野町」。丹後ちりめんの町「旧加悦町」に突入だ。
さっ、下りましょ。
日差しが当たって、路面は乾いている。しかも路面は意外と良好。

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道幅も少し広くなった。
↓途中で林道赤石線との出合。当然左折して旧道をそのまま進む。

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与謝野町の山間をウネウネと下っていく。

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自転車的には快走の下りだ。

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↓程なくして現行の国道176号が右手に。「与謝トンネル」の北口付近だ。

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↓トンネル北口には「与謝ロードパーク」が有る。食事・飲料補給・トイレに立ち寄れる。

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↓ガードレールを跨がなくても・・・合流出来る道が有る。

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↑すぐ先にヘアピンカーブが有り、そこから現行国道に戻れる(上の写真の左下)。
僕は行かないけどね。
↑ヘアピンカーブを曲がって下る(上の写真の右下)。
↓集落と棚田が見えてきた。

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集落に向かって、急勾配の下りがある。
↓途中で目の前に橋が見える。

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これは現行国道176号の「加悦大橋」(下の写真)。
国道は東の「大江山」と西の「江笠山」の間の谷をこの「加悦大橋」で渡る。なぜそうするのかというと、そのまま谷間の加悦の町を登り降りするルートを取るには急勾配過ぎるからだろう。一旦、谷の向こうの「江笠山」の斜面に取りついて、距離を稼いで少しでも緩やかにするためであろう。

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旧道は、その谷間を下る急勾配のルートというわけ。
↓だんだん「加悦大橋」が近づいてきた。

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↓くぐる~~~。橋の向こうは「おおばトンネル」になっている。

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つまり、「おおばトンネル」で山をぶち抜いて、その先でカーブし、またこちらに戻ってくるという次第。
↓橋の下から加悦町の中心部のほうが見える。

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ちょっと山に隠れてしまっているけど、谷間にあることが分かるでしょ?

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これからそこへ下っていくわけ~。

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民家が少し増えてきた。

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↓ここで国道176号と合流。横断する。横断後に振り返って撮影。

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今までの説明が分かりにくいと思われるが、下の地図を見るとイメージが湧くだろう。
↓青色の部分が走行ルート。

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↑「加悦大橋」の下をくぐって、戻ってきた国道と交差したということ。
↓交差点の福知山方面向かって右手角にお地蔵さんの祠が有る(黄色の円)。

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それを左手に見ながら・・・・。

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↓旧道を降りていく。急勾配。

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次の目的地のこと考えると現行の国道176号に合流したほうが分かり易いんだけどね・・・。
ま、いいでしょ。
↓こちらの方が長閑だし。

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↓下り終えると、町の中に徐々に入ってきた感。

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また分かりにくいポイント。

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↓頭上にこういう案内板が有るので、黄色い矢印の様に進む。

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くどいようだが、国道でもいいんだけどね。
折角だから別の道へ。
その道、府道701号のようだが、歩道が無いので撮影のために止まることが出来ず、写真はこれ位。↓

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でも、走るのには快走路だ。下り勾配気味だし・・・。
ただ、そこそこ自動車が多いので、フラフラしないように。
↓府道701号が曲がる交差点。

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↑写真の向こうと右の道が府道701号。交差点を渡って振り返って撮影したので、写真の向こうから僕は走ってきたということ。
↓交差点を直進して府道701号から離れ、そのまま少し町道を進み・・・。

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ちょっと広め(←これ大事)の適当な道が見えた所で右折(←テキトーな説明だな)。
「野田川」を渡ると国道176号に合流する。
↓その合流地点。

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案内板通りに、最初の目的地「SL広場」へ。合流地点のすぐ傍だ。
「SL広場」は今回のメインテーマ“丹後ちりめん”とは直接には関係ないかも知れないが、やはり丹後ちりめん産業との間接的な結びつき(後述参照)は有るだろうということで立ち寄る。
・・・てか、折角だしな。SL関係の観光スポットってそうそう色々な所に有るわけでもないし。

『SL広場』(公式サイト→ここ)に到着。時刻は11:50頃。
駐車スペースの周りに駅舎・展示室(下の写真の右上)とショップ兼カフェ・レストランの「蒸気屋」(下の写真の左上)が建っている。

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↑駐車スペースに「京都市電N5号」。

明治28年(1895)京都の七条駅-伏見間に日本最初の電車として開通。
昭和36年(1961)京都駅-北野神社間の廃線によって廃車、北野線所属28両中の23号車が宝塚ファミリーランドへ譲渡、展示されていた。
製造会社:梅鉢鉄工所 1910年頃製造。
  (公式サイトより)

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「SL広場」と「加悦鉄道」について・・・

「SL広場」の事業主である「カヤ興産株式会社」の前身は、「加悦鉄道株式会社」である。
「加悦鉄道」は、大正14年、加悦谷地方8ヶ町村の“丹後ちりめん産業”を通じた京阪地区との交流、及び村の子供たちの通学の便を図るため、村民823名の出資により設立された。
翌大正15年、国鉄連絡駅である丹後山田駅~加悦駅間 5.7キロが開業。この時に使用されたのが加悦鉄道2号機関車(123号蒸気機関車:重要文化財)であった。
以後、ちりめん産業の隆盛に加え、昭和14年には大江山にニッケル鉱山が発見され、鉱土輸送のため加悦駅から鉱山駅まで2.6キロ延長し、丹後の小さな鉄道は活況を呈した。宮津市で毎年開催される宮津灯篭流しには臨時列車も多数運転された。
昭和20年の終戦とともに大江山よりのニッケル鉱土輸送は廃止され、戦後は次第に蒸気機関車からガソリン車、ディーゼル機関車に主役が代わり、昭和31年頃には5輌ほど走っていたSLも廃車となった。
さらに加速するモータリゼーションの波におされ、貨物及び旅客の鉄道利用が日に日に減少し、ついに昭和60年4月30日の“さよなら列車”運転を最後に鉄道事業を廃止した。
地場産業であるちりめんの輸送、国内重工業の礎となる鉱土の輸送、地域の人々の通勤・通勤通学等々その時代時代の役割を担ってきた加悦鉄道は、昭和の60年間を走り抜いた歴史に幕を降ろた。

昭和45年より、旧加悦駅構内の一区画において「加悦SLの広場」を営業していたが、これを旧鉱山駅跡地に移転。施設も新たに建設。新しい「加悦SL広場」としてオープンした。平成11年には産業考古学会より保存功労賞を、平成12年には推薦産業遺産に認定、また鉄道友の会よりグローリア賞を授賞している。平成15年12月には加悦鉄道車両群11両が町の文化財として指定をされた。
さらに平成17年6月には、旧加悦鉄道の2号機「123号機関車」英国:Rt.Stephenson社製の蒸気機関車が“重要文化財”に指定された。
  (公式サイトより)

駅舎・展示室の向こうに展示車両があるようだが、時刻は正午なので先に昼食。持参の補給食ではいまいちなので、「蒸気屋」で食べることにした。

「蒸気屋」は主に2カ所(2タイプ)有って、一つが下の写真の「カフェ・トレイン蒸気屋」。オシャレな外観。内部もオシャレな雰囲気が外から窓の奥に見てとれる(サイトの写真)。

加悦鉄道で実際に使用されていた車輌(サハ3104)を改造した、ヨーロッパを優雅に走る客車のようなおしゃれなカフェ。
自慢のメニューはアルデンテで楽しむパスタ、オリジナルカリー、マスターこだわりのコーヒー。
車窓からは四季折々の景色が楽しめる。
 営業時間 AM 8:00~PM 6:00
 定休日  毎週水曜日(祝日の場合は木曜日)
  (公式サイトより)

「サハ3104」について・・・
キハ083稼動までのつなぎとして譲受。昭和47年(1972)まで朝夕時のみ稼動(3年間)。その後側板を撤去し、休憩車として利用。平成7年(1996)移転に伴い、「カフェトレイン蒸気屋」に改造。
製造会社:藤永田造船所 1925年1月製造

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小汚い格好をしているので入りづらく、隣の“もう一軒のほう”、ショップ・カフェ「蒸気屋」へ・・・(^_^;)
うどんやそばなどのお気楽な食堂タイプかなと思ったが・・・。

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上の写真にある店の中のカウンターで注文し、店の裏に有る車両(下の写真)の中で食べるようだ。待っていると、注文したものをこの車両に運んできてもらえるとのこと。
実際の「食堂車(キハ083)」だった車両らしい。

 営業時間 AM 10:00~PM 5:00
 定休日  毎週水曜日(祝日の場合は木曜日)

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↓車内の様子。先客さんが一組。

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いい感じでないの?

