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2010年6月26日 (土)

京都洛北・上賀茂~岩倉ポタリング 2010.06.09

年月日/2010年6月9日

バイク/GLOBE (SPECIALIZED) Small Bike

目的/京都洛北の上賀茂神社から、宝ヶ池、岩倉周辺の寺社等を巡る。

ポイント/自走。

内容/
このところ平日は仕事が忙しく、その疲れが土曜日に持ち越され、日曜日は色々予定が有ったりして、輪行の遠出が出来ていない状態。輪行って、準備とか、早起きとか、帰った後の色々な片付けとかとかで、走ること以外に結構エネルギー(たいていは気力の部分)を使うんですわ・・・。
そんな中、平日のど真ん中に仕事に“待ち”の状態が出来た。これから梅雨に入ると週末に雨で乗れない可能性も高くなってくるので、これ幸いとばかりに、他の仕事を入れず、有給休暇を取って、自転車に乗ることにした。

で、今回も自走で、疲れず、かつ距離も稼げる、京都市街地のポタリングをすることにした。
これまで公共交通機関&徒歩では京都の観光地の殆どを回っているのだが、自転車では回っていない所がまだたくさん有る。その中で、今回は洛北エリア(概ね下の地図の赤い円内)の中の、上賀茂神社~宝が池~岩倉・実相院辺りをポタリングすることにした。

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家から、淀川沿い→桂川沿いのサイクリングロード→五条通→堀川通・・・と進めば、洛北エリア、上賀茂神社に着く(上の地図の青色のライン)。そこから、下の地図の青色のラインのように回る。

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回る予定の所は①~⑧の寺社と公園だ。
ただ、冒頭で断っておくと、実際に巡った順番は数字の順番ではなく、②③・・・⑦⑧そして①。①の上賀茂神社を最後に回った(理由は説明しにくいので省略(^_^;)・・・大した理由ではありません)。それ以外は数字の順番通り。ただこの記事では、以降、ルートに沿って分かり易いように、数字の順番に紹介していくことにする。
⑧の蓮華寺のあとは、来たルートをほぼ逆に辿って帰る予定。走行距離は100kmを越える筈。距離を稼ぎたいので丁度良い。

自転車は折り畳み小径車のGLOBE (SPECIALIZED)を選択。前回「淀川・木津川試走サイクリングⅤ 2010.05.30」のあとで、クリーニングをせずにそのままにしてあったし、ノンビリ・ポタリング向きなので、選んだ次第。輪行袋は持っていかない。

7:30に出発。普段ならば出勤する時間だ。
淀川右岸を京都方面に向かって走る。途中、摂津市~高槻市付近で小雨が降ったが、そこを過ぎると、急に晴れてくる。

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以降も天王山大橋まで前回「淀川・木津川試走サイクリングⅤ 2010.05.30」と同じように進む。
天王山大橋からは嵐山八幡のサイクリングロードに入り、桂川沿いを嵐山方面に向かって北上。
西大橋からはサイクリングロードを離れ、国道9号に当たる五条通を東進。
五条堀川の交差点で左折して堀川通(府道38号)に入り、北上。二条城の前や、かつて住んでいたマンションが有った西陣周辺も通過(僕は京都に2年くらい住んでいたんです)。どんどん北上し、賀茂川と出合うところ、「御薗橋」で賀茂川左岸へ渡る。
(ここの「賀茂川」は“鴨川”ではなく、高野川と合流する前の“賀茂川”のほう。賀茂川と高野川が合流して、鴨川に名まえを変えるのだ。)
御薗橋を渡ると、すぐそこが「上賀茂神社」。時刻は11:20頃。

冒頭で述べたように、実際には⑧蓮華寺のあとの帰り道で上賀茂神社に寄ったのだが、ここでは最初に紹介してしまおう。

①『上賀茂神社』
(公式HP→ここ

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『上賀茂神社』
神武天皇の時代(紀元前660~581年)、秀峰神山(こうやま)に賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)が、比叡山の西麓にその母の玉依姫命(たまよりひめのみこと)と祖父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのこと)が降臨、古代豪族の賀茂氏が678年(天武6年)に社殿を建てたと伝わる。
賀茂別雷神を上賀茂に、他の2神を下鴨にまつり、両社を合わせて賀茂神社と呼んだ。正式には「賀茂別雷神社」という。
平安遷都後は王城鎮護の神、鬼門の守り神、総地主の神として崇められ、歴代天皇の行幸も有り、伊勢神宮に次ぐ大社となった。今の社殿の多くは1628年(寛永5年)、本殿と権殿は1863年(文久3年)の再建である。
ユネスコ世界文化遺産に登録されている。

