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2012年8月11日 (土)

天王山ハイキング 2012.08.04

20120804map_small 年月日/2012年8月4日(土)

山地名・地域/京都西山

天候/晴れ

目的/山崎の合戦で有名な天王山に登る。

ポイント/①宝積寺~小倉神社のショートコース,②今回も“慣らし”的なハイク。

内容/
2回目のハイキングは近場のお手軽な山でありながら結構有名な山、京都西山の南端に位置する、京都府大山崎町の「天王山」に登ることにした。言わずと知れた羽柴秀吉と明智光秀との「山崎の合戦」で登場する山だ。
歴史的に有名な山ではあるが決して険しくなく、標高270mくらいの低山の中でも低い山。ハイキングコースはしっかりとしていて普通のジーパン,スニーカーでも問題無く歩けちゃうくらいだ。ハイキングをしたことなど無いおばちゃんが、ハイキングを趣味とする近所のおばちゃん仲間に(なかば強引に)誘われて付いて行って登っちゃった・・・・みたいなレベルで登れちゃう山だ。ジモティが毎日の日課として散歩がてらに登っちゃう山・・・みたいな。そういう山なので、今回もまだ色々と“慣らし”的なハイキングにしたかったし、京阪界隈に住んでいるハイカーならば一度は必ず登る定番中の定番の山でもあるので、今回選んだ次第。

ところで上記の書き方だと「行ったこと有って知っているの?」みたいに思われるだろうが・・・。天王山山頂には行ったことはまだ無い。ただ、“或ることで”(←分かる人には分かるでしょ)、天王山内のハイキングコースやらトレイルやらを“或る方法で”何回か“通った”ことが有るので殆ど知っている。唯一知らないのは今回予定している、山頂まで登るルートの定番中の定番である宝積寺からアプローチするルートくらいだ。今回はその区間をハイキングとして初めて歩く次第。
尚、下山は小倉神社へ降りる予定。その区間は何回か通っているので分かっている。
ちなみに今回は十方山(じっぽうざん)には寄らない。十方山が絡むルートは今後京都西山界隈のハイキングの中で度々使うことになりそうなので、それまで取っておくことにする。また柳谷方面に下山しないのも同じような理由だ。そこもやはり今後通る可能性が有るのでそれまで取っておくつもりだ。
そういうわけで結局のところ今回は天王山のハイキングコースの中でも最も楽で短い、宝積寺~天王山山頂~小倉神社のルートとする。

自宅を5:00に出発。そんなに早く出たら確実に昼前に帰れちゃうでしょ、って位早い時刻だ。天王山に入ってくるハイカーさんは多く、時折20~30人の団体さんまで押し寄せちゃうが、早く登って早く下山すれば多くのハイカーさんと出くわす確率は低い。
最寄りの駅から電車に乗って阪急京都線・大山崎駅に到着(下の写真)。時刻は6:00。

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駅の出入り口は一つしかない。
その前に東西に伸びる西国街道に出、ちょっとだけ西(大阪方面)へ歩く(下の写真の黄色の矢印)。

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ホントにちょっと歩くと右手に「銭原山寶寺」の道標が有り、そこの脇道に入る(下の写真)。

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「銭原山寶寺」とはこれから先ず向かう宝積寺のことだ。
真っ直ぐな細い路地を進み・・・・(下の写真)。

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突き当りで右のスロープを登り・・・(下の写真)。

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JR京都線沿いの道に出る(下の写真)。

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その合流地点のすぐ目の前に踏切が有り、それを渡る(下の写真)。

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左手にJR山崎駅のホームが見える(上の写真の左下)。
踏切を渡った目の前に伸びていく坂が天王山登山口の一つ、宝積寺への参拝道だ(下の写真)。

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ちょっとした急坂。

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クルマも通るので歩道を歩くべし・・・と看板が有る。流石にこの時刻にはクルマには出くわさんが・・・。

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上の写真の坂を登った正面に石段と山門が有ったが、そこは閉まっている(この時刻だからか??)。左へカーブするように坂は続いているのでそちらへ(下の写真は曲がったあとの坂道)。

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すると正面右手に石段(下の写真)。ここから宝積寺に入れるようだ。