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下の写真は車窓の風景で、「野田川親水公園」。

平成8年に整備されたばかりの公園。
SL広場のすぐ西側に位置している。
春には桜が満開となり、夏には大江山連峰から流れ来る野田川のせせらぎが心地よい。
  (公式サイトより)

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すぐに注文したものが届く。
↓軽~~く、“冷やしそば”です。

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炭水化物系はサイクリングに欠かせません。おいしかった・・・大盛にすれば良かった。
これからまだ先が有るので、食べたらサッサと店外へ。

ちなみに、焼きたてパンの店「ブロートホルン」というパン屋さんも有る(下の写真)。

ヨーロッパの一流ホテル御用達、スイス生まれのヒーシュタント社が製造した高品質なパン。無農薬、有機栽培の小麦を使い殺虫剤、保存料等の化学物質は含まず、天然塩、ナチュラルバター、低温殺菌牛乳等の厳選された質の良い素材を使用している。日本のパンとは違い、噛めば噛むほど素材の味を楽しめる。
北近畿では、加悦SL広場・ブロートホルンでのみ購入できる。
 営業時間 AM 10:00~PM 5:00
 定休日  毎週水曜日(祝日の場合は木曜日)
  (公式サイトより)

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パンに後ろ髪をひかれつつ、駅舎へ(下の写真)。

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ノスタルジーあふれる、かわいい木造駅舎は、“日本の駅舎100選”に選ばれた旧「加悦鉄道加悦駅」を復元したもの。「加悦駅」は大正期の代表的な洋風建築のひとつとして知られていた。
待合室には、当時の時刻表、ランプ、時計、ベンチなどが置かれ、昔の駅の雰囲気そのままである。
展示室には、旧加悦鉄道で使われていた通券函、ランプ式合図灯、転轍器標識、信号反応器など貴重で興味深いものをたくさん展示している。
  (公式サイトより)

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↓入場料を払うと、切符に見立てた入場券が渡される。

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↓改札を抜けて「SL広場」へ。

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ホームに2台の汽車が並んでいる。

↓客車「ハブ3」

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付随貨物緩急車「ハブ3」↑
ドイツ製木造緩急車。九州鉄道(明治40年国鉄が買収)発注車。
大正11年(1922)伊賀鉄道へ払下後、昭和2年(1927)譲受けた。荷物室を備えた緩急車。
昭和45年(1970)の大阪万博にドイツ製機関車クラウスとともに出展。
製造会社:Van der Ziepen(独) 1889年6月製造。

↓隣の蒸気機関車「2号(123号蒸気機関車)」。

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「2号(123号蒸気機関車)」↑
英国最古参機関車メーカー製。明治7年(1874)開通の大阪-神戸間で活躍し、陸蒸気の名前で親しまれていた。
明治45年鉄道院時代に「123号」に番号変更。
大正4年(1915)簸上鉄道(島根県)に払下。創業に伴い購入。加悦鉄道2号機となり、昭和31年(1956)まで稼動。加悦鉄道では297,800キロを走行。
製造会社:Rt.Stephenson(英) 1873年6月製造
重要文化財 「123号蒸気機関車」(2005年6月に国の重要文化財として指定された。)

↓18731年の製造年と製造会社が刻印されたプレートが車体に付けられている。

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↓内部のボイラー。

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↓その「2号(123号蒸気機関車)」に牽かれている客車「ハ4995」。

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付随客車「ハ4995」↑
いわゆる「マッチ箱」とよばれた非貫通型超古典客車。
昭和10年(1935)廃車、留置。
昭和45年(1970)修復工事を実施し、展示。平成2年(1990)車体部分の大修理を実施。
製造会社:鉄道省 新橋工場 1893年製造

↓中に入れる。当然手動のドア。

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あるドアから入ったら、その目の前の長椅子にしか座れない。通路が無く、車幅いっぱいに長椅子がセットされている。奥の長椅子に移動できないような構造になっている。(またいで行けば別だが・・・)。↓

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↑畳みと同じ、い草の座席になっている。長時間座っていると尻が痛くなりそうな感。
それに、背もたれが木の棒なので、中途半端に背もたれから背を浮かせている時に車両が前後に揺れたら、背中を木の背もたれに打ち付けて痛い思いをしそう・・・。

駅舎とホームから離れて他の展示車両を見て回る。
広場には線路が張り巡らされていて、その上に展示車両が置かれている。

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↓蒸気機関車「C58390」

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蒸気機関車「C58390」↑
昭和50年国鉄より加悦町が展示用として借用。
唯一の本格的テンダー式1C1形。
北海道で昭和50年(1975)7月まで稼動。
愛称“プレーリー”。製造数427輌。
製造会社:汽車製造株式会社 1946年7月製造 

結構最近まで頑張っていたんですな・・・北の大地“北海道”で・・・。総走行距離は1,851,467km(地球約46周に相等)とのこと。いや~~、お疲れさん。

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かっこいいですな。パワーが有りそう。

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↓後ろに燃料の石炭を積むのですね。

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↓その隣に蒸気機関車「C57189」

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「C57189」↑
昭和48年国鉄より加悦町が展示用として借用。
日本の近代蒸気のうち最も端麗とされ、その姿の美しさから”貴婦人”と称して親しまれていた。
2C1テンダー機。製造数201輌。
製造会社:三菱重工三原製作所 1946年11月製造

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“貴婦人”ですが、こちらもパワフルな感じ。
こちらも総走行距離、1,738,978kmで、地球約44周分。凄いですね~。

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↓蒸気機関車「103号」

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「103号」↑
長門鉄道を経て、昭和22年(1947)東洋レーヨン滋賀工場で入替用に使用され、昭和39年(1964)まで稼動。
同年、宝塚ファミリーランドへ寄贈され、カウキャッチャーなど整備されたのち展示保存されていた。
愛称“ポニー号”
製造会社:H.K.PORTER CO.(米) 1915年10月製造

宝塚ファミリーランドには行ったことが無かったので、これをそこで見たことは無かったが・・・。宝塚ファミリーランドでよく見ていてこれが好きだった人とかいたでしょうし、ここに移設されたことを知っているのかな?
「あの機関車、どこに行ったのかね~~?」なんてしょんぼりしている人がいたりして・・・。
「ここで元気にしていますよ~~。」ってね。

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↓「103号」のボイラー。

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↓修復中の蒸気機関車「4号」

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「4号」↑
河東鉄道(長野電鉄)の3号機。
昭和9年(1934)に同社より譲受。昭和15年(1940)に空気圧縮機、空気ブレーキ取り付け。昭和42年(1967)まで稼動。
旅客、貨物輸送に最も活躍した機関車。
製造会社:川崎造船所兵庫工場 1922年4月製造

↓客車「キハユニ51」

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内燃三等貨物動車「キハユニ51」↑
芸備鉄道(昭和12年国鉄が買収)発注40900形キハユニ18。
昭和27年(1952)舟木鉄道(昭和36年廃止)へ払下。
昭和37年(1962)譲受、改造後キハ51。昭和60年まで稼動。
平成6年キハユニ51に修復。ローカル線専用のデッキ付き。
製造会社:日本車輌株式会社 1936年10月製造

