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2009年9月19日 (土)

伊勢神宮~二見浦ポタリング 2009.09.06

年月日/2009年9月6日

バイク/GLOBE (SPECIALIZED) Small Bike

目的/伊勢神宮を中心にその界隈をポタリングする。

ポイント/往復輪行。

内容/
この日の数日前くらいから、歩くと何故か左脚のふくらはぎ部分に攣ったような違和感が出ており、少し押すと軽い痛みが走っていた。何時、なんで痛めたのかは分からないが・・・。自転車に乗るのに支障は無いようだが、大事をとってこの週末は短い距離のポタリングに控えておくことにした(ちなみに記事を書いている今は全く何ともない)

そこで以前から機会が有ったらやろうと思っていた、伊勢神宮界隈のポタリングをすることにした。
コースは下の地図の青色のラインのような感じ。

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近鉄線の伊勢市駅まで輪行し、そこからスタート。
すぐ近くの「伊勢神宮・外宮」を参拝。次いで「伊勢神宮・内宮」へ。途中で幾つかの神社・宮社に立ち寄る。「内宮」の次は伊勢湾に面する「二見浦」まで走る。「二見浦」を観光したらJR参宮線・二見浦駅から輪行で大阪に戻る。・・・・という計画。

20090906ride_1s 自転車は輪行ポタリングに向いている、折り畳み小径車 GLOBE (SPECIALIZED) を選択。

自宅を5:00頃に出発。
最寄りの駅まで走り、そこで輪行袋に自転車をパッキング。列車に乗り込む。
路線を幾つか乗り継いだ後、近鉄大阪線「上本町駅」6:15発の快速急行・鳥羽行に乗り込む(右の写真)。
折り畳み小径車だと、座席脇に輪行袋を置いてもそれ程邪魔にならないから良い。ロードバイクやMTBの場合はちょっと大きく、座席脇に置くと邪魔に思われそうで、極力車掌室(もしくは運転室)の裏に置くが、この点で折り畳み小径車は有利だな。
8:17に「伊勢市駅」に到着。「伊勢市駅」にはJRも接続しており、「伊勢神宮・外宮」に行くには、JR側の改札・出入り口から出たほうが良い(下の写真)。

自転車を組み立て、8:35に駅を出発。

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↓駅前に歓迎の灯籠。

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お伊勢参りは今回で3回目。過去2回は公共交通機関で回ったので、自転車では初めてだ。
JR駅舎正面の道をまっすぐ進む(下の写真)。

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ここの通りは商店街の様相で「コミュニティ道路」と呼ばれている。実際は県道21号である。
↓程なくして「伊勢神宮・外宮」に突き当たる。

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目の前を左右に走ってる道は県道32号だ。この道を横断。
「伊勢神宮・外宮」に入る(下の写真)。時刻は8:40頃。
 

『伊勢神宮』外宮
(「伊勢神宮」公式HP→ここ)(「外宮」公式HP→ここ

伊勢神宮とは、伊勢の宇治の五十鈴(いすず) 川上にご鎮座の皇大神宮(こうたいじんぐう、内宮=ないくう)と、伊勢の山田の原にご鎮座の豊受大神宮(とようけだいじんぐう、外宮=げくう)及び別宮など125社神社の総称である。
神宮参拝の順路は、多くの場合まず外宮からというのが古来からのならわしである。
公式HPより抜粋)

白い砂利と松の木が綺麗だ。

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下の写真の橋から先へは自転車の進入は禁止。橋に向かって左手、上の写真の松の木の向こうに「衛士表見張所」が有り、その裏手に駐輪するようにとのこと。

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では、橋を渡って境内へ。

「第一鳥居口参道」

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この参道は外宮の表参道にあたります。入口には防火のためにつくられた掘川が流れ、火除橋(ひよけばし)(上の写真)がかけられています。
火除橋をわたり神域に入るとすぐ左側に手水舎があり、ここで手を洗い口をすすいで心身を清め、ご正宮へと向います。
公式HPより抜粋)

堀川が綺麗だ。

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参道を進む。

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↓参道の脇に掲げられている、外宮の案内図。

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豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祭り申し上げる豊受大神宮は、内宮(ないくう)に対して外宮(げくう)とも申し上げます。
雄略(ゆうりゃく)天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波(たんば)の国から、内宮にほど近い山田の原にお迎えされました。今からおよそ1500年の昔のことです。
豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、御饌、つまり神々にたてまつる食物をつかさどられています。このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。
内宮と同じく、正宮と呼ばれますように、建物やお祭りはほとんど内宮と同様ですが、両宮は決して並列されるものではなく、あくまで内宮が神宮の中心なのです。
公式HPより抜粋)

高い木々に挟まれた参道を進む。

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「御神札授与所」(下の写真)が見える。

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その右手に「神楽殿」が建っている(下の写真)。

「外宮神楽殿(げくうかぐらでん)」

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第二鳥居の向こう、右側にある入母屋造の建物が「外宮神楽殿」。「御神札授与所」もあります。参拝者のお申し出により、神恩感謝やご祈願の御神楽の奉奏、御饌(みけ)を奉奠しての御祈祷や献金、豊受大神宮の御神札・御守・暦・御神号軸などの授与を取り扱っています。外宮参拝記念の御朱印もここでいただいてください。また、御遷宮の御造営資金の献金の受付もしています。
平成12年12月に改修・竣工。
公式HPより抜粋)

「御神札授与所」の前を通り過ぎると、「正宮」が右手に見えてくる(下の写真)。

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↓「正宮」だ。

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「正宮」

皇大神宮(内宮)ご鎮座より遅れること481年、雄略天皇の御代、天照坐皇大御神のお告げによって、丹波の国(今の京都府下、天橋立付近)から、この伊勢の国度会の山田の原にお迎えした、豊受大御神をおまつりしています。唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)といわれる、建築様式のご正殿は、ほぼ内宮の正宮と規模やつくりはかわりませんが、鰹木が内宮より1本少なく、千木が外削(先端が垂直に切られている)になってます。
公式HPより抜粋)

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↑写真撮影が許されているのはこの辺りまで。正面には板塀が立てられている。
中に入って参拝。

豊受大神宮のご正殿は内宮と同じ唯一神明造です。屋根は萱(かや)で葺き、柱は掘立、全て直線的で、屋根の両端には外削(垂直切)の千木が高くそびえ、棟には9本の鰹木(かつおぎ)が列び、正殿を中心にして、瑞垣(みずがき)・内玉垣(うちたまがき)・外玉垣(とのたまがき)・板垣(いたがき)の4重の御垣がめぐらされています。
ご正殿のお屋根は萱葺で、太い棟持柱が両妻を支えています。その棟には鰹木が9本列び、その東西両端、破風板の先端が屋根を貫いて、千木(ちぎ)になっています。外宮では千木の先は垂直に切られていて、これを外削(そとそぎ)といいます。
外宮と内宮の規模はほとんど同じで、ご正殿を中心にして、瑞垣・内玉垣・外玉垣・板垣の4重の御垣がめぐらされています。御垣の最も奥の聖域を「内院」といい、神聖な一画でご正殿の前方(南側)の東西に併設されているのは、萱葺・神明造の東宝殿・西宝殿。内玉垣と外玉垣の間「中重(なかのえ)」の中間にある中重鳥居の東に見える萱葺きの建物は、四丈殿といって、奉幣(ほうへい)のとき、幣帛(へいはく)点検の儀が行われます。東北隅には内宮にない御饌殿(みけどの又はみけでん)があり、毎日朝夕の二度、天照大御神、豊受大御神をはじめ神々にお食事がたてまつられます。板垣の南北両御門内には宿衛屋があって、神職が交代で、一日中神様のお近くにおつかえしています。
公式HPより抜粋)

