朝熊ヶ岳ハイキング 2013.01.19
年月日/2013年1月19日(土)
山地名・地域/伊勢
天候/晴れ
目的/伊勢の朝熊ヶ岳に登る。
内容/
たまには未踏のエリアに突入しようと思い、今回はそのエリアの一つ、伊勢の山に登ってみることにする。
伊勢の代表的な山と言えば、今回登る「朝熊ヶ岳(あさまがたけ)」なのではなかろうか。伊勢神宮・内宮のすぐ傍に聳え、「お伊勢参らば朝熊をかけよ 朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭に歌われている名山で、山頂のすぐ傍に位置する古刹「金剛證寺」は伊勢神宮の鬼門を守るとされている。
未踏と前述したが、実は昔、僕は寺社仏閣巡りを盛んにしていた時期が有って、その頃に金剛證寺に参拝したことが有る。その時は伊勢神宮参拝の後にバスで寺と麓とを往復した。朝熊ヶ岳には稜線近くに「伊勢志摩スカイライン」が通っていて、クルマで麓と金剛證寺とを往復できるのだ。ただ、その頃は登山やハイキングには興味は無く、朝熊ヶ岳の山頂には行かなかった。なので、徒歩で登り下りのは初めてだし、山頂も初めてになる。
ところで、この朝熊ヶ岳・・・、なかなかの“ヒル山”で、冬以外の季節は沢沿いの登山道でヒルにやられる危険性が大。ずっと昔はいなかったらしいが、(ネット情報によれば)伊勢のずっと西に有る宮川周辺の山々で土砂崩れが相次いだため、その界隈の鹿が徐々に活動エリアを東へと移動し、遂にはこの朝熊ヶ岳周辺を棲みかにするようになったらしい。その鹿に“付いて”、ヤマビルも移動してきたらしい。
朝熊ヶ岳には「伊勢志摩スカイライン」が走っているし、麓には交通量の多い国道や県道が走っているし、何よりも伊勢神宮が有って人が多いし、海にもとても近いので、ヒルなんて無縁そうに見えるが、前述の理由でヒル山になってしまっているらしい。
今回使う予定ルートは定番の「朝熊岳道」と「宇治岳道」で、この二つは沢沿いではない。沢沿いでなければヒルには遭いそうに無いが、それでも近年「朝熊岳道」で見かけたとの情報も有り、何よりも、どのルートでもまず通過することになる、この山の重要な峠「朝熊峠」でヒルにやられた被害情報が有る。
こういった事情から『いつ行くか?・・・今でしょ!?(←某予備校CMの講師風)』ということで、ヒルに遭わない冬まで待ってこの日に登ることにした次第。加えて元々ヒルに遭う確率の低い「朝熊岳道」と「宇治岳道」を使うことにし、完璧に“ヒル回避”。正月も完全に終わったこの日、伊勢神宮参拝も落ち着いた頃で電車も混まないし・・・(もっとも伊勢神宮・内宮は通年で人が多いが・・・)、まさに『今でしょ!?』というわけ。
自宅を5:05と、早く出発。
最寄り駅から電車を乗り継ぎ、近鉄線で三重県・伊勢方面へ・・・。
近鉄鳥羽線・朝熊(あさま)駅に8:24に到着。
近鉄線高架上のホームに降り立ち、階段を下りていくと・・・・。
駅から出てしまった(下の写真)。
「出てしまった」というのは、駅舎が有るのかと思って歩いて行ったら“外”に出てしまったということ。改札は無い。駅舎も無い。無人駅だ。券売機も無い。代わりにホームに乗車証明書を発行する機械が有るらしい(ワンマンバスの整理券みたいなものだろう)。ハイカーにとって大事なトイレも無い。
そんな(良い意味で)ローカル色の強い駅から出た高架下(下の写真の上段)で、GPSやらカメラやらを準備し、8:27に出発。
下の写真のA,B,Dに道が有るが、黄色の矢印のようにAへ進む。尚、下の写真の上段の反射鏡の隣に掲示板の裏らしい物が写っているが、そこに朝熊ヶ岳の登山道の案内図が載っている。
道なりに進む。
近鉄線の高架から離れていく。
分岐には登山口を示す道標が有るので(下の写真)、見逃さないように進めば道を間違えることは無いだろう。
道標に従って山のほうに向かう。
道路沿いの民家の建屋が少なくなってきた。
分岐だ(下の写真)。道標に従ってまっすぐAへ進む。
僅かに登り勾配だが、まだまだ麓の道だ。
道沿いに二十二町の町石の石柱と地蔵(下の写真)が有る場所に来ると・・・。
目の前に朝熊岳道の登山口が有る(下の写真)。時刻は8:42。
Aの登り坂が朝熊岳道だ。ちなみにBへは別のちょっとマイナーなルートが有るようだ(ネット情報収集不十分)。
尚、左のCに駐車場や休憩所、公衆トイレが有る。
地元の方や同好会・愛好会(?)の方達によって綺麗に掃除されているようだ(感謝)。
さて、登山の開始。
先ずはコンクリート舗装路の坂だ。
それはすぐにダートに変わる。
岩を切り通したような道になる。
もっと土が見えている道かと思っていたが、予想外。
あ・・・いや、勾配が緩くなると、路面の様子が変わった。
よく踏み固められた綺麗な土のトレイルに変わった。
道の傍らの町石がこれから目安になりそうだな(下の写真)。GPSも良いが、これで判断するのも雰囲気が有る。頂上までは二十二町で、一町が109mだそうだ。
石仏も良いな。
下の写真のような、勾配が急な所は岩を切り通したようなトレイルで・・・。
下の写真のような、勾配の緩い区間は踏み固められた土の路面ってわけね。
ただ、両方のタイプとも割とゴロゴロと石が転がっている状態。
前を歩く先行ハイカーさんとの差が広がっていく。
石仏は昔から有る物のようですな。
・・・と、ここで突然左の林の中からおじさんが出てきて、ちょっとびっくり。挨拶をすると、鹿を見かけたので写真を撮ろうと中へ踏み込んだのだが、チャンスを逃したとの話。
ハイカーではあるが、よく見かけるおじさん臭いおじさんハイカーとは違い、テンガロンハットのような帽子に、髪には金髪も入った、ちょっと(僕的には)お洒落な感じのハイカーおじさんだ。全体にオレンジのウェアが目立つ。少し会話をすると、すぐ近くに住んでいて、朝熊ヶ岳はもう今年で何と6回目だそうだ(週2回くらいか?)。
「僕は写真を撮りながら歩くので遅いですから、どうぞお先に・・・。」と言って、先に行って頂いた。
そのおじさんが下の写真に写っている。歩くのが速いので、“モデル”としてロック・オン出来ずに先に消えた。
さて、また一人で登っていく。
下の写真の遠くにおじさんが見える。
勾配が急になると、岩場を切ったトレイルになる。この点はここまでと同じ。石も相変わらずゴロゴロ。
丸太階段だ(下の写真)。岩場の上に土を撒いて丸太を埋めた感じ。
下の写真のように、どうにも岩が硬そうな所は丸太階段無しでそのまま。しかし真ん中に鎖が張られている。登りと下りとを分けたいのか?どうなのか・・・・?