↓中に入れる。

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木の床のせいか、何故か昔懐かしい小学校一年の時の木造校舎の中にいるような感じがする。匂いも似ている。
↓運転席ですな。

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↓車掌車「ヨ2047」

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車掌車「ヨ2047」↑
日本最古の車掌車。同型機は現存しない。
貨物列車の最後部に連結し車掌が乗務する。
昭和56年加悦町が展示用として国鉄より借用。
製造会社:汽車製造株式会社 1937年製造

↓車掌車の内部。

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↑ストーブが有る。仮眠を取れそうな長椅子も有るな。

↓内燃機関車「DC351」

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内燃機関車「DC351」↑
蒸気機関車廃止後の工場側線用として譲受。旧国鉄丹後山田駅~日本治金工業(株)大江山製造所間の貨物列車を牽引していた。
昭和60年(1985)5月に廃車。
製造会社:汽車製造株式会社 1956年3月製造

↑これの内部は見れない・・・。

↓付随客車「ハ10」

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付随客車「ハ10」↑
創業に伴い新造(伊賀鉄道発注車を譲受)。
二重屋根を持つボギー台車で、客室は二等、三等に別れている。
昭和43年(1968)まで稼動。現役当時はニ、三等室の仕切りを取り外して使用。
平成6年(1995)新造時の状態に復元。
製造会社:大阪梅鉢鉄工所 1926年11月製造

↑二等(青色ライン)と三等(赤色ライン)の区別が色分けされている。
↓中に入れる。

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↑これは三等部分。
二等も似たようなもんだったけど・・・。ただ区切られていただけみたいでしたが・・・。

↓付随客車「ハ21」

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付随客車「ハ21」↑
明治26年(1893)製の台車に、昭和10年(1935)車体部分を新造。
昭和47年(1972)まで現役で稼動。
平成12年(2000)車体部分の大修理を実施。
製造会社:鉄道省 新橋工場 1893年製造

↓内部の様子。“銀河鉄道999”的な・・・。

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天井も良い感じでないの~?最近修理されたので綺麗。

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↓小型内燃機関車「KD-4」

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↑通称「カトーくん」・・・・(笑)。“KATO.WORKS”からか・・・。

小型内燃機関車「KD-4」↑
昭和31年(1956)日本通運が加藤製作所にて新製。山陽本線万富駅のキリンビール専用機で使用されていた。
昭和51年(1976)に用途廃止。
戦後の小型ディーゼル機関車で、”森ブタ”と並ぶ人気。”カトーくん”の愛称。現在、大井川鉄道・他で2両が稼働状態にある。
平成11(1999)年に加悦鐵道保存会に譲渡。
製造会社:加藤製作所 1956年製造
平成20年9月動態化に成功

↓“カトーくん”に牽かれている、遠州鉄道・無蓋貨車「ト404」

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遠州鉄道・無蓋貨車「ト404」↑
遠州鉄道が保線資材運搬用として平成11年まで使用。
加悦鉄道保存会が譲受け寄贈。
製造会社:汽車製造株式会社 1923年製造

↓次いで“カトーくん”のライバル(?)、内燃機関車「DB201」

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内燃機関車「DB201」↑
戦後、石炭価格の高騰に伴う運転経費の増大に対処するため購入。蒸気の足回りを利用した草分け的ディーゼル機関車。森製作所製機関車の唯一の生き残り。
”森ブタ”の愛称で親しまれている。
平成11年動態化復元に成功。
製造会社:株式会社森製作所 1953年2月製造

“カトーくん”と“森ブタ”、どっちが好み?

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↓“森ブタ”に牽かれている付随客車「フハ2」

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「フハ2」↑
木造欅張り、SL広場で最も軽量な木造客車。
大正5年(1916)、伊賀鉄道(現・近鉄伊賀線)から発注され、名古屋電車製作所にて製造。
昭和2年(1927)に加悦鉄道に譲渡。
昭和43年(1968)3月に使用中止。41年間の走行距離は548,437km。翌年に廃車。
平成3年(1991)車体部分の大修理を実施。
製造会社:名古屋電車製造所 1916年2月製造

↑中には入れない。

↓ラッセル車「キ165」・・・・かっこいいな。

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ラッセル車「キ165」↑
山陰線で活用した雪掻車。
後部に連結した蒸気機関車より動力と圧縮空気を供給される。
昭和56年加悦町が展示用として国鉄より借用。
製造会社:国鉄土崎工場 1938年12月製造

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中に入れる。

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↓内部の様子。

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↓片ボギー内燃動車「キハ101」

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片ボギー内燃動車「キハ101」↑
昭和11年(1936)に加悦鉄道10周年を記念して新造した半鋼製片ボギー車。
貴重な三軸車。第2次世界大戦中は木炭を燃料にしたこともある。
昭和60年(1985)に加悦鉄道営業廃止と共に廃車。
2004年4月、動態化復元に成功。
製造会社:日本車輌株式会社 1936年11月製造

↓内燃機関車「DB202」

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内燃機関車「DB202」↑
昭和38年(1963)に製作。
日本冶金川崎で、構内側線、神奈川臨海鉄道で昭和59年まで使用。
平成3年(1991)に譲渡され、動態保存。
製造会社:株式会社日立製作所 1963年製造

↓DB202に牽かれている有蓋荷物緩急車「ワブ3」

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有蓋荷物緩急車「ワブ3」↑
大正5年(1916)に大阪梅鉢鉄工所で製作。
室内に手ブレーキを備えた数少ない木造屋根付き貨車。
製造会社:大阪梅鉢鉄工所 1916年製造

↓保線用モーターカー「TMC100」

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保線用モーターカー「TMC100」↑
昭和36年(1961)に製造され、旧国鉄福知山機関区にて使用。
昭和53年(1978)に保線用として譲受。方向転換もできるラッセル併用多目的車輌。
動態保存。
製造会社:富士重工宇都宮工場 1961年製造

いや~~、盛りだくさんの展示車両ですね~~~。
なかなかのものです。

↓場内周遊ミニ列車「ロケット号」というのも用意されている。

世界初の蒸気機関車による旅客営業鉄道・リバプールマンチェスター鉄道創業時(1830年)に起用され、その後の鉄道時代の先駆となった機関車『ロケット号』のミニチュア列車。
転車台を中心に、1周約170mをのんびりと走る。

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↑写真では見難くて、失礼(^_^;)

駅舎に戻り、建物内部の展示室へ。
↓1階の「直富商事・小西レールコレクション」

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↑加悦鉄道で使われていた外国製のレールとかが展示されている。

↓2階へ。いい感じの古い洋間の展示室になっている。

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旧加悦鉄道で使われていた通券函、ランプ式合図灯、転轍器標識、信号反応器などが展示されている。

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↓「前進偏心棒」。
↓機関車の動輪に付いているパーツらしい(その程度しか知らんので(^_^;))

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↓「蒸気発電機」

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↓昔使われていた電話機ですな。

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↓プレートも色々。

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なかなか見ごたえが有った。僕は鉄道マニアではないが、ここは立ち寄ってよかった。
京阪界隈に住んでいて、子ども連れで丹後方面に旅行に行く際に、途中で立ち寄っては如何?タイミング的に昼食場所にもいいでしょ?食べた後に休憩がてら見学させ、そのあとで午後は天橋立へ・・・。一泊後に丹後半島海岸線をドライブ・・・・伊根町、間人・・・途中で海水浴も・・・・城崎温泉で二泊目・・・・翌日は城崎マリンワールドに寄って、帰る・・・みたいな~~(←勝手に“脳内”家族旅行プラン)。

