二上山ハイキング 2012.08.19
年月日/2012年8月19日(日)
山地名・地域/金剛山地・葛城
天候/晴れ
目的/葛城・金剛山地の北に位置する、二上山の雄岳・雌岳に登る。
ポイント/上の池横登山口~岩屋ルートをとる。
内容/
3回目のハイキングの今日は葛城・金剛山地の北に位置する良く知られた山、「二上山」に登ることにした。
二上山は雄岳(標高517m)と南方の雌岳(標高474m)の2つの山頂がある双耳峰で、大阪府と奈良県の県境に位置する。鉱石や古道、宗教にも関係が深く、おそらく日本中によく知られている低山だと思う。
かつて河内の人々は「ふたごやま」と親しみを込めて呼び、大和の人々は「あめのふたかみ」とあがめてきた。雄岳と雌岳の間に夕日が沈むのを見て、この山の彼方に西方浄土が有ると飛鳥の人々は考えたそうである。
僕は以前10年ほど前に寺社仏閣巡りを盛んにしていた頃、一度だけ登ったことが有る。その時は近鉄・二上神社口駅から雄岳に登り、山頂に有る二上神社を参拝した。そのあと雌岳に寄って下山、そして山麓の当麻寺と石光寺を参拝したと記憶している。
その時は普通にジーパン&スニーカーで登った筈だ。
今回はハイキングとして登るわけで、それなりのハイカーの格好だ。
ルートは、山のすぐ近くの北寄りに位置する近鉄・二上山駅をスタートとし、国道165号近くの「上の池横登山口」から登るつもり。雄岳~雌岳と南下し、下山ルートは「岩屋峠」,「岩屋」経由で「鹿谷寺跡」に立ち寄ったりもしつつ、山の南に位置する国道166号(現・竹内街道)上に出る予定。あとはちょっと長い距離になりそうだが、竹内街道を西進して近鉄・上ノ太子駅をゴールとするつもりだ。
自宅最寄りの駅から電車を乗り継いで、近鉄南大阪線・上ノ太子駅に到着(下の写真)。時刻は7:52。
ドリンクを自販機で買ったり、GPSをセットしたり、カメラを取り出したりと準備をし、8:02に駅東口の前から出発。
下りホーム側の駅前は線路を挟んで二上山が正面に見える(下の写真)。見えている山頂は雄岳だ(この角度からでは雌岳は隠れている)。あの山にこれから登るわけだ(ワクワク)。
踏切を渡ったら突き当りを左。
道なりに狭い路地を抜けていく(下の写真)。
駅前よりも僅かに東寄りに来たので角度が変わったが、雌岳は見えているのか見えていないのか微妙なところ(下の写真の手前から二軒目の屋根の上)。代わりに二上山の南の岩橋山~葛城山辺りが見えてきた。
道を間違えると途中から逆に山からどんどん離れていってしまいそうだ。登山口を示す大きな道標は無いので注意。間違えたら決定的にまずい分岐のところで、下の写真のような小さな道標が有る位。その示す方向の道に進む。
その先の途中にも幾つかの狭い路地が有るが、そこの分岐にいちいち道標は無い。
写真でもその分岐を紹介したりはしないが、基本的に上の写真の道標の有る分岐から指し示す道に入ったら、最もメインでありそうな道を進む。上の写真の道標は決して方角を示しているものではないので注意。ここで迷うと近鉄の線路に出たり、トラップされたり、行き止まりで引き返したりしそうだ。
やがて下の写真のような、神社らしい境内に登る石段の有るY字路に着く。
クルマの音がよく聞こえてくるようになる。国道165号が近いと思われ、その音の方角、左の登り坂へ入る(下の写真の黄色の矢印)。
少し登ると国道165号のすぐ下のT字路に突き当り、右に曲がる。すると上を走る国道165号に出られるようだ。下の写真はその右折後。左手が国道165号で、反対の右手のフェンスと木々の向こうに神社が有る。
先のほうに女性ハイカーさんが一人歩いている(下の写真)。山ガールですな・・・。定番の山に定番のコース、そして日曜日ということで・・・、どうやら今回はたくさんのハイカーさんに出くわしそうだ。
坂を登ると左手に国道165号。