上の写真の鳥居は「一ノ鳥居」。
「一ノ鳥居」の先へは自転車は入れない。外に有る2カ所の駐輪場は参拝以外、殆どが通勤・通学・買い物のためであろう、たくさんの自転車で満杯。無断で駐輪すると撤去されるとのことで、社務所にて届け出と駐輪証明シールを受け取り、自転車に貼ることが必要(無料)。しかし、参拝で一時的に停めるだけだと社務所で伝えると、神域外の隅に置いてもらって構わないとのことで、社務所の向かいの鳥居の外に駐輪。ただし、置くと撤去される場所も有るので注意。特に「一ノ鳥居」の前辺りや観光バス駐車場界隈では、「撤去する云々」の貼り紙が有る。(ちなみに公式HPの境内案内地図を参照→ここ
「一ノ鳥居」の向こうに参拝道が真っ直ぐ伸びている。その両側には公園のような芝生が広がっている。4月初めの桜の開花時期には多くの人が訪れる。右側の広場には「ならの小川」が流れている。左側は葵祭(賀茂祭)の前の5月5日に行われる“賀茂競馬(かもくらべうま)”が行われる馬場になっている。

「葵祭(賀茂祭)」
葵祭は祭儀に関わる全ての人たち、また社殿の御簾・牛車に至るまで二葉葵を桂の小枝に挿し飾ることから、広く一般には「葵祭」として知られる祭である。
その起源は太古別雷神が現社殿北北西にある神山に降臨した際、神託により奥山の賢木(さかき)を取り阿礼(あれ)に立て、種々の綵色(いろあや)を飾り、走馬を行い、葵楓(あおいかつら)の蔓(かずら)を装って祭を行ったのが始めである。
時を経て6世紀欽明天皇の代、日本国中が風水害に見舞われ国民の窮状が甚だしかったため、勅命により卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせられたところ、賀茂大神の祟りであると奏したことにより、4月吉日を選び馬に鈴を懸け、人は猪頭(いのがしら)をかむり駆馳(くち)して盛大に祭りを行わせた事が賀茂祭(葵祭)の起こりであると『賀茂縁起』に記されている。
後、奈良時代の元明天皇711年(和銅4年)4月に賀茂祭の日には国司(現在の知事)が毎年親しく祭場に臨んで祭が無事執り行われているか検察せよと勅せられた。
平安時代に至り、平城天皇807年(大同2年)4月には勅祭(勅命により行われる祭祀)として賀茂祭が始められ、次いで嵯峨天皇810年(弘仁元年)伊勢の神宮の斎宮の制に準ぜられ、賀茂の神に御杖代(みつえしろ)として斎院(斎王)を奉られ、祭に奉仕させられた。
続く819年(弘仁10年)3月16日には賀茂祭を中祀に準じ斎行せよとの勅が下され、当時の神社に対する祭の最も重い御取扱いを受けた。中祀とは伊勢の神宮と賀茂社より他には見られなかった。
貞観年中(859~876年)には勅祭賀茂祭の儀式次第が定められ、壮麗なる祭儀の完成を見た。しかしながら当時賀茂祭の社頭における祭儀は一般の拝観を殆ど許されず、祭の当日は唯御所から社への行装を一目拝観せんとして法皇・上皇達は牛車を押し並べ、或は桧皮葺の桟敷を設け、京の人々は言うに及ばず地方から上京してきた人達も加わり街は人で溢れたといわれている。また、拝観場所の車争いの事が載せられた『源氏物語』等のこの時代の日記・書物等に賀茂祭をただ「祭」とのみ記したものが多く存するのは、賀茂祭の祭儀が盛大であるのみならず典型的な行装と儀式であったためであろう。
さしも盛大に且つ重要視された祭儀も室町時代中期頃から次第に衰微し、ついに応仁の大乱以降は全く廃絶致しました。その後200余年を経て江戸時代に至り東山天皇1694年(元禄7年)に、往時の盛儀をそのまま復興することは困難であったが、上賀茂・下鴨、両社の熱意と朝廷・公家の理解と幕府の協力により再興され、明治3年(1870)まで執行された。その後暫く中絶され、単に奉幣使のみの参向となり、明治17年(1884)明治天皇の旧儀復興により春日大社の春日祭・石清水八幡宮の石清水祭と共に所謂日本三勅祭の一として厳粛に祭儀が執行されることとなった。
祭日も古来4月吉日(第2の酉の日)とされていたが、明治維新以後新暦の5月15日と改められ現在に及んでいる。
行列は大正15年(1926)更に整備され、昭和の御代となり国内情勢の激変により昭和18年(1943)雅やかな行列はやむなく中止とされ社頭の儀が斎行されるのみになる。昭和28年(1953)葵祭行列協賛会の後援を得て行列が復活し、更には昭和31年(1956)に斎王に代わる「斎王代」を中心とする女人列も復興され、往時の如く華やかに美々しい行装が京都の市中を、若葉の色瑞々しい賀茂川の堤を渡るようになり現在の葵祭として続いている。
(公式HPより抜粋→ここ

参拝道を真っ直ぐ進むと、下の写真の「二ノ鳥居」。

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「二ノ鳥居」は京都御所の方向に向かって建てられているらしい。
「二ノ鳥居」をくぐると、二つの盛り砂が目に付く神域に入る(下の写真)。

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「細殿」(上の写真の建物)
行幸の際及斎王の著到殿。1628年(寛永5年)造替。
重要文化財。
(神社掲示板より)