また丸太階段(下の写真)。
丸太無しの岩場(下の写真)。トレイルを整備していく段階で、何らかの規則的な判断を持って丸太階段を作ったり、作らなかったりしたのだろう。
トレイルの両側に聳えるこの木は・・・ヒノキかな??
下草にはシダ類も生えている。
狭い切り通しを抜け・・・。
T字路のような場所に出る(下の写真)。僕はCから登ってきた。
左のBに下から道が来ているようだが・・・。
登りは右のA(下の写真)。個人所有の林業用の土地に入る道が有るので、そこはロープが張られ、道標も立っている。
道標に従って先へ進む。
岩とガレ気味の道が続く。
下の写真に写っている人は下山中。早いな~。何時から登ったんだ?
岩場とガレと丸太階段の道が続く。
どんどん登っていく。
浮いている石も多いので、踏んでよろめかないように・・・。
途中にベンチも有る。
登っていくと、北の方角、左手の林の木々の隙間に伊勢湾と街が見えてくる(下の写真)。
まだ目線は低いようですな。
橋が見えてきた(下の写真)。
橋の傍に下のような案内・説明文が掲示されている(クリックすると別ウィンドウで拡大画像が見えます)。
かつてはケーブルカーで登って参拝出来たようですな。今はスカイラインが走っていてマイカーやバスで参拝出来ちゃう。
橋の下から斜面を上に向かってケーブルカーの線路跡が走っている(下の写真)。線路跡には下りられない。
トンネルも有ったりしたわけだ。
ここから五十鈴川周辺と伊勢湾が見える。
蛇行している川が五十鈴川。
川に掛かっている三つの橋は手前からJR参宮線の鉄橋、汐合橋、そして汐合大橋だろう(下の写真)。
少し右手に二見町の五十鈴川派川が垣間見える。
三重県の伊勢湾岸の遠くまで見える。津市や鈴鹿市の湾岸も見えている筈だ。四日市市まで見えているのかもしれない。
麓もくっきりだ。
さて、先へ・・・。
上の写真のような綺麗な区間も有れば、下の写真のようなガレた感じの区間も有る。
丸太階段も所々有り、これらの組み合わせがずっと続いている。
九十九折れという程ではないが、何度か折り返しながら登っていく。
十二町まで来た。ほぼ中間地点。
また木々の間から北の方の景色が見える。
若干西寄りかな。五十鈴川は隠れて見えない。
宮川が見えているのかな?
遠くの山はどの辺りだろう?
おっと・・・ついつい眺めて時間を費やしていしまった。
先へ・・・。
まだまだ切り通しの登りは続く。
途中でトレイルを整備しているおじさんにも出会う(写真は無し)。
地元の方が時々整備しているらしい。掃除もしているらしい。
もっとも掃除しなければいけない、というぐらいだと問題無いのだが・・・。ハイカーが多いと、意図的にゴミを捨てることはまず無いだろうが、ポケットからさっき食べた飴の袋がポロリと落ちて気付かず行ってしまう・・・ということは有るだろう(気を付けないとな)。
分岐か(下の写真の上中段)?