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石段を登っていくと山門(下の写真)。時刻は6:08。

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仁王門ですな。
阿・・・

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吽・・・・

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宝積寺には十年くらい前だったか、寺社仏閣巡りを盛んにしていた時期に一度訪れたことが有る。その時には天王山には登らなかったが、案内板の雰囲気からして結構気楽に登っていけそうな道だな~と思ったものだった。
山門をくぐって先へ・・・。
尚、トイレは宝積寺で済ませないと、その先にはもう無い。

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また石段が有り、登った先が境内のようだ。
本堂が見える(下の写真)。

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「宝積寺(ほうしゃくじ)」

真言宗智山派。
山号は天王山または銭原山(古くは補陀洛山といった)。
本尊は十一面観音。
寺伝では神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願により行基が建立したと伝える。
行基は神亀2年(725年)、淀川に「山崎橋」(山崎-橋本間)を架けている。また、『行基年譜』によれば、行基は天平3年(731年)、乙訓郡山崎に「山崎院」を建立している。天王山の南側山麓に位置する大山崎町大山崎上ノ田の遺跡が「山崎院」跡に比定されており、ここからは日本でも最古級の壁画断片などが出土している。以上のことから、天王山周辺は行基にゆかりの深い地であることは確かで、宝積寺は「山崎院」の後身と考える説もある。
長徳年間(995~999年)、寂昭により中興。
しかし貞永元年(1232年)の火災で焼失した。
天正10年(1582年)、天王山が羽柴秀吉と明智光秀が戦った山崎の戦いの舞台となり、その際宝積寺には秀吉の本陣が置かれた。直後秀吉により天王山に建設された「山崎城」にも取り込まれ、このため城は「宝寺城」とも呼ばれた。
元治元年(1864年)には禁門の変で尊皇攘夷派の真木和泉を始めとする十七烈士らの陣地がおかれた。
明治時代には夏目漱石が「漱石日記」に宝積寺について記している。

「本堂」(下の写真)。入母屋造で本瓦葺。1606年の改築。

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その正面左手に「小槌宮」(大黒天神)(下の写真)。

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本堂に向かって右手に「閻魔堂」(下の写真)。

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他にも重要文化財に指定されている「三重塔」が有る。写真は・・・撮り忘れた(^^ゞ
さてさて今日のハイキングでの安全・無事を祈願。

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本堂と閻魔堂の間に登山口を示す道標が有る(上の写真と下の写真)。

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道標が示す方へ向かう。
池の横を抜け・・・(下の写真)。

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1/4周するように進んでいく(下の写真)。

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フェンスの外に出るようだ(下の写真)。

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フェンスから出た所(下の写真)。

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案内板と道標がしっかりと有るので、それに従って進む。

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程無くして橋を渡る(下の写真)。

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すると登り開始(下の写真)。

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ごつごつとした自然の岩と人工的な階段から成る道だ。

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下の写真は振り返って撮影。写真で思う印象よりも実際は楽だと思う。

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ただ、登る・・・。
藪蚊が多くて虫よけスプレーを浴びまくる。撮影のためにあまり立ち止まっていたくなく、結果ブレブレの写真が多くて・・・(^^ゞ下の写真も画像処理で何とかここまでにした。

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T字路に出る(下の写真)。幾つか有る登山口からの登り(B)と合流したのだろう。
勿論左折して登りのAへ。

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この辺りから登山道と並行して左横にレールが敷かれている。
ネット情報によれば、掘った筍を運ぶための篭が走るレールらしい。

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丸太階段を登っていく。

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下の写真は振り返って撮影。

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薄暗かった登山道だが、徐々に木漏れ日が感じられるようになってきた。

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すると左手に「青木葉谷広場」なる展望台兼休憩所が有る(下の写真)。

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立ち寄りましょう。

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お!良い眺め。

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お~~~。
桂川、宇治川、木津川が合流して淀川になる辺りかな~?
自転車で度々通っている河川敷の道が見える。

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↓クリックすると別ウィンドウで拡大されます。

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淀川(まだ桂川?)より南の風景(下の写真)。
見えている山並みは生駒の山々。遠くにひときわ大きく見える山は何山だろう?