国道には出ず、さらに続く坂を登って国道の上を通っている歩道橋に向かう(下の写真)。ここの場所の目印はあの歩道橋と、国道の向こうに有る貯水(?)タンク(下の写真の左寄り)かな。
歩道橋で国道の向こう側に渡るのだ。登山口はそこにある。
歩道橋を渡る。左手は奈良県葛城市方面(ちなみにここは奈良県香芝市)(下の写真の左下)、右手は田尻峠を経て大阪府方面(下の写真の右下)。
歩道橋を渡ったら左折(下の写真の黄色の矢印)。
貯水タンクの横を通る道を歩く(下の写真)。
舗装路が途切れる突き当りが「上の池横登山口」(下の写真)。
右手に木々の中に入るトレイルが有る(下の写真の黄色の矢印)。
登山口には大きな案内図が有る(下の写真)。道標には雄岳まで2.4kmと書かれている。
前を歩いていた山ガールに軽く挨拶し、彼女が看板を見ている間に僕はお先に・・・。
と・・・僕が撮影をしたり、虫よけスプレーを浴びまくっている間に後ろから来ていた別の山ガールが先に入っていった。やはりこりゃ、今日は結構人に出くわしそうだ・・・。
登山口(上の写真)から突入。時刻は8:16。
良い感じのトレイルが始まる。
まだ勾配はとても緩く、殆どフラットに近い。
虫の羽音が全く無し。虫よけスプレーは要らなかったかも。
虫嫌いの僕は落ち着いて歩けますな。
そういうことも含めて・・・良い、ここ!
葛城・金剛山地は入る人が多いので、しっかりとした安全な登山道が多く、僕の様な初心者には丁度良い。
前述の池が左手に有る(下の写真)。
木漏れ日がいいね。
まぁ、いずれ結構な登りも出てくるでしょうが・・・。
最初は足慣らし・・・と。
前方の山ガール・・・地図を見て色々考えているようですが・・・。
抜かして先へ・・・。
奥に進むに従って木漏れ日が無くなり、全体的に薄暗くなってくる。
なので、写真もブレ気味(この素人が!って感じ)。後から画像補正して何とか見られる程度だが、それでも写り具合が不満(上と下の写真)。
先程の池に流れ込むのであろう小さな沢が流れていて、登山道はそれに沿うようにその左や右に位置を変えながら続いている。途中で沢を渡ることも有るが、しっかりとしたコンクリートの橋がかけられている(下の写真)。
勾配もちょっと登り傾向が強くなってきた(まだ緩いが・・・)。
向こうにベンチが見える(上の写真)。
登って行くと、ちょっと広い場所が有って分岐になっている。
僕は下の写真のCから登ってきた。Aが雄岳山頂への道。
Bはおそらく雄岳山頂を避けて馬の背(雄岳と雌岳の間の鞍部)付近に合流する道だと思われる。
ここは当然Aへ(下の写真)。
頭上の木々も密集して高くなり、陽射しが遮られている。
沢が近いせいも有って若干ジメっとした感じの路面だが、ヌタる様な感じではない。
ただ、相変わらず薄暗いので写真はブレブレ。
この辺りから、下山してくるトレイルランの人と何度か出くわしてご挨拶。本格的なトレイルランではなくて近所の山を朝に走って運動不足解消・・・みたいな軽装の人達ばかりだ。
ウネウネと登っていく。まだそれ程急ではない。
何度か左に右にと沢を渡り返しつつ登る。
前述したが、この辺りでも虫の羽音が無い。
このまま今日は虫に気を削がれずに山歩きを楽しめそうだ。
程無くして目の前にベンチと分岐らしい場所(下の写真)。時刻は8:35。
ここで登山道が二手に分かれている。
僕は下の写真のCからここへ登ってきた。
それを折り返すように登るルートがA。真っ直ぐ登るのがB。どちらも丸太階段だ。
ここに有る道標の「雄岳山頂まで1.5km」とは、Aの方向を指して書かれている(上の写真の左下)。このAとBは結局山頂の前で合流する様だ(上の写真の右下)。
下の写真がA。
下の写真がB。
写真では分かりにくいが、Aのほうが急。
どちらにするべきかちょっと考えたが、何となくここは急な登りの丸太階段が見えるAを採ることとする。
