« 所有ギター | Top Page安芸竹原・小京都ポタリング 2011.04.09 »

2011年5月 5日 (木)

平福宿~大原宿・武蔵の里ポタリング 2011.04.02

年月日/2011年4月2日

バイク/GLOBE (SPECIALIZED) Small Bike

目的/因幡街道沿いに有る平福宿と大原宿、その間に位置する宮本武蔵の生誕伝承地を訪ねる。

ポイント/大阪との往復輪行に加え、平福から宮本武蔵への移動でも輪行を入れる。

内容/
この日もスギ花粉飛散まっただ中の“省エネお気楽小径車 with マスク”のポタリングというわけで(このポタリングは4月2日で(^^ゞ・・・投稿した今は勿論スギ花粉の飛散時期は終わっている)、以前からあたためていた計画、兵庫県佐用町と岡山県美作市の県境付近に位置する因幡街道のかつての宿場町の平福宿~大原宿をポタリングすることにする。

「因幡街道」

因幡街道(いなばかいどう)は、江戸時代に整備された脇街道の一つで、播磨国姫路(兵庫県姫路市)を始点として、因幡国鳥取(鳥取県鳥取市)に至る路線である。
現在の国道2号、国道29号、国道179号、国道373号、兵庫県道724号姫路新宮線に“ほぼ”対応している。

姫路(兵庫県姫路市)
↓↑
1.飾西宿(兵庫県姫路市)
2.觜崎宿(兵庫県たつの市)
3.千本宿(兵庫県たつの市)
4.三日月宿(兵庫県佐用郡佐用町)
5.平福宿(兵庫県佐用郡佐用町)
6.大原宿(岡山県美作市)
7.坂根宿(岡山県美作市)
8.駒帰宿(鳥取県八頭郡智頭町)
9.智頭宿(鳥取県八頭郡智頭町)
10.用瀬宿(鳥取県鳥取市)
11.河原宿(鳥取県鳥取市)
↓↓
鳥取(鳥取県鳥取市)

Wikipediaより)

下の地図はおおよその場所を示したものである。
この界隈は因幡街道のかつての宿場町というよりも、宮本武蔵の生誕地としてよく知られているのではなかろうか。その武蔵の生誕地は平福宿と大原宿の中間に位置する岡山県側の美作市に有る。今回はこの二つの宿場町の風景を楽しみつつ、武蔵関連のスポットを巡ろうという計画だ。

Small_map_20110402_1

予定の行程は、智頭急行・平福駅から出発して平福の観光→武蔵の里の観光→大原宿の観光→智頭急行・大原駅でゴールというもの。
ただし今回は平福から武蔵の里への移動はあえて輪行をする。別に走れない距離ではない(てか、近い)。サイクリングの途中で輪行を入れるパターンは初めてで、ただ単に一度やりたかっただけ。折り畳み小径車だと輪行袋へのパッキングや組み立てが簡単で早いというのも有る(ロードバイクだったらこういうことはしないな・・・近過ぎるし)。
尚、武蔵の里から大原宿へは走って向かう予定。

ところで、花粉症を心配しているのに何故スギ花粉が猛烈に飛び回っている“スギ花粉の源”のような山間部にわざわざ行くのか?・・・自殺行為ではないのか?・・・マスクまでして・・・と思われるでしょう。完全に矛盾しているが・・・まぁ、そこはつっこまないでくださいな。行きたいものは行きたい・・・というか、なんというか・・・(^^ゞ

自転車は勿論折り畳み小径車のGLOBE (SPECIALIZED)。

自宅を4:50に出発。
最寄りの駅まで走り、そこで自転車を輪行袋にパッキング。
幾つかの路線を乗り継いで新大阪駅に到着。

20110402ride_1

あとは、以下のようにして平福駅へ・・・。

新大阪
|  こだま731号(博多行)
|  06:05-06:49[44分]
|  (上の写真)
相生
|  山陽本線(岡山行)
|  06:55-07:07[12分]
上郡
|  智頭急行(大原行)
|  07:14-07:55[41分]
|  (下の写真の左上)
平福

無人駅の平福駅に到着(下の写真の右上)。
降りたのは僕だけ。てか、平福駅まで乗ってきたのは僕だけ。降りる際に運転手のおじさんから「それ自転車でしょ。どこまで走るの?」って聞かれ、「平福から宮本武蔵を通って大原までです。」と答える。平福→宮本武蔵は輪行だけど・・・テキトーに答える(^^ゞ

20110402ride_2

乗ってきた車両は対向車輛通過待ちのため、停車中(上の写真の下段)。良い感じのローカルな車輛でしょ?
ホームから、江戸時代の雰囲気の漂う回廊風の通路(下の写真)を通って駅舎へ・・・。

20110402ride_3

駅舎の前の広い敷地で自転車を組み立てる。

組み立て終え、8:05に平福の観光をスタート。
・・・の前に、平福駅から既に観光は始まっている。

20110402ride_4

智頭急行自体の歴史が新しいので駅舎もまだ新しい。江戸時代の屋敷風だな(上の写真)。
平福も宮本武蔵所縁の地なので、下の写真のような記念撮影用の顔抜きパネルが~~。

20110402ride_5

ところで、僕のサイクリング記事を丁寧に読んでくださっている方だったら、なんとなく見たことが有るような写真だと思われるだろう。そう、昨年の「ちくさ高原サイクリング 2010.10.11」でここ平福駅をスタート地点にしている。あの時はロードバイクで目的地はちくさ高原だったから、平福宿の観光はパスした。過去記事「ちくさ高原サイクリング 2010.10.11」で、

・・・平福宿にはまた別の機会でポタリング・コースとして訪れるプランが有るからだ。今ここで紹介すると勿体無い。また、この裏道のような道沿いの風景もなかなか雰囲気が有るのだが、それも同じ理由で、ここで紹介することはパス。勿論平福宿の他の観光スポットも全てスルー。いずれの機会でじっくりと紹介したいと思う。

と書いたが、その機会というのがまさに今日。

20110402ride_6

駅前から見る平福の風景。

20110402ride_7

駅のすぐ前は田園だが、佐用川を挟んだその向こうに家々が建ち並んでいる。
あの辺りが因幡街道だ。

20110402ride_8

朝早くて静かです。

20110402ride_9

駅前の京橋を渡って佐用川の右岸へ(下の写真)。

20110402ride_10

橋からの佐用川の眺め。南(下流)の方角(下の写真)。

20110402ride_11

そして北(上流)の方角(下の写真)。

20110402ride_12

右岸沿いに家が建ち並び、その川岸に細い道が有るのが見えるだろう。

20110402ride_13

川に沿ってずっと続いている。

20110402ride_14

これが平福の有名な川端風景だ。

20110402ride_15

あとでここを走る予定。

20110402ride_16

その前に京橋を渡って・・・。渡り終えたすぐ右手に大きな提灯のオブジェが有る(下の写真)。

20110402ride_17

ちなみに上の写真の向こうに見えているのが、道の駅「宿場町ひらふく」で、国道373号が通っている。
平福宿界隈の因幡街道は国道373号と佐用川の間を並行して南北に通っている。平福宿のポタリングは、そのかつての因幡街道や先程の川端の道を通って巡るつもり。

20110402ride_18

「平福について」

室町時代は赤松氏の拠点で、江戸時代初期に築かれた利神城の城下町を起源とする。 一国一城令による利神城廃城のため城下町としての歴史は短かったが、陣屋や鳥取藩本陣が置かれる因幡街道最大の宿場町として発展した。また高瀬舟が坂越から千種川を遡って支流の佐用川の当地へ海産物などを運び入れたことで商業が隆盛、その1.2kmの区域の300戸余りの家の約8割に屋号がつく商人の町となった。
昭和初期まで出雲街道・因幡街道および佐用の中心として繁栄していたが、鉄道が敷設されなかったため衰退しその地位を失った(1994年に漸く智頭急行が開通し平福駅が設置された)。 往時の面影を伝える旧街道沿いにある連子窓と千本格子を持つ古い家並みと水運で賑わった佐用川沿いの石垣上の川座敷と土蔵群は、1983年に制定された佐用町歴史的環境保存条例の保存区域の指定を受けている。
Wikipediaより)

下の地図は、上の写真の巨大提灯の下に有る観光案内用に掲示されているもの(クリックすると拡大された地図として別ウィンドウで開くので以降の文の位置確認用としてどうぞ~)。

20110402ride_19map

巨大提灯の建っている敷地が「本陣跡」だ(下の写真)。

20110402ride_20

因幡街道沿いの門から入ってみよう(下の写真)。

20110402ride_21

『本陣跡』

20110402ride_22

「本陣跡」

鳥取池田藩の本陣跡、加古郡神吉城の落城により神吉頼定の子、宗臣(当時8歳)が再興を願って平福に来た。関ヶ原の戦いに参加しての帰国後、ここを本陣として大年寄になった。
現在は素盞鳴神社の“お旅所”になっている。
中溝を隔てて700坪余りの広大なものであったといわれているが、一角に残る老松がその広さを物語っている。
(観光ガイドマップより)

20110402ride_23

老松とは、上の写真の左手の松のことかな?