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↓クリックすると別ウィンドウで拡大されます。

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それにしても良い眺めだね。天王山山頂は展望が無いらしいし、ここのほかに展望の良い場所はあと1箇所位みたいだから、立ち寄るべしだな。

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広場から出て登山道に戻る。引き続き登る(下の写真)。

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丸太階段がまた続く。

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フラットになった。

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やがて観音寺からの登り(B)と合流(下の写真)。

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真っ直ぐAへ。
階段が続く。でも横の階段の無い部分を登ったほうが人によっては楽かも知れない(下の写真)。

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振り返って撮影(下の写真)。上空がうかがえるようになってきた。

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目の前に酒解神社の鳥居が立っている(下の写真)。時刻は6:39。

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するとその右手に色々史跡や展望台が有る。
その一つ「旗立松」(下の写真)。

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「旗立松」

天正10年6月2日、洛中本能寺に宿泊していた織田信長公は、家臣である明智光秀の手によって暗殺された。信長死去の知らせは備中高松城(現岡山県)を攻略していた羽柴秀吉の元にも届き、秀吉は急ぎ毛利氏(城主清水宗治)と和議を結び京都へ向かった。一方明智光秀は秀吉の帰路に備え御坊塚(下植野)に本陣を敷き、6月13日夕刻天下分け目の天王山の戦い(山崎合戦)の火ぶたが切っておとされた。
羽柴秀吉は天王山へ駆け登り、味方の指揮を高めるために松の樹上高く軍機を掲げた。
これを見た羽柴軍は一気に敵陣内に攻め入り、明智軍はその結果防戦一方になり総崩れになってしまった。これによって光秀は僅かな手勢を従えて近江へと落ちてゆくのである。
その初代と伝えられる松も明治中期頃までに○○の姿をとどめていたが朽ちてしまい、その後三回の植樹を経た昭和63年、再び枯れたため、国民体育大会を機に五代目の旗立松を植樹し今日に至っている。

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その隣には記念碑(下の写真)。

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山﨑合戦之地と彫られている。

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そしてここからの展望が素晴らしい。

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三川合流とその南の平野部、そしてその向こうの生駒の山並みがよく見える。

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先程の「青木葉谷広場」と同じ角度ですな(下の写真)。
あのひときわ高い建物は何だろう?

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大阪市内のほうも結構遠くまで見える(下の写真)。
うっすらと見えるのは葛城の山々かな??

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対岸の京都府八幡市の街並み。

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・・・にしても、気になる(下の写真のビル)。

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旗立松を挟んで記念碑とは反対側に展望台が有る。

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展望台にに登ると目の前に男山(鳩ヶ峰)がはっきりと見える。青木葉谷広場では木が茂っていて見えなかったが、ここでは良く見える。

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その麓の住宅地(下の写真)。

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生駒の山の麓まで見えるね。

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さらに京都寄りの景色(下の写真)。

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川はまだここでは桂川。

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展望台を降りて先へ・・・。

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・・・と思ったら、左手に屏風絵らしきものが置かれている(下の写真)。

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「秀吉の道」陶板サイン

豊臣秀吉の天下取りの物語を解説したもの。
作家の堺屋太一氏が監修し、原画は日本画家の岩井弘氏が屏風絵として描いたもので、当時の戦国武将や合戦の様子などが迫力あるタッチで描かれている。

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知った名まえの武将が・・・。
斉藤利三って明智光秀の家臣で、春日の局の親父さんだっけか・・・?

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戦の真最中。

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武将を探すのも面白い。
猿・・・・もとい、羽柴秀吉を発見。

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光秀も発見。

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二人をアップで・・・。

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「山崎の戦い」については皆さんがよくご存知だと思いますので省略~~(^^ゞ
一応Wikipediaでは→ここ
さて、また登り始めましょう。

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丸太階段が続く。脇の坂のほうが歩くのは楽かも。

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丸太階段が終わるとフラットに近いくらいの緩やかな登りになる。

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そしてちょっと行ったところで左手に石段が有る(下の写真の左上)。

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「十七烈士の墓」というのが有るらしい。立ち寄ってみよう。
石段を登る(上の写真の下段)。
すると結構広い場所に出る(下の写真)。時刻は6:49。

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「十七烈士の墓」(上の写真)