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「立砂(たてすな)」(上の写真)
盛砂(もりずな)とも言い、「たつ」とは神の出現に由来した言葉である。
神代の昔、祭神が最初に降臨された本殿の後ろ2kmにある円錐形の美しい山の神山(こうやま)に因んだもので、一種の神籬(神が降りる憑代(よりしろ))である。
鬼門・裏鬼門に砂を撒いて清めるのは、この立砂の信仰が起源で、「清めのお砂」の始まりである。
(神社掲示板より)

「立砂」の頂上には、(上の写真では全く分からないが)松葉が挿されている。神が降臨するための目印だそうだ。
さて、その細殿の裏手辺りに「手水舎」が有る。

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本殿の西側からここに流れる「御手洗川」(下の写真)の水が使われている。

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境内には多くの社殿が有る。その中の代表的なものを二つ載せておこう。

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「舞殿(橋殿)」(上の写真)
往古より、勅使御拝の殿舎。1863年(文久5年)造替。
重要文化財。
(神社掲示板より)

上の写真をよく見ると分かるのだが、先程の御手洗川と、後述でも出てくる本殿前を流れる御物忌川とが合流して「なら(楢)の小川」となり、それを跨ぐ橋のようになっている。

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「土屋」(上の写真)
往古より、神主以下社司の著到殿。現今は祓所として用いる。1626年(寛永5年)造替。
重要文化財。
(神社掲示板より)

神社内には摂社や末社が多い。
その中でも第一摂社とされるのが「片山御子神社(片岡社)」である(下の写真)。紫式部も参拝したと伝わっている由緒ある縁結びの社である。

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「片山御子神社」(上の写真)
祭神 玉依比賣命  一柱一座
延喜式内の古社である。『延喜式』には、「片山御子神社 大、月次 相嘗 新嘗」と載せている。賀茂県主族の祭祀の権を握って居られた最高の女性、本宮御祭神別雷神を感得せられた神で、常に別雷神の御側に侍ってお仕え申し上げておられたのである。
よって現在にあっても本宮恒例の祭祀には、先ず当神社に祭を行う例となっている。それは只今より御奉仕申し上げる本宮のお祭りは、御祭神の御名によって、お仕え申し上げる由を、予め奏上せんとする意味から行うのである。
古来第一摂社と崇められている。事情かくの如くであるので、皇室の御崇敬も厚く、本宮へ行幸、御幸等の場合は当社へも奉幣あらせられることが屡々あった。
天正19年6月11日正一位を奉られている。古く当社の後ろに「よるべの水」を湛えた甕が三個あったが、天正年中汚穢を懼れて地下に埋没したという。
重要文化財。
(神社掲示板より)

「片山御子神社」の左手に朱色の楼門と橋が有る(下の写真)。実際には、「片山御子神社」よりも先にこちらが目に飛び込んでくる筈だ。

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楼門の前の御物忌川(おものいかわ)に架かる朱色の反り橋は「玉橋」と呼称され、重要文化財に指定されている。神事の際に神官がわたるだけで、一般の人は渡れない。参拝者が御物忌川を渡る際には、すぐ近く、「片山御子神社」の脇に有るもう一つの橋「片岡橋」(重要文化財)で渡ることになる。なお上賀茂神社では、第一摂社の「片山御子神社」に参ってから「本殿」へ参るのが参拝の順序としている。
現在の「楼門」は1628年に造替された。重要文化財とされている。

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「楼門」の奥に「本殿」と「権殿」が有る。どちらも国宝だ。
下の写真は「楼門」の正面から見た奥。写っている人は、もちろん僕ではない。

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「楼門」の奥に「本殿」と「権殿」が有る。どちらも国宝だ。下の写真は楼門から見た「本殿」と「権殿」のほうだが、廻廊の一部が写っており、両殿は写っていない。写真に納めるのはちょっとどうかな・・・と思い、何となくひかえておいた。正面に「本殿」と「権殿」が有るのではなく、正面やや右手に「本殿」、左手に「権殿」が有る。

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楼門は通り抜けられないので、脇から回り込んで、廻廊共々、両殿を拝み見てくださいな。

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さて、実際にはこの上賀茂神社が最後で、このあと帰路に着いたのだが、前述のように、先に紹介した次第。
では、ここからが順番通り・・・・。

上賀茂神社の南から東のほうに上賀茂社家エリアが広がっている。

②上賀茂社家の町並みと『西村家別邸』
(京都観光オフィシャルサイト「京都観光Navi」の案内文→ここ

上賀茂神社の東、明神川沿いの道の両側に立派な門を構えた家々が並んでいる。先程の上賀茂神社の「ならの小川」が境外に出ると、この「明神川」に名まえを変える。

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明神川,土塀,門構え・・・等々、雰囲気が有る。
この辺りは上賀茂神社の神官が住んだところで、“社家”と呼ばれている。世襲神職の家筋で、ここ上賀茂神社の社家は賀茂氏ゆかりの人々である。
平安時代の中頃から社家が少しずつ出来始め、室町時代に社家町が形成されたらしい。江戸時代には300軒ほどあったが、維新後に神職世襲制が廃止されて社家も減り、現在は20数軒とのことだ。
昭和63年に国の重要伝統的建造物群保存地区の指定を受け、京都市の景観整備地区にも指定され、京都市指定文化財(名勝)、国の「上賀茂伝統的建造物群保存地区」になっている。