さて、時刻は12:40。
「SL広場」をあとにし、国道176号を横断して「加悦工芸の里」方面へ。
ちなみに「SL広場」と国道を挟んで対面に道の駅「シルクのまち かや」が有り、そちらで食事やお土産の買い物もできますよ。
↓僕はそこをスルーして「加悦工芸の里」方面へ坂を登っていく。

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↑登っていくと、「加悦工芸の里」に到着。
↓「加悦工芸の里」という建物が有るのではなく、この地域を指すようだ。

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それならば、ポタリング的にまわってみるか・・・。
↓桜内川沿いを登る。いい感じの小道だな。

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↓程なくして左手に「江山(こうざん)文庫」。  (公式サイト→ここ

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資料館のようである。ちょっと立ち寄ってみることにする。

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ちょうど、夏季企画展「鉄幹・晶子のふたり旅 ~昭和五年五月~」を開催中(会期;平成21年6月23日(火)~9月27日(日))。
与謝野町ゆかりの歌人、与謝野鉄幹・晶子夫妻が昭和五年五月に丹後を訪れた際にこの地に残した直筆短歌作品のほか、紀行文、写真などを紹介している。
展示室の内部は写真撮影不可。

与謝野 鉄幹(よさの てっかん)
1873年(明治6年)2月26日~1935年(昭和10年)3月26日
本名は寛。鉄幹は号。
歌人。与謝野晶子の夫。後に、慶應義塾大学教授。

京都府岡崎(現・京都市左京区)に与謝野礼厳の4男として生まれる。父・礼厳は西本願寺支院、願成寺の僧侶。礼厳は庄屋の細見家の次男としてうまれたが京都府与謝郡(現在の与謝野町字温江)出身ということから、明治の初めより「与謝野」と名乗るようになったという。なお正しい姓は與謝野。漢字制限(当用漢字、常用漢字、教育漢字)により現表記となる。母は初枝、京都の商家の出である。
1883年(明治16年)大阪府住吉郡の安養寺の安藤秀乗の養子となり、1891年まで安藤姓を名乗った。
1889年(明治22年)西本願寺で得度の式をあげた後、山口県徳山町の兄照幢の寺に赴き、その経営になる徳山女学校の教員となり、同寺の布教機関紙『山口県積善会雑誌』を編集。そして翌1890年(明治23年)“鉄幹”の号をはじめて用いた。
1891年養家を離れ与謝野姓に復した。
山口県徳山市(現:周南市)の徳山女学校で国語の教師を4年間勤めるも退職。
1892年(明治25年)徳山女学校を辞して京都へ帰る。11月ごろ20歳で上京して、落合直文の門に入る。1894年(明治27年)短歌論『亡国の音』を発表。1896年(明治29年)出版社明治書院の編集長となる。かたわら跡見女学校に教えた。同年7月歌集『東西南北』、翌1897年(明治30年)歌集『天地玄黄』を世に出す。その質実剛健な作風は「ますらおぶり」と呼ばれた。
1899年(明治32年)東京新詩社を創立。同年秋、最初の夫人浅田信子と離別し二度目の夫人林滝野と同棲、麹町区に住む。
1900年(明治33年)「明星」を創刊。北原白秋、吉井勇、石川啄木などを見出し、日本近代浪漫派の中心的な役割を果たした。
やがて当時無名の若手歌人であった鳳晶子(のち鉄幹夫人)と出会い、晶子の類まれな才能を見ぬいた鉄幹は、晶子の歌集『みだれ髪』作成をプロデュースし、妻滝野と離別、1901年(明治34年)晶子と再婚し六男六女の子宝に恵まれた。
1901年8月、『みだれ髪』刊行。『みだれ髪』の名声は高く、『明星』における指標となり『明星』隆盛のきっかけとなった。1908年(明治41年)『明星』は第100号をもって廃刊。
1931年(昭和5年)、雑誌「冬柏」を創刊。1933年(昭和7年)、上海事変に取材した「爆弾三勇士の歌」の毎日新聞による歌詞公募に応じ、一等入選を果たした。
1935年(昭和10年)、気管支カタルがもとで死去。晶子は「筆硯煙草を子等は棺に入る名のりがたかり我れを愛できと」という悲痛な追悼の歌を捧げた。

与謝野 晶子(よさの あきこ、正字体:與謝野晶子)
明治11年(1878年)12月7日~昭和17年(1942年)5月29日
明治時代から昭和時代にかけて活躍した歌人、作家、思想家。
大阪府堺市(現在の堺区)出身。旧姓は鳳(ほう)。戸籍名は「志よう」。ペンネームの「晶子」の「晶」はこの「しよう」から取った。

大阪府堺市甲斐町(現在の堺区甲斐町)で老舗和菓子屋「駿河屋」を営む、父・鳳宗七、母・津祢の三女として生まれた。
9歳で漢学塾に入り、琴・三味線も習った。堺女学校(現・大阪府立泉陽高等学校)に入学すると『源氏物語』などを読み始め古典に親しんだ。また兄の影響を受け、「十二、三のころから、『柵草紙』(後には『めざまし草』)『文学界』や紅葉、露伴、一葉などの小説を読むのが一番の楽しみ」であった。
20歳ごろより店番をしつつ和歌を投稿するようになる。浪華青年文学会に参加の後、明治33年(1900年)、浜寺公園の旅館で行なわれた歌会で歌人・与謝野鉄幹と親しくなり、鉄幹が創立した新詩社の機関誌『明星』に短歌を発表。
翌年家を出て東京に移り、女性の官能をおおらかに謳う処女歌集『みだれ髪』を刊行し浪漫派の歌人としてのスタイルを確立した。のちに鉄幹と結婚。
明治37年(1904年)9月、『君死にたまふことなかれ』を『明星』に発表。明治44年(1911年)には史上初の女性文芸誌『青鞜』創刊号に「山の動く日きたる」で始まる詩を寄稿した。
明治45年(1912年)、晶子は鉄幹の後を追ってフランスのパリに行くことになった。洋行費の工面は、森鴎外が手助けをし、また『新訳源氏物語』の序文を書いた鴎外がその校正を代わった。同年5月5日、読売新聞が「新しい女」の連載を開始し、第一回に晶子のパリ行きを取り上げ、翌6日には晶子の出発の様子を報じた(平塚らいてうなど総勢500余名が見送った)。翌6月の『中央公論』では、晶子の特集が組まれた。5月19日、シベリア鉄道経由でパリに到着した晶子は、9月21日にフランスのマルセイユ港から帰国の途につくまでの4ケ月間、イギリス、ベルギー、ドイツ、オーストリア、オランダなどを訪れた。
帰国してから2年後、鉄幹との共著『巴里より』で、「(上略)要求すべき正当な第一の権利は教育の自由である。」と、女性教育の必要性などを説いた。
残した歌は5万首にも及ぶ。

そういえば、大臣の与謝野馨は与謝野鉄幹・晶子の孫ですな。

↓館内のホール・ロビーの様子。

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ところで、館名の由来は・・・

江山(こうざん)という名は、丹後滞在中の蕪村が京都の知人に宛てた手紙の中で、大江山を「江山」とよんでいることから、名誉館長の故・里見恭一郎先生が命名した。
また、唐詩の中に、「江山 四維を弁ず」(孟浩然)という詩句がある。江山とは四方のすみずみまで見晴らすという意味をもち、大きな夢をふくらませてくれる。
  (公式サイトより)

↓和室の「研修室」が二間有る。

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ちょっとこちらで休憩。

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さて、「江山文庫」を出て、工芸の里のポタリングの続きを・・・。
道と外観だけを“見て”味わう。

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だって、中に入るわけにも如何でしょ?用が無いし・・・。
↓木工工房「J&K」

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↓STUDIO「COMPLEX」
↓変わった形の建物ですな。ジュエリー関係の工芸をしているようだ。