禁門の変(1864年)の時、戦いに敗れ天王山中で自刃した隊長真木和泉守以下十七名の眠る墓。
禁門の変は、江戸時代後期の元治元年7月19日 (1864年8月20日) に起きた長州藩と幕府軍の戦いで、激戦地となった蛤御門をかけて「蛤御門の変 (はまぐりごもんのへん) 」とも言われている。蛤御門は現在の京都御苑の西側に位置している。
長州藩の益田右衛門介、久坂玄瑞らは山崎天王山、宝山に国司信濃、来島又兵衛らは嵯峨天龍寺に、福原越後は伏見長州屋敷に兵を集めて陣営を構え、京に攻め込んだ。一時は優勢に立った長州軍であったが、幕府軍への薩摩藩の援護もあって敗走。長州軍は一旦山崎・天王山に集結し、国元へ引き揚げるが、その時福原越後ら・長州藩主力部隊の国元への引き揚げを見送る真木保臣以下17名の烈士たちが殿 (しんがり) を努めた。
主力部隊を見送った真木保臣以下17名は、幕府軍の掃討を前にし、天王山へと登って自刃。直後、彼らの死を未確認の幕府軍は、天王山へ攻撃をしかけ、離宮八幡宮や観音寺など天王山周辺は炎に包まれた。
現在は有志たちによって毎年10月21日に天王山十七烈士招魂祭がとり行われている。

何となく・・・写真を撮りたくなくて、遠くから上の写真くらいで・・・(^_^;)
お墓をよ~く見たい方はネットで画像検索してみてください。見つかると思います。
石段を降りて登山道に戻る。

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全体的には緩い登りが続く。

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竹林とヒノキの道が続く。

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程無くして真っ直ぐな道の先に社が見える(下の写真)。どうやら「酒解神社」に着いたようだ。時刻は6:54。

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突き当りに有るのは「三社宮」(下の写真)。

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左から蛭子社(蛭子神),月讀社(月讀大神),天照大神社(天照大神)を祀っている。
右折するように参道が続いている(下の写真)。

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本殿はあちらに有るようだ。
先程から人影が写っていますが、十七烈士の墓付近で出会った方です。明らかにハイカーではなく、おそらく地元の方で毎朝の日課として天王山に登っているのではなかろうか。

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「本殿」(下の写真)

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国の登録有形文化財に指定されている。
様式は切妻造。

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「酒解神社(さかとけじんじゃ)」
(自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ))

大山祇神を主祭神とし、素盞嗚尊を相殿に祀る。
創建の由緒は不詳であるが、養老元年(717年)建立の棟札があることから奈良時代の創建とみられている。
旧名を山埼杜といい、現在の離宮八幡宮の地に祀られていた。平安時代の延喜式神名帳には「山城国乙訓郡 自玉手祭来酒解神社 元名山埼杜」と記載され、官幣名神大社に列し、月次、新嘗の幣帛に預かると記されている。
その後、自玉手祭來酒解神社の祭祀は途絶え、明治時代まで所在がわからなくなっていた。
現在の自玉手祭来酒解神社は、天王山の頂上近くに中世ごろよりあった天神八王子神(牛頭天王)を祀る「山崎天王社」であった。天王山は元々山崎山と呼んでいたが、当社にちなんで天王山と呼ばれるようになった。明治10年6月、山崎天王社が式内・自玉手祭来酒解神社であるとされ、自玉手祭来酒解神社に改称した。現在の祭神・大山祇神はそのときに定められたものである。
神輿庫は国の重要文化財に指定されている。
Wikipediaより)

本堂の横に登山道が続く(下の写真)。

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すぐに丸太階段。

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暫く続く。

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木漏れ日の中を進む。

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これもヒノキかな??分からん・・・(^^ゞ

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程無くして分岐(下の写真)。

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Aが山頂への道。Bは柳谷・小倉神社方面とのこと。
勿論黄色の矢印のようにAへ。
すると下の写真の奥が突き当りのT字路。

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そこに、左が山頂への道(A)だと示す道標が有る(下の写真)。

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当然Aへ。
坂を登る(下の写真)。

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落ち返すように登り返す(下の写真)。

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すると広い所に出た(下の写真)。先程のおじさんが先着。

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その向かって右にちょっと高い場所が有る(下の写真)。

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あそこが山頂だ!ケルンが作られている。

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天王山山頂に到着!時刻は7:01。

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標高270.4m。
現在ここに三角点は無いらしい。ここから1km位離れた十方山のほうに移設されたとのこと。