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社家のうち、唯一一般公開している邸宅が有る。錦部(にしごり)家の旧宅で、今の西村家別邸である。

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門を入った隅に駐輪。
奥へと進む。

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入邸料を払い、邸宅の中へ。
奥に進むと・・・。

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目の前に庭園が広がる(庭に降りることはNG)。

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家屋は西村家八代目清三郎が明治の中期から後期にかけて建てたものである。

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床の間に有るノートに“Katze”の名まえで一言書いておいた。

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縁側の庇、軒下等の造りが美しい。

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座敷に座って庭を眺めながら、まったりとしてみる。

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現存する社家の中では最も昔の面影をとどめる庭園とのこと。

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この庭は、1181年(養和元年)上賀茂神社の神主(現在の宮司)藤木重保が作庭したものと推察されている。

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庭内には明神川の水を取り入れ、“曲水の宴”のための小川の水とした後、元の明神川へ返す工夫がされている。

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写真には写っていないが、神事の前の身を清めたつかりの井戸、神山(こうやま)の降臨石を形取った石組などが残されている。

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あらためて邸宅の俯瞰図を載せておこう(下の写真)。

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家屋を出て、裏の奥庭に回り込んでみる。

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こちらの庭は歩ける。

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池には鯉がいますな。

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奥庭を眺める部屋(下の写真)。

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奥庭でもまったりとしたかったのですが、ちょっと虻が多かったので、そそくさと退散しました~(^^ゞ

西村家別邸を出、東へ。

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この社家エリアのメインストリート(上の写真)はクルマの往来が多いので注意。

途中で左折し、程無くして「大田神社」に到着。

③『大田神社』
京都府公式HPの観光案内→ここ)
(京都観光オフィシャルサイト「京都観光Navi」の案内文→ここ

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上の写真の参道の脇の「大田ノ沢」に群生する野生のかきつばたは平安時代から知られるほどで、国の天然記念物。その美しさは藤原俊成の古歌にも詠まれている。古代、沼地であったという池一面に気品ある紫の花を咲かせる。
残念ながら見頃はGWの頃。もうとっくに開花の時期を過ぎており、丁度池の手入れ作業中。上の写真に作業車が写り込んでいるでしょ。なので、スルー。写真も無し。
鳥居(下の写真)をくぐって奥へ。

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参詣道で自転車を押し歩き。

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本殿が見えてきた。

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祭神は天細女命(あまのうずめのみこと)。天照大神が隠れた天岩戸の前で踊った女神だ。それ故、芸事にご利益があると伝わる。ギターがうまくなるかな?(最近弾いていないのに・・・)

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しかしながら、祈願したのはサイクリングの安全。

大田神社を出、東へ。次は庭園が有名な「円通寺」へと向かう。
途中で「深泥池(みどろがいけ,みぞろがいけ)」の横を通過。「深泥池」は氷河期から残る貴重な水生植物が群生しており、多くが天然記念物に指定されている。しかしながら、この「深泥池」は有名な心霊スポット。写真撮影は無し。とっととスルー(;;;´Д`)。
「円通寺」へは府道40号(鞍馬街道)で向かうと勾配25%の激坂の登りが待ち構えている(以前、日本テレビの番組「ザ!鉄腕!ダッシュ!!」で国分太一がやっつけられた坂→ここ)。僕は激坂を避けて別の道から「円通寺」へ・・・(^_^;)。少し迷走したが、やがて「円通寺」の白壁が見えてきた(下の写真)。

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④『円通寺』
(Wikipediaによる説明→ここ
(京都観光オフィシャルサイト「京都観光Navi」の案内文→ここここ

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「円通寺」
臨済宗妙心寺派の仏教寺院。山号は「大悲山」。本尊は聖観音を本尊とする。
正保から慶安年間(1644~1652)に後水尾上皇が長谷・岩倉・幡枝の三カ所に山荘を造営した。その一つの幡枝離宮(幡枝小御所,幡枝茶園とも呼ばれていた)を寺に改めたのが「円通寺」の始まり。1678年(延宝6年)の開山。

門の傍に駐輪し、山門の前へ。

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山門をくぐり中へ。

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参詣道の左脇に句碑が有る。

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柿落葉 踏みてたづねぬ 円通寺     高浜虚子

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奥へ進む。

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拝観料を払って中へ。屋内の写真撮影は禁止。しかし庭園のみ撮影は可(以前は撮影禁止だったと思う)。

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「円通寺」は何と言っても、比叡山を借景とした枯山水の庭園が有名。国の名勝に指定されている。

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庭の杉木立の向こうに比叡山が見える。

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ここは、背後に望む比叡山を借景としており、上皇は最も比叡山の眺望に優れた地を求めて、この幡枝に山荘を設けたといわれている。

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高さ約1.6mの垣根や、その向こうの木々は、周囲の建物を隠し、比叡山のみが見えるようにされているのであろう。京都の借景の庭園にはそういった工夫が多い。