で、折り返すようにAへ。
グングン登っていく。
左下に先程抜かした山ガールが分岐まで登ってくるのが見える。彼女がAとBのどちらをとるか分からんが、何故か何となく逃げるように急ぎ足になっている自分(笑)。
速いペースで登っていく(何故逃げるwww)。
そこそこ長い。でも、まぁ以前山サイをしていた頃は、この位の階段でも全く普通にMTBを担いで登っていたからな~。それを思うと今は全然身軽で楽な筈だが・・・。やはり体がなまってきたのか、ちょっと息が上がり気味。
程無くして丸太階段終了(下の写真)。
フラットに近い、緩い登り勾配のトレイルが続いているように見える。
ここで呼吸を整える感じで先へ進む。
ちょくちょくベンチに出くわす。
でも休まずに先へ。そこまでは疲れていない。
そう言えば木漏れ日も射しているな。
岩場登りも無い、穏やかな道が続く。
下の写真では岩が見えているが、単なる段差程度。
お気楽なトレイルだな。
既に今日ここに来て良かったと思い始めている。
やっぱり金剛山地~和泉山脈一帯ってトレイルが整備されているね。
そういうわけで近所の人はフラフラっと入っていけるし、散歩でもランニングでも楽しめそうなトレイルですな。
まぁ、似たような写真が続くので、この記事を見ている人はもう飽きてきている頃だと思うがw
歩いている本人は良い気分なんですわ。
程無くして下から登ってくる別の道と合流(下の写真)。時刻は8:47。
僕はここまでBから来ていてこれからAへ抜けていくわけ。Cの道は近鉄・二上神社駅へ向かうルート。冒頭で書いた、10年前に登った際はCからここへ来た筈だ(この分岐のことは流石に記憶が無い)。
二上山頂まであと僅か0.9kmか・・・(上の写真の下段)。
では、引き続き真っ直ぐAへ。
すぐに丸太階段に出くわす。
ちょっと勾配が急になったので丸太階段の出番というわけね。
この区間の丸太階段も結構長い。
写真は少ないですけど、長いです。
ウネウネとカーブしながら登っていく。
急な箇所は下の写真のような鉄製の階段まで付けられている。安全第一の至れり尽くせりルートですな(流石に鉄階段は・・・鎖にしたほうが良い感じなのにな~~)。
まだ丸太階段。
丸太階段が終わったか?・・・と思ったら・・・。
また丸太階段(下の写真)。
先程の丸太階段よりも疲れるな。
と・・・・。ようやく丸太階段終了(下の写真)。
とても緩い登り勾配のトレイルが続く。
ちょっと早くなった呼吸を整えつつゆっくりと歩く。
この辺りから、前方にハイカーさんが見えたり、後ろからハイカーさんが来たりと・・・、人に出くわすことが度々。やはりお手軽メジャーな山だけあるな。
また丸太階段(下の写真)。
しかしすぐに終了。
人が写っているほうが、距離感やトレイルの幅の目安になるな。
・・・そうなんだよな~、山サイの時はMTBが有ったから、MTBを置いて一緒にトレイルを写すことで距離感やトレイルの幅とか、結構写真で伝えやすかった。このことはハイキングを始める当初から気が付いていて、ハイクでは何かそういう目安になる物がないか考えていたのだが、今でも良い物が思い付いていない。ストックをトレイルに置くというのも考えたが、MTBと違ってなんか不自然なんだよな~・・・で、この通り何もやっていない。
なので、他のハイカーさんが来ると何となく有り難や~。
そうこうしているうちに、折り返すようにBへ向かう道が有る分岐に来た(下の写真)。僕はCから来た。
一人のハイカーさんがBに向かい、何かを見てまた戻ってくるので、僕もBへ寄ってみる。
折り返すようにBへ入って進むと、すぐそこに・・・、あぁ、これが大津皇子の墓ね(下の写真)。
「大津皇子(おおつのみこ)」
663年(天智天皇2年)~686年10月25日(朱鳥元年10月3日))
飛鳥時代の皇族。天武天皇の皇子。母は天智天皇皇女の大田皇女。同母姉に大来皇女。妃は天智天皇皇女の山辺皇女。