・・・と思ったら、AとBはすぐに合流(上の写真の下段)。
柵が有る区間も有る(下の写真)。公園の散策路みたいな感じ。
急に柵が無くなって、ガレの坂道w
珍しく分岐らしい分岐に出くわす(下の写真)。
道標に従って折り返すように右に登る。
これまでの町石の傍らにいた石仏よりも大きな地蔵が立っている(下の写真)。
欠けてはいるが、すぐ近くの案内板によると、比較的新しいものらしい。
十九丁だ。
ガレの登り~~。
まだまだ登る。
石仏に見守られながら・・・
ひたすら登る。
似たような道が続く。
二十丁~。
ついに二十番台か・・・。
久しぶりに先行ハイカーさんに遭遇(下の写真)。
追い付きそうだ。
やっぱり人が写っているほうが、トレイルの幅や距離感が伝わるな。
おばさんハイカーに御挨拶して抜かす。
すると、うっすらと残雪が残る場所に出る(下の写真)。
そこを抜けると・・・。
前方が明るい。
お!ここか~~。
朝熊峠に到着。時刻は9:47。
僕はCから登ってきた(下の写真)。
峠にはA⇔Bに舗装路が走っている。
右のBが宇治岳道で、Aが山頂や金剛證寺に向かう方角だ。
ここで先程の“オレンジ“の(ウェアの)常連ハイカーおじさんと再会(下の写真の左)。
さっき抜かしたおばさん二人も到着(下の写真)。下の写真のCが朝熊駅からの朝熊岳道。
下の写真が宇治岳道で、麓の伊勢神宮・内宮のすぐ近くと繋がっている。峠付近は舗装路だ。ここは山頂や金剛證寺、山上公苑に行ったあとで下山ルートとして使う予定だ。つまり、下山のためにまたこの朝熊峠に戻ってくる予定。
上の写真のBと逆の方角のAは金剛證寺に向かう旧参道で、途中まで舗装路が使えるようだ(下の写真のA)。スカイラインとも繋がっているらしい。山頂へは峠近くのダートの登り口から向かう(それは後述)。
ここにはかつて旅館が有ったらしい。下の写真は峠に立っているその旅館の説明書き。
(↓クリックすると別ウィンドウで拡大表示出来ます。)
峠周辺にブロックや石垣や広い空き地(下の写真)が散見される。旅館のものだったのであろう。
さて、峠から北の伊勢湾の方角の展望が良い。
おぉ~~。
下の写真は、上の写真の拡大版。
(↓クリックすると別ウィンドウで拡大表示出来ます。)
二見町の方角(下の写真)。二見シーパラダイスが見える。左手の低山の向こうが二見浦だ。
そう言えばあの辺りの海沿い(隠れて見えていないけど)をポタリングしたな~~(「伊勢神宮~二見浦ポタリング 2009.09.06」参照)。あの時、まさか後日この朝熊ヶ岳に登ることになるとは全く想像しなかったよ。
城が見える(下の写真)。たぶんあの辺り、伊勢戦国村だろう。
手作り感の有る、現代のお城だ。昔から有る城ではない。
ちなみに、おじさんはあの二見町界隈にお住まいらしい。城の有る低山もよく散歩で登るとのこと。
右手には神崎岬と飛島周辺がチラ見出来る(下の写真)。
方角的に二見シーパラダイスの向こうの地平線は知多半島だろう(下の写真)。こう見ると・・・愛知県と近いな~。
もう少し左手の方角(下の写真)。
手前に五十鈴川(下の写真)。
街の建物がくっきり。
↓この方角の景色は下の写真をクリックすると別ウィンドウで拡大表示出来ます。
景色を堪能していると、他の常連ハイカーさんらしい人達が何人か峠に集まり出して互いに挨拶。“オレンジ”の(ウェアの)ハイカーおじさんも常連さん同士で会話。既に山頂に行ってきた方もいて、話によると、ここから山頂までのトレイルでガチガチに凍結した雪の有る場所が有り、アイゼンが無いと危ないとのこと。
“オレンジ”のハイカーおじさんはアイゼンを持っていないとのことで、とりあえず行ける所まで行くとのこと。僕にどうするかと尋ねられたので、「軽アイゼンを持ってきていますので・・・行きます。」と返答。僕は12月以降、軽アイゼンを常に携帯しているので、それがここで役立ちそうだ。
おじさんはもう一人の常連らしきハイカーおばさんと共に先に山頂へ向かわれた(下の写真)。
登り勾配の舗装路は金剛證寺への旧参道で、その左脇に登り口が有る(上と下の写真)。
遠くに先行するおじさん達を追いながら進む。
雪はまだ全然大丈夫だが・・・。
まだ緩い登り。
途中で分岐(下の写真)。右のAのほうが急勾配で、山頂へはA。
おじさん達もサクサクと登っていく。
徐々に雪が目立ち始めてきた。
勾配が急だし、このままでは滑りそうだ。
まだ小石が見えるような場所だがここで軽アイゼンを装着(下の写真)。
実はこれが“初”アイゼン。実際に外ではめたのはこれが初めて。家の中で座ったまま装着して・・・外して終わりにしていただけ。アイゼンで実際に立つのも歩くのも初めてだ。
アイゼン効果抜群。しっかりと刺さってグリップしてくれる。
こりゃ~楽だわ。この勾配なら、アイゼンが無かったら、つるりん!と滑りそうだ。
林の中を抜けて行くと、先に“人工的な”物が見えてきた(下の写真)。
電波塔の建物だ。
テレビ関係のものらしい。
電波塔をスルーして先の方へ行ってみると・・・。
広い所に出る(下の写真)。
ここが朝熊ヶ岳山頂だ(下の写真)。時刻は10:09。
あのハイカーおじさんはアイゼン無しで山頂に到着済み(上の写真の右手)。
丁度上の写真のおじさんの立っている場所の近く、木々に隠れた所に朝熊ヶ岳山頂の標柱が立っている(下の写真)。
標高は555m。
登頂成功のイェ~イ。
ここには三角点は無い。三角点は東に少し離れた所の宇治岳道脇に有るらしい。宇治岳道は下山ルートなので、三角点はその時に探そう(が・・・実は・・・それはまたあとで)。