「伊勢神宮」には“式年遷宮”という習わしが有る。

20年に1度の大祭、神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)は、正殿(しょうでん)を始め御垣内(みかきうち)のお建物全てを新造し、さらに殿内の御装束(おしょうぞく)や神宝(しんぽう)を新調して、神儀(御神体)を新宮へお遷し申し上げる、我が国で最も重要なお祭りのひとつです。神宮の古伝では神宮式年遷宮が制度化されましたのは、天武天皇の御代のこととされ、第1回の式年遷宮が内宮で行われましたのは、持統天皇4年(690)のことです。以来、戦国時代に中絶するという事態に見まわれながらも、1300年にわたって続けられ、平成5年秋には第61回の神宮式年遷宮が古式のままに行われました。
掘立柱(ほったてばしら)に萱(かや)の屋根が特徴の神宮の建築様式は、唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)と呼ばれ、弥生時代にまで遡る高床式穀倉(たかゆかしきこくそう)の姿を今に伝えています。檜(ひ)の香も高いお建物が完成するまでには、ほぼ10年の歳月を要しますが、その間、御料木を伐り始めるに際してのお祭りを始め御造営の安全をお祈りするお祭りや旧神領民がこぞって参加する行事などが数多く行われます。
御造営と平行して、御装束神宝もまた古例に従って調製されます。御装束とは、正殿の内外を奉飾する御料の総称で、525種、1,085点を数えます。これに対して、神宝とは調度の品々で、189種、491点あります。伝統工芸の優れた技術を守り伝えるという重要な意味もありますが、御造営とともに式年遷宮に欠くことのできない大事業です。
内宮、外宮の両正宮と14の別宮で遷宮の大祭は行われますが、かつて「皇家第一(こうかだいいち)の重事(じゅうじ)、神宮無双(むそう)の大営(たいえい)」とその意義が説かれましたように、皇室の大祭でありますと同時に、神宮にとりましてはその永遠性を実現する大いなる営みでもあるのです。
第62回神宮式年遷宮は平成25年(2013)の予定。
公式HPより抜粋)

下の写真の右手に板塀が見えるが、その向こう側が次の正宮の敷地である。
4年後に参拝してみようかな・・・。

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↓「正宮」の前の堀池。

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さて、別宮に参拝しましょうか・・・。

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先ずは「風宮」(下の写真)。

「風宮」

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ご祭神
 級長津彦命(しなつひこのみこと)
 級長戸辺命(しなとべのみこと)

ご鎮座地
 多賀宮へ上る石階のすぐ左脇に、土宮とはちょうど反対側、つまり東側のところに風宮が御鎮座になっています。

ご鎮座の由来と沿革
 ご祭神は級長津彦命・級長戸辺命2神に坐し、元来は風社と称しておりました。『止由気宮儀式帳』及び『延喜神名式』何れにもその社名はみえず、長徳3年〈997〉の「長徳検録」(度会家行著『類簒神祇本源』所引)に「風社在高宮道棒本」と初見し、多賀宮へと続く参道沿いの杉の木の本に坐した小さな社であったと思われます。それが、内宮域内の風日祈宮と同様、弘安4年(1281)の元冦に際して蒙古の敵軍を全滅に至らしめた神威の発顕によって一躍別宮に加列されるに至りました。正応6年(1293)のことです。その当時の状況については『増鏡』に詳しく記されています。
 さらに、時は移り幕末になると、欧米列強諸国による東洋進出がはじまり、日本もその侵略の危機に再び遭遇することになります。その際、中世以来の信仰は再度喚起され、朝廷は文久3年(1863)5月に15日間の攘夷(じょうい)御祈願を両宮の風宮に捧げられました。元来風宮は風雨の災害なく稲を中心とする農作物が順調に成育するようにと祈りが捧げられる社でありましたが、元冦以来国難に際しては神明のご加護によって国家の平安が守られるという信仰がそこに加わってまいります。それは現代にも生き伝えられ、元神宮祭主北白川房子様の御歌にも端的にそれが示されております。
 ふく風は身にすがすがし風の宮御世も御国もいや守りませ
公式HPより抜粋)

「土宮」

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ご祭神
 大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)

ご鎮座地
 豊受大神宮の大前の御池の真向かいに広がる深い杉木立の中、大土乃御祖神をおまつりする土宮がご鎮座しています。

ご鎮座の由来と沿革
 往古より外宮ご鎮座の山田の原の守護神として崇敬されてきましたが、『延喜神名式』には記載がみえず、古代においては未だ官社としての形態を有しておりませんでした。しかし、時代が下り長徳3年〈997〉の「長徳検録」(度会家行著『類聚神祇本源』引用)に外宮所管の田社32前の1座として土御祖神社の名が出て参ります。田社とは今でいう末社にあたります。更に平安時代末期、崇徳天皇の大治3年〈1128〉6月5日に宮川治水、堤防の守護神として別宮に加列されるに至りました。末社から摂社を飛び越えて正宮に次ぐ別宮という特別の地位をお受けになりましたのは特別な理由があったものと推察されます。つまり、現在伊勢市の西を流れる宮川は、かつてはその上流に於いて幾筋かに分岐して、今の市街地に流れ込んでおりました。当時は治水技術も発達しておらず、氾濫による被害が相次ぎ、地域住民にとり宮川治水は一際感心が高く、しかも土地の守護を掌どる大土乃御祖神に対する祈りは切なるものがあったことでしょう。また、外宮の祭祀を行う上でも洪水となれば支障をきたす場合があったものと考えられます。そのような状況の下で上記の如く宮川堤防の守護神ということに重きが置かれ、大治3年に朝廷より太政官符が出され、宮号宣下に至りました。その結果、祈年祭、月次祭、神嘗祭の際、官幣に預かることになります。なお、弘安8年〈1285〉の度会行忠の撰になる『神名秘書』によると、土宮3座として大年神、宇迦魂(うかのみたま)神、土御祖(つちのみおや)神の記載が見えますが、別宮に昇格したのは土御祖神1座だけであったと思われます。
 宮号宣下より遅れること7年の保延元年〈1135〉、土宮のご社殿は別宮としての威容を整えるべく規模が増大され、また御金物も鉄製のものから金銅製のものに改められ、御装束も多賀宮に准じて調進されるようになりました。しかし、中世戦国時代になると正宮同様、土宮においても乱世の煽りを受け、式年遷宮は百数十年間中絶の止むなきに至りましたが、神忠篤き人々の手により数次にわたって仮殿遷宮が行われ、寛永8年〈1631〉9月には式年遷宮は復興をみました。
 ところで、他の別宮が全て南面するのに比して土宮だけが東面しております。保延元年のご造営の際もこの点が問題となり、朝廷においても十分検討され、御卜まで行われましたが、結局は従来通り東面に建てられることになりました。これについては南面に建てれば正宮を後にするとか、地勢の便宜上の理由に拠るとか、古来種々論じられてきましたが、詳らかにしません。但し、理由の如何にかかわらず、東向きにご鎮座するということは外宮ご鎮座以前に遡り、古態を残したものといえるでしょう。
公式HPより抜粋)

↓次いで石段を登る。

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登っていくと「多賀宮」が見えてくる。

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「多賀宮」

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ご祭神
 豊受大御神荒御魂(とようけおおみかみのあらみたま)

ご鎮座地
 豊受大神宮大前の御池にかけられている亀石を渡ると、右手に土宮、左手に風宮が見えて参ります。それを過ぎ、正面の98段の石階を上がると、檜尾山に南面して、外宮の第一別宮である多賀宮がご鎮座になっています。

ご鎮座の由来と沿革
 『延暦儀式帳』に「高宮一院 等由氣太神宮之荒御玉神也」とみえ、古来高宮とも称されております。恐らくは小高い丘の上にご鎮座になっていることからそう呼ばれたのでしょう。ところで、豊受大神宮別宮には多賀宮、土宮、月夜見宮、風宮の4宮がありますが、多賀宮だけは『止由気宮(とゆけのみや)儀式帳』および『延喜神名式』に記載がみえる別宮で、他の3宮が後年宮号宣下により別宮に列せられたことに比すれば、一際格式が高く、しかも皇大神宮の荒祭宮同様、外宮の第一別宮として古くより特別な待遇を受けて参りました古社です。
 さて、当宮の淵源を尋ねると、今から凡そ1500年前、第21代雄略天皇の御代22年に天照坐皇大御神の御神勅によって豊受大御神が丹波の国から御饌(みけ)つ神として迎えられ、豊受大神宮が創立された際、多賀宮も同時に奉斎されたと伝えられています。
 14別宮のうちで荒祭宮同様殊に重きが置かれ、20年1度の大祭である式年遷宮でもこの2宮だけは正宮に引き続き真っ先に斎行されます。また、勅使参向の際は恒例祭と臨時祭とをとわず正宮の祭典終了後ただちに幣帛が奉られることからもその重要性が容易に推察頂けるでしょう。
 現在は、農事に携われる方はもちろんのこと、産業全般にわたって従事される方々の篤い崇敬を集めております。
公式HPより抜粋)