663年に九州の那大津で誕生。
『懐風藻』によると、体格や容姿が逞しく、寛大。幼い頃から学問を好み、書物をよく読み、その知識は深く、見事な文章を書いた。成人してからは武芸を好み、巧みに剣を扱った。その人柄は自由気ままで、規則にこだわらず、皇子でありながら謙虚な態度をとり、人士を厚く遇した。このため大津皇子の人柄を慕う、多くの人々の信望を集めたとある。『日本書紀』にもおなじ趣旨の讃辞が述べられており、抜群の人物と認められていたようである。
母の大田皇女は天智天皇の皇女で鵜野讃良皇后(後の持統天皇)の姉だったため、夫天武天皇即位時に生きていれば皇后になっていた人物だったが、大津が4歳頃の時に早世、姉・大来皇女も斎女とされ、後ろ盾が乏しかった為異母兄の草壁皇子が681年(天武天皇10年)に皇太子となったが、大津も683年(天武天皇12年)2月に朝廷の政治に参加する事となる。
しかし、当時まだ年少だった長親王・舎人親王等を除けば、血統的に草壁と互角だった大津の政治参加は一応明確になっていた草壁への皇位継承が半ば白紙化してしまった事を意味した。686年(朱鳥元年)9月に天武天皇が崩御すると、1ヶ月も経たない10月2日に親友の川島皇子の密告により、謀反の意有りとされて捕えられ、翌日磐余(いわれ)にある訳語田(おさだ)の自邸で死を賜った。享年24。
これらの謀反にかかわる内容のうち、川島皇子の密告については虚構であろうとする論者もある。また謀反の内実については天皇の殯宮で皇太子を謗るような発言をしたのではないかとする見方がある。謀反の内実についてもそれを伝える確かな史料はない。
(Wikipediaより抜粋)
10年前に来た時にも立ち寄ったと思うが、記憶には無し。
一応、山に入ってきたことの許しを請うような感じで手を合わせる。
戻って先へ。
すぐ目の前に建物が見えてきた(下の写真)。
上空が開け、神社の前に到着(下の写真)。時刻は9:20頃。
二上神社だな。これは何となく記憶が有る。
ここまでの無事とこれからの安全を祈願。
「葛木二上神社(かつらぎふたかみじんじゃ、かつらぎにじょうじんじゃ)」
奈良県葛城市の二上山雄岳山頂付近にある神社。
式内社で、旧社格は郷社。
二上神社、葛木坐二上神社(かつらぎにいますふたかみのじんじゃ)とも呼ばれる。豊布都霊(とよふつのみたま)神と大国魂(おおくにたま)神を祀る。
豊布都霊神が石上神宮に、大国魂神が大和神社に勧請されたという伝承がある。
豊布都霊神については布都御魂の名が有名だが、何故「豊」が名前に付くのかは不明。また、武雷神と同神とされる。大国魂神は国津神の大将軍とされる。
『神社要録』には「武甕槌命、大国主命」、『神祇志』には「紀豊布都霊神、大国神」と記載されている。元々は二上山の2つの山頂・雄岳と雌岳にそれぞれ男神・女神が祀られていたものとみられる。創建の年代等は不詳。
二上山には石器の素材となる讃岐岩(サヌカイト)の層があり、古くから周辺に人が住んでいたものとみられる。文献の初出は、『日本三代実録』の貞観元年(859年)正月27日条、当社に従五位上の神階を授けるという記述である。延喜式神名帳では「大和国葛下郡 葛木二上神社二座」と記載され、大社に列している。
当麻寺中之坊所蔵の「当麻寺付近絵図」には二上山の雌岳に神蛇大王(竜王)を祭る社もあったことが記されており、現在は中之坊鎮守として遷座され、境内稲荷神社末社に竜王社の小祠となったとの伝承がある。当社との関係は不明。
近世には「岳の権現」と呼ばれ、二上山からの水流を利用する数十か村の岳郷の氏神であった。
明治6年(1873年)4月に郷社に列格した。現在の社殿は1974年(昭和49年)の二上山大火で焼失し、翌1975年に再建されたもので、内部には小さな榊の御神体がある。
(Wikipediaより抜粋)