さて、ここ山頂からの伊勢湾の展望が素晴らしい(下の写真)。
下の写真は山頂からの眺め。
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目の前の菅島水道の先の水平線に見える陸地が、愛知県の渥美半島だ(下の写真)。その少し手前に小さく見える島が神島。
(↓クリックすると別ウィンドウで拡大表示出来ます。)
渥美半島の向こうに富士山が見えることも有るらしい。おじさんによれば、今日は見えていないとのこと。そうそうは見られないそうだ。
下の写真はその左手、答志島とそれに繋がる島々。手前の半島が小浜町。
(↓クリックすると別ウィンドウで拡大表示出来ます。)
この方角(下の写真)、水平線上に中央アルプスが見えることも有るらしい。
(↓クリックすると別ウィンドウで拡大表示出来ます。)
もう少し左手の景色(下の写真)。
(↓クリックすると別ウィンドウで拡大表示出来ます。)
いや~~、でも良い眺めだ。
おじさんに色々説明してもらった。
島が連なっている飛島が見える(下の写真)。
山から海を見るってのも良いね~。
今日、今はそれ程気象条件が良くないそうだ。良い時はもっとくっきりらしい。
それでも初登頂の僕には充分なくらい。
山頂には金剛證寺の「八大竜王社」が有る(下の写真)。
鳥居が建ち並ぶ。
社殿は現代の鉄筋コンクリートの建物だ(下の写真)。
社殿の脇を散策(下の写真)。
寒椿かな。
おじさんは昔犬と猫を飼っていたことが有って、その亡骸をこの山頂の桜の木の下に埋めたらしい。ここは金剛證寺の土地なのだが、住職に埋葬場所を相談したら、この山頂の桜の木の下に埋めたらいいよ・・・とのことで、そうしたらしい(老婆心ながら・・・“勝手に”山や公園や河川敷にペットの亡骸を埋めることは法律で禁じられていますので・・・。おじさんのように所有者の許可が有れば可能。でも国や地方自治体が所有している場所では許可は出ないと思っていい)。桜の開花する頃に登れば、花を見ながら偲ぶことが出来るわけですな~(素敵)。
さて、おじさんは金剛證寺には寄らずに下山するらしい。どのルートで降りるかはまだ決断出来ていなそうだが、とりあえず旧参道へ降りるらしく、社殿の向かって左(下の写真)へ進まれた。僕は金剛證寺へ向かう予定なので、ここでお別れ。
僕はもう少し山頂からの眺めを堪能。
暫くして、僕もおじさんの進まれたほうへ向かう(下の写真)。
本殿の横を通過(下の写真)。
林の中へ入っていく。
結構急な下り。雪が凍結していて、ここでもアイゼン様々だ。
寒椿だ。
どんどん下る。
石や地肌が見えてきた。こうなるとアイゼンだと歩きにくい。
もう少し進んだら外そうと思っていると、舗装路に出合う(下の写真)。
僕はDから舗装路に出た(上の写真の下段の黄色の矢印)。
朝熊岳道の続きの下山ルートはBらしい。
ここには道標が立っている(上の写真の赤色の円内)。案内板も立っている(下の写真、クリックすると別ウィンドウで拡大表示出来ます)。金剛證寺へ向かう前に経塚群に立ち寄りたい。
先ずはAへ。
どうやら下は舗装路だが、硬い雪で埋もれているみたい。ここはアイゼン効果有り・・・でもほぼフラットだが・・・。
すぐにまた分岐(下の写真)。
経塚群へはどちらでも良いみたいだが、金剛證寺はB。・・・ということは、右のAに進んで経塚群に行った方が良いな。経塚群を抜けるとBの道の先と合流して金剛證寺に向かえる筈だ。そのほうが効率的~~。
で、右のAへ・・・。ここも下は舗装路のようだ(下の写真)。
また分岐(下の写真)。舗装路はBへ向かっている。Aが経塚群への道だ。
分岐のすぐ先の右手に道標が有るしね(下の写真)。
道標に従って進む。下は舗装路ではなくてダートのようだ。
進んでいくと・・・。
「経塚群」に到着(下の写真)。時刻は10:35。
ここは朝熊ヶ岳の中のピークの一つで、「経ヶ峯」という名まえが付いている。標高約540mで、先程の最高点を北峰、こちらを南峰とも呼んでいるらしい。
雪から生え出たようにたくさんの経塚が有る。
約40基有るそうで、明治時代から経塚の存在は確認されていたが、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風による倒木でさらに多くの経塚が確認されたとのこと。
山石で作られた小石室が有るそうだ。そこからの出土品は平安時代末の経筒などで、工芸品としてすぐれたものが多いとのこと。国の史跡に指定され、経筒などの出土品は国宝に指定されている。現在出土品の多くは金剛證寺の宝物館に展示されているとのこと。
歩いても良い場所が分からないので、先客ハイカーさんの足跡の有る所だけ歩く。
経塚群の南にトレイルらしき、歩ける場所が見える(下の写真)。
木々の間を抜けると、広い場所に出る(下の写真)。足跡が有る。ここから下るハイカーもいるわけだ。あのオレンジの常連さんはここから下ったのかな?(結局山頂で分かれてからもう会うことは無かった)。
目の前に朝熊ヶ岳の南の山並みが伸びている。
さて、僕は金剛證寺へ向かうので、逆の方角だ。経塚群に戻り、北の方角へ下るトレイルに入る(下の写真)。
下っていく。
ここもアイゼンが必要な状態だ。
程なくして緩い下りのトレイルに降り立つ(下の写真)。僕はCから降りてきた。
左のBへ進むと、先程の舗装路との出合に戻る(上の写真の右下)。右のAへ下っていくと金剛證寺だ。Aへ・・・(下の写真)。
分岐から程なくして雪が殆ど消えた(下の写真)。アイゼンを外す。