今度は北御門口参道を歩いてみる。最初に入ってきた参道以外のもう一つの参道だ(下の写真)。

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脇道はたくさん有るが、立ち入り禁止。
小高い木々の間を進む。

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途中、左手に「御厩(みうまや)」(下の写真)。

「御厩」

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皇室から牽進された神馬を飼っているところ。
神馬は毎月1,11,21日の3回、紫地に白抜きした菊花紋章の馬衣を付けて神前に見参する。

残念ながらこの時神馬はいなかった。
「御厩」の脇の道は少し進める(下の写真)。参道は細くなる。

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途中に「度会国御神社」(下の写真の左)と「大津神社」(下の写真の右)が建っている。

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↑違いは殆ど有りませんが・・・。
脇道の先は立ち入り禁止の行き止まり。
「外宮」は散策するという雰囲気の場所ではなく、参拝者も終わったら次の「内宮」へ・・・、といった感じ。参拝者が流れている感じだ。
僕も駐輪した場所まで引き返し、自転車を回収。

「内宮」に向かう前に、「外宮」からちょっと離れた所に有る別宮に立ち寄ることにする。
「外宮」の「北御門口」から真っ直ぐ進む。
↓民家の間の道を抜けていく。

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↑この道は「神路通り」と呼ばれている(その説明は少し下に載せたので参照のこと)。
程なくして別宮の「月夜見宮(つきよみのみや)」が正面に見えてくる(下の写真)。
 

『月夜見宮』 (公式HP→ここ

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鳥居の外に駐輪し、奥へ。

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外の自動車の通る音が小さくなって静かだ。

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ご祭神
 月夜見尊(つきよみのみこと)
 月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)

ご鎮座地
 JR伊勢市駅前から南にて10分。また、外宮から北に徒歩で10分で、楠(くす)、欅(けやき)、杉その他常緑の木々のおい茂った当宮のご社頭に達します。一歩神域に入りますと、町中のお宮とは思えない、清らかな静けさが、感じられます。

ご鎮座の由来と沿革
 ご祭神の月夜見尊は、天照大御神の弟神で、皇大神宮別宮の月讀宮におまつりされている月讀尊と、ご同神でありますが、当宮では、月夜見尊の文字が用いられております。
 月夜見尊の御事については、『日本書紀』(元正天皇養老4年〈720〉奏進)の上巻に、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)2柱の御親神が、天照大御神をお生みになり、次に月讀尊をお生みになられ、月讀尊は夜之食国(よるのおすくに)を治めるようにとご委任されたと記されております。
 『日本書紀』には、月夜見尊(月讀尊の文字も用いられております)は、その光彩(ひかりうるわしいこと)が、天照大御神に亜(つ)ぐものであると、たたえられております。天照大御神のご神徳は、「その光華明彩(ひかりうるわしいこと)、六合(あめつち)の内に照り徹(とお)るほどでございます」と、太陽にたとえられていますが、月夜見尊のご威徳は、それにつぐものとして、月になぞらえて、たたえられたと考えられます。
 皇大神宮別宮の月讀宮は月讀尊と月讀尊荒御魂がそれぞれご殿を分けておまつりされていますが、月夜見宮は、月夜見尊と月夜見尊荒御魂が一つのご殿に合わせておまつりされています。
 月夜見宮はご鎮座地が伊勢市の中央に位置し、周囲は繁華街となっておりますが、古くは高河原(たかがわら)と呼ばれ農耕と深いつながりのあるお社です。『延喜大神宮式』(第60代醍醐天皇延長5年〈927〉奏進)には、外宮の摂社(せっしゃ)の首位に列せられておりましたが、鎌倉時代のはじめ、第83代土御門(つちみかど)天皇の承元4年〈1210〉に、別宮に昇格されました。
 なお、外宮の北御門から真っすぐ月夜見宮に至る宮後町の道は、昔並木があり、その道の真中は歩かない、また穢れに触れてしまった者はその道を避けて通らなかったという習慣がありました。町の古老の伝える歌に
 宮柱建て初めしより月讀の神の生きかふ中のふる道
 月讀の宮仕へとて夙(つと)に起き通ふ神路を清めざらめや
とあり、この道は神様の通う道であると信じられ大切にされていたようです。現在もこの道は地元の人々に「神路通り」と呼ばれ、親しまれています。
公式HPより抜粋)

一旦、「外宮」の正面のほうに戻り、先程は横断した県道32号を今度は南へ(下の写真)。時刻は9:50頃。「外宮」に向かって左手を進むと南下になる。その先に「内宮」が有る。

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今回はノーヘル&小径車ということもあって自転車走行可の歩道を走らせてもらった(この区間の多くが自転車走行可の歩道有り)。
県道32号の車道側の交通量は多いが、道幅が比較的広く、車線数が多い場所も有るので、それ程ストレス無く走れるだろう。勿論ふらつかないことは大事だが・・・。
↓伊勢自動車道(下の写真の向こうに見えている)の高架下を抜けて真っ直ぐに・・・。

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やがて「猿田彦神社」に到着(下の写真)。時刻は10:20頃。
 

『猿田彦神社』 (公式HP→ここ

「内宮」の前にここに立ち寄る。

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結構参拝者がいる。

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大鳥居を抜けて奥へ。

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↑「拝殿」。
↑その前に有るのは「方位石」。昔の神殿跡を印し、方位を刻んだ八角の石柱(接写した写真を撮り忘れた・・・)。

猿田彦神社の由来
主神 猿田彦大神 / 相殿 大田命

 猿田彦大神は、ものごとの最初に御出現になり万事最も善い方へ"おみちび き"になる大神で、古事記、日本書紀などにも「国初のみぎり天孫をこの国土 に御啓行(みちひらき)になられた」と伝えられています。
 大神は天孫をおみちびきの後、伊勢の地を本拠として国土の開拓を指導され、垂仁天皇の御代に皇女倭姫命が神宮鎮座の地を求めて諸国を巡歴されたときに、大神の御裔(みすえ)の大田命(おおたのみこと)が祖神、猿田彦大神と同じく御先導され、五十鈴川の川上一帯の霊地を御献上、伊勢の神宮の御創建に尽くされました。
 大神の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、以来、永く玉串大内人(たまくしおおうちんど)という特殊な職掌に任ぜられ、伊勢の神宮に奉仕してきました。
 大神の御神徳を仰ぐ崇敬者は全国に広く、方位除、地祭、土地開発、開業、災除、家 業繁栄、交通安全、病気平癒、開運などの御祈祷が連日行われています。
公式HPより抜粋)

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僕も拝んで、次いで「内宮」へ。
「内宮」は「猿田彦神社」から近い。下の写真のように、県道32号と国道23号の交差点で、「猿田彦神社」とは対面に位置する角へ渡る(黄色の矢印)。

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次いでちょっと左折すると、すぐに右手に通りが見えてくる(下の写真)。

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ここを真っ直ぐ進むと「内宮」だ。ただし、ここは歩行者が多いので、自転車でサクッと「内宮」に行きたい場合は先程の交差点で国道23号を南下する方がbetterだ。
この“良い感じ”の通りは歩行者専用道路ではなく、自転車で走っても道交法・条例上は問題無いのだが、“乗って走ると顰蹙を買うこと間違い無し”の人混みだ。写真では比較的人の流れが少なくなった瞬間の場面を撮ったものだけを載せているのだが、実際はなかなかの混雑ぶり。歩いていてもサッサと歩くのは難しい状態だ。今回、「内宮」へはこの道を利用したが、当然自転車から降りて押し歩き。

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お土産物屋や食べ物屋が軒を並べている。

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でも、先に「内宮」参拝へ・・・。

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↓途中に「赤福」本店。

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おいしいよね~、赤福。
でも今日は買いませんがね・・・(^^ゞスル――。

赤福の対面に「おかげ横丁」に入る道が延びていたが、「内宮」参拝の後で立ち寄ることとしてスルー。
↓代わりに「赤福」の横手に有る「新橋」に登ってみる。

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「五十鈴川」が流れている。通りは川と並行しているわけ。

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↓南の方角。この先に「内宮」が有り、五十鈴川は内宮の西を流れている。

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通りに戻って、先へ。
それにしても・・・人が多い。「外宮」をはるかに凌いでいる。みんな「外宮」にもちゃんと行ったのかな~~?