さて、この辺りはもう雄岳山頂の筈だが、それらしい標石とか三角点とか何も見当たらない。
下の写真は神社の前で撮影した先の道。
丁度上の写真のおじさんハイカーがいる辺りまで進んでみる(下の写真)。
右手にちょっと広い場所が有る(下の写真)。
ここが山頂としか思えない。ここをスルーして先へ行くと下り坂になっているからだ。GPS上でもこの辺りの筈。
で、先程写っていたおじさんハイカーさんがこのすぐ近くで何か作業をし始めていたので尋ねてみることに・・・。
(おじさんは長い金属の棒(?)を立てようとしている真っ最中。)
Katze「こんちは~。何をされているのですか?」
おじさん「あぁ、こんにちは。アンテナを立てているところだよ。」
Katze「(ツッコミどころだが、本当はアンテナだろうが何だろうが興味が無いので)、ここって雄岳の山頂ですか?」
おじさん「あぁ、そうだよ。その辺り(上の写真の広場)。」
Katze「三角点とか無いんですかね~?」
おじさん「・・・あぁ~~・・・。見たこと無いな。気にしたことも無かったし・・・。雌岳のほうには有るけどね。」
Katze「あぁ、そうですか・・・。ど~も~~。」
・・・みたいな。
後日ネットで調べたところ、雄岳には三角点は無いらしい。
・・・ということで、なんてことも無い上の写真が山頂の写真。二上神社も含めた一帯が山頂と言ったほうがいいかな。で、標高517mの登頂成功・・・とw
ちなみに雄岳山頂は展望無し。木々の間からかすかに遠くが見えるか?って程度(-.-)
さて、特に休む場所も無いので雌岳に向かいますか・・・。
丸太階段で下る(下の写真)。
雄岳と雌岳の間の鞍部を通って行く次第。
ここから所々、下の写真の様な丁寧な案内板が掲げられている。
蓮花ちゃん・・・て。
先へ・・・。
丸太階段の下りが続く。
下の写真の折り返しの箇所、この付近からどこかに繋がる二つのトレイルが有るが(下の写真を写している僕の立ち位置の背後と左手)、無視して丸太階段でそのまま下る。
結構長いです。
続くね~。
逆に登って行く時もそこそこ疲れるかも。
だんだん緩くなってきた。
丸太階段終了(下の写真)。フラットに近くなった。
すると向こうに開けた場所が・・・(下の写真)。
あぁ、ここが「馬の背」ね。
標柱が有りますな(下の写真)。
ここは四つ辻の様になっている。僕はDから来た次第。
Cは祐泉寺経由で麓と繋がっている道。当麻寺まで降りられる。入口には丸太階段が見える(下の写真の下段)。
正面真っ直ぐはA。雌岳はあちらだ。
右のBはダイトレへ繋がっている道で、雌岳山頂を通らずにダイトレに出るようだ(下の写真)。
そう言えば10年前に登った時に、どこかで入山料を徴収された記憶が有る。幾らだったか・・・200円だったかな?場所はここだったかな~??場所までは憶えていない。何か兄ちゃんがいて払ったことは記憶している。ただ今日はハイカー以外いませんな。雄岳山頂付近にもここにもいないし、雌岳山頂側にいるのか、どうなのか・・・今日はいないのか、たまたまいない時刻なのか、そもそも今はもう徴収していないのか・・・。分かりません。
話は変わるが、馬の背にはトイレも有るから万一の時には安心ですな。
・・・で、当然ここはAへ(下の写真)。
丸太階段の今度は登り。
その右の斜面にベンチが並べられている。
そこから・・・おぉ!
大阪平野がよく見える。
写真ではこの程度だが、肉眼ではくっきり。
冬場のほうが木々の葉が少なくなって見易いかもね。
展望を気にしつつ登っていく。
途中で何ヶ所か展望を拝める。
お・・・さっきより広く見渡せる。
シムシティを連想してしまう。
目を凝らしてゆっくり見れば、大阪に長く住んでいる人ならあの建物が何かとか良く分かるかも。
大阪湾も見えているようにも感じるな(確かに見えるらしい)。
向こうの山って六甲かな??