九十九折れ気味に下っていく。
写真では分かりにくいが、そこそこ小石がゴロゴロ。
程なくして木々の向こうに“寺関係”の物が見えてきた。
卒塔婆がたくさん(下の写真)。
金剛證寺と言えば、卒塔婆~。もうすぐだ。
舗装路が見えた。
門をくぐって「金剛證寺」に到着(下の写真)。時刻は10:50。
僕は下の写真の向こうから来た。
金剛證寺に参拝するのはこれで2回目。冒頭で書いたように前回はバスで登ってきちゃったが、今回は徒歩だ。
境内には参詣者が散見される。皆、スカイライン経由で来た人達だ。
『金剛證寺』
臨済宗南禅寺派別格本山。
山号は勝峰山。
正式名称は「勝峰山兜率院金剛證寺」
昔より伊勢神宮の鬼門を守る寺として、神宮の奥の院ともいわれ、「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭の一節にも唄われた。参宮する人々は当寺に参詣するのが常であった。
草創は古く、欽明天皇の頃(6世紀半ば)、暁台上人によって開かれた。平安時代に弘法大師(空海)によって堂宇が建立され、密教修業の大道場として隆盛を極めた。
その後応永年間(1394~1248年頃)に鎌倉建長寺開山大覚禅師の法孫である仏地禅師(東岳文いく禅師)が法燈の衰微を嘆き再興。以来、禅寺に改められ、現在は臨済宗南禅寺派、別格本山になっている。
本尊は福威智満虚空蔵大菩薩。日本三大虚空蔵菩薩の第一位で、秘仏である。伊勢神宮の遷宮の翌年に、20年に一度ご開帳される(次回は平成26年)。
さて、先に奥之院へ行こう。・・・この後の山上公苑へ向かう予定を考えると、本当は本堂に行った方が効率的。でもすぐ左手に下の写真の目立つ門が見えちゃったので、つられたw
「極楽門」(上の写真)。
門を下ると下り坂で、ここから参道の両脇に卒塔婆が建ち並ぶ。
写真で見ると高さのイメージが付かないだろうが、普通の墓に立てる卒塔婆よりもはるかに長い。家の柱くらいの高さだ。それが参道の両脇に林立している。
この先は参道脇に墓がたくさん有るので撮影は無し(やっぱり写すのは気持ち悪い)。
参道の突き当たりが奥之院だ(下の写真)。
「奥之院」
本尊は延命子安地蔵。
奥之院を出て卒塔婆の並ぶ参道を戻り、極楽門をくぐって真っすぐ進む。寺に入った際の登山口もスルーして下っていく(下の写真)。これから本堂に向かうのだ。
途中で右手に鮮やかな朱色の堂が見えてきた(下の写真)。
「明星堂」(上の写真)
伊勢神宮の鬼門除けのために明星天子を祀り鎮護している。
明星は、日、月、星の三字よりなり、三光天子とも称され国土安穏智慧成就の仏神である。
(案内板より)
明星堂の前を過ぎて更に下ると、突き当たり右手に本堂が見えてくる(下の写真)。
「本堂(摩尼殿)」
慶長14年(1609年)、姫路の城主池田輝政公の寄進により再建されたもので七間六間、一重寄棟造り、向拝三間、檜皮葺の建物である。
外部は朱漆、内部は金箔押になっている。伊勢神宮の奥の院ともいわれる如く、本尊の福威智満虚空蔵菩薩と共に、天照大神を祀り、神仏習合の思想を表している。
重要文化財。
内部は拝観できるが、撮影不可。
ここまでの無事を感謝し、このあとの安全を祈願。
本堂の前には牛と寅の像が有る。
「福丑」(上の写真)
この福丑は頭上に福の神と言われている大黒様を頂いている。
一度この福丑に触れれば心清く、意志堅固となり、福徳智慧増進し、身体健康の御利益が授けられる。
(案内板より)
「智慧寅」(上の写真)
御本尊虚空蔵菩薩の広大なお智慧を戴いた寅の像である。
安らぎの姿中に一視同仁の慈愛と威徳をお授けする智慧寅に御縁をお結びください。
(案内板より)
どちらの像にも触っておいたwww
本堂を背に正面の階段から下の境内が見える(下の写真)。
階段を降りていくと、大きな池が有る(下の写真)。
「連間(つれま)の池」(上の写真)
この池は弘法大師が掘ったと伝えられる。
池の中央に架かる橋を境に、此岸(しがん)(迷いの世界)と彼岸(悟りの世界)が表され、五月上旬から九月にかけて、数百の睡蓮の花が美しい風景を見せる。
(案内板より)
「連珠(れんじゅ)橋」(上の写真)
池の中央に架かる橋は連珠橋と呼ばれ、古くは浦田織部藤原長次が願主となって、寛文12年(1672年)に創建されたものである。
(案内板より)
連珠橋は通行禁止になっている。
連珠橋の向こう、“彼岸”にお堂が見える(下の写真)。
上の写真ではちょっと陰になっているが、下の写真だともう少し見えるだろう。
「雨宝堂(うほうどう)」(上の写真)
池の向こう岸(彼岸)に建つ御堂は、神仏習合思想の神像、雨宝童子尊を祀る。
この神像は、大日如来の化身である天照大神が日向国(宮崎県)に降り立った十六歳の御影(おすがた)を、弘法大師が感得して刻まれたと言い伝えられ、国の重要文化財になっている。
(案内板より)
池の周りには他にも堂が建っている。
「地蔵堂」(上の写真)
本尊は矢負地蔵尊。身代わり地蔵らしい。
「鐘堂」(上の写真)
順番がおかしいが、山門(仁王門)の外からの眺めを見ておこう。鐘堂の前から山門を出、石段を降りていって振り返ると・・・・上の写真。
また石段を登り直す。
「山門(仁王門)」(下の写真)。1979年(昭和54年)に再建されたとのこと。
阿吽像も比較的新しそうだが・・・。
山門をくぐり直して再び境内に入る。
雨宝堂の裏手に回り込むと、下の写真のようなお堂が建っている。
「開山堂」(上の写真)
草創 暁台上人
開山 弘法大師