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↑白焼きせんべい・・・食べたい。

程なくして「内宮」の駐車場に到着し、自転車を駐輪所に置く。
さて・・・「内宮」へ。時刻は10:50頃。
 

『伊勢神宮』内宮
(「伊勢神宮」公式HP→ここ)(「内宮」公式HP→ここ

本来は「宇治橋」で五十鈴川を渡って参道に入るのだが、現在は改修工事中(下の写真の上段)。

「宇治橋」

 内宮への入口、五十鈴川にかかる宇治橋は、日常の世界から神聖な世界へのかけ橋といわれています。宇治橋外側の正面から見る大鳥居の姿は感動的であり、身も心も正して清浄な宮域に入る心構えの大切さを感じさせてくれます。
 宇治橋は20年毎に、かけ替えられます。全長101.8m、巾8.421mで、欄干の上に16基の擬宝珠(ぎぼし)を据えた純日本風反(そ)り橋で檜(ひのき)で作られていますが、橋脚の部分は欅(けやき)を使用します。
 宇治橋の外と内に高さ7.44mの大鳥居が立っていますが、内側の鳥居は、内宮の旧正殿(しょうでん)の棟持柱(むなもちばしら)が用いられ、外側の鳥居は外宮のものがあてられます。さらに20年たつと、内側の鳥居は鈴鹿峠のふもとの「関の追分」、外側の鳥居は桑名の「七里の渡」の鳥居となります。ともに正殿の棟持柱となって以来、60年のお勤めを果たしています。
公式HPより抜粋)

10年位前に参拝した時には渡れたけど、残念。

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↑左手に有る仮の橋で五十鈴川を越える(上の写真の下段)。
↓再び「五十鈴川」。

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橋を渡ると、綺麗な広い参道に入る。

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「内宮」は正式には「皇大神宮(こうたいじんぐう)」という。

皇大神宮(こうたいじんぐう)は通称「内宮」とも申し上げ、神路山・島路山を源とする五十鈴川の川上に鎮座しています。ご祭神は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)。このご神名はお祭りに際して神前で畏まって称え申し上げる最高のご名称で常には皇大御神や天照大御神と申し上げています。
 わが国最初の正史(せいし)『日本書紀』(にほんしょき)の伝えによりますと、皇大御神は光華明彩(ひかりうるわ)しく、六合(あめつち)の内(うち)に照り徹(とお)らせり、と称えられ、皇孫(すめみま)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を高天原からこの国に降されますときにあたって、尊の御位と地上の永遠を祝福して

豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)のさかえまさんこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)りなかるべし。

と、お言葉を与えられました。また、天と地の続く限り、瑞穂の国が栄え行くために、皇大御神は高天原でご自身がおつくりになっている田の「稲の種」を手渡されました。米をつくるくらしが、この国の繁栄と平和をもたらすとお教えになられたのです。

 国の内に隈なく光が照り徹ると称えられる皇大御神の御神体は、八咫鏡(やたのかがみ)で、八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)を加えて三種の神器(じんぎ)と呼ばれます。
 この御鏡を代々宮中で天皇ご自身がお祭りされていましたが、崇神(すじん)天皇の御代に皇居の外、大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に神籬(ひもろぎ)を立ててお祭りすることになりました。神籬とは榊のような常緑樹で囲われた神聖なお祭りの場を意味します。そこでは、天皇にお代わりして、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が皇大御神をお祭りされていましたが、垂仁(すいにん)天皇の御代に至って、倭姫命(やまとひめのみこと)が新たに皇大御神をお祭り申し上げるにふさわしい地を求められることになりました。
 倭姫命は大和の国を始め伊賀、近江、美濃の諸国を巡られましたのち、伊勢の国の度会(わたらい)の地、宇治の五十鈴川の川上に到られ、皇大御神のお教えのままに「祠(やしろ)」をたててお祭り申し上げることになりました。祠は社とも書き、家(や)や屋(や)の代(しろ)という意味で、大きなお祭りに際してそのつど新たにたてられる建物のことです。
 神籬や祠のように臨時にたてられる建物が、神の宮(神の宮殿)、つまり神宮と呼ばれるほどに大きな規模になりましたのは、天武(てんむ)天皇から持統(じとう)天皇の御代にかけてのことです。20年に1度の大祭、神宮式年遷宮もこの時代に始まりました。
 内宮の宮域は、5,500ヘクタールの広さで、大別して神域と宮域林とに区分され、さらに宮域林を第一宮域林、第ニ宮域林に分けています。神域とは内宮のご社殿を中心とした付近およそ93ヘクタールの地域で、ご鎮座以来まったく斧を入れることのなかった禁伐林です。参道に立ち並ぶ鉾杉(ほこすぎ)は神域の森厳さを保ち、またモミ、マツ、ヒノキ、カシ、シイ、クス、サカキ、など繁り、暖帯北部の代表的な林相をなしています。第一宮域林は、神域の周辺並びに宇治橋付近、それに市内から遠望される地帯1,000ヘクタール余の地域で、大部分が天然林で、天然スギを主として、シイ、カシ、サカキ等の林をなし、神宮の風致上、大切な区域で、風致の改良、樹木の育生に必要な場合以外は、伐採(ばっさい)しないことになっています。第ニ宮域林は、第一宮域林以外の4.400ヘクタール余の区域で、五十鈴川水源の保持並びに宮域の風致の増進を目的とするとともに、ご造営用材の備林としてのヒノキの植樹が計画的に実施されています。 神宮では、斯界の権威者に委嘱して、神宮境内地保護委員会と神宮自然保護委員会が組織され、神宮の太古のままの大自然をそのままに守っていこうと努力しているのです。
公式HPより抜粋)

参道脇の緑が綺麗。

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まるで庭園のようですな。

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やがて木々に挟まれた参道に変わる。

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人の流れに乗ってノンビリと歩く。

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↓途中で右手に「御手洗場(みたらし)」。

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「御手洗」・・・てのが何とも。

「御手洗」

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清らかさの象徴内宮参道の右手のゆるやかな斜面を下りていくと、元禄5年(1692年)徳川綱吉の生母、桂昌院が寄進したものといわれる石畳を敷き詰めた五十鈴川岸の御手洗場にでます。
 神路山を水源とする神路川と、島路山を源とする島路川の二つの流れが、合流して五十鈴川となります。
 神域の西側を流れる五十鈴川は別名「御裳濯(みもすそ)川」と呼ばれ、倭姫命(やまとひめのみこと)が御裳のすそのよごれを濯がれたことから名付けられたという伝説があります。水源を神路山、島路山に発する、神聖な川、清浄な川として知られる五十鈴川の水で心身ともに清めてから参宮しましょう。
公式HPより抜粋)

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本当に綺麗な水だ。気持ち良い。

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川の中に入ってはいけません。手だけにしてな。

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参道に戻って先へ。

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↓途中で左手に「神楽殿」。

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「内宮神楽殿(ないくうかぐらでん)」

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 参道の左側、銅板葺・入母屋造の建物で、向かって右端から「神楽殿」「御饌(みけ)殿」「御神札授与所」があります。参拝者のお申し出により、神恩感謝やご祈願の御神楽の奉奏、御饌(みけ)を奉奠しての御祈祷や献金、皇大神宮の御神札(おふだ)・御守・暦・御神号軸などの授与を取り扱っています。内宮参拝記念の御朱印もここでいただいてください。また、御遷宮の御造営資金の献金の受付もしています。
公式HPより抜粋)

↓「神楽殿」の屋根。美しい形状だ。

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更に先へ。
小高い木々が立ち並んでいる。

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↓程なくして突き当り、左手に石段。その上に「正宮」。

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↑写真は石段の下まででしか撮影してはいけない。
↓これは部分的に拡大したもの。撮影は石段の下からしている。