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↓ビーズアクセサリー「喜楽工房」

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↓木工工房「クラフト 樺」

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↓そば工房「くり」。ガラス工房もやっている。

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他にも色々工房が有る。全部で十軒くらいかな。

さて、「加悦工芸の里」から麓に降りる。
↓登ってきた坂とは別のもう一つの坂をギュイ~~ンと下る。

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坂を下って国道176号を横断。
↓田畑の間を暫く進む。

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↓途中で「加悦岩滝自転車道」を横断。でもここは使わん(現在通行止め箇所有り)。

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↓自転車道を横断して真っ直ぐ進むと、家々が並ぶ通りにぶつかる。右折して北へ。

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古い感じの家々が建ち並ぶ。そこそこ自動車の往来が有るが、車道からの逃げ場が無いので、撮影は自重して走りに集中。撮ったのは上の写真くらい。

↓すぐに、左手に“とある分岐”。

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↓ここから「縮緬之道」という歴史街道に入る。

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与謝野町(旧加悦町)は絹織物「丹後ちりめん」の里。
古くから丹後と京都を結ぶ交通の要衝として栄え、とくに16世紀後半以降は繁栄を象徴する建物が街道沿いに整備され、「ちりめん街道」として賑わった。
京都西陣との結びつきも深く、白壁や格子の美しい商家が残る町並みは、京都西陣の面影と少し重なる。
明治~昭和期建築の役場や旧郵便局舎、銀行の蔵、酒蔵、ちりめん工場なども残っている。
ちなみに、町内の「与謝」地区は、江戸中期の俳人であり画家の与謝蕪村ゆかりの地。

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いい感じの町並みでしょ?

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こういう所は住んでいる方もたいへんでしょうね。勝手に現代風に建て変えるわけにも如何でしょうな。保存しつつ、実際に住まなきゃいけないんだからね。

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ポタリング・モードでノンビリと走る。

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↓「縮緬発祥之地」

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↓そこに建つのは「杉本家住宅(西山工場)」。

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杉本家の母屋は江戸時代に建てられた建物を大正初期に移築したもの。
裏の西側には明治から大正時代に建てられた丹後最古のちりめん工場が3棟あり、現在も稼働中。

↓2階に“虫籠窓(むしこまど)”が有る。

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「虫籠窓」(むしこまど)は、形が虫かごに似ているので名づけられたといわれている。もとは、町屋の中二階、通りに面した部分に取り付けらていた。
格子の部分は、木材にわらを巻き、土を塗ってさらに漆喰(しっくい)で塗り込めて作ることが多い。

↓洋風の建物「伊藤医院」

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大正6年に建てられた木造二階建ての入り母屋造り桟瓦葺きの洋館。
当時まだ漢方医学が主流であった地域医療の中で、初めて西洋医学による診療所として開業した。

↓玄関のレリーフが美しい。

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↑加悦の左官職人「萬吉」の手による鏝絵(こてえ)。

↓大きな寺も有る。「宝巖寺」。江戸時代に造られた山門が見事。

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↓「渋谷家住宅」

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明治30年に建てられた。
母屋は切妻造の低い二階で窓が無く、1階の座敷縁先に“エンガキ”と呼ばれる腰高の格子を設けている。この地区に特徴的な明治時代の建造物の典型例と言える。

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↓「下村家住宅」

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下村家は江戸時代に代々大庄屋を務めた生糸ちりめん問屋で、屋号を「角屋」と言った。明治初期には北国と大阪を結ぶ北前船を8隻所有した丹後屈指の廻船問屋で、新潟には支店も有った。
明治24年頃には酒造業もやっていた。
現在の母屋は明治37年の建築。

↓こちらも「下村家住宅(旧・丹後産業銀行)」

大正9年に宮津を本店に設立された「丹後産業銀行」の「加悦営業所」。
ちりめん産業に融資を行う時は担保に反物や生糸を取ることが多かったため、それらを保管する丹後の銀行の蔵は大きく作られていた。

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↑写真を取り損ねたが、銀行の蔵が右端にチラリと写っている。

このように通りに面して丹後ちりめんに深く所縁の有る家が点在しており、それらには案内板が掲げられている。

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↓見過ごしそうだが、こういう家だってその一つ。「岡田家住宅」。

明治時代前期に建てられた「油佐楼」という旅館であった。
昭和30年代後半まで営業していた。

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内部を見学できる建物も有る。
↓その一つ「旧・尾藤家住宅」。

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1863年(文久3年)~1930年(昭和5年)に使われていた。
尾藤家は当主が代々“庄蔵”を名乗り、江戸時代には大庄屋を務めた。
この建物は、江戸末期の文久3年に但馬の綿屋長右衛門の主家を移築したもの。明治から大正にかけて蔵や座敷が増築され、昭和3年、当時加悦町長を務めていた11代庄蔵が自宅の離れとして洋館を建て、現在の姿になった。

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内部見学は出来るものの、今回はスルー。汗だくなのでこういう家に上がりにくくてね・・・。チラリと玄関から中の様子をうかがってやめてしまいました。
ネットで探せばレポしたサイトが有るかも。

↓「杉本家住宅」

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1848年(嘉永元年)に建てられた。この地区内で屈指の古い建物。
明治43年、当主の利右衛門は電気事業の必要性を痛感し、丹後電気株式会社を設立。現在の加悦小学校グランド南側の地に発電所を建設した。

更に進んでいくと・・・。

↓「松村家住宅」

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1888年(明治21年)の建築。松村家住宅は明治20年の下之町の大火で焼失したため、福知山市雲原に有った民家を移築した。
松村家は屋号を「丹波屋」といい、明治期より昭和17年まで主屋の西側に有る客室で旅館業を営んでいた。明治21年から5年間の宿帳が残っており、そこにはロシア人や中国人を泊めたという記録が見られる。ちりめん街道を外国の人も往来していたことがうかがえる。

そんな感じで「ちりめん街道」の古い町並みを味わったら、真っ直ぐに府道2号に合流することを目指す。
ちなみに、ほぼ直線的に走ったが、「縮緬之道(ちりめん街道)」として観光用に設定されている道は他にも有って、周回するようなコースになっている(観光案内サイトの地図→これ)。今回はメインの町並みをポタリングした次第。

府道2号を目指してひたすら北進。写真撮影にいいスポットをブラブラ探しながら走れる道の雰囲気ではなく、道幅がそれほど無いのに交通量はそこそこ有る状態。なので走りに集中。
↓程なくして「四辻橋」の向こうに府道2号。府道2号に合流・・・。

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↑実際にはこの「四辻橋」を渡らずに、その西の一つ隣の橋で川を渡り、府道2号に合流したんだけどね(^_^;)

↓府道2号を西進。フラットな道。交通量はそこそこ有るが、特にストレス無し。

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↑のちに上の写真の交差点で府道76号に入るのだが、今はスルー。
スルーしてどこに向かうかというと・・・。
↓やがて、右手にその目的地案内の看板(白い縦長の看板)が見えますが・・・。

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↓「丹後ちりめん歴史館」に到着。時刻は14:00ちょい過ぎ。

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ちりめん街道から離れた、府道2号沿いに有るのだ。
一応、“丹後ちりめん”がメイン・テーマなので、ここに寄らないわけには如何でしょ?