中興開山 佛地禅師
写真は載せないが、他にも、「仏足石」や「弘法茶屋」「芭蕉句碑」そして有名な(?)「お○○こ地蔵」が有る(そのまま書いてグーグル検索でこの単語で引っ掛かるようになると嫌なので伏せさせてもらいます)。
さて、次は山上公苑に行ってみよう。極楽門の前まで戻り、門をくぐらずに右手の綺麗な緩い登り坂の舗装路を進む(下の写真)。
スカイラインからの分岐とも合流(下の写真)。
程なくして階段。
駐車場に出る。
まだ公園のピークではない。更に目の前の石段を登る(上と下の写真)。
すると展望の良さそうな広い場所に出る。ここが「山上公苑」(下の写真)。時刻は11:54。
クルマや観光バスがたくさん停まっていて、観光客もそこそこ多い。下の写真の左手が展望台で、右手の建物が展望足湯と朝熊茶屋だ。
ちなみに、「山上公苑」と書いたが正しくは「山上広苑」かも知れない。本やネットで両方の名称が使われていて正解が分からない。現場でもよく分からなかった。この記事では前者で統一しておく(ここまで既に書いちゃったから(^^ゞ)。
展望台の近くに朝熊山という名前で標柱が立っている(下の写真)。
朝熊ヶ岳の最高標高点は先程の標高555mの場所だが、幾つかピークが有って、ここもその一つなのだろう。
一応、登頂成功のイェ~イwww
さて、この公苑からの展望が素晴らしい。
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東~北の伊勢湾の風景がとてもよく見える。
下の写真の真ん中付近は菅島水道で、その向こうは愛知県の渥美半島の伊良湖岬だ。水平線近くの手前が神島。水平線上が伊良湖岬。
下の写真の手前左の湾の半島が小浜町で、その奥右手の島は答志島。
答志島から向かって左に牛島、浮島、飛島が並ぶ(下の写真)。
飛島は複数の小さな島を合わせてそう呼ぶようだな(下の写真)。
上の写真の右手の菅島水道を見ると、下の写真のように、神島と渥美半島の伊良湖岬が良く見える。下の写真の右手の島が神島で、その向こうが伊良湖岬。こう見ると結構近い。下の写真の手前は鳥羽市で、隠れて見えないが、鳥羽港が有る。
下の写真・・・、菅島までは見える角度だな。
パネルが有る(下の写真)。富士山も見えるのかも知れないのか・・・。今日は見えていない(たぶん)。
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より左手の北の方角を見ると、伊勢湾沿いの三重県の街並みが一望。
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下の写真の手前の川が五十鈴川。その向こうの、左から流れてくる川が宮川。
あの界隈が伊勢市の中心部だ。
場所を変えれば、伊勢湾とは反対の方角の山並みも見える。
下の写真は南~西の方角で、右手のピークが朝熊ヶ岳の最高点。あそこから歩いてきたわけだ。
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展望を堪能したので下山しよう。下山ルートは宇治岳道を使うので、先ずは一旦あそこの朝熊ヶ岳山頂まで戻らなければいけない。ここから見ると遠いが、実際歩くとそうでもない。
来た道を金剛證寺まで戻り、また登山口からトレイルに戻る。先程寺まで下ってきた道を登っていく(下の写真)。途中でハイカー団体さんとすれ違って御挨拶。
地面に凍結した雪が広がる辺りから再びアイゼン装着。
程なくして先程の経塚群からの分岐まで戻ってきた。下の写真の左手の斜面から経塚群に戻れる。ここはもう経塚群には寄らずに直進。
緩い登り坂を進む。ハイカーとも何人かすれ違う。
木々の間から先程の展望台から見た景色が見える。
雪はカチカチで、アイゼン様々だ。
程なくして先程の舗装路と出合う(下の写真)。
舗装路に入ってすぐ右手に山頂への分岐の坂が有るのでまたそこへ入る(下の写真)。ここもアイゼン効果が高い。
途中で山頂から来るハイカーさんとすれ違ったが、アイゼン無しでたいへんそう。「こりゃ、たいへんですね~。怖いですね。」とおっしゃっていた。
山頂まで戻ってきた(下の写真)。写真を撮らないとサクサク進むな~(^^ゞ
先程よりもハイカーさんがたくさんいる。
ここからの展望ももう撮影無し。次は朝熊峠まで戻る。
朝熊峠へ下っていく(下の写真)。
アイゼン様々の路面が続く。
どんどん下る~。
下の写真のような場所に来て・・・・、もういいな・・・。アイゼンを外す。
舗装路だ。朝熊峠が見えてきた(下の写真)。
朝熊峠まで帰還(下の写真)。時刻は12:38。
峠のベンチで景色を眺めながら、おにぎり&休憩タイム(上の写真の下段)。休んでいると、これから山頂へ向かう人や、朝熊駅方面に下山していく人を見かける。
さて・・・充分休んだので、宇治岳道で下るか・・・。麓まで6.5kmと道標に書かれている(上の写真の上段)。
峠に立っている案内板によると、宇治岳道には昔、登山バスが走っていたらしい(下の写真)。
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麓を目指して先ずは舗装路を進む。
まだ殆どフラット。
分岐だ(下の写真)。
Bはスカイラインと繋がっている下り。
宇治岳道は引き続き真っすぐA。
民家だ(下の写真)。
ちゃんと人が住んでいるようだ。
先に進む。
舗装路に土が堆積し、まるで舗装区間とダート区間が混じっているかのようになってくると、電波塔らしき場所を通過する。