そんな感じで展望を気にしつつ登っていくと、割とあっさり丸太階段終了。
平らな所に出た(下の写真)。
雌岳山頂だ。時刻は9:39。
山頂は結構広く、北半分は割と草が多い場所。
南半分は日時計が置かれている(上と下の写真)。
その日時計の近くに三角点が有る(下の写真)。
三等三角点ですな。標高474m。
登頂成功のイェ~イ。
・・・あ、念のために書いておきますが、三角点を踏みつけてはいませんよ。軽く触れるか触れないかくらい。三角点は大事なものですからね。まぁ、興味無い人にはどうでもいい物かもしれませんが・・・。
あ・・・しまった。ハイキングではストックで登頂成功のVサインを作ることにしているんだった。撮影し直し(下の写真)。
山頂にはハイカーさんがいるので(合計10人強はいるかな)、上の写真の様なものを撮影しているところを見られないように辺りをうかがいつつ、素早く撮影したりして・・・。何か恥ずかしくてね(^^ゞ
三角点の目の前の日時計(下の写真)。
その向こうに金剛山地の続きがよく見える(下の写真)。肉眼だとくっきりだよ。
金剛山地は南北に長く、ここ二上山はその北端近くに位置しているので、すぐ南隣とそのまた隣の山しか見えないが、目の前が岩橋山で、その向こうの鉄塔のような物が飛び出ているのが葛城山の筈だ。更にその南の金剛山も見えているかも知れないがちょっとどれだかは自信が無いな・・・。一見、葛城山の右肩のような感じに見える辺りがもしかしたら金剛山かも知れない(違うかも・・・不明)。
その金剛山地の東麓もよく見える。
大和平野を見降ろせる(下の写真)。大和高田市、御所市辺りですな。
やはりここも木々の葉が少ない冬場のほうが見易いかも知れない。
まぁ、それでも良い眺めだ。
ベンチに座って、下の写真の岩橋山と葛城山を見ながらお菓子をつまんでちょっと休憩~~~。
句碑が有るね(下の写真)。万葉集の中の二上山を詠んだ歌。
大坂を わが越え来れば 二上(ふたかみ)に
黄葉(もみちば)流る 時雨(しぐれ)ふりつつ作者未詳 万葉集巻10 2185
大坂を越えてくると、二上山の川には黄葉が流れている。
時雨が絶え間なく降り続いている。
さて、少し休んだら下山開始。時刻は9:55。
幾つかの下山ルートが有るが、当初の予定通り、先ずは「岩屋峠」と「岩屋」へ向かう。
岩屋方面を示す道標に従って階段に入る。
ちょっと幅の狭い丸太階段が続く。
暫く下ると丸太階段終了。緩い下り坂になる(下の写真)。何か先に眺望が・・・。
お!良い眺め。
大阪府南部の平野と金剛山地~和泉山脈辺りがよく見える。
高速道路らしい高架も見えるな。阪奈道路かな?分からん。
金剛山地の連なりが良く見えますな。
雌岳山頂よりも見易いかも~~。
岩橋山・・・その向こうの葛城山・・・。金剛山・・・。
あちらも山もいつかハイキングをしに行こう(実は何度か行っている・・・ハイキングではないが・・・)。
お宅、写っていますか?・・・みたいな。
さて・・・再び丸太階段の下り(下の写真)。
また緩い下りに・・・。先程と似たような光景だ。
お!また眺望。
先程よりもやや北寄り。これも大阪平野だ。山の西側だな。
雌岳~馬の背間の展望に勝るとも劣らない眺めだ。
川らしき物の存在が見える(下の写真)。石川だろうな。
あのタワーは何だろう??(下の写真)
(後日調べたら「PL大祈念塔」とのこと。)
更に緩い下りが続く(下の写真)。左手の展望も引き続き~~~。
先程から同じ写真ばかりですが、飽きないんですよ。
肉眼で見ると写真よりも遙かに良いですよ~。
道沿いに展望区間が続く。
この狭いトレイルでも、展望を座りながら楽しめるよう、ベンチも置かれている。
さ・・・同じ写真ばかり、飽きたでしょうから・・・。
もうこれで止めときますわ~~。
先へ・・・・。
下の写真・・・一応丸太階段。
木々で展望が遮られるようになってきた。
どんどん下る。