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「正宮」

 ご正殿は唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)という出雲大社の大社造とともに、日本最古の建築様式を伝え、ヒノキの素木(しらき)を用い、切妻(きりつま)、平入(ひらいり)の高床式の穀倉(こくそう)の形式から、宮殿形式に発展したものです。屋根は萱(かや)で葺き、柱は掘立、全て直線的で、屋根の両端には内削(水平切)の千木が高くそびえ、棟には10本の鰹木(かつおぎ)が列び、正殿を中心にして、瑞垣(みずがき)・内玉垣(うちたまがき)・外玉垣(とのたまがき)・板垣(いたがき)の4重の御垣がめぐらされています。
 ご正殿のお屋根は萱葺で、両妻は直径79cmの太い棟持柱(むなもちばしら)が支えています。その棟には鰹木が10本列び、その東西両端、破風板の先端が屋根を貫いて、千木(ちぎ)になっています。内宮では、千木の先は水平に切られていて、これを内削(うちそぎ)といいます。
 御垣内は6,807平方メートルの広さがあり、御垣の配置や構造は、外宮とほぼ同じです。ご正殿を中心にして、瑞垣・内玉垣・外玉垣・板垣の4重の御垣がめぐらされています。御垣の最も奥の聖域を「内院」といい、神聖な一画でご正殿の後方(北側)の東西に併設されているのは、萱葺・神明造の東宝殿・西宝殿。内宮と外宮の規模はほとんど同じですが、内宮の中重鳥居の柱の左右には八重榊(やえさかき)が飾られています。板垣の南北両御門内には宿衛屋があって、神職が交代で一日中神様のお近くにおつかえしています。
公式HPより抜粋)

たくさんの人の中に並んで参拝。
人が多いので、なんか慌ただしく退散・・・。割り込みやら、なんやらで・・・ん~~、何かもっと厳かに拝めないのかしら・・・・って感じで、ちょっと残念。

では・・・別宮にも行きますか・・・。

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途中に「御稲御倉(みしねのみくら)」(下の写真)。
神宮神田で収穫した抜穂(ぬいほ)が納められている。

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↓「外幣殿」。

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石段を昇り降りして進む。

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↑この石段を下った所に「踏まぬ石」と呼ばれている敷石が有る。
4つにひび割れした敷石で、割れ方が「天」の字に似ているので“天から降った”石といわれ、参拝者は踏まないように避けて歩く。
しかし、うっかりこのことを忘れていた。踏んだかな?踏まなかったかな?分からん・・・。過去に参拝した時も、このことを忘れていて、その時も踏んだか踏まなかったか分からない。結局、まだ実際に「踏まぬ石」を確認したことが無い。

で、石段を降りて登って・・・別宮「荒祭宮(あらまつりのみや)」(下の写真)。

「荒祭宮」

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ご祭神
  天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)

ご鎮座地
 荒祭宮はご正宮の北方、やや小高い所にご鎮座になっています。正宮参拝を終え、参道をもどりますと、旧正宮のありました古殿地の西南の隅に苔むした籾種石(もみだねいし)という大きな岩が目をひきますが、その岩組みを見ながら右へ進むと、御稲御倉(みしねのみくら)があり、ついでつきあたりの外幣殿(げへいでん)を過ぎると、正宮の裏側(北側)に出ます。さらに進むと左手に下りの石階があり、「踏まぬ石」を捜しながらここを降りると前方やや小高い場所に荒祭宮を仰ぎ見ることができます。

ご鎮座の由来と沿革
 荒祭宮は、内宮に所属する10別宮のうち、第一に位しています。殿舎の規模も他の別宮よりも大きく、行ニ丈一尺二寸、妻一丈四尺、高さ一丈四尺八寸あり、第一別宮として正宮につぐものです。
 ご祭神は、天照坐皇大御神の荒御魂。神様の御魂のおだやかなおすがたを、「和御魂(にぎみたま)」と申し上げるのに対して、時にのぞんで、格別に顕著なご神威をあらわされる御魂のおはたらきを、「荒御魂」とたたえます。延暦23年(804)選進の『皇太神宮儀式帳』に、「荒祭宮一院 大神宮の北にあり、相去ること二十四丈 神宮の荒御魂宮と称う」とあり、延長5年(927)成立の『延喜式』に「荒祭宮一座 大神の荒魂」とも見えます。
 お祭りにつきましては、正宮に準じる第一別宮として特別丁重に行われています。祈年祭・神嘗祭・新嘗祭の奉幣の儀も、正宮にひきつづき、同日に勅使、大宮司、少宮司以下神職がただちに参向して幣帛がたてまつられます。又、神饌の種類や数量も正宮とほとんど同一のものが供せられます。
 大祭中の大祭、式年遷宮も、古来より正宮に準じて執り行われています。応仁の乱のころ、長く中絶の止むなきに至った時代もありましたが、寛永八年(1631)には再び式年御造替の制が復興され現在に至っています。また、古来以来の大祭、神御衣祭を受けられるのは、内宮と荒祭宮のみでありますことからも、この宮の特別な神位がうかがわれます。
公式HPより抜粋)

さて、今度は少し参道を戻り、「神楽殿」の対面に見える脇の参道に入る(下の写真)。

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↑鳥居の向こうに見える「風日祈宮橋」を渡る。
橋の先にもう一つの別宮「風日祈宮(かざひのみのみや)」が有る。

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ここの橋から眺める川の眺めも良い。

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穏やかですな。

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「風日祈宮(かざひのみのみや)

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ご祭神
 級長津彦命(しなつひこのみこと)
 級長戸辺命(しなとべのみこと)

ご鎮座地
 内宮神楽殿授与所の向い側、奥の方に鳥居と宇治橋に似た橋が見えます。この橋は風日祈宮御橋(かざひのみのみやみはし)とも五十鈴川橋ともいわれており、その橋を渡ると、右手に、皇大神宮別宮、風日祈宮が鎮まっています。

ご鎮座の由来と沿革
 ご祭神は、伊弉諾尊の御子神で、特に風雨を掌られると伝える神、級長津彦命、級長戸辺命をお祭り申し上げています。雨風は農作物に大きな影響を与えますので、神宮では古より正宮に準じて丁重にお祭りしています。
 この宮は神御衣祭を除く内宮域内で行われる全ての恒例祭に預りますが、この宮の名にちなむお祭りがあります。毎年5月14日と8月4日の2度、風雨の災害が無いよう、また五穀が豊かに実ることを祈願する風日祈(かざひのみ)祭です。そのご由緒を遠く尋ねますと、延暦23年(804)の『皇太神宮儀式帳』四月例十四日の条に「以御笠縫内人(みかさぬいのうちんど)造奉御蓑廿ニ領、御笠廿ニ蓋、即散(あがち)奉、太神宮三具(中略)風神社一具」とあり、古くは「風神社」とも称されていたことがわかります。
 「御笠縫内人」とは、わが国古代の最終的法令である延長5年(927)の『延喜太神宮式』には、「是日(旧暦4月10日をさす)笠縫内人等供進蓑笠」とあって、4月10日に風雨の平らかなることを祈願して、蓑や笠を奉るために設けられた特別な職掌でありました。後世、鎌倉時代頃には、このお祭りを「御笠(みかさ)の神事」とも称しました。 さらに、『儀式帳』には御笠縫内人の4月のお祭りの他に、旧暦の7月8日の2箇月の間、風雨の平安と五穀の豊穣を朝夕日毎に祈願する「日祈内人(ひのみのうちんど)」と呼ばれる特別な職掌による神事が行われていたことが記されています。この2箇月間の神事は、『太神宮式』に「凡毎年7月、日祈内人為祈平風雨、所須絹四丈」とあり後に7月の神事となっていたことがわかります。時代が下るにつれ、一箇月の長きに亘って祭祀を執り行うことが困難となり、いつしか7月4日(今の8月4日)の1日のみに限定され、4月14日(今の5月14日)の神事と合わせて年2度の「風日祈祭」と称されるようになりました。
 このように、時代に応じて変遷がありましたが、お祭りの本義はいささかも変わること無く現在に受け継がれ、古式床しく執り行われています。
 もともと「風神社」と呼ばれていました「社」が宮号をもつ「風日祈宮」となりましたのは、鎌倉時代の『通海参詣記』によると、蒙古襲来の文永・弘安の役の際、ご神威によって猛風が起り、襲来した敵軍10万の兵を全滅させ、未曽有の国難をお救いになったご霊験に応えるべく正應6年(1239)3月20日、太政官符を以て宮号宣下を発表せられたことによります。
公式HPより抜粋)