20110402ride_24

20110402ride_25

「本陣跡」を出て、因幡街道を先ずは南へ・・・(下の写真)。

20110402ride_26

国道のクルマの量とエンジン音とはうって変わって静か。地元の方のクルマがたまに通る位。

20110402ride_27

如何にもな古民家が見られる。

20110402ride_28

ふと立ち寄った観光案内所らしい所(下の写真)。京橋のすぐ南側に有る。

20110402ride_29

写真を撮っているとおじさんが現れ、平福のことについて語り始めた。地元のボランティア・ガイドのような人かな??写真や地図を使って見所を一生懸命なくらいに説明してくださるので、ありがたい。色々と参考になる。ガイドマップとかも頂く。ただ・・・9:55の列車で輪行する予定なので(それを逃すと次の電車は11:00台)、僕のちょっと焦り始めているのが伝わったのか、「まぁ、急いでいるみたいだけど・・・色々見て回ってな・・・。」と言われてしまった(スイマセ~~ン)(^^ゞ
で・・・おじさんと別れて街道を南へ・・・。

20110402ride_30

程無くして適当な所で先程京橋から見た川端の道へ降りてみる。
家の間の小路に入る(下の写真)。

20110402ride_31

自転車を担いで階段を降り、川辺に立つ(下の写真)。

20110402ride_32

おぉ・・・いい雰囲気だ。

20110402ride_33

佐用川も綺麗だ。

20110402ride_34

近年の暴風雨で川が増水して佐用町を苦しめたことも有ったが、今は穏やかで澄んだ流れだ。

20110402ride_35

左岸側の山の斜面に「利神城跡」という案内板が見える(下の写真)(利神城についてはまた後ほど触れる)。

20110402ride_36

南の下流の方角へ少し進む。
途中の天神橋へ一旦上がってみよう(下の写真)。川端風景がやや上から近い目線で見られる。

20110402ride_37

「川端風景」

平福は、慶長・元和年間(1596~1623)に城下町として現在の町並みが形成されたが、わずか30年でその用を終えた。その後、経済的・文化的な繁栄に伴い、因幡街道有数の宿場町として生まれ変わった。歴史の流れに従いその役割も終え、今は清閑なたたずまいのなかにその面影を残している。
連子窓や格子戸の家並みは勿論、佐用川沿いの石垣に並ぶ川座敷、土蔵群は平福ならではの景観として特に有名である。
(観光ガイドマップより)

篠田正浩監督、郷ひろみ主演の『鑓の権三』のロケ地にもなった。

20110402ride_38

土蔵の雰囲気が良いね~~。
平福宿の端まで続いているようだ(下の写真)。

20110402ride_39

反対の方角も同じように・・・。

20110402ride_40

あちらも平福宿の北端まで続いているようだ。

20110402ride_41

天神橋から降り、再び川辺の道を進む。

20110402ride_42

静かで・・・そして良い景観だ。

20110402ride_43

特に土蔵界隈が良い。

20110402ride_44

色が良いよね。

20110402ride_45

瓦が見えなかったら、ヨーロッパ的な雰囲気だと、どなたかがネットで書かれていたような・・・。確かに。

20110402ride_46

自転車でも良いが、散策のほうがもっと良いかも。

20110402ride_47

石がきっちりと積まれている。

20110402ride_48

なんか似たようなショットが載っていますが・・・(^^ゞ
それだけ気に入ったということです。

20110402ride_49

引き続き下流へ・・・。
静かな休日の朝の日の光を浴びながら進む。

20110402ride_50

一応乗って進んでいるが、途中で幅の広い溝が度々有ったりするので要注意。それから、生活道路でもあるので(洗濯物が干してある所も有ったり・・・)、住んでいる方が急に飛び出してくることも有るだろうから、要注意。住んでいる方の迷惑にならないように静かにね・・・静かに・・・。
平福宿の南端に位置する「金倉橋」のやや手前で川辺の道の南端になる。ここで上の因幡街道に上がる。因幡街道をちょっと南下すると「金倉橋」の前に着く(下の写真の左手の橋が「金倉橋」)。

20110402ride_51

「金倉橋」から見る下流側の風景(下の写真)。

20110402ride_52

上流側の風景(下の写真)。下の写真の左側の岸が川辺の道が有った所だが、金倉橋のやや手前で切れていることが分かるだろう。

20110402ride_53

この「金倉橋」の右岸側に「宮本武蔵初決闘の場」と「六地蔵刑場跡」が有る(下の写真)。
「宮本武蔵初決闘の場」の石碑が置かれている(下の写真)。

『宮本武蔵初決闘の場』

20110402ride_54

「宮本武蔵決闘の場」

剣豪武蔵は、天正12年(1584)に母・於政(おまさ)と死別、その後、父・無二斎(むにさい)が、利神城主・別所林治(しげはる)の娘よし子を後妻に迎えたので、武蔵はこの義母に育てられた。武蔵7歳の時、父が死去、義母は武蔵を残し平福に帰り、田住政久(たずみまさひさ)の後妻になった。武蔵は、義母の後を追い、その叔父正蓮庵の道林坊にあずけられ、薫陶をうけ、道林坊の弟。長九郎に武芸を学んだ。
武蔵13歳の時、「何人なりとも望みしだい手合せいたすべし。われこそ無双兵法者なり」という、新当流の達人・有馬喜兵衛の高札を見て、ここ金倉橋のたもとで初勝負をいどみ、一刀のもとに倒したといわれる(五輪書序文にこれを述べている)。
(案内板より)

20110402ride_55

あの辺りでやったのかな?(下の写真)。

20110402ride_56

そのすぐ傍らに六体の地蔵が有る(下の写真)。

『金倉の六地蔵』

20110402ride_57

「金倉の六地蔵(かなくらのろくじぞう)」
[佐用町指定文化財]

ここ金倉橋西の一帯は、平福町並みの南端に位置し松原と呼ばれており、江戸時代、平福藩刑場跡としてつたえられていることから、この六地蔵の、その供養のために建てられてと考えることも出来る。
この路傍に立つ六地蔵は、所々欠けてはいるが、気品のある美しさを漂わせる丸彫りの立像別石地蔵である。同所に元禄9年(1696)に建てられた南無阿弥陀仏の念仏碑があることから、同時期のものと想像される。
(案内板より)

20110402ride_58

みんな表情が違う。残念ながら顔が取れてしまっている像も有る。

20110402ride_59

ここが刑場だったとは思わせないような穏やかな佇まい。

20110402ride_60

傍に墓がたくさん有るのだが、出来るだけ写真に写りこまないように撮影・・・。何となくね・・・(^_^;)