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にもかかわらず近年、円通寺の東の土地が再開発されることになり、近くを通る道も拡張、工事が始まっている。以前は庭園の後背地にあった竹林が切り倒され、宅地造成などが行われている。それを知らずに、実は円通寺に来る際にその道を通ってきたし、その工事現場の誘導員に「円通寺」の道を尋ねたりして・・・皮肉だな。中でも問題なのは、高層の建物が建つ予定が決定されており、この垣根の向こうに飛び出し、比叡山の左下半分を隠すような感じらしい。垣根の高さだけではどうにも対応できない高さのようだ。そうなると、この美しい借景庭園も台無しにされ、今の眺めはもうすぐ見られなくなるだろう。かつて写真撮影が禁止だったのに、2002年10月12日より撮影が許されるようになった。この借景を少しでも多く、広く、写真でも良いから残しておいてもらいたいとの願いかららしい。
円通寺の例にもれず、高層マンション建築など急速に進む都市開発は、貴重な借景を壊してしまう懸念材料になると危惧されるため、2007年9月1日より京都市は円通寺庭園など借景を保護するための眺望条例(正式名称は「京都市眺望景観創生条例」)を制定した。円通寺は同条例の対象地となり、周辺区域では高さだけでなく、屋根の形式なども制限されている。
しかしまだ違反は罰金50万円で済むということで不安は消えていないらしい。今しか見られるチャンスは無いかも知れない。目に焼き付けておきましょっか・・・。写真に残しておきましょっか・・・。

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今は庭の苔の殆どが茶色だが、緑色になる時期も有る。そうなると見事だろう。

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大小40余りの庭石は上皇となった後水尾天皇が自ら配したといわれる。

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円通は、特に紅葉の名所として有名で、下の写真の木々の葉も秋になれば紅葉するであろう。

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秋だけでなく、春(椿・キリシマツツジ・サツキ)、夏(サルスベリ・蓮)、秋(サザンカ・キンモクセイ)、冬(南天・千両・ロウバイ)四季を通じて草花が楽しめる。

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さて、円通寺の庭園で目を癒した後は、「宝が池公園」に向かう。
またまたちょっと迷走したが、到着。

⑤『宝が池公園』
(京都観光オフィシャルサイト「京都観光Navi」の案内文→ここ

公園の北口から入る。

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菖蒲園(下の写真)の前で休憩&補給食タイム。

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池の周りに遊歩道が有る。ノンビリとポタしよう。

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宝が池は江戸時代に農業用のため池として作られた人工池。それを市民の憩いの場として利用するために宝ヶ池公園が作られた。比叡山と国立京都国際会館を借景として楽しむ遊歩道とボート遊びが出来る本体部と、山を越えて市営地下鉄松ヶ崎駅側にある運動公園、子供向けの遊戯施設がある「こどもの楽園」と、本体部とこどもの楽園を結ぶ「いこいの森」部分から成り立つ。
四季を通じて花の名所であるように設計されており、特に春の桜の時期は非常に混雑する。野鳥観察の施設もあり京都市内とは思えないほど自然に溢れている。また、池の周囲の遊歩道では近辺の市立小中学校のマラソン大会が恒例行事になっているなど、ジョギングをする者も少なくない。

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比叡山が良く見える。ここも借景と言えるな~。

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京都の憩いの穴場と言われているだけに、いい雰囲気だ。

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鯉を発見。

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なんか、こういうの良い。

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山の中のキツイ峠を登ったりするサイクリングもするが、こうしたゆる~~いポタリングっていうのもいいな。ハマりそ~~。

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池にはボートでも繰り出せるそうですぞ。

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比叡山はまだまだ良く見える位置に有る。

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あひる~~。

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鴨~~~。

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彫刻だ。

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この像は「エスタンピーダ」という名前。京都市とグアテハラ市(メキシコ)が姉妹都市提携10周年記念として、1990年10月に寄贈されたものだそうだ。

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作者はホルヘ・デ・ラ・ペーニャ。

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三頭の馬が彫られている。

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遊歩道はまだまだ続く。

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お・・・。

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鴨軍団。

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日向ぼっこ&毛繕い。

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穏やかな表情ですな。

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その横に亀軍団。

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甲羅干しか(*^-^)

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鴨と亀の日向ぼっこですな。

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なんか、ここホントいいわ~~。こういうサイクリングも良いな。

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どういうサイクリングが正解で、どういうサイクリングが不正解と言うことは無い。どういうサイクリングが優れていて、どういうサイクリングが劣るということも無い。その時の気分によって、やりたいサイクリングのスタイルを変える。仕事でも義務でもないのだから、自分のやりたいスタイルで自転車に乗れば良いのさ。

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半周以上は過ぎた筈だ・・・。

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京都国際会館の前辺り(下の写真)。写真を移している方角の背後が国際会館。

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穏やかな池だ。地元なら夕暮れに訪れても良いかも。

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もう間も無く一周しちゃう。

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まだ、ここでマッタリとしたい位だが、京都市在住ではなく、これからまだ色々と寄って、帰る時間も考えると、一周して終わりだ・・・。

公園から出て、国際会館の前の道を通り、宝が池通りに出る。
地下鉄烏丸線の国際会館駅地上出入口の一つの傍に岩倉川が流れている(下の写真)。

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左岸の遊歩道を進む。歩行者に注意。

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遊歩道はすぐに途切れる。そのあとは川沿いの一般道を通り、「実相院」方面に向かう。
途中、岩倉川と少し離れたりもするが、概ね岩倉川沿いに進む。