低くなってくるので陽の光が遮られてくる。
薄暗くなり、せいぜい木漏れ日程度になってきた。
九十九折れの丸太階段が続く。
長い下りですな。
お・・・またちょっと先が明るくなってきた。
もうだいぶ下ってきたので、多少開けていてももう展望は望めない。隣の山の斜面の木々で遮られている。
ひたすら九十九折れの丸太階段。
でも歩き易い。
そうこうしていると「岩屋峠」に到着(下の写真)。時刻は10:09。
僕はDから降りてきた。
峠の分かり易い全貌は写し損ねたが、ここは四つ辻。
Aのように右に下るとすぐそこが「岩屋」のようだ(下の写真)。
そのすぐ隣、逆に登るようなBのトレイルが竹内峠(竹ノ内峠)へ通じる道。
Dと直線関係に有るCが、祐泉寺経由で当麻寺へと繋がるトレイル。パッと見、結構木々で覆われていそうな感じ。
で、ここは予定通りAの岩屋へ・・・。
下っていくと、大木が横倒しになっている(下の写真)。
「岩屋杉」というのだそうだ。
「岩屋杉(岩屋の千年杉)」
周囲5.8m 高さ28m。
平成10年9月の台風7号で倒れ、数個に切断されている。
トレイルは折り返すように、岩屋杉の下をくぐるように続いているが、そのすぐ近くに「岩屋」が有る(下の写真の下段)。あちらへ・・・。
「岩屋」に到着。時刻は10:13。
ちょうど先客がいらっしゃいますので撮影。大きさが分かるでしょう。
もう少し接近。
「岩屋」
この遺跡は、西向きに開口する大小2基の石窟で構成され、付近から出土する須恵器等から、8世紀奈良時代の築造と言われている。
大石窟の内部中央の3層の凝灰岩製多層塔(高さ約3m)の石塔台座下部には、桶水を溜める小抗がある。北壁面には三尊立像を浮彫にしているが、剥落が著しく光背部分が識別できるに過ぎない。
石窟上部の壁面には数ヶ所の円形の水平坑が穿たれており、木造の覆屋構造があった可能性が高い。また、当麻寺に所蔵される当麻曼荼羅を中将姫が、この岩屋で織ったとする伝説が残されている。
(案内板より)
さて・・・、岩屋をあとにし、岩屋杉の下をくぐる(下の写真)。
少しばかりフラットな道を歩いた後・・・。
下りの丸太階段(下の写真)。
すぐに舗装路に出る(下の写真)。
僕はCから出てきた。
この舗装路は「ダイトレ」。
Aは下り(下の写真)。
Bは登り(下の写真)。
・・・で、冒頭に書いた予定だと、このあと僕は「鹿谷寺跡」に寄る予定だった。しかし何をボ~ッとしていたのか、Aへ下って行ってしまった。
気が付かずに下っていく。結構な急勾配だ。
やがて緩くなり石畳となる(下の写真)。
開けた所に出た(下の写真)。クルマの音も大きく聞こえる。
僕はDから来た。
ここまで来て間違えたことに気が付く。鹿谷寺跡を示す道標が有って、Cを指している。
別の道標では(下の写真)。真っ直ぐAへ向かうと上ノ太子駅方面。
また、すぐ左のBのほうからクルマの音がよく聞こえる。
下の写真は案内板の地図の一部。
Bはすぐに国道166号に出られるわけね(下の写真)。ここは国道166号のすぐ北に位置しているわけだ。
Cへ入れば鹿谷寺跡へ行けて、そのあと「ろくわたりの道」を経由して帰れる。ここからでもやり直しがきくが・・・・。
いいや(^^ゞ、もう帰っちゃおう。なんか面倒になっちゃった(^_^;)
Aへ進もう。また二上山に登ることも有るだろうし、鹿谷寺跡もろくわたりの道もその時に取っておこう。その際には、ろくわたりの道→鹿谷寺跡→岩屋峠→雌岳・雄岳→祐泉寺→当麻寺、とか考えられるしな。
てな具合で、Aへ・・・。
まるで公園内の小道の様な道を進んでいくと(上の写真)、すぐに「二上山万葉の森」に出る(下の写真)。時刻は10:27。
すぐ隣を国道166号が走っている(上の写真)。
クルマに注意して国道を横断し、反対側の歩道へ(上の写真の黄色の矢印)。
狭い歩道を歩く。クルマが多いのでそのほうが安全。