20110402ride_61

ちゃんと花が供えられている。地元の方が頻繁に供えられているのでしょう。

20110402ride_62

先程のガイドのおじさんといい、こういった供花といい、地元の方がこの町を強く想っていることがうかがえますな。

20110402ride_63

では、ここ平福宿の南端で折り返して今度は北端へ・・・。

20110402ride_64

今度は因幡街道で北上。

20110402ride_65

連子窓、出格子、袖壁、虫籠窓の雰囲気が如何にもな感じ。城下町、そして宿場町として栄えた当時の雰囲気が伝わってくる。

20110402ride_66

途中で一旦国道373号へ移ってみる(下の写真)。道の駅「宿場町ひらふく」のすぐ傍だ。

20110402ride_67

道の駅の隣、国道373号沿いに「陣屋門・代官所跡」が有るからだ(下の写真)。

『陣屋門・代官所跡』

国道沿いの階段を登った所に有る(下の写真)。

20110402ride_68

「陣屋門・代官所跡」

江戸時代、小藩の城や代官所を陣屋と呼んだ。
平福は利神城廃城後、松平氏5千石の旗本領で代官支配となった。
今の陣屋門は、元治元年(1864年)に代官・佐々木平八郎が建築した。
(観光ガイドマップより)

門は閉まっていて中を見ることは出来ない(下の写真)。

20110402ride_69

門の前まで行ったがそのまま降りてきて、再び因幡街道へ・・・。
最初の「本陣跡」を通り過ぎ、少し北上する。

20110402ride_70

左手に「旧田住邸」が有る(上と下の写真)。

『旧田住邸』

20110402ride_71

「旧田住邸跡」
(現・俊藤邸)

田住家は利神城を退いて帰農した豪家で、江戸時代を通じて、大庄屋、代官を勤めた。宮本武蔵の母が大原平田家から平福へ帰り再嫁したことから、幼少時の武蔵は当家で養育されたと伝えられ、田住系図には達磨図を描き今に伝えると記されている。
江戸時代の田住邸は、北新町に所在していたが、明治時代初期当地に移り田住邸となったものである。本邸は、元本陣神吉氏の下屋敷として、本陣別邸であったと考えられている。
付属の庭園が作られた時期は時代背景や作庭の手法などから江戸時代初期と考えられている。
特徴としては、書院からの観賞を主題とした、池泉観賞式庭園となっている。南東部に枯れ瀧を配して重点的石組を形成し、中央出島を蓬莱山として、橋は石橋を二橋、木橋を一橋架け、出島を配するという構成である。比較的立ち石の多い石組みで、見応えのある豪壮な庭園である。

門の前で撮影をしていたら、庭を掃除していた現在の住人のおばさんが、「どうぞ中へ入って見ていってください。」と誘ってくださる。事前のネット調査では、ここは基本的に見学出来ないとのことだったので、ラッキー。お言葉に甘えて庭を見学。

20110402ride_72

なるほど・・・説明文通りだ。

20110402ride_73

20110402ride_74

下の写真は書院側からみた池の眺め。書院側から見るのが一番良い雰囲気かも。

20110402ride_75

おばさんが「ここから利神城跡が見えるわよ。」と・・・。
佐用川の対岸の山の方角、指し示される方角を見ると、山頂らしき所に何か平らな盛り土のような場所が見える(下の写真)。

20110402ride_76

「利神城跡」

利神城は貞和5年(1349)年、赤松一族の別所敦範が利神山山頂に城を築いたことに始まる。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの後、池田輝政の甥・池田出羽守由之が2万2千石で領主となった。
由之は5年の歳月をかけて広壮な城郭を造営し、山麓には城主屋敷、武家屋敷を配した。さらに街道沿いに町人地(現・平福宿場町)を設けなど、城下町の建設にも尽くした。三層の天守は、あたかも雲を衝くが如き威容から「雲突城」と呼ばれたが、一国一城令により廃城となった。

20110402ride_77

よく見ると、石垣のような物が見える(上の写真)。あそこに天守が有ったのだろう。事前のネット調査ではあそこからこの平福宿を見降ろす写真が有った。なかなかの眺めの写真だった。ただ、結構厳しめのハイキングになるらしく、また現在は崩れやすいので要注意とのこと。僕は今日はパス。興味有る人はネットで検索すると写真が引っ掛かりますよ。
おばさんに「このあと何処へ行くの?」と聞かれ、宮本武蔵と大原だと答えると、大原ではこの週末に街道沿いの民家が各家の雛人形を飾って、道を行き交う人に見てもらうという「ひなまつり」が行われるということで、パンフレットを頂いた。おばさんも昼から見に行くらしい。折角だから是非とも見てみたらとのこと。それは良いな・・・。行こう(それは本記事の後半で・・・)。
おばさんにお礼を言って旧田住邸を出る。引き続き因幡街道を進む(下の写真)。

20110402ride_78

お・・・たつ乃屋・・・醤油。あの龍野と関係が有るのだろう(「龍野ポタリング 2009.03.29」参照)。

20110402ride_79

「たつ乃屋醤油」

1697(元禄10)年の創業以来、ここに店を構え、醤油(しようゆ)をつくり続けている老舗。裏には、大きな杉おけが25ほど並ぶ蔵があり、醤油独特のにおいが満ちる。
この地で古くから地域の人に愛されてきた「三年醤油」を売っている。

20110402ride_80

創業300年を超える店ですか~。雰囲気有りますな。

20110402ride_81

引き続き街道を進む。

20110402ride_82

お土産物屋とかも有るみたい。

20110402ride_83

さて、宿の北端に到着。ここに「平福郷土館」が有る(下の写真)。

『平福郷土館・牢屋敷跡』

金倉の刑場・・・それにこの牢屋敷か・・・(^_^;)

20110402ride_84

「平福郷土館・牢屋敷跡」

江戸時代の町家の代表的な建築様式を再現した資料館。
大屋根の煙り出し、くぐり戸のついた吊り上げ戸、葬式の際の出棺にだけ使う出口なその特徴が有り、館内には宿場町を支えてきた商家の商い用具や民具類、利神城ゆかりの品などを展示している。ここには昔、牢屋敷が有ったと言われている。
(観光ガイドマップより)

20110402ride_85

自転車を駐輪し、くぐり戸から中へ・・・。

20110402ride_86

上の写真の縁台みたいなものは、いわゆる「見世」という昔のショー・ウィンドウのような場所だったのだろう。この縁台を備えた部屋の様子が下の写真だ。店の帳場のようですな。

20110402ride_87

ところで・・・館内に入っても誰もいない。何度か声を掛けても係員は現れず。
どうしようかと思ったが、とりあえず受付らしき所に入館料を置いて、勝手に見ることに・・・。

20110402ride_88

昔の生活用具が展示されている。

20110402ride_89

20110402ride_90

20110402ride_91

生活用具だけでなく、宿場町として商いに関する当時の物も展示。

20110402ride_92

薬を作る道具。

20110402ride_93

宿場町・・・薬の販売・・・。繋がりそうですな。旅人が買いそうだ。

20110402ride_94

豆腐とか、お菓子とかも作って売っていたのでしょう。

20110402ride_95

旅人が一休みしてお茶を・・・といったところでしょう。

20110402ride_96

下の蒸し器から湯気がシュウシュウ出て、そこを旅人が通ったら・・・。ついつい立ち寄って買ってしまいそうですな。

20110402ride_97

考古学的なものも展示してある(下の写真)。

20110402ride_98

この付近で発掘された土器や石器等々。

20110402ride_99

20110402ride_100

2階にも展示室が有る。係員が現れないので、勝手にあがってみる。
2階は利神城に関するものの展示のようだ。模型が置かれている(下の写真)。

20110402ride_101

城の周辺の絵も展示(下の写真)。

20110402ride_102

城の見取り図とか・・・(下の写真)。

20110402ride_103

その他文書類などなど・・・。

20110402ride_104

20110402ride_105

着物やら・・・。

20110402ride_106

20110402ride_107

結局最後まで係員は現れず、資料館を出る。
時刻は9:16。次の下り電車は9:55に平福駅に到着する。そろそろ駅の方へ戻りますか・・・。
街道を通って駅へ向かう。

20110402ride_108

街道沿いの多くの町家の2階には下の写真のような出っ張りが有る。

20110402ride_109

「袖壁」というらしい。前述のガイドおじさんに教えていただいた。

20110402ride_110

用途は防火や装飾とのことだ。紋を入れて看板の役割もしていたようだ。

20110402ride_111

の~んびりと進んで平福駅へ帰還。本日の三部作の第一部が終了。時刻は9:20ちょい過ぎ。
輪行袋へのパッキングもの~んびりと・・・。

20110402ride_112

わざとダラダラとパッキングしても9:35に終了。とりあえず、駅舎の中の休憩所で補給食でも食べて一休み。
それでも時間が余ったので(だったら走って向かえば・・・って、もういいよ)、ホームへ。