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静かなクルマの少ない小道だ。

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市内の小さな川ながら水も綺麗そうだ。

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左岸を走ったり、右岸を走ったりしながら北へ。

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殆ど地元民しか通らないような、いい感じの道が続く。

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程無くして岩倉川を左折して離れ、「実相院」に到着。

⑥『実相院』
(公式HP→ここ

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自転車を門の外の駐輪場所に駐輪。再度、山門へ向かう。

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「実相院」
元天台宗の寺門派の単立寺院。
本尊は鎌倉時代に作られたと伝えられる木造立像の不動明王。
実相院は門跡寺院であり、昔から「岩倉門跡」とか「岩倉御殿」とも呼ばれている。門跡寺院とはその寺院の住職を天皇家の血を引く方々が務められていた寺院のことで、代々皇室から大きな支援を受けて栄えていた。特に室町時代から江戸時代にかけては、天台宗寺門派では数少ない門跡寺院の随一とされていた。

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門跡寺院となったのは、静基(じょうき)僧正が開山された、1229年(寛喜元年)のことで、そのころは北区の紫野に有った。その後、京都御所の近くに移り、ここ岩倉に移ったのは応仁の乱の戦火を逃れるためであったと言われている。
その後、義周(ぎしゅう)法親王が門跡となり、京都御所から大宮御所「承秋門院(じょうしゅうもんいん)の旧宮殿」の一部が下賜された。 それらが、正面の門「四脚門」、玄関横の「御車寄」、中の建物「客殿」で、 当時はそこで格式高い家柄の人々が集い、和歌の会や、お茶会などを開いていた。また、岩倉具視もここを借りていて住んでいたり、池の前の部屋で密談をした様子などが 記された日記もたくさん残っている。その他にも幕末の倒幕・佐幕両派と繋がりがあったと言われている。

庫裏から堂内へ。庭園以外、堂内は撮影禁止。三脚やビデオカメラも禁止。

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屋内、上段の間など各室には江戸時代中期に活躍した狩野永敬はじめ狩野派の襖絵がめぐらされている。どれも見事だ。勿論、写真は無し。公式HPに少し載っています。まっ・・・、実際に行って、生で見てくださいな。
庭園は写真撮影可。

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美しい石庭だ。

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石庭の反対側に池泉回遊式庭園も有る。庭に降りることは禁止。

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こちらも美しい庭だ。

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下の写真を見ると、ここは紅葉時期に訪れると見事だろうと思われる。

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ちなみに、この緑が綺麗に磨かれた床に写ると“床みどり”と呼ばれている、とても綺麗な屋内と屋外の共演となる。紅葉で有れば“床もみじ”と呼ばれる。それらは写真撮影禁止。実際に行って、生で見てくださいな。
総じて、見応えの有る寺院だ。

実相院を出、次はすぐ近くに有る「岩倉具視幽棲旧宅」に行ったのだが、改装中で、資料館しか観られないとのこと。なので、今回はスルー。ちなみにそこには、岩倉具視が1862年(文久2年)から5年間隠れ住んだ。坂本龍馬,木戸孝允,大久保利通らも出入りしたという。ここ最近の大河ドラマでは、岩倉具視はクセの有るちょっと嫌な奴っぽく演じられているが、実際はそれなりの人であろう。今回の大河ドラマではどうかな~?

さてさて、「実相院」を後にし、一旦、岩倉川沿いに宝が池方面に戻る。

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途中の「十王堂橋」で府道105号に入り、「三宅八幡宮」方面へ向かう。その途上は交通量もそこそこ多く、路線バスも通る道。その割に道幅はそれ程広くないので、フラフラ走っていると危ない。しっかりとレフトキープで・・・。バス路線沿いに走り、バス停「八幡前」で左折。小道に入る。
すると「三宅八幡宮」に到着。

⑦『三宅八幡宮』
(公式HP→ここ

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「三宅八幡宮」
祭神:第15代天皇 応神天皇(八幡大神)
御利益:子供の守り神として、「かん虫封じ」「子供の病気平癒」「夜なき」「学業成就」のご利益で知られている。他にも、虫退治の神様 として「害虫駆除」 などの御利益で知られ、通称 「虫八幡さん」(むしはちまん)とも呼ばれて親しまれている。
由緒:
社伝によると、推古天皇の時代(6~7世紀)、聖徳太子の命により小野妹子が遣隋使として隋におもむこうとした折に、道中、築紫の辺りで病気になったところ、近くにあった宇佐八幡宮に祈願するとまたたくまに全快し、随に渡った後も、数々の危難を免れ、無事帰国することができた。聖徳太子の没後、上高野の地に移り住んだ小野妹子はその時の恩に報いるため、宇佐八幡宮を勧請し、八幡神をお祭りしたと伝えられている。後に、南朝の忠臣であった、「備後三郎三宅高徳」がこの地に移り住んで大神を崇敬したことから、いつしか「三宅八幡宮」と称するようになったといわれている。
応仁の乱の戦火によって全焼したが、数十年後に里人たちによって復旧され、明治時代に入ってから拝殿(明治2年)、本殿(明治20年)が再建された。
皇室との深い関わりもあるといわれている。明治天皇が幼い頃に重い病を罹い、三宅八幡宮に祈祷が命ざれたそうだ。そしてその祈祷の効あって、天皇の病が治ったといわれている。
公式HPより)