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で、また参詣路に戻り・・・。

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自転車を置いたまま「内宮」を出、先程スルーした「おかげ横丁」に入ってみる。

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↑自転車が写っているが、これは先程スルーした時に写した写真。
実際にはまだ駐輪場に自転車は置きっぱなしだ。自転車を押したまま入るような所ではとてもない。
で、中へ・・・。それが~~~凄い人混み。狭い路地に人がいっぱい。「内宮」よりも混んでいる。下に載せてある「おかげ横丁」内の何枚かの写真は空いているタイミングで写したものばかり。普通にカメラを構えて「おかげ横丁」の様子を写真に収めようとすると、見ず知らずの他人の顔のアップばかりになる(モザイクだらけは嫌なので・・・)。新型インフルも関係無い・・・って感じの混雑ぶり。

「おかげ横丁」の公式HPはここ
↑こちらを見たほうが様子が分かるでしょう。
僕の写真はここの代表的な様子ではない。そういう所は載せにくいです・・・他人の顔ばかりで・・・(^^ゞ
「おかげ横丁」の地図はここ

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『内宮の門前町「おはらい町」の中ほどで、お伊勢さんの「おかげ」』という感謝の気持を持って、平成5年7月に誕生させたまちが「おかげ横丁」です。
 いわゆるテーマパークではないので、入場料といったものはありません。約2700坪の敷地内には、江戸から明治にかけての伊勢路の代表的な建築物が移築・再現され、この地方の魅力が凝縮されており、三重の老舗の味、名産品、歴史、風習、人情まで、一度に体感していただけます。
 江戸末期から明治初期の風情をテーマに、伊勢路の代表的な建築物を移築、再現しています。特徴は、伊勢人が“神様のお住まいと同じ平入りでは恐れ多い”と妻の部分に玄関を設けた「妻入り」と、雨風の強い伊勢ならではの外壁の仕上げ「きざみ囲い」などが主です。建築材料は、トガ(栂)材を使用しています。
公式HPより抜粋)

みんな美味しそうな物を食べてます。食べ歩きが苦手な僕はブラブラ歩くのみ。
それにしても店が多い。
↓「太鼓楼」。

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↓「おかげ座」。ここは入場料有り。

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今から約300年前の“おかげ参り”の様子を再現した歴史館。

おかげ参りとは・・・
江戸時代に庶民の間で起きた爆発的な伊勢参宮ブーム「おかげ参り」のはじまりは、元和三(1615)年頃。その後はおよそ60~70年に一度の周期で続きました。
「おかげ参り」がおきた理由は三つ。まず一つ目は、伊勢神宮が皇祖神を祀る神社で、祭神が当時多くの庶民が携わっていた農業と深く結びつく「天照大御神(太陽神)」と「豊受大御神(衣食住・産業神)」であったこと。
二つ目は、伊勢信仰を広めようと活動した「御師」とよばれる神主たちの影響。彼らは檀家を訪ね歩き、神宮について参宮費用を積み立てさせるなど、人々に伊勢参宮を勧めました。また、お払いから宿泊・観光案内まで広く請け負い、旅行代理店のような役割も果たしたといいます。
そして三つ目は、街道沿いの住人等が無償で行った施し「施行」により、無銭でも無事に伊勢までたどり着けたこと。握り飯の振る舞い、わらじの無料配布、農耕馬を使った人の運搬など、これらは全て伊勢人の信仰心の表れでもありました。
公式HPより抜粋)

「おかげ参り」と言えば、弥次さん喜多さん・・・東海道中膝栗毛ですな。
読んだことは有る。

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↓紙芝居もやっている。

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↓洋風の店も有る。

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「おかげ横丁」を出、「内宮」の駐輪場に置いた自転車を回収。

ここからポタリングの後半みたいなもの。
伊勢湾に面する「二見浦」方面へ向かう。時刻は11:50頃。

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国道23号を北上。

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今回はここも自転車走行可の歩道を使ったが、車道走行もストレス無さそうだ。
交通量は国道らしくそれなりに多いが、道幅が広いので、“Share the Road”的に割と余裕が有る。

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途中で「月読宮」に立ち寄る(下の写真)。時刻は12:00頃。
 

『月読宮』 (公式HP→ここ

ここも伊勢神宮・内宮の別宮である。

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鳥居の外に自転車を駐輪し、参道を奥へ。

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道なりに進むと社殿が見えてきた。

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↓写真では三つの社殿が見えるが、実際には手前にもう一つ有り、四つ並んでいる。

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宮名とご祭神
 東から西へ(手前から奥へ・・・もしくは右から左へ)順次、宮名とご祭神を申し上げますと。
(2)月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)
  月讀尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま) 
(1)月讀宮(つきよみのみや) 月讀尊(つきよみのみこと)
(3)伊佐奈岐宮(いざなぎのみや) 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
(4)伊佐奈弥宮(いざなみのみや) 伊弉冉尊(いざなみのみこと)
となります。
ご参拝は(1)から(4)へと順にされるのが一般的です。

ご鎮座地
 外宮と内宮を結ぶ県道(御幸道路)の中間、道路沿いのこんもりと茂った森の中にご鎮座になっております。外宮から3.8km、内宮から1.8kmの位置にあります。また、裏参道口には国道23号線が通っています。外宮・内宮循環バスをご利用の場合は、停留所「中村」で下車、北へ向って徒歩約5分で、参道入口に達します。また近鉄五十鈴川駅からは、南へ徒歩約10分のところにあります。

ご鎮座の由来と沿革
 月讀宮におまつり申し上げる月讀尊は天照大御神の弟神であります。外宮の別宮月夜見宮のご祭神とご同神でありますが、月夜見宮では「月夜見尊」の文字が用いられております。
 月讀尊の御事(おんこと)については、『日本書紀』(元正天皇養老四年<720>奏進)上巻に、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)2柱の御親(みおや)神が、天照大御神をお生みになられ、次に月讀尊をお生みになられ夜之食国(よるのおすくに)をお治めになるようにと、ご委任になられたと記されています。
 皇大神宮の第一の別宮である荒祭宮(皇大神宮神域にご鎮座)に天照大御神の荒御魂がまつられ、豊受大神宮の別宮多賀宮に豊受大御神の荒御魂がまつられておりますように、月讀宮にならんで、月讀尊荒御魂がまつられております。荒御魂とは、神様の御魂のおだやかな御姿を「和魂(にぎみたま)」と申し上げるのに対して、時にのぞんで格別に顕著なご神威をあらわされる御魂のお働きを「荒御魂(あらみたま)」とたたえます。伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮におまつり申し上げる伊弉諾尊、伊弉冉尊2柱の神は、大八洲国(おおやしまのくに)即ち日本の国土及び山川草木をお生みになられたのち、天(あま)の下(した)の主(きみ)たる天照大御神をお生みになり、つづいて月讀尊をお生みになられた2柱の御親神でありますことは、申すまでもありません。
 月讀宮以下4所の宮は、第50代桓武(かんむ)天皇延暦23年(804)に、神宮から上進した『皇大神宮儀式帳』には「月讀宮一院、正殿四区」と記され、一囲いの瑞垣(みずがき)内に、まつられておりました。すなわち、4宮あわせて月讀宮とよばれました。伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮に宮号が宣下されましたのは、第56代清和天皇貞観9年(867)8月のことであります。 第60代醍醐(だいご)天皇延長5年(927)に、古代の最終的法律体系である『延喜式』が上奏されました。これによりますと、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮が瑞垣をめぐらした一院をなし、月讀宮、月讀荒御魂宮が一院を形成しておりました。
 現在、拝するように、四宮それぞれが瑞垣をめぐらしたお姿になったのは、明治6年からです。
公式HPより抜粋)

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どれも造りは同じようです。

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国道沿いなのに静かです。そして明るい雰囲気です。

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↓さて、国道23号に戻り、北へ。

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↓途中で右折して県道37号に入る。交通量はガクンと激減。

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↓暫くすると県道715号との分岐。直進が県道715号。

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↑黄色の矢印の様に直進して県道715号に入る。
↓程なくして「五十鈴川」と再会。