20110402ride_113

先程巡っていた平福宿をホームから眺める。
川端の土蔵ですな(下の写真)。

20110402ride_114

「代官所跡」も見える(下の写真)。

20110402ride_115

あ・・・サイクリングの二人組が平福駅に来た(下の写真)。MTBだな。

20110402ride_116

駅を撮影している方は写真を見ての通り男性で(上の写真の右下)、相方は女性のように見える。だとしたら夫婦で因幡街道サイクリングかな?輪行するのかなと思ったが、単に立ち寄っただけで、また駅から離れていった。そりゃそうだ、この界隈の観光ポタなら普通は自走するからな。でも僕はあえて輪行を入れる。
で、ようやく車輛が入ってきた(下の写真)。

20110402ride_117

20110402ride_118s さて、今度は二つほど北に有る「宮本武蔵駅」へ向かう。次の石井駅が兵庫県側の最後の駅で、県境を越えて岡山県に入った最初の駅が宮本武蔵駅だ。
乗客は何人かいる。

10分くらいで宮本武蔵駅に到着(下の写真)。・・・で、ワンマンなので整理券と料金を運転席横の料金箱に入れるのだが、運転手は、最初朝に平福駅まで乗った時の運転手のようで、近づいたことで気が付かれた。「(あれ?今朝の客・・・)またこのあとも乗る?」と聞かれた。おそらく乗り放題の一日乗車券も売っているよ、と薦めるつもりだったのだろう。帰りに大原駅から乗るが、もうここで買っても無駄なので、「いいえ、もう乗らないです。」とテキトーに答えてそそくさと下車(^_^;) 朝、まるで平福から宮本武蔵、大原へと走るみたいなことを言っておいてバツが悪かったというのも有る(^^ゞ

20110402ride_119

ここも無人駅。線路とホームは高い所に有る(下の写真)。小さな待合所の様な所を抜けて階段を降り、下で自転車を組み立てる。
ノンビリと組み立て終わると時刻は10:15。ここから第2部の始まりだ。

20110402ride_120

駅前に子供の像が有る(下の写真)。

20110402ride_121

あ~~、あの三人の幼少の頃をあらわした像ですな。

20110402ride_122

武蔵・・・(下の写真)。

20110402ride_123

お通・・・(下の写真)。

20110402ride_124

又八・・・(下の写真)。

20110402ride_125

この三つの像、すごく伝わるな。やんちゃな武蔵。それを止めるような感じのお通。微妙にへたれな(?)又八。実際の三人のキャラは分からんが、ドラマとかで見る三人のキャラを顔とか動作とかでよく表している~~。アハハ。
・・・で、下の地図は武蔵の里の主要観光スポットの位置を示した物。

Small_map_20110402_2

宮本武蔵駅の南に集中している。「武蔵の里」と名付けれた観光スポットになっている。
静かな集落の道を走って、武蔵の里へ向かう(下の写真)。

20110402ride_126

ここも静かだ・・・。

20110402ride_127

すぐに武蔵の里に着く。

20110402ride_128

武蔵の里で最初に寄るのがここ「讃甘神社」(下の写真)。

『讃甘神社』

20110402ride_129

「讃甘神社(さのもじんじゃ))」

創建は不詳であるが現在地に遷し奉られたのは天正年間(1573年~1592年)で、旧讃甘郷中の総鎮守として荒牧大明神と称していた。明治6年(1873年)2月に郷社に列格されたときに現在の神社名に改称した。
宮本武蔵が幼年の時に当神社の太鼓をうつ二本の撥の音が左右の均等であることに感嘆したと云われ、この記憶が後年の二天一流の発想に繋がったとされる。
主祭神 - 大己貴命(大国主命)

下の写真は拝殿。中で祈祷中なので、そそくさと退散。

20110402ride_130

先へ・・・。

20110402ride_131

観光用に造られたものだが、雰囲気は有る水車小屋。

20110402ride_132

武蔵の里の中心部へ・・・。

20110402ride_133

ちなみに観光案内のサイトが有る(「武蔵の里」の公式サイト→リゾート「武蔵の里」http://musashi.city.mimasaka.lg.jp/)。主に宿泊用の参考まで・・・。

「宮本武蔵の生誕地碑」の前に来る。

『宮本武蔵生誕地碑』

20110402ride_134

「宮本武蔵生誕地碑」

宮本武蔵生家跡の平田家前に立つ、武蔵の生誕地碑。
明治44年、武蔵が晩年を過ごした地である、熊本県の宮本武蔵遺蹟顕彰会の人々がここを訪れた際、当時の大原町を武蔵生誕の地と認定したことを記念し、立てられたもの。
碑文は、旧熊本藩主細川護成(もりしげ)侯の筆による。

20110402ride_135

宮本武蔵とくれば、吉川英治。句碑が有る(下の写真)。

20110402ride_136

碑の前で咲く桜の花。

20110402ride_137

20110402ride_138

20110402ride_139

碑のすぐ向こうに見えている建物が、武蔵の生まれた家のようだ(下の写真)。あちらへ回り込む。

20110402ride_140

その途上、碑の傍らに、佐々木小次郎との巌流島の決闘を詠んだ句が刻まれた記念碑も立っている(下の写真)。

20110402ride_141

舟島の
かえりは武蔵
一人だけ

武蔵の生まれ育った家(下の写真)。

『宮本武蔵宅址』

綺麗な新しい家になってしまっている(残念)。

20110402ride_142

「宮本武蔵宅址」

宮本武蔵の生家は約60m四方のここ宮本の溝にあり、大きな茅葺の家であった。昭和17年に火災に遭い現在の瓦屋となったが、大黒柱の位置は昔と変わらないと伝えられている。

20110402ride_143

武蔵は天正12年(11584年)に生まれ、父を平田無二(無二斎)、祖父を平田将藍といい、両人とも十手術の達人であった。こうして武術家の家に生まれ育った武蔵は幼少の頃から武術にたけており、13歳の時、播州平福で新当流有馬喜兵衛に勝ち、それ以後諸国を巡って剣の道一筋に練磨し、29歳で佐々木小次郎に勝つまで生涯に60余度の勝負をして一度も負けていない。武蔵は剣の流儀を二天一流と称し、その兵法を五輪書、兵頭鏡に残した。また、書,絵,彫刻,工芸を好み、禅の修行を重ね、「枯木にもずの絵」等、今日重要美術品とされている数々の作品を残して正保2年(1645年)、熊本の千葉城にて62歳で亡くなり、弓削の里に葬られた。
(美作市案内板より)

20110402ride_144

兵学の指南役として新免家に仕えていた、父の無二斎がその新免という姓を主家から許された盛りの時代に建てた屋敷なので、英田川(あいだがわ)の河原を下にした石築土塀まわしの家構えは、郷土には過ぎたものであったらしい(吉川英治「宮本武蔵」より)。
(案内板より)

20110402ride_145

武蔵の父・無二斎は、兵学の指南役という身分柄、暮らしぶりは豊かであったが、生母は武蔵を産んだ後に亡くなり、その後迎えられた養母も離縁されて播州佐用郷の士へ再縁。武蔵は、9歳の時、再婚した養母の元へ家出するが、父の追手によって連れ戻されている。
無二斎は幼少の武蔵に得意の十手術を教え込み、厳しく育てたが、当時から体格の良かった武蔵は近郷きっての暴れん坊に成長する
(案内板より)。

さて、そのすぐ傍に有る「鎌坂峠」と書かれた鳥居をくぐり、山のほうへと向かう(下の写真)。

20110402ride_146

「釜坂峠(鎌坂峠)」の歴史

山陰と山陽を結ぶ因幡街道の要衝、釜坂峠は古い書籍には鎌坂,鴨坂,加茂坂とも出ている。隠岐脱出の後醍醐帝の京都へのコースはこの峠越えだったと伝えられ、また、鳥取藩池田候の参勤交代のコースでもあった。
現在50ccの単車では峠の頂上までは登りきれない。人っ子一人通らない坂道にしては道幅が広く、江戸時代すっと整備されていたのがうかがえる。峠を登るとまず武蔵神社(昭和46年建立)があり、更に登ると右側に本位田外記之助の墓や当時の旅人が喉を潤した一貫清水(地名)がある。この水のおいしさは一貫文の値打ちがあるというので、この名がついたともいわれている。竹林を抜けて頂上につくと、二軒の峠茶屋跡の広場がある。
宮本の溝から見るこの峠の眺望は武蔵が晩年好んだ熊本の霊巌洞からの眺望と良く似ており、霊巌洞は武蔵が故郷を偲ぶよすがとしたと伝えられている。
(美作市案内板より)