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最初の鳥居をくぐり、参詣道を自転車を押し歩く。

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次の鳥居の前で自転車は隅に駐輪。
中へ。

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「拝殿」(下の写真)

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「本殿」(下の写真)

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写真は無いが、山水を引いた池や噴水、水車小屋なども有る。鳩が境内にいたり・・・。結構隠れ家的な癒しスポットかも知れない。近所の親子連れだろうか、遊んでいた。
そう言えば、以前ここを訪れた際に、持っていたお菓子を鳩に上げたら、どこからかどんどん集まってきて、囲まれてしまったことを思い出した。腕に止まられたりもして・・・(^_^;)

さて、「三宅八幡宮」をあとにし、次は「蓮華寺」へ。
民家の間の小路を抜け、一旦国道367号(いわゆる現在の「鯖街道」的な国道)に出、ちょっとだけ八瀬方面へ・・・。ところが「蓮華寺」の場所をスルーして八瀬遊園前辺りに行ってしまい、引き返す。

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で、引き返してくると・・・。
国道の脇道に「蓮華寺」へ通じる小道を発見(下の写真)。「蓮華寺」も勿論一度訪れたことが有るのだが、その時は歩きだったので、逆に発見し易かった。国道の歩道の隅に下の写真のような案内板が立っているしね。今回は自転車だったので、車道走行をしていて見落としたよ。上の写真は、この案内板が有る辺りの国道367号・・・ロードバイクなら、そのまま大原のほうへ行っちゃうでしょ?(流石にこのまま大原まで小径車で行こうとは思わないけど。)

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小道を通って奥へ。

⑧『蓮華寺』
(Wikipediaによる説明→ここ
(京都観光オフィシャルサイト「京都観光Navi」の案内文→ここここ

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上の写真を撮る直前、自転車を石段にセットしていたら、デジカメを腰の辺りの高さから落としてしまった。何と、液晶パネルの角に1cm位のヒビ!Σ(゚д゚;) CanonのPowerShot G10が~~~(;ω;) 撮影機能は大丈夫そうなので、とりあえず観光を再開。
自転車を山門の外の隅に駐輪。半分ブルーな気持ちのまま、山門をくぐって奥へ。

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石畳の周りはグリーン。僕の心の中はブルー・・・。あぁ・・・カメラ・・・液晶・・・。

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「蓮華寺」
天台宗の寺院。山号は帰命山(きみょうざん)。本尊は釈迦如来。
近世初期に造営された池泉鑑賞式庭園によって知られる。
元々は今の京都駅付近に浄土宗系の寺として創建。後に荒廃していたのを、1662年(寛文2年)に加賀藩の老臣今枝民部近義が現在の地へ再建。この時に石川丈山,狩野探幽,木下順庵,隠元禅師ら当代一流の文化人が協力したとのこと。
近義による再建に際して、実蔵坊実俊(じつぞうぼうじっしゅん)という比叡山延暦寺の僧が開山として招かれたことから、比叡山延暦寺を本山とし、延暦寺実蔵坊の末寺のひとつとして天台宗に属する寺院となった。また、現在の寺号は、境内地がかつて同名の廃寺の跡地であったことに由来する。

中へ。
書院に入る。

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趣きの有る書院だ。

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その前に庭園。

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ここの池泉回遊式庭園は「詩仙堂」の石川丈山が築いた。

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上の写真、池の中央やや右手に有るのが「舟石(ふないし)」。舟石を置く庭園は稀少であるが、とりわけ蓮華寺の舟石は入舟の形をしている点でさらに珍しいものとなっている。舟石を置く庭園の殆どでは、出舟の形があしらわれている。出舟とは、向こう岸に理想郷(浄土)を見出し、彼岸を想念させるものである。それに対し、入舟は浄土を此岸に見出す思想を表すものである。
池の左には「亀島」と「鶴石」が有る。大ぶりな岩石で組まれた「亀島」には、唐人帽丸形と呼ばれる石灯籠が据えられ、石橋で岸と繋げられている。その側面によりそうように立てられた立石によって鶴の姿が表すのが、「鶴石」である。

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庭園の中の通路を通った向こうに「本堂」が有る(下の写真)。
下の写真のほうが、「舟石」が入舟で有ることが分かり易いでしょ?