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登頂成功(笑)をストックのVサインと共にイェ~イと親指を立てて撮影(下の写真)。

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こんなの撮っているところはちょっと恥ずかしいので人に見られたくない。もう2~3時間遅いとハイカーがたくさん押し寄せていて、上の写真なんて撮れなかったかもしれないな。

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山頂付近は周りを木々に囲まれていて展望は無い(上の写真と下の写真)。

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山頂の広場には天王山の合戦で秀吉によって築城された天王山城の礎石が残っている(上の写真の左手)。まぁ、椅子代わりに座って休憩しちゃったけど・・・(^^ゞ
山頂でウロウロしていると、あとから一人のおじさんハイカーさんが登ってこられて、挨拶を交わす。おじさんは山頂で写真を撮ったら先に行かれた。
では、僕も・・・。山頂広場から降りて先程のT字路に戻り、柳谷・小倉神社方面へ向かう(下の写真)。

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ここからは下山コースだ。だが実際はやや標高の高いほうに進んでいる。

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ただしまだ急な登りではないがね。ほぼフラット。

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竹林とヒノキの道が続く。

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登山道というよりも癒しの散策路って感じ。

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竹の葉の緑と地面の草の緑が濃い(下の写真)。

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ちょっと虫が多いが、それ以外は快適、快適。

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お・・・、久しぶりに丸太階段が見える(下の写真)。

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で~、登り。
これで結果的に天王山山頂よりも標高が高くなっていくことになる。下山なのに・・・。

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少し登るとフラットな道に・・・。

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これがまた・・・良い感じのトレイルなわけよ。

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どうよ?

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どうですよ?

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どうだ!!

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竹林が見えなくなって雑木林っぽくなってきましたな。

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こりゃ~初心者ハイカーさんに人気も出るわな~~。

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ウハウハですな。

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お・・・先のほうにこれまでとちょっと違う感じの路面が見える(下の写真)。

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下の写真の様な木の根っこが這っているような区間もちょっとだけある。

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ただ、殆どが下の写真の様にしっかりと整備された登山道になっている。

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まぁ、どちらでも楽しいですがね。

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楽しいというか・・・長閑な散歩で気が落ち着くというほうが良いか。

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途中でトレイルランをしている人に追い越された(下の写真)。トレイルランも楽しみ方の一つだろうな。

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振り返って撮影(下の写真)。

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休日の朝の木漏れ日を浴びながら・・・

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平日の気持ちの疲れを癒す。

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そんな場所です。

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木々がウネウネとしていて雑木林の状態だな(下の写真)。

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いずれは徐々に厳しめのハイキングにするとして、今はこれくらいから始めたほうがよいね。

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ま・・・本当は過去の山サイではそこそこ厳しい所に踏み込んではいるが・・・。

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結構長く続くな~。

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でも苦痛ではないよ。退屈ではない。

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むしろ長く続いて欲しい。

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その分、心が和らいでいく時間が長くなるから。

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浄化してくれる感じ。

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山頂から30分程歩いたところで久しぶりに分岐(下の写真)。時刻は7:37。

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ここが十方山分岐点だ。僕は下の写真のCから来た次第。

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十方山は左折のB。柳谷・小倉神社への下山ルートは真っ直ぐA。

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Bは左手にフラットな道が伸びている。

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実は僕はここから先のAもBも通ったことが有る。十方山山頂へも行ったことが有る。或ることでね・・・(分かる人には分かるでしょう)。
十方山に行けばあのぶっ飛んだ山頂のオブジェとか有って、楽しく下山できるだろうが、今回のハイキングが内容的に盛りだくさんになりそうだし、十方山は今回の天王山とは切り離して単独でハイクすることにする。
そういうわけで当初の予定通り真っ直ぐAへ。柳谷・小倉神社方面へ向かう。

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ちょっと歩くと・・・。

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ベンチやらテーブルが見える(下の写真)。

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休憩できる場所が有る。勿論ここも何度か来たことが有る。

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ここが柳谷方面と小倉神社方面との分岐。

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下の写真はここまで来た道。僕は向こうから歩いてきた。

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下の写真は柳谷方面への道。ウネウネとスクローラムの様な急斜面が有る。ここも何度か登り降りしているが、そんなに危険ではなくてフラットな場所にすぐに出る。