敷地に入っていくと、そこそこ観光客がいる。
・・・ん?
↓敷地内にこんな凄いMTBが!!w(゚o゚)w

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傍に持ち主(写真は遠慮しておいた)がいた。若くは無いが、年寄りでもなく、僕と同世代かも。
聞くと、なんと!日本一周中とのことだ。今年の冬に京都市内をスタートし、先ずは北海道へ・・・。折り返して南へ・・・。そして今また北上して京都府内に戻ってきたところだそうだ。一周完了のゴール目前。ゴールの京都市内まで、もうあと100kmくらいだろう。
その間の道中で徐々に荷物が増えていったとのこと。それにしてもこれを漕ぐとは・・・凄い・・・(・。・;
この自転車で今の時刻、この日のうちにゴールは流石に無理だろう。頑張って翌日かな。この記事を書いている1週間後の今は、ゴールしている筈だろう。まさか、次の旅に出ていたりして・・・。

話は戻って・・・。

↓『丹後ちりめん歴史館』内へ。無料です。
  (公式サイトらしいものは見当たらず、参考サイトを→ここ とか ここ

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コンクリート打ちっぱなしの建物の中に入ると、正面に美しい着物が掲げられている。

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「丹後ちりめん」は経糸(たていと)に撚りのない生糸、緯糸(よこいと)に1メートルあたり3,000回前後の強い撚りをかけた生糸を交互に織り込み生地にし、その後、精練することによって糸が収縮し、緯糸の撚りがもどり、生地全面に細かい凸凹状の「シボ」がでた織物のことをいう。
ちりめんの代表的存在である「丹後ちりめん」は、このシボが最大の特徴である。ちりめんは、シボがあることにより、シワがよりにくく、しなやかな風合いに優れ、凸凹の乱反射によって染め上がりの色合いが豊かな、しかも深みのある色を醸し出すことが出来る。
また「ちりめん」といえば、絹織物だけと思われがちだが、丹後では丹後ちりめんで培われた技法を活かし、ポリエステル、レーヨンなどの繊維で織ったちりめん織物も製織している。
  (丹後織物工業組合HPより抜粋→サイトはここ

「丹後ちりめん」の種類・製造工程の詳細に関しては、「丹後織物工業組合」のHP(サイトはここ)を参照してくださいまし~。
ここで中途半端に書くよりも、情報が正確かつ豊富になるので・・・。

さて、右手に織り機の展示。

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昔ながらの木製の機織り機が展示されている。

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↓これは電動。

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↓動いている様子を動画で。

↓「糸車」。こういうのは日本史の教科書で見ますな。

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↓「手機(高機)(てはた・たかはた)」。
↓電動では織り難い複雑な織物を織る時に使う、手足で操る人力の織り機。

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↓「八丁撚糸機」。和式撚糸機の最も古い形である。

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奥に進むと、より“機械”的な物が並ぶ。

↓電動の撚糸機で、これも「八丁撚糸機」。丹後独特の撚糸機だそうだ。

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↓動いている様子を動画で。

↓ガラスで区切られた作業場の奥には、織り機が並んでいる。

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危険なのでガラス壁の外から見学ですな。

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↓「糸繰り機」の動画。

↓「糸繰り機」の裏側。

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丹後ちりめんの原料となる生糸は、全国各地の養蚕産地で生産されている繭から作られる。
それを製糸工場で生糸に繰り上げ、「カセ」という状態でこの工場に送られてくる。「カセ」のままでは撚糸工程で使用できないので、上の写真の糸繰り機で糸枠に巻き取るのである。この作業が不完全であると、その後の撚糸工程や製品の仕上がりに影響するので、とても大事であり、熟練した技術が必要とされる。

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最近はPC上でデザインを作り、デジタル画像を直接プリントできるようになったそうで、過去のフイルムスクリーン版を使った作業では20色が限界だったそうだが、今では1600万色を使うことが可能になったとのこと。
↓そのデジタル画像のプリントによる作品。

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↓グッズ・お土産コーナーも充実。

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女性客は喜びそうですな。

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僕は買いませんでしたが・・・(^_^;)

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かわいらしい小物から反物まで有る。

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丹後ちりめんのスニーカーまで有る。

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ちょっと「ちりめん街道」から離れているが、本テーマの“定番的なお薦めスポット”と言えるな。

さて、「丹後ちりめん歴史館」も観終わり、時刻は14:20頃。更に館外で10分くらい休んでから再出発。最後のスポットへ向かう。
僕が出発する直前に、日本一周の方も出発。東進する府道2号上ですぐに追い付く。流石に重そう。「お気をつけて~」と声をかけて追い抜く(・・・まっ、僕も気を付けないといけないんだけどね)。あちらも挨拶。無事にゴールすることを祈る(もうした筈)。

・・・で、府道2号の先程の交差点で府道76号に左折して入る(下の写真)。

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ここから先にある京丹後市の某所を目指す。
すぐに登り勾配になる。
民家が見えなくなって林間ロードになると、登りが結構辛い感じになってくる。勾配が辛いというよりも、下の写真の道幅で、両方向共に自動車がなかなかのスピードで往来していることによる。ふらついたらやばそう。路側や歩道が殆ど無い道の左端を、軸をふらつかずに一定のスピードで登り続けるのって、貧脚・弱体幹の僕にはキツイ。

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途中で休まんと・・・。POWER BAR GELもチュウチュウしないと・・・。

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↓やがて京丹後市に入る。ここで登り終了。

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一気に下りの快走路。ウハウハ・モード。

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うぉりゃ~~~。

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民家が並び始める頃にフラット気味になるが、変わらずに快走路。
府道76号の京丹後市側は快適な道幅だ。逆に与謝野町側は狭かったな~。

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与謝野町部分で両方向とも道幅の割に自動車のスピードが速い理由を少し推察出来る。与謝野町側で連結している府道2号は走り易い快走路だったで、無意識のうちに府道76号にその感覚を持ち込むからだろう。一方、府道76号の京丹後市側は上や下の写真の様な快走路なので、その勢いのまま(下りになることもあって)与謝野町側に飛び込んでくるんだろう。
また何と言っても府道76号は、丹後半島の東側の付け根と豊岡方面を結ぶ際のショートカット・ルートになるので、“急ぐために”よく使われるからだろう。

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そんな府道76号の京丹後市・快走路部分から離れ、左手の奥大野・丹後大宮駅前方面の道に入る(下の写真の左上)。案内盤が頭上に有るので迷わないだろう。
このまま府道76号を進むと国道312号に合流し、その国道経由でも目的地には行けるが遠回りになる。その手前で離れたというわけ。

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北近畿タンゴ鉄道・宮津線の西側に沿った町道を北上する。上の写真は振り返って撮影したところだが、写真を撮るような感じでもない、止まっている場所も無い道なので、上の写真くらいで勘弁を・・・。普通の町の道です。狭い道幅で自動車もそこそこ多いです。走りに集中すべき道ですな。
その後幾つか分岐が有るのだが、写真や文章で説明し易い目印も無く・・・。必要ならば、後述にも有る地図(→クリックしてください (拡大可。青色のラインが走った所))で確認してください。それから、今、バス路線上にいることも一つの手がかりかな。
↓「善玉寺」の集落を抜けていく。フラットな快走路♪

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↓やがて府道659号に入る。この府道659号に合流したかったわけ。

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少し登りになるが、緩々。むしろ楽しい位の快走路。

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暫し、家のまばらな道を進む。
大きな池が綺麗ですな。

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次の集落「長岡」とを繋ぐ快走路ですな。

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↓右手にも大きな池。

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↓どう?見るからに自転車で走り抜けたくなるでしょ?