登り坂は登り坂だが、大して距離も無く、「武蔵神社」の前に到着(下の写真)。マスクをしているので呼吸は苦しかったが、武蔵神社までは大してキツくはない坂だ。

『武蔵神社』

20110402ride_147

登り坂の途中の右手に有る(上の写真の自転車は進行方向とは逆向き)。

20110402ride_148

「武蔵神社」

郷土の生んだ宮本武蔵を祀る神社として、昭和46年4月奉賛会がその趣意に賛同された方々からの浄財によって、天王山の平田家の墓地近くに建立した。
境内には武蔵の好んだ中唐の詩人・白楽天の詩の一句「寒流帯月澄如鏡」が刻まれた戦気の碑があり、また、厳しい朝鍛夕練の修行によって兵法を究めた武蔵が、その一生を自戒自誓の処世訓とした「独行道」を刻んだ碑もある。
ここ武蔵神社は後世にわたって、武蔵の徳を慕う人達の心の聖地である。
(美作市案内板より)

20110402ride_149

自転車を担いで鳥居をくぐり、拝殿の近くまで進む。
拝殿の下の階段で駐輪。

20110402ride_150

拝殿へ進んで、参拝(下の写真)。

20110402ride_151

奥に本殿が有る。拝殿横から回り込んで撮影(下の写真)。

20110402ride_152

その横に武蔵の書いた独行道を刻んだ記念碑が置かれてある(下の写真)。

20110402ride_153

下の写真はその案内文。

20110402ride_154

武蔵の墓に行ってみる。

20110402ride_155

ちょっと迷っていると、授与所の中にいらしたおばさんから「それ、それ、武蔵の墓はそれですよ。」との声。
あ、これね(下の写真)。

20110402ride_156

親子で並んでいる(下の写真)。向かって左が武蔵。右が両親。

20110402ride_157

武蔵の墓碑(下の写真)。

20110402ride_158

20110402ride_159

20110402ride_160

父・無二斎と母・お政の墓碑(下の写真)。

20110402ride_161

軽く手を合わせて・・・立ち去る・・・。お墓だけに・・・。

20110402ride_162

武蔵神社を出て、釜坂峠の方角へ行ってみることにする。ただし釜坂峠付近は山中のダートらしいので、小径車の今回はパス。その手前の「一貫清水」くらいまでにしておこう。それにそもそもスギ花粉症だから、山の中に入るのは流石にね。
で、武蔵神社から先の登りはなかなかの勾配(下の写真)。少しでも口呼吸が多くなるとマスクが口中の水分で通気が極端に悪くなり、酸欠になってくる。で、その前に早々とギブアップして押し歩き(^^ゞ。普通のマスクでは峠の登りは危険。酸欠になっちゃう。酸欠になる前にギブアップ~~~。

20110402ride_163

途中で「森岩彦兵衛の墓」(下の写真)。でも墓石は見当たらない。観光用の記念碑のみ。

20110402ride_164

「森岩彦兵衛の墓」

武蔵の竹馬の友であった彦兵衛は、慶長5年(1600年)武蔵が17歳のとき関ヶ原の合戦に旅立つとき、釜坂峠の頂上まで見送り、別れ際に形見として武蔵が杖にしていた枇杷の木刀を形見として与えられたと伝えられている。
(美作市案内板より)

まだ登る。

20110402ride_165

マスク無しのロードバイクで登りたいね。でも途中でダートになるようだからMTBか・・・。

20110402ride_166

程無くして次は「本位田外記之助の墓」が右手に・・・(下の写真)。

20110402ride_167

今度は墓石らしい物が見える(下の写真)。

20110402ride_168

「本位田外記之助の墓」

天正17年(1589年)竹山城主新免伊賀守宗貫の家中に小ノ谷城を預かる家老本位田外記之助がいた。城主宗貫が宿意をもち、平田無二斎に外記之助を討取るように命じた。無二斎は外記之助が武功忠戦の者であり、また無二斎とは師弟の間柄だったので、再三辞退したが許されず、遂に討ち果たした。
ここに本位田外記之助を葬り、上意討にあった為墓石に文字を刻まなかったという。一方無二斎は「家中より妬み申すにつき引き込む」とある。
(美作市案内板より)

20110402ride_169

まだ登りが続く。
・・・お!良い感じの峠道(下の写真)。ロードバイクだったら喜んで行きたいですな。

20110402ride_170

今日はちょっと辛いです。

20110402ride_171

まだ舗装路だな。長い直線の登り(下の写真)。

20110402ride_172

直線から右に90度曲がるカーブで舗装路が終わる(下の写真)。

20110402ride_173

このカーブのアウトコーナーに「一貫清水」(下の写真)。

『一貫清水』

20110402ride_174

今でも飲めるようだ。

20110402ride_175

「一貫清水(壱貫清水)」

この清水は山陰山陽道連絡の因幡街道の釜坂峠の八合目あたりで、年中変わらない冷水が湧いている。旅人が立ち寄り、喉を潤し「ほんに壱貫文の値打ちがある(壱両は4貫)」と云って峠を越していったところから一貫清水の名がある。参勤交代の鳥取藩主は、峠茶屋でこの清水を金の茶釜で沸かしたお茶で休憩をとり、峠を越していった。
また武蔵も、ふる里をあとにする時、竹馬の友、森岩彦兵衛と別れを惜しんで飲んだのもこの一貫清水である。
(美作市案内板より)

でも飲まないです。

20110402ride_176

釜坂峠への道はダートとして続いている。林の中に入ることになるようだ。勾配もなかなか有る感じ。

20110402ride_177

「武蔵ゆかりの地・釜坂峠(鎌坂峠)」

吉川英治の小説「宮本武蔵」で中山峠と記されている峠は、兵庫県境との釜坂峠(鎌坂峠)を含んだ峠であろうと思われる。武蔵は、関ヶ原の戦から帰郷する時も、また、お通と共に宮本村を出て行く時にもこの釜坂峠を通っている。
宮本村をあとにする時、武蔵は、ここで「俺は生きたぞ」と強く思い、同時に「これからは生まれ変わるのだ!」と信念している。
(案内板より)

<関ヶ原の戦から帰郷する時のくだり>
山また山という言葉は、この国において初めてふさわしい。播州龍野口からもう山道である、作州街道はしび山ばかりを縫って入る、国境の棒杭も、山脈の背なかに立っていた、杉坂を超え、中山峠を超え、やがて英田川の峡谷足もとに見下ろすあたりまでかかると、
(おやこんな所まで、人家があるのか)
と、旅人は一応そこで眼をみはるのが常だった。

<お通とともに宮本村を出て行く時のくだり>
「ご覧なさい、播磨灘の方が、ほんのり夜が白みかけました」
「ここは何処」
「中山峠。・・・・・・もう頂上です」
「そんなに歩いてきたかなあ」
・・・・・・
紅い朝雲が二人の顔を焼いた。お通の顔が鮮やかに見えてくると、武蔵は、ここに彼女と二人でいることが夢のようで、どうしても不思議な気がしてならない!
「さ、昼間になったら、油断は出来ませんよ。それに、すぐに国境にかかりますから」
(吉川英治「宮本武蔵」より)

ハードテイルのMTBで行きたい感じの道だ(下の写真)。いつか機会が有ればMTBで訪れてみよう。

20110402ride_178

「一貫清水」の傍に句碑が置かれている(下の写真)。

20110402ride_179

一貫清水
武蔵は里を
ふり返り

文衛

その横にも二つ句碑が有る(下の写真)。どれも比較的新しい。

20110402ride_180

右の句碑(下の写真)。

20110402ride_181

山のみどりと
やすらぎは
空の倉
(碑句より)

やすらぎは
山のみどりと
空の倉
(説明文より)

左の句碑(下の写真)。

20110402ride_182

此の里に
一会の絆
結び会う

元江
(松本元江)

平成3年5月に置かれたようだ。
時刻は11:00。ベンチが有るし、釜坂峠へのダートを背にどら焼きの補給食タイム(下の写真)。

20110402ride_183

「一貫清水」のほうを見ると綺麗な赤い花が咲いている(下の写真)。

20110402ride_184

20110402ride_185

緑と赤が綺麗ですな。

20110402ride_186

・・・などと思っていると、あらためてたいへんな場所にいることに気が付かされる。周りはスギの木だらけ。緑色にオレンジ色がかかっていて・・・スギの花粉の巣窟だ!