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「本堂」内部は写真撮影不可。ちなみに本堂と書院を結ぶ通路上でも撮影不可。

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本堂外から池を撮影。

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下の写真は本堂の裏手・・・と言っても、本堂としては正面から見える風景。書院の見える側面とは反対側が本堂の正面だ。

20100609ride_143

上の写真を見ていると、ここも紅葉の時期には更に美しそうだな。

さて、時刻は15:20頃。「蓮華寺」をあとにし、概ねここまで来た道を辿って「上賀茂神社」に向かう。初めに述べたように、実際は最後に「上賀茂神社」に寄ったのだが(時刻は16:00頃)、記事では順番を変えさせてもらった。
「上賀茂神社」を出、賀茂川左岸の河川敷に降り立つ(下の写真)。

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下流に向かってポタリングにうってつけの道が続いている。実はここは既走。ある山サイの帰り道で使った。

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ここを南下し、鴨川沿いから桂川沿いのサイクリングロードに戻っても良いのだが、すぐ南の「上賀茂橋」で右岸に渡り、その後は堀川通に戻る。あとは、来た道をそのまま逆に辿り、桂川沿いの嵐山八幡サイクリングロードへ。その後も、嵐山八幡サイクリングロード→天王山大橋→桂川・淀川右岸河川敷・土手と進み、大阪市内へ。
19:40に無事に帰宅。

こうして、京都洛北のポタリングを終えたわけだが、たまに京都ポタリングをするのも良いな。大阪市内から自走すれば往復100km位にはなるが、フラットなので疲れず、距離だけ稼いで観光も出来る。特にしっかりと計画を立てなくても、それなりに充実した観光ポタリングになる。
洛北は、更に北の鞍馬寺や貴船方面、洛東の東山エリアとの境目付近の寺社等々、まだ回るべき所が色々有るので、いずれまた自転車で回ってみよう。それらは10年くらい前に徒歩では回り切っているが、自転車では初めてだし、久しぶりなのでまた新鮮に感じる筈だ。
そういうわけで、梅雨の前の平日の京都洛北ポタリング・・・、満足でした。
・・・あっ、デジカメを落として液晶パネルにヒビを入れる悲しい出来事は有りましたがね(この記事を投稿した現在、メーカーで液晶パネルを交換・修理してもらい、復活┐(´д`)┌ヤレヤレ)
 

コース概略/自宅→淀川右岸土手・河川敷→桂川右岸河川敷→桂川河川公園→小泉川右岸土手→国道171→国道478→天王山大橋→嵐山八幡サイクリングロード→葛野西通交差点→国道9→五条堀川交差点→府道38(堀川通)→御薗橋→上賀茂神社(通過)→府道103→西村家別邸→府道103→大田神社→府道103→深泥池→円通寺→宝池通→宝が池公園→国際会館前→岩倉川沿い→府道105→実相院→岩倉川沿い→十王堂橋→府道105→三宅八幡宮→国道367→蓮華寺→国道367→府道105→十王堂橋→岩倉川沿い→国際会館前→宝が池公園北口→宝池通→府道40→府道103→賀茂川左岸河川敷→府道38(堀川通)→五条堀川交差点→国道9→葛野西通交差点→嵐山八幡サイクリングロード→天王山大橋→国道478→国道171→小泉川右岸土手→桂川河川公園→桂川右岸河川敷→淀川右岸土手・河川敷→自宅

走行距離/133.52km
走行時間/8hr31min
平均速度/15.67km/hr
最高速度/37.81km/hr
Small Bike積算距離/1550km
全Bike積算距離/18768km

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Comments

しっとりポタリング、いいですねー(^◇^)
京都は歴史があるしその趣きも好きです。
宝ヶ池。。。またしても若かりし日を思い出してしまいまして(;´▽`)  よくデートで行ったなぁ(遠い遠い目。。。)
カメラ、落とさないように気をつけます(・∩・)
無事復活して良かったですね(^◇^)

« 投稿: あさたろう  2010年6月27日 (日) 20時04分

あさたろうさん>
宝ヶ池は観光客が少ないので、そういう風に使えそうですね。

直ったから良かったですけど、僕みたいにカメラを落とさないよ~に。
デジイチは高価ですしね。

« 投稿: Katze  2010年6月27日 (日) 21時06分

京都の神社や寺、町並みなどっていいですよね。好きです。
庭がまた素晴らしいです!
私も生きてるうちに一度は観光したいな(^^*)
公園に鯉だけじゃなくアヒル、鴨、更に亀までいるなんて驚き!

デジカメ落としてヒビはいったのはショッキングでしたね。
私のデジカメも見てみたらCanonでした。
落とさないように注意しなくてはっ

« 投稿: MariRose  2010年6月28日 (月) 11時15分

MariRoseさん>
京都は四季のいつ来ても楽しめますから、機会が出来た時に是非お越しやす~。

デジカメの落下にご注意を。
万が一の時にでもCanonのサービスセンターはなかなか対応が良いですけどね~。

« 投稿: Katze  2010年6月28日 (月) 20時45分

デジイチ、売ってしまいました(`□´) 重いとか荷物になるとかで持って出たのはたったの1度。。。とうてい使いこなせない!と言う妙な自信があったので。その代わりと言ってはなんですが。。。一眼カメラに買い替えました。とても使いやすく今ルンルンです。
財布はすでに秋模様。。。(T△T)
いいカメラを持てばいい写真が撮れるわけではない、と実感しました(T△T)

« 投稿: あさたろう  2010年6月29日 (火) 21時40分

あさたろうさん>
使いやすい方がいいですね。
その方がたくさん使って、結局お得。

« 投稿: Katze  2010年6月29日 (火) 23時52分

 






 

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