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途中に「途中ヶ公園」とゴルフ場が有るので(写真は無し)、そこをスルーしたのちに出くわす最初のY字路で右へ(下の写真の黄色のライン)。府道659号を離れる。

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これから「新治」方面に向かう。
↓国道312号を横断。

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↑国道の北側が「新治」。
真っ直ぐ進んでいく。

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両サイドに緑が鮮やかな美しい田んぼが広がる。

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幾つか道を横断したり、クネクネとカーブをしたりするが、北へ向かう意識を持っていれば迷うことは無いだろう。
↓集落から離れると登り。

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林の中を抜けると・・・。

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↓ここから下り~~。

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「新治」から「小西」「西山」方面へ抜け出る。

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こちらも綺麗な田んぼが並んでますな~~。

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↓やがてT字路。ここは左折。・・・そう、目的地は「禅定寺」という寺だ。
↓ちなみに帰りに、この場所を通って「峰山駅」に向かうことになる。

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↑「小西」方面へ向かう。素晴らしい快走路。若干登り勾配だが、ほぼフラットと思っていいだろう。
左手に緑の田んぼの景色を流しながら進む。
↓程なくして、Y字路。写真では暗くなっているが、道標が立っている。
↓ここは左の「小西」方面へ。ちなみに右は「西山」の集落に繋がる。

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↓アハ!すごい良い道。

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程なくして「小西」の集落に入り、登り勾配が少し急になってくると・・・・。

↓最後の目的スポット「禅定寺」に到着。時刻は15:45。

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石段を登って山門へ。
山門には仁王像が立っている。

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↑阿。↓吽。

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↓門をくぐって正面に「本堂」。

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さて、何故この「禅定寺」が“丹後ちりめん”をメイン・テーマとする今回のサイクリングの目的地の一つになったかというと・・・。

「禅定寺」
寺の創建は記録がないためはっきりしないが、後醍醐天皇がつくらせた「元亨年中行事」の中、1329年(元亨9年)の寺院書上げの項に、千部経の供養を行なう寺院として「善城寺 小西」の名が記されている。この頃にはすでに大きな寺格を持つ寺であったことがうかがい知れる。
その後廃れていたようであるが、禅定寺の塔頭寺院のひとつ、院の坊の僧・重導により1490年(延徳2年)に再興を果たし、1504~1532年(天文年間)の頃には「一山十二坊」と言われるほど多くの堂伽藍が集まり、興隆を極めたようである。
1593年(文禄2年)、細川忠興による「丹後真言倒し」のために寺は焼かれたが、1676年(延宝4年)に玄甫導師により、臨済宗小西山禅定寺として再興を果たし、現在に到っている。
丹後ちりめんの創始者として知られる絹屋佐平治(後に森田治郎兵衛と改名)が、1716~1735年(江戸享保年間)に、禅定寺の観音様に7日間の“断食祈願”を行い、初めて丹後ちりめん織に成功したことでも知られ、江戸時代以降は、丹後一円にわたる織物関係者の信仰を集めてた。この織り初め縮緬は、シボ(細かな凹凸)を持つ厚手のちりめんで、今でも寺宝として禅定寺に残されている。
  (参考サイト「HP of 小西区むらづくり委員会」より→サイトはここ

こういうことなのです。この寺こそ、丹後ちりめん発祥の地とも言えるんですわ~~。
だから、このテーマを設定した以上、離れていても「禅定寺」に行く必要が有ったわけ。行かないと、な~~んか中途半端な気がしてね。
最終目的地に無事に着いたお礼と、帰宅までの残りの行程の安全を祈願。

ちなみに「小西」の集落の奥、西へ抜ける舗装路は無いみたい(僕の持っている地図上では)。ダートは・・・知らん。

さて、ここから帰路へ。来た道を取って返して、北近畿タンゴ鉄道・峰山駅へ向けて東進。
先程の「新治」とを繋ぐ道をスルーし、ひたすら東へ。凄いいい感じのフラットな快走路が続く。

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徐々に町の雰囲気になってくる。

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府道17号を横断し、やがて鉄道の線路が見えてくる。近くに駅も確認出来る(と言いつつ、途中で人に駅までの道を尋ねましたが・・・(^_^;))。

↓そして、北近畿タンゴ鉄道・宮津線「峰山駅」に到着。時刻は16:00ちょい過ぎ。

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ここで、ゴール。
駅舎の外でロードバイクを輪行袋にパッキング。
次の列車まで比較的余裕が有って、良かった。
↓ホームへ。

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帰りの行程はこれ↓

■峰山   
|  私鉄 北近畿タンゴ鉄道宮津線(西舞鶴行)  23.6km   
|  16:41~17:09 [28分]
|  1,090円
◇宮津 [7分待ち]   
|  私鉄 北近畿タンゴ鉄道宮福線(福知山行)  30.4km   
|  17:16~18:05 [49分]
|  ↓ 
◇福知山 [52分待ち]   
|  JR 福知山線快速(大阪行)  114.2km   
|  18:57~21:21 [144分]
|  2,210円
◇大阪 [5分待ち]   10番線着/7番線発
|  JR 東海道・山陽本線(高槻行)  7.6km   
|  21:26~21:35 [9分]
|  ↓ 
■吹田(大阪)   

西舞鶴・京都回りも有ったが、西舞鶴でのJRへの乗り換え時間が短くて不安だったので、福知山・大阪まわりにした次第。福知山で52分待つが、乗り換え、切符を買い直し、トイレに行き、一休みして・・・等をしていると丁度いいくらい。なので、上のルートにした次第。どうせ、吹田駅到着時刻では10分くらいしか差が無いし・・・。

↓16:41分の列車に乗車。最後尾の座席後ろに輪行袋を置ける。

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↑天橋立近くの車窓。
↓宮津駅で宮福線の路線に乗り換える。

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ここでも最後座席を確保して輪行袋を置けた。↑

20090705ride_287 福知山駅に到着後、50分程待ち、福知山線に乗り換える。
車掌室の裏側に輪行袋を置ける。→

予定通り、上述の行程・時刻で大阪駅経由で吹田駅に到着。
自転車を組み立て、数km離れた家へ。吹田駅でちょっとだけ小雨がポツッと降ってきたが、帰宅するまで殆ど濡れず、22:00頃に無事に帰還。

結局、天気予報とは時刻がズレ、帰宅後の日付が変わる頃に自宅周辺は雨になった。・今回は濡れなくて済んで良かった。携帯したレイン・ウェアを使わずに済んだ。

そういうわけで、昨年の中止から8か月後にリベンジで“丹後ちりめんサイクリング”をやれ、トータルで大満足。
前半の、与謝野町までの行程の山間部の道はとても良かった。辛くて楽しい登り有り、爽快な下り有り、フラットな快走路有り、山の景色有り、山の集落らしい棚田有り、国道旧道の荒れ具合も良し(←荒れた舗装路・・・好きです)。いいルートだった~~。
後半の旧加悦町を中心としたポタリングも良かった。「ちりめん街道」の町並み、資料館や歴史館、禅定寺までの道・・・。ここに来ないと触れることが出来ないものばかり。それから丹後ちりめんとは直接関係ないが「SL広場」も良かった~~。

今回も楽しい、充実したサイクリングでした。
 

コース概略/自宅→JR東海道本線・吹田駅~(輪行)~大阪駅・JR福知山線~(輪行)~福知山駅・JR山陰本線~(輪行)~上川口駅→府道528→国道9→福知山市野花→県道528→国道176旧道→国道176→国道176旧道→与謝峠→国道176旧道(丹波路)→府道701→与謝野町滝町道→SL広場→与謝野町滝町道→江山文庫→加悦工芸の里→与謝野町金屋町道→縮緬街道→府道626→与謝野町三河内町道→府道2→丹後ちりめん歴史館→府道2→府道76→京丹後市大宮町町道→府道659→京丹後市峰山町新治町道→峰山町小西町道→禅定寺→峰山町小西町道→峰山町安町道→峰山町杉谷町道→北近畿タンゴ鉄道宮津線・峰山駅~(輪行)~宮津駅・北近畿タンゴ鉄道宮福線~(輪行)~福知山駅・JR福知山線~(輪行)~大阪駅・JR東海道本線~(輪行)~吹田駅→自宅
(地図→クリックしてください (拡大可。青色のラインが走った所))

走行距離/65.32km
走行時間/3hr58min
平均速度/16.44km/hr
最高速度/53.02km/hr
MARIN Road Bike積算距離/7735km
全Bike積算距離/16191km

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Comments

観光気分で読ませてもらいました(^v^) 棚田は綺麗しSL広場は楽しそうだし、ちりめんのスニーカーは可愛いし(^v^) 今回、どこかで苦しみました? 快走路でウハウハだったようで(^v^) それにしても日本一周の方。。。よく漕げますね~(llllll・○・llllll) どう見ても(私的に)バランス取れないような感じで。  この季節明日の天気予報も朝になればもう変わってるし。。。難しいのでしょうが。。。 週間予報はほとんどあてにしてません(・∩・)自分が走って気分爽快になった、そんな錯覚に陥る記事でした!