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下の写真が小倉神社への道。こちらも急下りだが、こちらは丸太階段になっていて楽に歩ける。

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今回は予定通り最短で楽な小倉神社ルートで帰ることにする。
その前にちょっと休憩(下の写真)。

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ま・・・休まなければいけない程は疲れてはいないけど。そういう状況を楽しみたかっただけ。
なので、すぐに小倉神社下山ルートへ・・・(下の写真)。

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何度か通っている勝手知ったる道だが、ハイカーとしては初めてだ(・・・あ・・・ヒントを言っちゃった)。

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急な場所は丸太階段、そうでもないところはそのままの坂。

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しかし・・・虫が多いな。殆どが藪蚊。

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下のほうが薄暗いから藪蚊も増えてくるのかな。

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再び防虫スプレーを体に吹きまくりつつ下っていく。

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知っている道だと歩みも速くなるな・・・。

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蚊から逃げているというのもある。

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でもトレイル自体は良いでしょ?

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お~~、見事な尾根道(下の写真)。

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フラットなトレイルとスクローラムの下りの繰り返しだ。

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んな感じで・・・。

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丸太階段も多い。

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てか、結構長いな。

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まだ続くか・・・。

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お~~、また良い感じの道。

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ウハウハですな。

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木々も高いね。

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木々が真っ直ぐになってきた。雑木林からヒノキに戻ったのかな??

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竹林も復活。

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天王山は下のほうが竹林とヒノキが多いわけね。

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緑の天井って感じ。

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フラットな区間が無くなって下り一辺倒になってきた。

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でも足元が危ないほど急ではない。

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丸太階段も有るしな。

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ここは冬しか来たことが無かったので、こんなに緑に囲まれた光景は初めて。知っている場所でも新鮮だな。

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そして下の写真の様な急階段。走ると転ぶかもしれない位の急な下り。
ここを下るともうほぼ終わりの筈だ。

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下ると竹林沿いの幅広いダブトラ林道並みの道に出る(下の写真)。

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振り返って撮影(暗かったのでブレちゃいましたが)。僕は黄色の矢印のように降りてきた次第。
ちなみに左の橋を渡って山頂方面へ行こうとすると結構キツイ道だと、以前にハイカーさんに教えられたことがある。ホントかどうかは分からない。

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で、先へ・・・。

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藪蚊がブンブンと凄い数。防虫スプレーが無かったらボコボコにされているところだ。

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写真ではそこそこ明るいが、実際は薄暗い場所だよ。

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もうすぐ小倉神社の筈。

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見えてきた(下の写真)。

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沢を渡る橋の先が小倉神社(下の写真)。

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「小倉神社」に到着(下の写真)。時刻は8:10。
小倉神社の公式HPは無いようですが、参考サイト↓
http://www.kamimoude.org/jinjya/nagaoka/oy-ogura/index.html
http://www.geocities.jp/engisiki/yamashiro/html/020116-01.html

奈良時代の元正天皇の養老2年(718年)に創建。桓武天皇の平安遷都(794年)に際して御所の鬼門除けとして祈願され、 文徳天皇の嘉祥3年(850年)神階最高住を賜り、以来「正一位小倉大明神」と号した。後に醍醐天皇の崇敬きわめて篤く、 延喜の制により式内名神大社に列した。
天正年間、豊臣秀吉は山崎合戦(1582年)のとき、家臣の片桐祐作・脇坂陣内を当社に遣わし戦勝を祈願。その本懐を達したというので神徳に報いようと、毎年米三千俵を寄進した。
江戸時代になると徳川氏また山地二十余野歩を寄進したといわれ、明治維新までの旧境内地は六万坪余にのぼった。
≪小倉神社記抄録の由緒より≫

「本殿」(下の写真)。
武甕槌神(たけみかづちのかみ),齋主神(いわいぬしのかみ),天兒屋命(あめのこやねのみこと),比賣大神(ひめおおかみ)を祀る。

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「拝殿」(下の写真)。

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ここまでの無事を感謝し、帰宅までの安全を祈願。
さて・・・神社を出たらあとは舗装路を歩き続けて帰路ということですな。