20110402ride_187

ここからスギ花粉が大量に出ているに違いない。今日は風が殆ど無いが・・・これは大変な所にいるな(・。・;

20110402ride_188

そういうわけで長居は無用。どら焼きを一個食べたら峠道を下って戻る。「武蔵神社」の前を通過し、更に少し下って、往きの登りではスルーした「平尾家」に立ち寄る(下の写真)。

20110402ride_191

『平尾家』

武蔵の姉の嫁ぎ先だ。

20110402ride_192

「平尾家」

ここは「元屋敷」と云う地名で、町内で最も大きい茅葺きの家である。
慶長5年(1600年)、武蔵が武者修行に出立したとき、家の道具、家の系図、十手(三つ)、すやりを姉おぎんに夫婦に渡した。その後、元和9年(1612年)、おぎんの二男九郎兵衛景貞がここに居住し、武蔵家を相続した。
庭の池水はその時に作られた。辺りには樹齢400年のタラヨウと樹齢300年のウツギの古木と屋敷の入り口の樹齢300年の栗の巨木とがあり、さすがに武蔵にゆかりの深い平尾家らしい趣がある。
(美作市案内板より)

武蔵の生まれ育った家と違い、こちらのほうがまだ雰囲気が有る(屋根にね)。

20110402ride_193

傍らに小さな句碑が有る(下の写真)。吉川英治の句碑だ。

20110402ride_189

さみだれや武蔵の里の栗の花

吉川英治

ここの栗の木のことですな。

20110402ride_190

さて最後に、武蔵の里の宿泊施設でもある「五輪坊」に寄っておこう(下の写真)。

20110402ride_194

ここは資料館でもある。

20110402ride_195

自転車を押して中へ・・・。
道場らしき建物が右手に見える(下の写真)。

20110402ride_196

中から声,音は聞こえない。

20110402ride_197

「頼もーーーー!!」・・・・とは叫ばない。

20110402ride_198

静かに奥へ・・・。
道場の横に武蔵の銅像が立っている(下の写真)。

20110402ride_199

20110402ride_200

「碑文」

剣聖 宮本武蔵は天正12年3月(1584年)この地 岡山県英田(あいだ)郡大原町宮本において父、無二斎 母、お政の二男として生まれた
武蔵は13才の時 播州平福で新当流有馬喜兵衛と戦い打ち勝って以後 諸国を巡って剣の道一筋に練磨し 29才で九州舟島において佐々木小次郎と決闘する間 60余度の勝負に一度も負けたことがなかった
それ以後は天下を周遊して 50才にて兵法を究め 五輪書 独行書などを書き上げ また 書・絵・彫刻・工芸等にも「二天」と称し 優れた作品を数多く遺して正保2年5月(1645年)熊本の千葉城で62才の生涯に幕を閉じ弓削の里へ葬られた
「武蔵」「二天」この剣聖と芸術家はまぎれもない同一人物であり まさに天才的資質に恵まれた万能の人で 現代人が武蔵に学ぶところは多い
こうして史実を通じて 町民の郷土史への理解を深み 武蔵の遺徳を後世に伝えるとともに 大原町合併40周年を記念して この「青年期宮本武蔵像」を制作し この地に建立するものである
制作は わが彫刻界の重鎮で文化勲章受賞者 日本芸術院会員の富永直樹先生 題字は総社市 高木聖鶴先生の御揮毫によるものである
この「宮本武蔵像」が 末永く武蔵の里の歴史を伝えるとともに 町民の心に生き続けることを切に願うものである
平成7年5月19日
岡山県 大原町
(碑文より)

20110402ride_201

宮本武蔵 略年表

年号西暦年齢特 記 事 項
天正12 1584 1 平田無二斎の二男として美作国吉野郡宮本村に生まれる
幼名弁之助
慶長4 1599 16 但馬国の兵法者秋山某(新左ェ門)と勝負して勝つ
慶長5 1600 17 伏見城攻防 及び岐阜城攻め 関ヶ原の合戦に出陣
慶長6 1601 18 播磨国竜野円光寺に於いて円明流十七ヶ条を書き
弁許状を授く
慶長9 1604 21 京都蓮台寺及び一乗寺下り松 三十三間堂に於いて
吉岡清十郎 伝七郎 又七郎と勝負して勝つ
慶長9 1604 21 槍の宝蔵院胤栄の高弟と試合して勝つ
慶長12 1607 24 伊賀の鎖鎌の宍戸梅軒を倒す
慶長15 1610 27 江戸に於いて柳生新陰流大瀬戸隼人及び辻風典馬と勝負して
勝つ
慶長17 1612 29 下関舟島で中条流佐々木小次郎と試合して勝つ
慶長19 1614 31 大阪冬の陣に参戦 及び大坂夏の陣にも参戦
元和8 1622 39 東軍流三宅軍兵衛と試合をして勝つ
寛永1 1624 41 伊織を養子とし 姓を宮本として召連れる
寛永14 1637 54 伊織とともに小笠原忠真の指揮監として島原の乱に出陣
寛永17 1640 57 細川忠利の客分として熊本千葉城址に迎えられる
寛永18 1641 58 細川忠利の命により兵法三十五ヶ条を書き
春山和尚と交誼を結ぶ
寛永20 1643 60 岩殿山霊巌洞にこもり座禅瞑想し五輪書を書きはじめる
正保2 1645 62 五輪書を書き終えて病気が重くなり
高弟寺尾孫之丞に形見分けとして独行道を渡し永眠する

20110402ride_202

僕の世代で、ドラマや映画とかの宮本武蔵は、役所広司、AB蔵(www)というところかな。主役ではないけど、緒方拳とか・・・。

20110402ride_203

でもこの像は何となく藤岡弘が入っているかな?もっとも藤岡弘は武蔵を演じたことは無いみたいだけど(意外かも)。

20110402ride_204

先へ・・・。

20110402ride_205

池の有る庭が綺麗だ。

20110402ride_206

20110402ride_207

20110402ride_208

鯉が泳いでいる。

20110402ride_209

餌を貰えると思って寄ってくる。

20110402ride_210

柳の木が良い感じ。

20110402ride_211

20110402ride_212

一番奥に宿泊施設が有る(下の写真)。

20110402ride_213

その建物内に資料館が有るらしい。駐輪して中へ・・・。

20110402ride_214

上の写真の左下がロビーで、その右に資料館(資料室)が有る(上の写真の右下)
尚、「武蔵資料館」についての参考サイトはここ→「美作市HP/観光情報/武蔵資料館 http://www.city.mimasaka.lg.jp/www/common/detail.jsp?common_id=1454&parent_genre_id=29
資料館内部の撮影は禁止。宮本武蔵に関係する数々の品が展示されている。展示用の複製品も多いが、参考になるし、それなりに良いと思う。他に観光客がいないし、ゆっくりと見て回った。