« 投稿: あさたろう  2009年7月12日 (日) 22時14分

あさたろうさん>
気楽に行くにはちょっと難しい、利便性がいまいちの所こそ自転車で行って、読んだ人を“行った気にさせる”ことが、僕のサイクリング記事の方向性の一つですので、そう言ってもらえるとうれしいです。
今回は、ちょっと辛い登りが2カ所程有りましたが、よくある程度ですので、特別に辛い所は有りませんでした。スタートの福知山が既に山間部で、どちらかというと下りが長め・・・比較的楽なコースでした。
むしろ快走路が多かったです。

日本一周の方は、さすがに重い走りでした。

« 投稿: Katze  2009年7月13日 (月) 00時36分

今回も興味を引くものがたくさん有りました
お蕎麦を食べれる汽車、楽しそうでしたね!
「銀河鉄道の夜」みたい
カンパネルラとジョバンニが乗っていそうな☆
蕎麦!ほんと!大盛でないと私も足りない^^

全体的に、山や田んぼの風景はうちの周りとそっくり
どこに行ってもこんな田舎が存在するんだなー

あ、あのふくろう!
何故??(爆)無造作に置いてあったね
「さ、下りましょ」のkatzeの軽いノリが
なんだか心地いいです(笑

列車がずらずらと、好きですねぇ=こんなの!
先月私も見てきました(鹿屋という所)
入場料取るの?とkatzeさんの見てたら驚いたけど
うん、すごーく立派な展示物いっぱい!(笑)当然だ

« 投稿: はな  2009年7月14日 (火) 12時46分

細い国道があるんですね~びっくり。
そしてフクロウ。
Katzeさんかついで来ちゃえばよかったのにブハッ(゚∀゚)=3
てのは冗談ですが
今回もてっちゃん垂涎の旅。
昔こんな感じで電車置いてある公園があったな~
と思い出しました(こんなに色々ないですが)

おそば美味しそうですね♪

« 投稿: しましま  2009年7月14日 (火) 17時54分

はなさん>
銀河鉄道の夜!まさにそうでした。こういうのに実際乗ったことが無いのに、何故か郷愁を誘います。
「鹿屋」のはこれですね。↓
http://www.info.kanoyashimin.jp/navi/015.html
良さ気ですね。

田園風景はちょっと街から離れれば、まだまだ残っていますね~。いい所ですね。

フクロウは誰かがここで作ったのか(林業の伐採の合間にとか)?作って置いていったのか?
謎です。

« 投稿: Katze  2009年7月15日 (水) 00時05分

しましまさん>
ずっと昔は、地方に行くと山の中の細い国道がたくさん有ったんでしょうね。今ではトンネルが出来、道も幅広くなりました。

フクロウは高さ70~80cmくらいあったかも。
1/10の大きさだったら・・・あっイヤ、ウソです(^_^;)

以前はダム・マニアでもないのに、ダムがよく登場していました。
今年はてっちゃんでもないのに、なぜか鉄道絡みが多いです。

« 投稿: Katze  2009年7月15日 (水) 00時12分

katzeさんが昔は自転車に興味なかったってものすごく意外です。
フムフム、確かに人生何があるか判りませんね♪
私も来年には自転車乗れるようになってるかも?
ふんだんに写真が有って何気ない景色をたくさん見せていただいて旅行気分でした。
鉄道の食堂車って憧れなんです。
あの中でご飯食べてみたいって思ってました(*´∀`*)
車輌にカタカナでキハとか書いてあるのは、
意味が有るんですよね。
判りづらそうなカタカナだと思っていたので、
疑問が解けて楽しかったです。
自転車仲間と言葉を交わすのも楽しそうですね♪

« 投稿: アネモネ  2009年7月17日 (金) 10時54分

アネモネさん>
動いている列車だともっと良いんでしょうけど、食堂車のある列車って今では少ないんでしょうね。

自転車、乗ってみてください。
気持ちいいかもしれませんよ。

« 投稿: Katze  2009年7月17日 (金) 17時24分

たびたび失礼します。SL広場は、趣があっていいですね。今日、私も奈良市から高野山まで、約180キロを往復、自走で走ってきました。行きは奈良から高野山まで休憩なしで走ったため約90キロを4時間30分で行くことが出来、丁度12時頃に高野山に着くことができましたが、帰りは、写真や休憩をしたため6時間もかかりましたが何とか日没前の7時半前には帰れました。また、今度は高野山駅まで輪行して、龍神、白浜方面に行きたいです。

« 投稿: k/n  2009年7月18日 (土) 21時41分

k/nさん>
少しでも標高の高い所のほうが涼しいであろう中、高野山はいい選択でしたでしょうね。
山との往復180kmとは充実ですね。

高野~龍神~白浜も良いでしょうね。

« 投稿: Katze  2009年7月19日 (日) 10時16分

はぁ〜、ウチの子リスちゃん達のゴハンになりそうな生草がたくさん生えていそうで良いな〜noteと思いながら見てました・・・緑の部分を(;´∀`)
「坂浦の集落。。」の上の写真の下方に写るのは笹かな?それなら新芽もまだ生えてそうsign03いいな〜sign01摘んで来て欲しいくらいです(爆)←冗談冗談!
他にも笹の新芽くさいのが見えた気もするんだけど、、、笹の新芽、もうこちらではシーズン終了で来年までナイけれど、北の方ならまだ生えててもおかしくないですもんね( ̄▽ ̄)

それにSL広場trainすっかり興味が沸いてしまいました。。出来れば年内に行ってみたいなnote工芸の所も興味あるけど、、車がないと難しそうですね。

« 投稿: てるちゃん  2009年7月19日 (日) 23時54分

てるちゃん>
坂浦辺りはプレちゃん達にとって格好の遊び場&御食事場になるかもしれませんね。SL広場に行くときに一緒に連れて行ってあげれるといいのに~。

SL広場や加悦の町に行くには自動車が一番都合が良いですが、北近畿タンゴ鉄道と路線バスでも、時間はかかりますけど日帰りで回れると思います(早朝出発と夜遅くの帰宅は避けられませんが・・・)

« 投稿: Katze  2009年7月20日 (月) 05時27分

happy01お疲れ様でした。
とても見やすくて、わかりやすい記録ですねlovely

これからも沢山旅してくださいねsign03

« 投稿: ちゅら  2009年7月24日 (金) 11時55分

ちゅらさん>
こんにちは。
ありがとうございます。(*゚ー゚*)

今後もまだまだ自転車の旅を続けますよ~~(*´ェ`*)

« 投稿: Katze  2009年7月25日 (土) 10時25分

 いつもながら…、沢山の綺麗な写真(腕も上級者ですね)と説明付きの
”素晴らしい旅日記”ですね。
編集能力に、本当に関心させてもらってます。

日本一周のMTBさんには、驚きです!…きっとご無事にゴールされてることでしょう。

« 投稿: ひたやん  2009年7月30日 (木) 19時02分

ひたやんさん>
ありがとうございます。

日本一周の方は、もしかしたらもう次の旅に出ているかもしれません。そんな気がします。

« 投稿: Katze  2009年7月31日 (金) 00時17分

 






 

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