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下流に向かって左岸を進む。

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土手の道は途中ではっきりしなくなったので、下の県道715号に戻る。

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フラットな快走路だ~~♪

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五十鈴川に付かず離れずに進む。

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途中で急に道幅が狭くなり、自動車の離合困難な程になる。

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田畑の間の道を進む。
↓途中で「近畿自然歩道」の道標が立っている(自転車の辺り)。

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↑ここで左折。↓引き続き道幅が狭いので自動車に注意。

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道なりに進む。JR参宮線の踏切を渡り、暫くするとまたまた「五十鈴川」に再開。

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河口が近くなってきたのでかなり川幅が広くなった。
↓上流の方角の美しい眺め。ずっと先に「内宮」が有るわけだ。

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↓河口の方角。青い橋「汐合橋」で右岸に渡るつもり。

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↓県道715号を出て黄色の矢印の様に右折。

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↓ちょうど、「汐合橋」を渡るサイクリング集団に遭遇。僕とは反対の方角へ行った。

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「汐合橋」を渡って右岸へ。
右岸の土手沿いに道が有ったが、あえてスルー。もう少し分かり易い一般道へ適当な所で左折して入る。
そのまま海岸の方へ。

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暫くすると堤防が見え・・・。

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伊勢湾、二見浦に到着~~。時刻は13:00頃。

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↓西の方角。五十鈴川河口から約1.5km東にいる。

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伊勢湾・・・綺麗だ。

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↓東の方角。二見浦が続く。島も見える。

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↓堤防沿いに道が有る(西の方角)。

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真っ直ぐずっと続いている。ここを走って東進。

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ここは自動車が通るので注意。でも自動車はこの道から降りられないけどね。写真では分かりにくいが、この道は階段で登る位に高い位置に有る。自動車がこの道から外れたらそれは転落事故だ。

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左手に海を流しながら東進。

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あ~~~、気持ちいい。すがすがしい。

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途中、下の写真左手に「御塩殿神社」が有り、この辺りから自動車は堤防沿いの道に入ってくるようだ。

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この海の向こうは知多半島かな。

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ノンビリと進む。

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徐々に観光スポット的な風景が見えてきた。

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↑「神前岬」が見えてきた。
↓手前に右から「飛島」「浮島」、その奥に大きな「答志島」が見えている。

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「二見浦海水浴場」を通過。
マリンスポーツを楽しむ人を多く見かけるようになってくる。

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↑左手の人、曙ではありません。

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いいよね~。

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堤防沿いの道ではなくなり、堤防の上を走るようになる。

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穏やかな海・・・。

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空も海も綺麗です。

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↓堤防の下に「二見浦」の看板。

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↓その横に歌碑。

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浪越すと 二見の松の見えつるは 梢にかかる 霞なりけり
                                 西行

西行法師の歌碑ですな。
松にかかった春霞を見つけて、春の到来を喜ぶ気持ちを表した歌とのこと。
西行は平安末期の歌。二見をこよなく愛した西行は二見(安養山)に庵を結び、晩年7年間にわたり滞在したとのこと。
他にも二見浦界隈にはこういった歌碑や句碑が幾つか置かれており、それを巡ってみるのも良いかも知れない。
↓綺麗な松並木の小道も有る。

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↑ただしここは車両進入禁止なので、自転車も走るのは止めておいた方が良いだろう。
堤防上に戻って、東進。

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「二見興玉神社」が見えてきた。

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「二見興玉神社」に到着。時刻は13:40頃。

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『二見興玉(ふたみおきたま)神社』 (参考サイト→ここ

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↑堤防から降りた所に句碑。
山口誓子の句碑だ。↓

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初富士の 鳥居ともなる 夫婦岩
                    誓子

誓子は静養のため鈴鹿や四日市などに長く逗留した三重とゆかりの深い俳人である。
日の出の名所・夫婦岩の目前には阿波野青畝の碑が佇む。すがすがしい初日を詠ん
だ、明るく力強い作品として知られている。

自転車を駐輪して奥へ。岩場の海岸沿いに参道が有る。

「天の岩屋」

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古来より日の出を拝む夫婦岩とともに日の大神がお隠れになった天の岩屋と伝えられておりますが、我が国の随所に、天の岩屋、天の岩戸と称される処があります。当社も、その1つであり古くから石神(しゃくじん)とも申され宇迦御魂大神(豊受大神とも称される)をお祀り申し上げております。日の出に対し日の入(隠れられた処)、天照大神と豊受大神という関係と伝えられております。
参考サイト「ケーブルテレビ・アイティービー」より抜粋)

その「天の岩屋」の対面の海に・・・。

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↓有名な「夫婦岩」。

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↑↓「夫婦岩」「烏帽子岩」「獅子岩」「屏風岩」が有る。

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「夫婦岩」を生で見るのは初めて。

「夫婦岩」

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夫婦岩は、沖合約700m先に鎮まります興玉神石、また日の大神を拝する鳥居の役目をしております。
日の出で名高い夫婦岩ですが、実際に岩の間から日の出を見ることが出来るのは4月~8月の間です。
6月の夏至の前後1週間は岩の中央から日の出が昇り、天気が良ければその背に霊峰富士を仰ぐことが出来、筆舌に尽くし難い感動を覚えます。
この季節になると、早朝の境内は多くの修学旅行生や観光客、カメラマンで境内は大変賑わいます。
また冬至の前後(11月~2月頃)には、岩の間から満月が昇ります。
朝日とはまた別の幻想的な趣を感じることが出来ます。
*夜間はライトアップをしておりますので、日の入り後も夫婦岩を見ることが出来ます。
(ライトアップの時間:日の入リ~午後9時まで ただし6~9月の間は午後10時まで)

夫婦岩はそれぞれの季節で、さまざまな情景を見せてくれます。
今も昔も変わらず清渚で、私たちを見守ってくれています。
男岩は高さ9m、女岩は高さ4mで、長さ35mの大注連縄が5本張られております。
参考サイト「ケーブルテレビ・アイティービー」より抜粋)

↓奥から「烏帽子岩」「獅子岩」「屏風岩」。

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更に岩場沿いに参道が続いている。先へ進む。

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↓「拝殿」。

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御祭神
猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
宇迦御魂大神(うがのみたまのおおかみ)
綿津見大神(わたつみのおおかみ)竜宮社

 古来より、人々は当二見浦に詣で、夫婦岩の間から差し昇る「日の大神」と、夫婦岩の沖合700mの海中に鎮まる猿田彦大神縁りの霊石と伝えられる「興玉神石(おきたましんせき)」 を拝してまいりました。この伊勢の海清き渚より富士の山影を望み、その背から輝き昇る朝日、取り分け夏至の朝日を拝する神厳さは筆舌に尽し難い感動を覚えます。世界を照らし治め、日の大神と称えられる天照大神様の御神威を拝み、また猿田彦大神様の御神力のお陰を戴き、神人一体の極致を体感されますことをお祈り申し上げます。
 猿田彦大神は、天孫瓊瓊杵尊(てんそんににぎのみこと)が天照大神より三種の神器を授かり天降られるとき、天(あめ)の八衢(やちまた)にお迎えして途中の邪悪を祓いながら道案内を申し上げ、また垂仁天皇の御代、倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神の御鎮座の地を求められたときも御神徳を示され五十鈴川の川上に導かれました。この為に古来より善導の神として開運招福、家内安全、交通安全の守護神として信仰され、魂を導き甦(よみがえ)らせる御神威により甦りの神と称され、別名興玉の神とも称えられております。また古来より、土地を領する地主神と云われ、土地の邪悪を祓い清め災厄を除く福寿の神として信仰されております。
 宇迦御魂大神は、稲の霊の神と云われ、食糧を司る神、後に衣食住産業の守護神として仰がれております。
参考サイト「ケーブルテレビ・アイティービー」より抜粋)

↓蛙の像が至る所に見れる。

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「二見蛙」
当神社の御祭神猿田彦大神は天孫降臨の際、道案内をされたので
(古事記、日本書紀)古来、交通安全 善導の守護神として広く信仰
されております。
蛙は大神の御使いと信じられ、境内の置物は、無事
かえる、貸した物がかえる、若がえる等の縁起により御利益をうけられ
た方々の献納であります。
参考サイト「ケーブルテレビ・アイティービー」より抜粋)