・・・で、この時三角点のことをすっかり忘れている。上の写真の辺りに三角点が有ったらしいが(たぶん)、全く忘れて先へ進んでしまった(ずっとあとで思いだした(-_-;))。
ここから下り坂(下の写真)。
もはや舗装路だかダートだかわからない。
道路脇には石仏(下の写真)。三十七丁と彫られている。おそらくこの先も一丁ごとに石仏が有るのであろう。
どんどん先へ・・・。下の写真、舗装路が下に有るようだ。
ガレた場所。舗装路崩壊。
割と舗装路が残っている区間も・・・。
そして、とうとうダートになる(たぶん・・・土の下に有るかも知れないが・・・)。
ダブトラに近い幅員だな。
石仏だ。
やはり一丁ごとに有るようだ。
よく踏み固められて綺麗な道が続く。
ノンビリ気分で下山したい人にはもってこいだな。
電柱が立っているので、興醒めする人もいるだろうが、僕はOK。
良い感じの木々のアーケード。
クルマの音が良く聞こえるな~と思っていたら、いつの間にか左手の下のほうにスカイラインが見えている(下の写真)。
すぐ近くに舗装路が有りながら、別世界のような登山道。
ここまでスカイラインの北を並行していたのだが、ここで逆転。
下の写真のようにスカイラインの上を越える。
橋の上からの眺め(下の写真)。
伊勢市街地がよく見える。
橋を渡って先へ・・・。
フラットと緩い下りが交互に続く。
朝熊岳道で会ったあの“オレンジ”のおじさんハイカーも「宇治岳道は良い道だよ。」とおっしゃっていた。
その通りですな。散策気分で下るのに良い。
逆に登りだと退屈かもね。
二十七丁か・・・。
次の石仏か・・・。
ん・・・。
首が取れたからといって、こういうふうにしちゃうのは~~。
そのままで良かったのでは?アンバランス具合に笑えちゃうんだけど・・・。
どんどん下る。
ここを昔はバスが走っていたなんてね~。
凄いよね。ガタガタ・ゴトゴトと、乗っていてスリリングだったかも。
久しぶりに分岐だ(下の写真)。
右のBへ急下りの道が続いている。もしかすると、朝見た朝熊岳道登山口の右手に有った分岐と繋がっているのかな?
確めるつもりは無く、Aへ・・・。
また・・・、なんか笑える(下の写真の右の石仏)。シリアスな表情だけに・・・。
心の中で笑いながら先へ・・・。
少し開けた場所に出る。スカイラインが垣間見える(下の写真)。
と思ったら、また木々の中に・・・。
なかなか長いね~。
稜線沿いにゆっくりと下るって感じ。
また開けた場所に出る(下の写真)。
両側の木々が減った。
右手の伊勢市街地側(下の写真)。
だいぶ目線が低くなったが、それでもまだ高い位置にいるな。
二見町の方も見えている(下の写真)。
良いね。
例のお城だ。
スカイラインも見えている(下の写真)。こちら宇治岳道は稜線上に有るのでスカイラインを見下ろすかたちになっている。
良い感じの尾根道が続いている。
左手には山並み(下の写真)。南の方角でちょうど逆光関係に有り、山肌が真っ暗に写ってしまった。
トレイルの脇には松の木が並ぶ。
右側が切られている。稜線よりも少し南に下がった位置になったのだな(下の写真)。
ちょっとガレ気味。
暫く殆どフラットな区間が続いている。
分岐だ。楠部道との出合(下の写真)。
右のBが楠部道というルート。またいつか登る機会が有ったら歩いてみよう。
ここは引き続き宇治岳道のAで下山。
分岐からは下り勾配に戻った。
どんどん下ると、トレイル両側に石が並んで置かれる道になった。
一旦、石が無くなるが・・・。
また復活。
石の外側には溝が有る。降雨時はここを水が流れるかも知れない。今は溝の中は枯れているが、この溝が無いと雨水でトレイルが崩れるのかもしれない。それで両側に溝を掘って、境を石で補強したのかも。
ふと左手を見ると山並みが見える(下の写真)。
振り返るように見る、その左手の景色の中の山・・・(下の写真)。
あれ、朝熊ヶ岳の山頂だな。下の写真の真ん中やや右寄りの最高点が山頂で、その左隣のピークとの間が朝熊峠。尾根伝いにここまで宇治岳道を歩いてきたわけだ。向かって右の電波塔のすぐ近くに経塚群が有るのだろう。そしてその向こうに隠れて金剛證寺が有るわけだ。こう見ると、結構歩いてきたな~。
さて続きの下りへ・・・。
溝が深くなった。
溝がトレイルを横断している所も有る。溝の中に水溜りも見えるようになった。
途中で石を補修しているおじさんに会って御挨拶。やはり地元の方が手入れをしているようだ。
更に進むと廃車・・・。片付けてね~~。てか、捨てないで。
どんどん下る。
松の木が徐々に減り、シダ類が目立つようになってきた。
どこか遠くからクルマ以外の町の音・・・人の声とかが聞こえる。結構町に近くなってきたのかな。
なかなか長かったが、もうすぐだろう。
石が無くなり、とても幅の広いトレイルになる(下の写真)。
単車・・・、その先に駐車している車が見えてきた。
林の中から出る(下の写真)。
ここが宇治岳道の登山口なのだな。時刻は14:07。
舗装路に出て道なりに下っていく。
ここは伊勢神宮・内宮の神宮司庁近くで、一般人がこの辺りから直接内宮に入れる道は無い。関係者のみ入れる道が有る。
いずれにしても今日は伊勢神宮には寄らない。休日だからいつにも増して混んでいる筈。同じ理由で「おかげ横丁」にも寄らない(ちなみに「伊勢神宮~二見浦ポタリング 2009.09.06」に伊勢神宮とその周辺のレポが有るので、時間が有れば覗いてください(^^ゞ)。
道なりに進んでいくと・・・・。
スカイラインの下をくぐる(下の写真)。