20120804hike_199

帰りはまた阪急・大山崎駅から帰りたいので、神社を出たら右折して円明寺が丘団地の間の道を進む。JR長岡京駅も有るが、距離はあまり変わらんだろう(わざわざ大阪とは逆の方角に行くこともないしな)。

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ひたすら道なりに真っ直ぐ進む。

20120804hike_201

途中でたくさんローディさんに遭遇。まだまだ自転車ブームが続いているわけね。
名神高速が見えてきた(下の写真)。ここは天王山トンネルの東口付近で、高速道路の下をくぐる。

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まだ歩き続けます。

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左手に男山が見えてきた(下の写真)。

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山崎聖天をスルーしてひたすら進む。

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ようやくJR線沿いに出る(下の写真)。

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するとJR山崎駅のすぐ近くの踏切が見える(下の写真)。

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往きは向かって左からあの踏切を渡り、そのまま真っ直ぐ進んで宝積寺へ向かったわけ。ここで往きのルートに合流した次第。
あとは、往きのルートを逆に辿って西国街道に出て阪急へ。程無くして阪急・大山崎駅に到着。時刻は8:43.

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大阪方面のホームに上がると、さっきまで入っていた天王山が正面に見える(下の写真)。

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20120804hike_210s 程無くして電車が到着。乗車して大阪へ・・・。
そして9:30に帰宅(早!!)。なんか朝ちょっくら散歩してきた・・・って感じの早い帰宅だ。

こうして2回目のハイクを終えたわけだが、今回も超初心者向けの楽なショート・コースで、散策気分だったが、まだこの位で良いでしょう。
お気楽なコースの分、達成感やスリリングさは無いが、穏やかな気分になれたので良し。
今年の夏はまだこんな感じのハイクを何回か続けようと思う。

さて・・・次はどこに行こうかな~~。
  

コース概略/
(自宅(5:00)→○○線・△△駅→)
阪急京都線・大山崎駅(6:00)→西国街道→参道入り口→宝積寺・天王山登山口前→宝積寺(6:08)→旗立松(6:39)→十七烈士の墓(6:49)→酒解神社(6:54)→天王山山頂(7:01)→十方山分岐(7:37)→小倉神社(8:10)→円明寺が丘団地→天王山トンネル東口高架下→宝積寺・天王山登山口前→西国街道→阪急京都線・大山崎駅(8:43)
(→○○線・△△駅→自宅(9:30))

(↓クリックすると別ウィンドウで拡大表示できます。)
20120804map

GPSデータ/
歩行距離/7.5km
歩行時間/1hr46min
停止時間/0hr59min
最高速度/9.2km/hr
移動平均速度/4.2km/hr
全体平均速度/2.7km/hr
標高差/290m
総上昇量/381m
最高標高/307m(十方山分岐)
積算歩行距離/28km
積算総上昇量/1078m

ガーミングラフ/(GPSデータとの差異有)
(↓クリックすると別ウィンドウで拡大表示出来ます。)
20120722map

ルート鳥瞰図/(長岡京駅上空794mより)
(↓クリックすると別ウィンドウで拡大表示出来ます。)
20120722map

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Comments

これで初心者向けですか~
初めに出てきたおばさんの会話にはめられていくと、大変かもという気が^^;
天王山はいつもトンネルを通ってますが、上はこんなんなんだなぁってちょっと新鮮でした。
ナビに十七烈士の墓、も毎回(当たり前か)出てきては、ちょっとコワい気持ちを抑えつつ通ります。
はるか昔には色んな合戦があって(特に京都は多いですが)その地を今歩くって不思議な感じですね。
三川合流、上から見れるのはいいですね~

早朝に歩くのはかなり気持ちが良さそうです^^

« 投稿: tomo  2012年8月14日 (火) 18時19分

tomoさん>
いやいや大丈夫です。ちょっとハードな公園散歩って気分くらいで登れますよ。
涼しくなったらいかがでしょうか。お薦めです。

光秀も秀吉も十七烈士も、自分達の戦っている場所の下に穴が掘られて京都~大阪間を通れるようになるとは夢にも思わなかったでしょう。
京都の街中も色々隠れた歴史のちょっとしたスポットが有りますね。探すと面白いでしょう。

« 投稿: Katze  2012年8月14日 (火) 22時39分