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「夫婦岩」を間近で見る。

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横から・・・。

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鳥が・・・。

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裏から・・・。

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岩場だが、穏やかな海面だ。

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↓更に進むと「行場」。

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↓手前に「神前岬」。その向こうの、右から「飛島」「浮島」、その奥に大きな「答志島」が見えている。

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↓ここで、二見浦の海岸沿いの動画を・・・。

「二見浦」を満喫したので帰路に着く。
自転車を回収して「二見興玉神社」を出、JR参宮線・二見浦駅へ向かう。

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案内になる道標が有るので迷わないだろう。神社から近いし・・・。

20090906ride_168

↓JR参宮線「二見浦駅」に到着。時刻は14:00ちょい過ぎ。

20090906ride_169

自転車を輪行袋にパッキング。
ちょうど、祭(?)の日だったみたい。駅のホーム(下の写真)は閑散としているが、駅前は人が大勢。祭と言っても伝統行事の祭ではないようで、特設ステージで踊りや歌を披露するイベントのようだ。

20090906ride_170

20090906ride_171s 以下、下の列車で伊勢市駅経由で大阪へ帰る。

二見浦   
|  JR 参宮線(伊勢市行)
|  (右の写真)   
|  14:39~14:47 [8分]

伊勢市
|  近鉄山田線急行
|  (大阪上本町行・直通)
|  14:56~17:15 [139分]
|  
上本町

上本町駅から幾つかの路線を乗り継ぎ、最寄りの駅に18:00頃に到着。
自転車を組み立て、僅かな距離を走り、18:12に無事に帰宅。

そういう感じで、「伊勢神宮」界隈と「二見浦」をポタリングしたわけで、前半は“お参り”モード、後半は“海”モードといったところだろうか。
「伊勢神宮」は良かったけど、内宮の人の多さにちょっと落ち着かない感じだった。もっとも僕自身もその人混みを作っている一人なのだが・・・(^^ゞ 「伊勢神宮」界隈には他にも幾つか見るべき別宮や寺、資料館も有るので、また次の機会に寄ってみたい。
「二見浦」は良かった~~。伊勢湾は綺麗ですな。穏やかで爽やかな海だった。晴天でもあり、より海が綺麗に見えた。「夫婦岩」も生で初めて見れたし・・・。あと二見浦界隈では「伊勢戦国時代村」というテーマパークをパスしたので、これも次の機会に寄ってみたい。

今回のコースは20kmという短い走行距離で、自転車でノンビリとブラブラするには丁度良い範囲だろう。ノンビリ観光ポタリング・サイズだったと思う。

全体的には、とても楽しいポタリングだった。
 

コース概略/自宅→○○線・△△駅~(輪行)~□□線・▽▽駅・◇◇線~(輪行)~上本町駅・近鉄大阪線~(輪行)~伊勢市駅→県道21→伊勢神宮・外宮→一志町一般道→月夜見宮→一志町一般道→県道22→県道32→猿田彦神社→県道32→県道715→伊勢神宮・内宮→おかげ横丁→国道23→月読宮→国道23→県道37→県道715→汐合橋→県道102→二見町溝口~二見町西一般道→二見浦堤防沿い一般道→二見輿玉神社→二見町茶屋一般道→JR参宮線・二見浦駅~(輪行)~伊勢市駅・近鉄大阪線~(輪行)~上本町駅・◇◇線~(輪行)~▽▽駅・□□~(輪行)~○○線・△△駅→自宅
(地図→クリックしてください (拡大可。青色のラインが走った所))

走行距離/23.08km
走行時間/1hr59min
平均速度/11.64km/hr
最高速度/28.93km/hr
Small Bike積算距離/841km
全Bike積算距離/16647km

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Comments

ぱっとタイトルを見たとたん頭に浮かんだのが「赤福」、スルーしたんですかcoldsweats02
予想以上の人出ですね。まだ日傘をさしている人がいるみたいなので暑かったんでしょうか?
夏と秋の間。。。そんな感じの海ですね(^v^)
以前夫婦岩の所を歩いた時は波が歩道までうちあがってて大変だった記憶があるので、この穏やかな海、いいです~。
もし曙さんだったら。。。隣で寝そべっている方はどなたか?などと考えてしまいました(;´▽`)
これからはポタリングにいい季節ですね~(^v^)

« 投稿: あさたろう  2009年9月19日 (土) 17時51分

katzeさんへ
 明日、自宅から伊勢湾へ計画をたてているじゃいあんです。今日は天気予報では強風ということで家でのんびりしています。katzeさんの国道163号線のぶろぐと遠州灘のぶろぐで今日は予習していました。地図帳でkatzeさんの走ったコースを確認していました。それで、もう一度確認しようと思ったら、伊勢神宮の記事。うれしいですね。
まぁ、どうなることかわかりませんが、気をつけていってきます。

« 投稿: じゃいあん  2009年9月19日 (土) 18時03分

あさたろうさん>
赤福は、初め買う気満々でいたんですが、帰りになってかさばりそうでスルーしちゃいました。

この日は快晴で、日傘が目立ちました。

夫婦岩、行かれたことが有るんですね。
風は有りましたが波は穏やかで、しぶきは全然かかりませんでした。ここで普通に波しぶきが有ったら、歩くのが大変そうですね。

« 投稿: Katze  2009年9月19日 (土) 19時48分

じゃいあんさん>
シルバーウィークでクルマも多そうですので、お気を付けて行ってきてください。

伊勢湾に着いてからも、湾岸沿いを走られるのですか?
いいサイクリングになりそうですね。

« 投稿: Katze  2009年9月19日 (土) 19時53分

私も、今回とほぼ同じコースを徒歩と内宮~二見浦間はバスで回りました。スタート・ゴールも一緒です。( ^ω^ )
それでも今度は自転車で走ってみたくなります。特に海岸沿いは。

最近、赤福は大阪でも買えますから、あんまり現地で買ってもありがたみが薄くなりますよね。

« 投稿: KNIGHT  2009年9月20日 (日) 09時34分

1泊の予定でしたが、急用ができて日帰りにしました。国道163号線は木津までは、そこそこの通行料でしたが、トラックも少なく楽でした。長野峠を越えてのくだり楽しかったです。今度は英虞湾に行こうと思います。鳥羽展望台にも寄りたいと思っています。(笑)

« 投稿: じゃいあん  2009年9月20日 (日) 23時47分

伊勢神宮は何度か行きましたよ~
夏だと赤福氷があるんですよ。
お伊勢うどんも美味しいです♪

海ゾーンは行ったことないのでいい観光になります。
カエル可愛いです。

空と海の色が綺麗ですね!

« 投稿: しましま  2009年9月21日 (月) 23時33分

KNIGHTさん>
海岸沿いは、上手く繋ぐと鳥羽まで良いポタリングが出来そうですよ。
機会が有りましたら是非。

« 投稿: Katze  2009年9月22日 (火) 08時40分

じゃいあんさん>
お帰りなさい。
完走おめでとうございます。

英虞湾から南はとても良さそうですよ。

« 投稿: Katze  2009年9月22日 (火) 08時44分

しましまさん>
赤福氷!どんなんでしょう?食べてみたいです。
赤福のアイスキャンデー版か?
それとも冷やし赤福か?
想像出来ません。

二見浦も機会が有りましたら是非。

« 投稿: Katze  2009年9月22日 (火) 08時46分

伊勢神宮の内部詳細に見たの初めてです
前に鳥友さんが<「伊勢神宮」行きました
観覧量が高いでした>だけで
  画像が何も無くて=(笑
随分広大な敷地なんですね
全部回りきれないかも
いくつ位建築物が有るのでしょうか!?数え切れません
ね~~@@どれも屋根の作りが凝ってて趣がありました

« 投稿: はな  2009年9月24日 (木) 17時48分

はなさん>
伊勢神宮の参拝は無料なので、神楽殿で楽曲を聴くのをを申し込まれたんでしょうかね~?

伊勢神宮は広いですけど、サクッと回れますよ。いつかいらしてみてください。
ちなみに、お土産物屋や食べ物屋のある「おかげ横丁」界隈をブラブラするほうが時間がかかります。

« 投稿: Katze  2009年9月25日 (金) 16時55分

 






 

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