あとは近鉄線・五十鈴川駅を目指すのみ。
ここから先、道路や分岐の写真はバッサリと省略しま~す。
クルマも人も多い。
総合運動場近くの道を歩く。先ずは一旦R23に出ることを目指そう。
左手に綺麗な五十鈴公園(下の写真)。
五十鈴川を渡る。今r32の「浦田橋」の上にいる。写真には写っていないが、この辺りも結構なたくさんの人が歩いている。
五十鈴川上流の方の眺め(下の写真)。
対岸へ渡り、程なくして交差点でR23に出合う。
R23の歩道を歩いて駅へ・・・(下の写真)。
途中でR23から離れてr12へ(下の写真)。
歩いていくと、近鉄線の高架が見えてきた(下の写真の上段)。
ここを下ってすぐ左折すると近鉄・五十鈴川駅への登り坂(上の写真の下段)。
そして・・・近鉄鳥羽線・五十鈴川駅に到着。時刻は14:45。
あとは電車に乗り込み、一路大阪へ・・・。特急は使わずにノンビリと帰る。
そして・・・、18:55に無事に帰宅。
こうして初めて伊勢の山、その代表的な朝熊ヶ岳に登ったわけだが、一番は何と言っても展望。山から見る海は良い!朝熊峠、山頂、山上公苑の三か所で充分に堪能出来た。
ルートについては・・・、登りルートとして朝熊岳道は良かった。一方前述の通り、宇治岳道はノンビリとした下山用として良いルートだな。(これも前述だが)ただ逆に登りで宇治岳道を使うと退屈かも・・・。
また思わぬ所で“アイゼン・デビュー”となった。町や海に近くて山深くない低山でも雪は降るんですな~~。必要になるとは全く思っていなかったが、持ってきていて良かった。
残念だったのは三角点のことを忘れてスルーしてしまったことだ。朝熊ヶ岳はまだ色々とルートが有るし、いつかまた登った際に三角点をチェックしよう。楠部道と宇治岳道を組み合わせるルートならば立ち寄り易い。沢沿いのルートも楽しそうなので、そこも歩いてみたい(勿論ヒルのいない時期に・・・)。そうしたらまたあの“オレンジ”色のウェアのおじさんに会うかも知れないな。あの服装ならすぐに分かる。
何にしても総じて・・・、朝熊ヶ岳ハイキング、楽しかった。行って良かった~~。満足、満足。
さてさて、次はどこの山へ・・・。
コース概略/
(自宅(5:05)→○○線・△△駅→□□線・▽▽駅・◇◇線→上本町駅・近鉄大阪線→)
近鉄鳥羽線・朝熊駅(8:27)→朝熊岳道登山口(8:42)→朝熊岳道→朝熊峠(9:47)→朝熊ヶ岳山頂(10:09)→経塚群(10:35)→金剛證寺(10:50)(奥之院→本堂)→山上公苑(11:54)(折り返し)→金剛證寺→朝熊ヶ岳山頂→朝熊峠(12:38)→宇治岳道→宇治岳道登山口・神宮司庁前(14:07)→r715→総合運動場前→浦田橋→r32→R23→r12→近鉄鳥羽線・五十鈴川駅(14:45)
(→近鉄大阪線・◎◎駅→◇◇線・▽▽駅・□□線→○○線・△△駅→自宅(18:55))
GPSデータ/
歩行距離/17.8km
歩行時間/4hr24min
停止時間/1hr53min
最高速度/12.1km/hr
移動平均速度/4.0km/hr
全体平均速度/2.8km/hr
標高差/546m
総上昇量/773m
最高標高/555m(朝熊ヶ岳山頂)
積算歩行距離/251km
積算総上昇量/12651m
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Comments
雪の中を歩くのは、楽しくもあり注意もいりそう。
すごい道もありますね~
でも山頂から見える景色の美しさは息をのみましたo(*^▽^*)o
ハイキングの醍醐味ですね♬
« 投稿: tomo 2013年3月16日 (土) 20時38分
tomoさん>
この山は展望が良く、しかもそれが海なのでとても綺麗でした。
生で見たほうがもっと素晴らしいですよ~。
クルマですぐ近くまで登れますし、もし伊勢参りをされることが有れば、是非登ることをお薦めします。
« 投稿: Katze 2013年3月16日 (土) 22時44分
ケーブルカーの遺構もあったり素敵です。
一時期、鉄道遺構を求めて歩いたり、サイクリングしていた時期がありました。
初アイゼンは疲れませんでしたか~
とても満足な山行になったみたいですね(^_^)v
« 投稿: 登山 好人 2013年3月20日 (水) 23時17分
登山 好人さん>
そう言えば好人さんの前のブログで、遺構や学校跡とかのサイクリングレポって以前見た記憶が有ります(有りましたよね?人(ブロガー)違いだったら失礼(^^ゞ)
アイゼンの疲労度は特に問題無しでした。
ただ、ここは雪の下はゴロゴロと石が転がっているトレイルらしく、全般的に雪が浅かったので、雪の下の石を何度か噛みそうになって歩きにくかったですね~。
« 投稿: Katze 2013年3月22日 (金) 18時45分
遺跡とかは山行する際に歴史を感じて良いですね。
こんなやまの中にひっそりと何かを語りかけているような
感がします。山間部ながら町に近くまた適度に人気がありそうで楽しめそうなルートだと思いました。
« 投稿: ikajyu 2013年3月24日 (日) 02時46分
ikajyuさん>
はじめまして
ご訪問とコメントありがとうございます。
山間部ながら町に近くまた適度に人気がありそうで>
そうみたいです。
京都で言えば愛宕山、大阪・奈良で言えば金剛山といった感じの山みたいです。
まだここに行かれたことがなければ、是非登ってみてください。お薦めです。
« 投稿: Katze 2013年3月24日 (日) 08時24分