緩い下り坂を何となく窮屈な感じで歩いていくと、やがて歩道が広くなる(下の写真)。
ゆったりと(だが暑い)下っていくと、やがて道の駅「近つ飛鳥の里太子」の傍に到着(下の写真)。時刻は10:45。
ここで広い歩道は終わり。
国道は避けたいので道の駅の方へ進み、国道に並行するような小道に入る(下の写真)。
昔の竹内街道だ。
古民家が建ち並ぶ。
かつては茶店とか軒を並べ、旅人が立ち寄った場所らしい。
クルマも殆ど来ないのでゆったりと歩ける。
緩い下り坂。
近くには「竹内街道歴史資料館」とか幾つかの観光スポットや太子温泉も有るらしいが、今回はスルー。また今度。
次の二上山ハイクの時にまたここを通るかもね。今度は逆に登っていく感じで・・・。
茅葺屋根の名残か。
そうこうしているうちに分岐のト字路(下の写真)。僕はCから来た。
地図を持っているしGPSも有るのだが、何となく確認するのが面倒になって、上の写真のような「太子ウォーキングコース」という案内板にいざなわれてAに左折。
これが大間違い!直進してBに行ったほうが上ノ太子駅に早く着けると後で分かった。
しかし、ボ~ッと何となく駅の方角に歩いて行く・・・。
途中でなんか遠回りしていることに気が付き、道行く人に駅への道を何度か尋ねつつ、下の写真のようなどうにもこうにも普通の道を進み・・・。
陽の光を遮る物の無い、住宅地の道をひたすら歩き・・・。
ようやく南阪奈道路が見えてきた(下の写真)。
あの高架下近くに駅が有る筈。
高架下をくぐった辺りだろう(下の写真)。
ふとみると・・・東にさっき登った二上山が見える(下の写真・・・電信柱で雌岳が隠れていて残念・・・気が付かなかったorz)。ちなみにもし竹内街道のあのト字路で道を間違えなかったら、僕はこの高架沿いの下の道の向こうからここに来ていた筈だった。
で、高架をくぐったすぐそこが近鉄・上ノ太子駅。
上ノ太子駅に到着。時刻は11:38。
僕がどれだけ遠回りをしてしまったかは、下の地図を見てくださいな。叡福寺の近くまで行ってしまった(^_^;)
あとは電車に乗り込んで大阪市内へ・・・。
13:20には帰宅出来た。
ここ数日、近畿は午後から集中豪雨と雷雨が連日続いていて、この日も昼ちょい過ぎまで快晴だったのだが、午後から急な雷雨。この二上山界隈も相当降ったらしい。早めに帰ってきて良かった。
こうして、3回目のハイキングをほぼ無事終了。
まぁ、目的スポットをすっとばしたり大回りもしたがいいでしょう。
何よりもとてもお気楽に歩ける山だったし、初心者・小さい子がいる家族向けの場所でしょうな。
展望も良く、楽しかったし、またいつか登りたくなった。今度は冬にしようかな。
さて・・・次はどこへ行こうか・・・。
コース概略/
(自宅(5:20)→○○線・△△駅→□□線・◇◇駅・◎◎線→▽▽駅・近鉄南大阪線・大阪阿倍野橋駅→)
近鉄南大阪線・二上山駅(8:02)→R165→上の池横登山口(8:16)→大津皇子墓(9:15)→雄岳山頂(9:20)→馬の背(9:32)→雌岳山頂(9:39)→岩屋峠(10:09)→岩屋(10:13)→ダイトレ→R166(10:29)→道の駅・近つ飛鳥の里太子(10:45)→竹内街道→太子町山田→R166→太子町春日→太子町聖和台(11:25)→近鉄南大阪線・上ノ太子駅(11:38)
(→大阪阿倍野橋駅・◎◎線・▽▽駅→◇◇駅・□□線→○○線・△△駅→自宅(13:20))
GPSデータ/
歩行距離/10.9km
歩行時間/2hr40min
停止時間/0hr55min
最高速度/11.6km/hr
移動平均速度/4.1km/hr
全体平均速度/3.0km/hr
標高差/428m
総上昇量/433m
最高標高/517m(雄岳山頂)
積算歩行距離/39km
積算総上昇量/1511m
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