これで武蔵の里は終わり。時刻は11:30頃。
次は大原宿へ向かう。先ずは宮本武蔵駅の方角へ戻る。

20110402ride_215

途中に何か武道関係らしき建物が・・・(下の写真)。

20110402ride_216

「武蔵武道館」というらしい。

20110402ride_217

宮本武蔵駅の近くを抜け、北上。

20110402ride_218

なんか久しぶりに走っている感じがするwww

20110402ride_219

フラットな快走路が続く。

20110402ride_220

向こうに山とその麓に家々が見える(下の写真)。あの辺りは国道が走っているのだろう。

20110402ride_221

鳥取自動車道の高架下を抜ける。

20110402ride_222

左手に吉野川が見える(下の写真)。川に近い所にも北上出来る道が有るみたいですが・・・。

20110402ride_223

このまま行きます。

20110402ride_224

程無くして国道429号に合流。

20110402ride_225

国道を進む。交通量がそれなりに多いし、大型車も多いが、路側が広いのでストレス無し(下の写真)。まぁ、今日はノーヘルなので、国道とかはあまり走りたくないんですけどね。

20110402ride_226

国道372号と429号との重複区間も走り、373号と429号が分離する手前、後山川を渡った所で、左手に大原宿の旧街道への分岐が有る。国道から離れてそちらへ・・・。

で、ここから最後の第三部の始まり。時刻は11:50(まだ昼前か)。
下の地図は大原宿の概略地図。青色の矢印のように、国道から因幡街道に移った次第。

Small_map_20110402_3

国道とはうって変わって、クルマの殆ど来ない道になる。

20110402ride_227

「大原宿」

鳥取県と兵庫県の県境に近い岡山県北東部の山間、平安時代の後醍醐天皇の都上りや江戸時代は参勤交代の道であった因幡街道の中程に位置する宿場として、古くから栄えた町である。
平福宿や智頭宿と同様に街路の両端に水量豊かな水路があり、また江戸時代築の「本陣」や「脇本陣」のほか重厚な屋敷群が現存して、旧街道の風情を色濃く遺している。1994年、智頭急行の開通とともに初めて鉄道駅が設置された。
Wikipediaより)

20110402ride_228

そりゃ、クルマも入って来ないだろうね。「ひなまつり」を開催しているらしいからね。

20110402ride_229

平福宿の旧田住邸のおばさんから教えて頂いた「ひなまつり」の見学ですな。今年で9回目で、今日4月2日と明日3日にやっているようだ。大原宿の旧町並み保存地区を中心に因幡街道沿いの家々が各家の雛人形を飾り、玄関や窓を開け放って、行き交う人に見てもらって和んでもらおうという趣向らしい。約60軒もの家が参加しており、平福宿や武蔵の里では見られなかった数の観光客がいる。僕もその一人w

20110402ride_230

僕は女の兄弟がいないし、女の子の家に遊びに行くような(行けるような(^^ゞ)子供ではなかったので、雛人形には馴染みは無いし、よく分からないんですけど、とにかく雰囲気を楽しみましょう。

20110402ride_231

資料館とかに展示されている古い雛人形とは違い、比較的新しい現代の物が殆どのようだが、それはそれで良いではないですか~。

20110402ride_232

外の空気に触れ、みんなに見てもらえれば、雛人形も喜ぶでしょう。
ほら、雛人形をしまいっ放しにするのは良くない・・・・ちゃんと一年に一回は飾らないといけないとか聞きません?

20110402ride_233

男の僕としては下の写真の様な小物系のほうが気になる。

20110402ride_234

たぶんプラモデル的な・・・ミリタリー系のプラモデル(田宮の戦車とか)と似たような目線というか、何と言うか・・・(^_^;)

20110402ride_235

言いたいことが伝わるかな・・・??

20110402ride_236

まぁ、そういう感じで見て回る。

20110402ride_237

人が多いので自転車は降りて押し歩き。

20110402ride_238

どの家も見事です。

20110402ride_239

全部載せるのはたいへんなので、一部を載せますね。

20110402ride_240

20110402ride_241

見ず知らずの人の家を覗く・・・という普段有り得ない状況にちょっと罪悪感混じりの緊張感を抱きつつ、見て回るwww

20110402ride_242

着物も一緒に飾っている。

20110402ride_243

下の写真のようなものも良いね。

20110402ride_244

営業中のクリーニング屋さんも飾っているぜ!(下の写真)

20110402ride_245

よく見ていると、最近の新しい物だなとか、ちょっと年代物かな?母子で受け継がれているのでは?ということも感じられるようになってくる。

20110402ride_246

色とかもそうだが、顔の表情とかで何となくね。

20110402ride_247

20110402ride_248

覗き見中・・・。

20110402ride_249

20110402ride_250

お・・・そうだ。宿場町としての観光も・・・。途中で「大原本陣」前に到着(下の写真)。

20110402ride_251

『大原本陣』

20110402ride_252

「因幡街道 『大原本陣』」
(寛政年間1789年~1801年建築)

本陣は江戸時代の宿駅で参勤交代の大名のほか公家・高僧などの宿泊施設であった。
寛永12年(1635年)の参勤交代制の実施以後、本陣職として恒常的な公的宿泊施設となった。
大原本陣は、因幡街道を往来する鳥取32万石池田候が参勤交代の途中宿泊するところであった。
門は木羽葺の二脚門(御成門)、建物は桁行4間・梁間4間半の単層で、屋根は入母屋造木羽葺の数寄屋造である。
庭は廻遊式で、築山は川石をしきつめ、渚に見立て、平場一面に白石を敷き、砂に波形の帚目をつける枯山水の庭園である。大原本陣有元家は、約200年前の本陣の遺構を今日まで残している数少ない本陣である。
(案内板より)

20110402ride_253

門から中へは入れない。道から覗くだけ。

20110402ride_254

前述の説明文に有るような庭や建物、屋根の様子が少し分かるだろう。

20110402ride_255

先へ・・・。

20110402ride_256

もう一つ、「脇本陣」の前に到着(下の写真)。

『脇本陣』

20110402ride_257

「因幡街道 『脇本陣』」
(文政年間1818年~1830年建築)

江戸時代の宿駅の本陣に次ぐ重要な宿泊施設であり、大名や幕府の重臣が本陣に泊るとき、家老や奉行の宿泊所にあてられた。
この建物は主屋を通りから後退させて前庭を広くとり主屋の玄関を通りに見せて格式を強調している。
桁行7間半に梁間5間半の大規模な町家であり、明治期の古町の町や建築に大きな影響を与えている。
また、この宿場町で唯一の長屋門をもち、この門を入ると中は廻遊式の日本庭園で、現在は珍しい水琴窟がいまなお残されている。
(案内板より)

20110402ride_258

こちらは門が閉まっているので中の様子はうかがえない。
引き続き先へ・・・。

20110402ride_259

雛人形を見ながら・・・。

20110402ride_260

20110402ride_261

20110402ride_262

20110402ride_263

「千の風になって」を演奏している音が聞こえる(下の写真の建物から)。

20110402ride_264

雰囲気の有る町家から笛を中心にした演奏が聴こえるので、暫しとどまって聴く。

20110402ride_265

連子窓(下の写真)。象徴的なものなので、町家に来ると写したくなる。

20110402ride_266

引き続き先へ。もうすぐ大原宿の北端だな。

20110402ride_267

桜の花も咲いている。

20110402ride_268

雛まつりと言えば桃の節句だけど、今は桜の時期。

20110402ride_269

旧暦3月3日は(今年は)4月5日で、このひなまつりは旧暦のほうに合わせたわけね。

20110402ride_270

色々な雛人形を飾っているお宅ですな。

20110402ride_271

雛段タイプ以外の物も有るんですね。

20110402ride_272

手鞠のような人形。かわいらしい。

20110402ride_273

ここのお宅・・・凄いな。

20110402ride_274

色々有るな。

20110402ride_275

20110402ride_276

20110402ride_277

20110402ride_278

20110402ride_279

20110402ride_280

三人官女と五人囃子にも注目してあげよう。

20110402ride_281

20110402ride_282

20110402ride_283

下の写真の物は昭和10年頃の物みたい。

20110402ride_284

20110402ride_285

20110402ride_286

さて、大原宿の北端まで来て、雛人形で“お腹がいっぱい”になったところで時刻は12:20頃。今日はこれで終わりにしよう。
そういうわけでサクッと、大原駅へ・・・(下の写真)。

20110402ride_287

ここも“らしい”駅舎ですな。

20110402ride_288

自転車を輪行袋にパッキングし、駅舎内へ・・・。
この駅には嘱託業務らしい駅員さんがいる。とりあえず相生までの切符を購入(その先は相生で買う予定)。

20110402ride_289

次の上郡行きは13:23で、1時間くらい待つことになる。駅員のおじさんに「自転車なら走ったほうがいいんではないの?だいたい下り坂っぽいし。まだ昼間だし。」と言われてしまった(^^ゞ ・・・いえいえ、今は省エネ・ポタなので輪行しますわ~~。
てなわけで、軟弱作戦で電車を待つことに・・・。駅舎の休憩場所で待ったり(下の写真の左上)、ホームに上がって待ったり(下の写真の右上)。

20110402ride_290

ここ大原駅は上郡~鳥取間の中間の駅で、ここで折り返す普通車輛は多い。上の写真は大原駅止まりの車輛。
下りの鳥取方面の車輛が時刻になっても来ないな~、と思っていたら、どうやら山陽本線の三宮~神戸界隈のどこかの駅構内で貨物列車の故障が有り、その影響でダイヤが乱れているとのこと。智頭急行の特急は山陽本線を通るので、特急が遅れているらしい(なんと1時間以上の遅れ)。向かい側の下りホームで待っている親子連れが、放送でショック!状態。「え~~~」みたいな。
さいわい僕の乗る登り普通列車は定刻通りに到着(下の写真)。良かった・・・。上郡止まりなので大丈夫なのだろう。

20110402ride_291

で、乗り込む(下の写真の左上)。
大原宿で「ひなまつり」をしている割に、一緒に乗り込んだ乗客は少ない。皆殆どがクルマで観に来ているようだ。
あとは以下のようにして、大阪へ・・・。

大原   
|  智頭急行(上郡行)
|  13:23-14:12[49分]
| (下の写真の左上)
上郡
|  山陽本線(相生行)
|  14:34-14:47[13分]
| (下の写真の右上)
相生 (下の写真の左下) 
|  こだま742号(新大阪行)
|  15:13-16:05[52分]
| (下の写真の右下)
新大阪

20110402ride_292

新大阪駅からは幾つかの路線を乗り継いで最寄りの駅へ・・・。
最寄駅に着いたら自転車を組み立て、僅かな距離を走って無事に帰宅。時刻は16:38。

このようにして、因幡街道・平福宿~武蔵の里~大原宿を巡るポタリングを楽しんだ。
第一部の平福宿は静かで雰囲気が良く、川端の道は特に良かった。地元の方々も親切だし、気持ち良く巡ることが出来た。有名な城下町や宿場町はたくさん有るが、ここは変に有名になっておらず、その分団体の観光客がいないし、落ち着いて回ることが出来た。小さくまとまっていて、日帰り一人旅の穴場的な場所と言ったところだろう。冬の雪の川端風景の写真をガイドのおじさんに見せて頂いたが、とても綺麗で風情が有りそうだった。冬とか、季節を変えてまた来てみたい。
第二部の武蔵の里も、武蔵所縁の地を見て回れて良かったと思う。宮本武蔵について伝えられていることはここ最近の研究で色々と信ぴょう性が問われていて(巌流島の決闘の時の佐々木小次郎の年齢とか、五輪書とか・・・興味有る人はネットで調べてみたら)、若干トーンダウンしたイメージが漏れ伝えられているが、それはそれとして、トータルで見た場合、生涯を通じた長い年月で純粋に剣術だけでこれだけ存在感を示した歴史上の人物は皆無なわけで(柳生一族とかは政治が絡んでいるしね)、やはり唯一無比の存在だと思う。
最後の第三部の大原宿は、「ひなまつり」が有って宿場町の観光の印象は薄くなってしまったが、それはそれで良し。和ませてもらった。

今回は途中に輪行を入れた省エネ軟弱ポタリングだったが、普通に全部走っても回れるだろうし、ロードバイクなら姫路市や赤穂市,相生市辺りから午前中に移動して、午後から平福~大原間を観光ポタリングといったことも可能だろう。また、更に北の岡山県西粟倉村の山間部を巡ってみるのも良いかも知れない。
ダートの釜坂峠も気になる存在だ。MTBで峠越えを楽しめるかも知れない。

こういうわけで、因幡街道の宿場町と武蔵の里を巡るポタリング・・・満足でした。
 

コース概略/自宅→○○線・△△駅~(輪行)~□□駅・▽▽線・◇◇駅~(輪行)~新大阪駅・JR山陽新幹線~(輪行)~相生駅・JR山陽本線~(輪行)~上郡駅・智頭急行~(輪行)~平福駅→平福本陣跡→因幡街道→川端風景→宮本武蔵初決闘の場・六地蔵刑場跡→因幡街道→国道373→陣屋門代官所跡→国道373→因幡街道→旧田住邸→因幡街道→平福郷土館・牢屋敷跡→因幡街道→智頭急行・平福駅~(輪行)~宮本武蔵駅→今岡町道→県道240→讃甘神社→宮本武蔵生誕地の碑・宮本武蔵生家跡→武蔵神社・宮本武蔵の墓→一貫清水→平尾家→県道240→武蔵の里五輪坊・武蔵資料館→県道240→今岡町道→国道429→因幡街道・大原宿・古町(大原本陣→大原脇本陣)→智頭急行・大原駅→上郡駅・JR山陽本線~(輪行)~相生駅・JR山陽新幹線~(輪行)~新大阪駅・▽▽線~(輪行)~◇◇駅・○○線・□□駅~(輪行)~△△駅→自宅

走行距離/13.16km
走行時間/1hr17min
平均速度/10.32km/hr
最高速度/32.55km/hr
Small Bike積算距離/1730km
全Bike積算距離/20357km

  にほんブログ村へ  人気ブログランキングへ 

|

 

« 所有ギター | Top Page安芸竹原・小京都ポタリング 2011.04.09 »

 

 

Comments

雰囲気あるところで凄くいいですね(^-^)

宮本武蔵は剣豪でありながら芸術家、思想家でもあるので面白い、興味深い人物ですよね。
私は吉川英治「宮本武蔵」原作の漫画「バガボンド」(井上雄彦)が好きで読んでいます^^

武蔵は新免無二斉の養子だとか、父親(無二)と仲が悪かったとか、色々説がありますが、実際どうだったかは分かりません(^^;
お通、又八は吉川英治の小説の中での架空の人物で、モデルがいるとか…?らしいです。
でもこの3人の像があるとは…知りませんでした。
道場の方の武蔵像は、確かに藤岡弘に似てる(笑)
中村錦之助に似てるかな~?う~ん?とも思いますが…
http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/MUSASI.htm
↑残念ながら動画は削除されてました。

最後の方のひな人形、凄いですね~
我が家にはこんな立派な雛人形はありません(^^;
桜の花もとても綺麗❀

« 投稿: MariRose  2011年5月22日 (日) 20時15分

去年智頭急行に乗り鳥取へ行ったので
車両をはじめとする風景写真、懐かしく
拝見しました。
今後こちらへ訪ねるにあたりとても参考になりました。

有り難うございます

私も去年輪行して行く計画を立ててましたが
主人の商売(小売業)を手伝っている関係で
なかなか現地に辿り着けない悲しい現実が
あります。

今年こそ乙大木谷の棚田見学と一緒で
輪行したいものです。

« 投稿: 輪夢(rimu)  2011年5月22日 (日) 23時35分

MariRoseさん>
バガボンドって名まえは聞いたことが有ったのですが、宮本武蔵のマンガだと初めて知りました。
又八もお通も架空の人物だったんですか~。二人の登場しない映画やドラマは無いようだったので、実在かと思っていましたよ~(^_^;)

中村錦之助の宮本武蔵の写真を見てきました。迫力ある形相ですね。高倉健の佐々木小次郎が意外でした。

« 投稿: Katze  2011年5月23日 (月) 23時24分

輪夢さん>
智頭急行って車輛も景色も良いですね。
昨年辺りからハマっています。
まだまだ智頭急行の駅を起点に色々良さ気な所が有りそうですね。

なんとか時間を見つけて輪行&サイクリングを楽しまれると良いですね。

« 投稿: Katze  2011年5月23日 (月) 23時27分

 






 

Trackback

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/213815/51293315

この記事へのトラックバック一覧です: 平福宿~大原宿・武蔵の里ポタリング 2011.04.02: